30. 初恋の人は忘れられない
「やったわね、リエナ・リサーチ成功ね!」
「はい、まさかあんな簡単に引っ掛かってくれるとは思いませんでした。特に宰相殿に関しては見事ですね!」
早朝の朝日を浴びながら喜ぶ二人。
貰ったドレスは置いてきたし、ナツに荷物などなく、家までの道のりは楽だ。
「これで当分遊び暮らせますね!」
「………それがそうもいかなくなったみたい」
リエナが手にしていたのは、隣国の王家の紋章が入った手紙だった。
差出人のところには隣国の王太子の名が書かれていた。
「いつの間に王太子と知り合いだったんですか!?」
「趣味が一致しちゃったの。“令嬢を愛でる会”の同士なのよ」
実は、例の侯爵家令嬢をリエナが可愛がっていると聞いた王子が会への参加を了承してくれたのだ。
たまにとんでもないミスをする彼女だが、天然でほわっとしている雰囲気は人を和ませる。そして庇護欲をそそるのだ。リエナも令嬢絡みで色々あったわけだが、それでも彼女は可愛い教え子。
………そんな彼女を守ろうと結成されたのが“令嬢を愛でる会”である。もちろん王太子以外の男性の参加は、今のところ認められていない。
「令嬢が可愛くて仕方ない王子様から、SOSよ」
まあ、ピンチといえば巫女関係しかあり得なさそうだが。
「じゃあ、私は隣国に行くから、アリーは先に帰っておいて」
「ええっ、私は連れて行ってくれないんですか?」
ごねるアリーは魔法で転送し、自身は隣国へと旅立つのだった。
「やあ、よく来てくれたね。久しぶり、もう一人の巫女様」
王太子は驚く様子もなく迎え入れる。
“もう一人の巫女様”というのは、リエナの呼び名だった。
リエナが異世界に来て、初めて降り立った場所がここだ。黒髪=巫女だと考えられる世界ではリエナは巫女だと認識された。
「お久しぶりです、王太子殿下」
リエナは膝をつき、礼をする。
「お納めください」
リエナが差し出したのは、お金だった。しかも、一生を遊んで暮らせるような。
「いつもすまない。だが、本当に助かっている」
王太子は本当に申し訳なさそうに言う。
今の財政難の原因は巫女だ。そんなの、金を取り上げれば良いと思うかもしれないが、実際にそれをしたら、国が崩壊する。
巫女の持つ面倒な能力の中に、“魅了の力”というのがある。巫女に魅了させられると、洗脳されたように妄信的になる。そして、その力は国民全体に影響を及ぼしているらしい。
巫女が望まない生活を強いられれば、間違いなく暴動が起きる。財政難で国が傾きかけているところに暴動があれば、この国は一溜まりもないだろう。
屈辱的だが、この国は巫女のご機嫌をとることしかできないのだ。
「こちらも世界崩壊は避けたいものですから」
帰る方法が見つかっていない今世界が崩壊するのは困るのだ。できるならもう少し待って欲しい。
「婚約者のことといい、この国のことといいあなたには返せないほどの恩がある」
王太子の顔が翳る。
「あなたがいなかったら、今頃は………」
「ごきげんよう、殿下。お客人を少し貸してくださる?」
静かな空間を破る、騒がしくて甘ったるい声。王太子に声をかけたのは、巫女だった。
巫女はリエナを見つけるなり、すごい力でその腕をひっぱって部屋を出た。
「久しぶりね、夏川里菜」
そう言って里菜を見下ろすのは、巫女だ。
あの日、夏川里菜と真城麗華は同時に召喚された。最初はどちらが巫女か分からなかったが、神のお告げにより麗華が巫女だと分かった。
それから真城麗華は巫女として厚遇を受けたが、夏川里菜はなぜ召喚されたかもわからないまま立場も微妙だった。利用価値があるかもしれないと国に飼い殺しにされ、鍵をかけられた部屋で食事だけ与えられる日々。
そんな里菜を城から出してくれたのは、麗華だった。理由は「邪魔だから」。しかし、そんな理由でも牢獄のような場所から出してくれたことに感謝した。
「お城から追い出されて、随分とみすぼらしい生活を送っているようね。安心したわ」
里菜は何も答えない。
「学校でちやほやされてたあんたが気に入らなかったけれど、今は私の方が勝ち組。皆、あんたではなく私に尽くしてくれる」
彼女が自分に抱くのは恨み。
自分の行ったことが原因で、彼女は世間から冷たい目を向けられるようになった。自分が、一人の人生を変えてしまった。
だから、里菜は何も言える立場にない。彼女の怒りを、憎しみを受け止めることしかできなかった。
………だが、これだけは言わせて貰おうではないか!
「おそれながら、早く世界を救わないと、崩壊が近づいています」
今現在世界を救う資格を持っているのは、麗華だけなのだ。それは里菜には、リエナには出来ないこと。
巫女の周りで彼女に口出しできる人はいない。だからこそ、麗華にそれを促すのは里菜の役割だった。
だが、その一言が巫女の表情を一変させた。
「あなた、分かってるの?私は救ってあげる立場なの。私がいつ世界を救済しようが私の勝手。もし私が崩壊まで動かないとしたら、皆私に対する奉仕が足りないだけよ」
確かに、いきなり呼び出され、理不尽な要求をされれば怒りもあるだろう。最初は何の役目もない里菜だって怒った。
しかし、彼女は十分すぎるほどの恩恵を受けている。もうこれ以上望むのは、横暴というものだ。
………救済は本来、命を賭けるものでも、身の危険を侵すものでもなかったのだから。
今は状況が少し変わってきているが。
「大丈夫よ。私が本気を出せば一瞬で終わるわよ。無能なあんたと違って」
ギロリ、と睨まれた里菜はその表情に動じることなく口を開いた。
「というか、何しに来てるのよ。“邪魔だから出ていけ”と言わなかった?」
「………この国の経済が崩壊しかけているのは知っていますか?」
「知ってるわよ、そんなの。金を使うなって、周りが煩いもの」
「ではなぜ………」
「この国の代わりはいくらでもあるわ。巫女は、どの国でも望まれている存在だもの」
麗華が当然のように言った台詞に、リエナは愕然とする。
それは、この国が潰れても構わない、ということである。世界を救済する巫女が、国を崩壊させる………こんなことは前代未聞だ。
「神に見限られればあなたは終わりですよ」
それだけ言うと、リエナは転移魔法でその場から消えた。
皇帝はナツが消えてから落ち込んでいた。それは、誰が見ても分かるくらいに。
「陛下、いつまで辛気くさい空気を放っているのですか。迷惑です」
皇帝は宰相の言葉にも反応しないまま、上の空で書類を片付けている。
「陛下、書類整理は終わっています。なに机にサインしているのですか」
「………」
「陛下、ペンのインクがきれていますよ。机を引っかくのは止めてください」
「………」
「ああっ、机に傷がついています。高級品なのですよ!」
「………」
宰相の言葉が届いたのかは分からないが、皇帝はペンを動かす手をピタリと止めて顔を上げた。
「………なあ、ナツを手放したのは正解だったと思うか?」
「当たり前でしょう。あんなに愚かな娘になり下がったのに、どこに留めておく理由があるのですか?」
きっぱりすっぱりナツのことを見限った宰相。もう未練は全くないのである。
「いや、あれほどの逸材だぞ?俺たちが揃って欲した存在だぞ?幾らなんでも役立たずと決めつけるのは、早すぎないか?」
………またその話か。
だが、皇帝の言い分は納得できる。
確かにあれほど固執したのは初めて。その頭脳に、戦闘力に感嘆した。そしてどこまでも自分を和ませてくれる雰囲気。
「演技だったのでは?まったく、小賢しい女でしたね」
「だが、そこら辺にいる馬鹿だったとして、あの振る舞い全てを“ただの演技”で片付けられるか?」
馬鹿にあんな演技が可能だろうか?小賢しい、という言葉で片付けるには有能すぎる。本当に小賢しいだけだったら、皇帝も宰相も気付けたはずだ。
「そう言われてみれば」
放り出してしまうのは惜しかったかもしれない、と宰相は呟いた。
「あんなの、本当に頭が良い奴でないと無理だ」
「ですが、頭がキレる悪人もいますよ」
「頭が良いなら、本性を出すような真似はしないだろう?俺は、ナツに何らかの意図があってそうしたのではないかと考えている」
本当に皇帝に取り入りたいのならボロを出すような真似はしない。ましてや皇帝の特別扱いを自覚しているのに、皇帝の好む人格が分からないわけがないのだ。
「ナツが態度を変えなければならない何かがあったのではないだろうか」
「………あの、そういわれると、心当たりが一つあるような」
宰相が顎に手を当てて思案しながら言う。
「何だと?それは何だ、早く言え」
「――――――ナツ争奪戦です」
まさか………と呟く皇帝。
「嫌われたのか?」
「そう考える方が自然ですかね」
さらっと答えた宰相に青ざめる皇帝。
ナツの性格が変わった時より、嫌われたという事実を知った今の方がショックだった。
自分が今までにないくらい気に入っていた相手に、好意を示していたにも関わらず、嫌われたのだ。こんなことは初めての体験だった。
今まで自分に嫌悪を抱く相手はそれほどいなかった。粛清などによって押さえつけられた貴族ですら、娘を後宮に入れると態度は軟化した。
「――――――――やはり、諦めきれない」
皇帝はそう言うといきなり立ち上がった。
その決意を秘めた目に、宰相は嫌な予感がして皇帝に尋ねた。知りたくはないが、聞かずにはいられなかった。
「何をするつもりです?」
「ナツに謝ってくる。そして、…………………………取り返してくる」
皇帝はそのまま転移魔法を使って、ナツのもとを目指した。
やばいやばいやばいやばいやばいーーー。
巫女が世界を救うつもりは毛頭ないらしい、ということは理解した。
そうなると世界崩壊は必ず起こる。
この世界のことは知らないが、自分の身は可愛い。公爵家の方々はどんなことをしても生き残りそうだから、リエナが助けるまでもないだろう。
今度も計画を練らないと………題して「巫女に世界を救わせよう作戦」。
巫女を改心させるなり、脅すなりして世界を救わせなければ。
そんなことを考えながらギルドに辿り着く。
「マスター、良い仕事ない?」
以前皇帝の依頼を受けたため、きっと良い仕事を紹介してくれるに違いない。時間のかかる難易度の高い仕事ではなく、ほどほどの難易度の仕事。
一日でどれくらい稼げるのかしら?
久しぶりのお金儲けに、リエナはワクワクしながらギルドに向かったわけだが――――。
「おお、ナツか」
と言って振り向いたのは、マスターと…………………………皇帝陛下でした。
完全に嫌われたと思ったのに、なぜ?
もしかして、怒らせちゃったの?




