26. 皇帝の勘の良さは異常
今回も短いです。
はあ~。つまんないわね。
数日たったが、もう既に軟禁生活に飽き飽きしているリエナ。
………機密情報なんて、持ってないのに。
確かに、リエナ・リサーチも含め人には言えない裏情報をもっていることは認めよう。
しかし、リエナも喋って良い情報と口に出すのが憚られる情報の区別くらいついている。そこらへんは、公爵家で叩き込まれたつもりだ。
それに、地球から来たというだけで既に爆弾を抱えているようなものだ。いつうっかりこちらにはない知識などを話してしまうかわからない。
だからこそ、常日頃から言動に充分注意しているし、なるべく人とプライベートな話をすることは控えるようにしているのだ。
この国の人間になるには埋められない何かがあるということをリエナは自覚している。必死に知識を学ぼうとも、自分という人間を形作る上で根底にあるのは日本人の心だ。いくら努力したとて16年生活して培ってきた自分というものを消すことはできない。
表面を取り繕うことは簡単だが、完全にこの国の人間に変われる訳ではないのだ。
それを、皇帝に感づかれていたとしたら?
皇帝は鋭い。ただの勘で何か気づかれることもしばしば。
木の上で寝ていれば魔力を投げつけられ危うく怪我を負いそうになったり、裏で暗躍していればいつの間にか手を回され作戦が失敗したり。
彼を恐ろしい男だと感じたのは一度や二度ではない。
リエナは弱い。いくら体を鍛えても、公爵家の後ろ盾があったとしても、所詮はただの異邦の者。この国で生きていくには弱すぎるのだ。
だから異常なまでに強く在ることを望み、身を守る術を渇望した。
それは、知識であり、戦い方であり、人を欺く技だった。
だが、時として強さは人を恐怖に陥れ、争いを生む。
皇帝は、その事を思ってくれているのだろうか。
だとしたらそれは思い過ごしとなるだろう。自分はこの力を使って名を広める気はないし、今後もひっそりと生きていくつもりだ。
誰にも自分の本当の姿など、見せる気はない。
「失礼しま〜す」
何とも暢気な声がこちらに響いてきた。
こんな夜に誰なんだ、と思いつつもリエナは扉の方を振り向いた。
「アリー?アリーじゃないの!!」
リエナは満面の笑みを浮かべてアリーを迎える。これほど彼女の存在を喜んだことはない。
今までどれほど退屈だったことか。
「侯爵家のお嬢様にリエナ様の様子を見てくるように言われたんですよ」
アリーはにこにこしながらそう答えた。
「凄く気にしていました。申し訳ないと何度も口にしていて」
「そう、彼女が………」
彼女は優しくて誠実だから、きっと心を痛めていたに違いない。
「いずれ嫁ぐ身でたくさんの使用人は必要ないから、私の好きにして良いと仰いましたので、こちらに」
「………アリー、彼女を後宮に置いてきたの?」
「はい、侍女は必要ないと仰いましたので」
「護衛は?」
「………………」
必要ですね。
今まで彼女を狙う暗殺者の対策を行ってきたのはすべてリエナとアリー。二人がいなくなったらどうなるのか。
無論、襲われる。
「アリー、行くわよ。助けなきゃ」
リエナはナツの格好のまま走り出した。
リエナは密偵のために発見したルートを使って彼女の部屋に入り込む。
天井の隙間から彼女の様子を伺うと、ちょうど暗殺者が彼女と主人を庇う侍女に刃物を向けている状態だった。
「お嬢様!」
リエナは天井板をはずすと、令嬢と暗殺者の間に割り込んだ。
驚いた暗殺者が一瞬ぴくりと動いたが、すぐに刃物を振り上げ襲いかかってきた。
リエナは暗殺者が刃物を振り下ろす前に横から脇腹を蹴りつける。
女の弱い力では、真っ向から男性に勝つのは難しい。腕力よりも脚力で、しかも全力で弱いところを突くしかない。
リエナの攻撃で多少ダメージを与えられたが、まだ倒れるには至らなかった。リエナはナイフを抜き、構える。
さて、どうするか………。
いつもは姑息な手をいくつか考え付く訳だが、障害物の多い部屋で人を庇いながらでは
――――――ぶっちゃけ、こちらが有利だ。部屋のあれこれを把握しているのはリエナの方だ。利用する方法はいくらでもある。むしろ、利用しない手はない。
庇う対象はいつの間にかアリーが移動させたらしい。さすが、いつも仕事が早い。
アリーは、リエナほどの戦闘能力はないものの、戦いに関して精通している。
一種のオタクと言っても良いかもしれない。兵法を読んだり、武器の構造や使い方を学んだり、その知識は尋常ではない。
戦闘に関することを知るのにとにかく時間を惜しまない彼女は、もちろん実戦についてもとてつもない知識を発揮する。
そして、その膨大な知識が手伝ってか、大事な局面ではあっと思わせる行動ができる。それによって実力以上の力を発揮してきた。
リエナのくだらないハッタリとは違う、本物のセンスを持った者だ。
リエナも初めて戦闘に出た時は、アリーに目茶苦茶な戦いをして怒られたものだ。
彼女が戦場にいると、なぜか言い様のない安心感に包まれているように思ってしまう。
おっと、思い出に浸っている場合ではなかった。もう刃はそこまで迫っている。
リエナは突然身を翻す。
使用人部屋へ繋がる扉に駆け込み、扉を閉めた。
敵は反射的にリエナの後を追って扉を開ける。
「あら、ひっかかっちゃった〜」
犯人は地に倒れていた。
「この突起部分、絶対に躓くのよね〜、皆」
床には、剥げかけたタイルが盛り上がっている部分があった。
リエナは犯人が躓いたところに間髪入れず踵を振り下ろし、叩き伏せたのた。
そのまま犯人の手を捻りあげて拘束する。
後宮内が一気に騒がしくなる。
どうやら騎士か何かが到着したようだ。
「ふう、終わった〜。さて、帰りますか」
「陛下、ナツが部屋から姿を消しました!!」
憔悴しきった顔で駆け込んできたのは宰相。
「姿を消したのは30分程前だそうです。侍女や護衛は誰も、彼女が部屋を出る姿を見ていないそうです」
「嫌気がさして逃げた可能性は…」
「ナツに限ってそれはないでしょう!」
探そうにも、何処に行ったか皆目見当もつかない状態では動きようがない。
魔力のないナツには魔力追跡の魔法は使えない。
「さて、どうするか…」
「失礼致します!私、隣国の王太子殿下の婚約者、侯爵家令嬢の専属侍女にございます。火急の用件で参上いたしました」
侍女の話を聞くと、皇帝の顔がみるみる青ざめていった。
侯爵家令嬢の部屋に何者かが侵入したという。どうやらナツもそれに関わっているらしい。
「宰相、行くぞ!」
騎士を連れて到着すると、途中で令嬢に会った。襲われているはずの彼女が、何故ここに?
「お願いです、助けてください。まだ部屋の中に彼女が」
おそらくナツのことだから、令嬢を助けようと暗殺者と戦っているのだろう。
ドアを開ける隙を伺う。
扉の向こうからは殴打する鈍い音が聞こえている。
まさかナツが殺られるとは思わないが、それでも心臓は激しく動いた。
ついに、突入を決断したとき、ドアが開き、そこにはナツがいた。
「ナツ!!無事か?」
「はい、犯人は捕まえておきました」
皇帝はナツを抱きしめ、ほっと息を吐く。
良かった、無事で………。
しかし、自分の中に理解できない感情に気づき、はっとする。
なぜ、こんなにも焦ったのだろう。ナツは強いと知っているのに。
今までナツを心配することなんてなかった。多くの敵を一度に相手にできるナツの強さは、皇帝に確かな安心をもたらすものだったのだ。
しかし今は違う。
心配する必要はないと頭では解っているのに、心配せずにはいられない。
皇帝は、自分の中の矛盾した感情に混乱しつつも、ナツの無事に安堵したのだった。