35. 悲劇はここから始まった
リエナは、お茶とお菓子の準備をすると皇帝に促されてソファに座った。
「俺が巫女を苦手なのは、先代の巫女が原因だ」
やはり、そうだったのか。
予想通りの答えに、リエナは静かに頷く。
「先代の巫女については、どのくらい知っている?」
「今の巫女と同じ世界から来た方で、心を病んでいたとしか………」
そう、先代の巫女に関する情報はあまりにも少ない。先代の巫女の任期が短かったことや巫女は国から出ないことも関係しているが、巫女の様子は国民に逐一報告されている。だが、先代の巫女に関しては何も語られていない。
………まるで、隠されていたかのように。
「先代の巫女は、歴代の巫女と同じように純心で優しい性格だった。それ故、悪意に触れぬよう、神殿で手厚く保護されていた」
皇帝は、複雑な感情の入り交じった顔で、語り始める。
ある時、巫女は城で開かれるパーティに招かれた。
そして、出会ってしまったのだ。
「その時俺は、皇太子として同じパーティに参加していた。自分の顔が女に好かれやすいのは知っている。だが、まさか巫女に好かれるなどとは思いもしなかった」
その後、巫女の要望もあり、皇帝は神殿に招かれることが多くあった。巫女は、皇帝と結ばれることを夢見て何度もアプローチしてきた。
だが、役目を果たすまで巫女は男性と恋仲になることは許されない。
「だから、真実を伝えた。『貴女が巫女である限り、配偶者となることはできないのだ』とな」
何も知らされずに 神殿で保護されていた巫女は、そのことを知らなかった。
役割を果たすまで、“女性”にはなれない。愛する人と決して結ばれない。その事実は巫女の心に大きく突き刺さった。
結果、心が病んでしまったのだ。
何で??
役目が終われば結ばれる(相手次第だけど)じゃない。
リエナが腑に落ちないとばかりに首をかしげる。
「巫女は、夢見がちな少女でな。その生活は現実味を帯びていなかった。だが、俺に事実を告げられ、一気に自分の置かれている立場を理解してしまった」
望まない立場。外界と閉ざされた生活。決して結ばれない恋。迫る世界の崩壊。………そして、地球に帰れないという現実。
それらは一気に巫女にのしかかった。
巫女は、いかに自分が惨めな立場か気付いてしまった。
望めば何でも手に届くところにあると思っていた巫女という恵まれた立場。だが、何一つ自由などなかったのだ。
「巫女は、心を闇に蝕まれていった。………そして、そのきっかけを作った俺は恨まれた」
え?
また意味不明なんですけど。
「巫女は、俺への憎しみで心の均衡を保とうとしていた。だから、会うたびに罵声を浴びせられ、時には巫女の力で傷を負わされそうになった」
だが、皇帝は強い。
罵詈雑言を浴びせられようがそんなことではめげないだろう。ましてや、皇帝を傷つけようとするなど、最強の魔力を持つ彼に、深手を追わせることなど無理だ。
「巫女は、今までやり方では俺を傷つけないとわかると、最後の手段に出た。…………これを見て くれ」
皇帝は袖を肩までまくりあげ、腕を出した。
そこには、いつぞやに見た印があった。
――――――――――呪い。
「これによって、俺は完璧にできていたはずの魔力の制御ができなくなった」
そういえば、皇帝は昔魔力を完璧に操っていたと聞いたことがある。
巫女の力は魔力に大きな影響を及ぼす。皇帝には、魔力の制御不能という形で影響がでたのか。
「…………………………そして、女に関してトラブルが頻発するようになった」
――――――――――は?
女性たちの皇帝への狂愛は、呪いのせいだったと言うのか。
いくらここがファンタジーな世界で皇帝がイケメンでも、出会った女性全員が皇帝に惚れるなんて都合が良すぎると思っていたのだ。
だって 、好みなんて千差万別よ?
皇帝は顔やステータスは完璧だが、それらでフォローしきれないほど性格が悪い。女性に対する態度は最悪、場合によっては暴力まで振るう始末だ。しかも、美形が苦手な人だっているはずだ。あのキラキラしい美形を直視する勇気は一般庶民にはない。まあ、皇帝という立場上、顔さえよければみたいな女性も多いだろうが、世の中の女性すべてがそうだと嫌すぎる。世界中の男性が女性に対して希望を抱けなくなる。そんな世界は嫌だ。
―――――と、考えていると嫌な予感が……。
もしかして、近衛隊長も呪いの犠牲者だったりして………。
いやいやいや、いくらなんでもあれはただの変態だろう。だって皇帝が好きすぎて結婚しない(リエナ・リサーチより)とか、ありえないし。女性に魅力を感じられないなんて男色かと思ったら、皇帝しか対象にない(リエナ・リサーチより)なんて、危なすぎる。
そもそも他の男性には好印象を持たれたり崇拝される程度だから、近衛隊長がおかしいのだ。
………たくさんの男性に襲われる皇帝なんて、見たくもない。やっぱりあれは例外だ。
そんなところまで想像が膨らんでいたが、皇帝の声に我に帰った。
「もともと、女性は嫌いではない。だが、魔力の高い貴族の女は皆この呪いが効いているらしくてな」
それは気の毒に。
最初は侯爵家の令嬢みたいなかわいい女の子を見つけて結婚するつもりだっただろうに。
「女性から向けられるのは、呪いがもたらす偽りの感情だ。誰も傍に置きたくはなかった。だから女性の理想像をでっちあげ、女性問題で文句を言われないようにここまで頑張ってきたのだ」
てか、あの理想像も嘘だったの?これは、リエナ・リサーチを訂正せねば。
「ナツのことは、本当に好感を持てた。自分に向けられる心遣いや思いやりが、本物だと自信を持てたからな」
嬉しそうに語る皇帝を見て、少し申し訳なく思う。思い出されるのは、自分が皇帝に行ってきた所業。
今言ったら、許してくれるかな。
皇帝への腹いせに、リエナ・リサーチの情報「皇帝の恥ずかしい失敗一覧」を横流ししていたこと。面白いから、という理由で勝手に盗撮した「皇帝の屈辱に歪む顔コレクション」を市場に出回らせていたこと。
今はさすがに反省している。皇帝がここまで女性を嫌う理由が分かったし。そりゃ、巫女の力で精神的に狂った女を相手にするのは苦痛だろう。自分だったら全員薙ぎ倒してでも逃げるレベル。
「よく、頑張りました。陛下は凄いですよ」
そういうと、皇帝が抱きついてきた。
「こんなこと、誰も信じてくれないからな。宰相にもちゃんと話してない」
「でも、宰相様は察していたようですよ。あなたは、もっと周りを信頼すべきです」
すると、皇帝が驚いたように身を離し、リエナを見つめる。
「本当か?」
「宰相様は女性嫌いと先代の巫女のことについて、教えて下さいました」
宰相の言ったことの全てが当たっていたわけではないが、先代の巫女が女性嫌いの原因となったというのは事実だった。
長年、皇帝を見てきただけのことはあると思う。
「一番許せないのは、そこまで追い込んだ俺たちだ。この世界が、巫女を追い込んだ。そう思うと、巫女に悪意を向けにくいのだ」
「ナツは、こんな俺が嫌いではないか?」
「巫女に関してはトラウマを植えつけられていますし、仕方がないのでは?むしろ巫女のせいでそこまで不運な人生送ってきたかと思うと、不憫ですよ」
「……………………」
まさか自分が不憫と言われる日が来ようとは。皇帝は言葉がでなかった。
リエナはリエナで、素の自分を出してしまったことに慌て、まずいと思い皇帝から目をそらした。
皇帝と後宮の美女たちの攻防を離れたところで眺めていたせいか、すっかり観客目線になっていた。危ない、危ない。
可哀想な皇帝を観察することは生きる糧だ。
皇帝には申し訳ないが、この趣味は捨てられない。
皇帝を憐れむなんて、本来不敬に当たるのだが、皇帝は何故か嬉しそうだ。
「俺に不憫なんて言葉を使うやつはなかなかいないぞ」
「も、申し訳ありません………」
「いや、怒っているわけではない。やはり、ナツの言葉だけは信じられるな、と思ってな」
………周りが全員頭が狂ったような人だもんね。
環境的に仕方がないが、皇帝の宰相とナツに対する信頼は、刷り込みに近いものがある。
皇帝は女性と普通に接することができないと言っているが、宰相やナツとの接し方は普通ではないのだ。
ナツについては特に、本来なるべくしてなった関係というわけではない。特殊な環境にあったからこそ、普通のナツが他と違って見えた。
本来ならば皇帝に目通りも叶わないナツは、一介の傭兵で実力が秀でているわけではない。近衛隊長のように忠誠が深いわけでも、宰相のように優れた頭脳を持っているわけでもない。
非日常の中に見つけた日常に安堵しただけ。
ただ、それだけなのだ。
皇帝は果たしてその事実に気づいているのだろうか。
気づいていてもあえて目を向けていないに違いない。そんなことをすれば、皇帝は心の拠り所を失ってしまう。
大国の皇帝を取り巻く環境は総じて、とても特殊だ。
それはつまり、皇帝に関わるすべてが呪いの影響を多かれ少なかれ受けていることになる。
先代の巫女は、わかっていたのだろうか。
彼に呪いをかける意味を。
大国の皇帝が、周りに及ぼす影響を。
それすらも彼女の空想にあったのではないか。
現実を見ることなく夢の中にあった巫女は、この世界を憂いることなく消えていった。
誰が悪いかなんて、分からない。
この世界の運命に巻き込まれてしまった巫女も、巫女に呪いを受けた皇帝も、滅びの危機に瀕するこの世界も。
皆、傷つき苦しんでいる。
なぜ、この世界は大きな試練を与え続けるのか。
いつか、この世界に本物の平穏が訪れることを祈らずにはいられないリエナであった。