24. 美しい花には毒がある
お久しぶりです。
リエナは自室に戻り、入浴をしていた。
広い湯船に浸かり、手足を伸ばす。
後悔はなかった。自分は正しいことをしたと思う。
皇帝が誤った判断をすれば、傷つくのは国民だ。自分にとっては皇帝より何万、何十万の民の方が大切である。
正直、彼に対して失望していた。
賢帝と騒がれていた彼もこの程度か、と。たかが小娘一人に振り回されて道を誤る…そんな愚かな男なのかと。
リエナは皇帝の実績を知った当初、それを信じていなかった。
所詮、周りが誇張しているのだと信じて疑わなかった。
だが、後宮に入って情報収集をしていくうちに皇帝の真摯に政治に取り組む姿を見て、彼は本物の皇帝なのだと理解した。常に妥協を許さず、臣下を敵に回してでも民にとって最善だと思う選択をする。
最初はそんな皇帝の姿に心打たれた。
………女性に対する態度は最悪だったが。
だからこそ、そんなに努力する彼に親身に支えてくれる人が宰相以外にいても良いのではないかと思った。
彼の周りはいつも思惑が渦巻き、心休まる時がない。彼に寄ってくるものは皆、権力や地位を欲するものばかりだ。
自分が皇帝に安らぎを与えられるなら、少しでも手助けしようと思ったのだ。紅茶をいれるなり、たわいもない会話をするなり。
そのため、皇帝から与えられる立場になったときは戸惑ったのだ。
彼が自分にしてくれる以上に与えられるなど、何もないと言われているようで。希代の賢帝に無力な自分がしてあげられることなどないのだと思い知らされたようで。
自分がやったことを悔やむ気持ちはない。ただ、自分の八つ当たりも混じっていたことは少し罪悪感を感じるのだ。
リエナは侍女に服を着せられ、浴室を出た。
「ナツ、入って良いか?」
入浴を終えるなり、扉の向こうには皇帝が待ち構えていた。
正直言うと、入って良いわけではないが。………今、夜着だし。
側妃の方々に目をつけられたらどうしてくれようか。
「見苦しい格好で良ければ」
リエナは衣装箪笥の中に見つけた上着をとっさに羽織り、皇帝を迎えた。
今、入室を許可しなければ、きちんと話し合わなければいけない気がした。
「ナツ、すまなかった」
皇帝はいきなり謝罪した。
驚いたリエナは目を丸くする。てっきり、怒るものだとばかり思っていたからだ。
「ナツがああいうことを嫌うと知っていたのに、申し訳ない。だが、俺はナツのためになると思って暴走してしまった。ナツが怒るのも無理はないと思う。そして、ナツが怒ってくれて自分の失態にも気付けた」
リエナは呆然としていた。
一国の主が謝罪するなんて思ってもみなかった。ましてや、ここまで必死に謝られるとは。
だらだらと冷や汗が流れる。
皇帝にここまで謝罪させた自分って………。
まず、皇帝が謝る必要はないのだ。というか皇帝という身分はそもそも謝らないものだ。非は全面的に下賤の身で皇帝を貶めるような発言をした自分にある。
混乱のあまり、皇帝の謝罪の言葉が満足に理解できないまま聞き流していた。
「…………良いか、ナツ?」
唐突に名前を呼ばれ、現実世界に意識を戻す。皇帝はちょうど何かに対しての了解を得ようとしているらしかった。
「………は、はい?」
「本当に、良いのか!?」
何が!?
むしろ先ほどのは聞き返しの「はい」だったのだが!?
説明ぷりーず!
「ならば、明日の午後に迎えに来るから、準備をしておいてくれ!!」
皇帝の瞳はきらきらと輝いていた。………それはもう、今までにないくらいに。
「はい………」
皇帝はそのまま嬉しそうに部屋を出ていった。
そしてまさかの翌日。
侍女さんの一言で前日の約束の内容が発覚する。
「さあ、ナツ様、今日は皇帝陛下とお出かけになるのでしょう?」
「――――――ん!?」
昼食をとっていたナツは思わず口に含んでいた水を吹き出しそうになった。骨の髄まで奥様に叩き込まれた公爵令嬢としての振る舞いが、はしたない真似を見せることをよしとはしなかったが。寸でのところで飲み込む。
―――――――――お出掛け?
「確か、中庭に行かれるとか。美しい花々が咲き乱れ、誰も立ち入ることの許されない楽園と呼ばれる場所。乙女の憧れですのよ」
侍女はうっとりと夢見る乙女の世界に旅立っている。
「まあ、素敵!では、精一杯着飾らなければ。今日はどの色の服に致しましょうか?」
侍女さんが集まってきて無理矢理着替えさせられていく。
え?お昼ご飯は?
そんな質問を投げかける暇もなく侍女の暴走を止めることはかなわなかった。
そして、身支度を終えたちょうどいいタイミングで皇帝がやって来る。
「さあ、行こうか」
皇帝はにこやかに手を差し出した。
手を引かれるままに皇帝に付いていくと、皇帝は王宮の奥に足を進めていった。そうして、花が咲いている庭に辿り着く。
………中庭に行くって言っていたから当たり前か。
「わ、素敵ですね………」
「そうだろう。母上が作ったものだ」
庭園は本当に美しかった。珍しい植物たちが綺麗に配置され、花が見事な色のグラデーションをつくっている。壁には蔦が這い、無粋な人工物をうまく覆い隠している。ここにあるすべてが、この美しい風景を壊すことなく調和しているのだ。
そうして、皇帝に誘われてベンチに腰かける。
「昨日は、悪かった」
「………」
なぜ、これほどまでに謝るのか。もっと、ナツをせめてくれたって構わないのに。
「俺も………悪かったのです。あれには、八つ当たりも含まれていましたから」
「八つ当たり?」
訳が分からないといった風で皇帝は首を傾げる。
「そうです。陛下に与えられてばかりの自分に嫌気がさしたんです」
「自分は陛下を支えたいと思っていたのに、その思いを挫かれた気がして、勝手に怒りを爆発させてしまいました」
「でも、皇帝として間違った判断だというのは取り消せません」
「………?」
「あのままでは、妃のところに通いもせずどこかの平民を侍らせているとしか思えませんし、一日でこんなにお金を使っては臣下が不安に思います」
後宮にたくさんいる身分の高い妃を放置して、皇帝はどこの馬の骨とも思えぬ女にうつつを抜かしている。後宮の女やら後見の貴族やら、この現状に不満を抱くものは多い。
さらに皇帝の優秀な臣下は、いきなり散財し始めた皇帝を純粋に心配しているに違いない。
「そうか、ナツは賢いな」
「まあ、傭兵には必要のないものなんですけどね」
リエナはベンチから立ち上がり、植物の方へと駆け出した。
地面を覆う芝の上に足を踏み出し、たくさんの花を眺める。
先ほどから気になっていたのだ。
一見、きれいな花にしか見えないが―――――。
あれは球根が毒になるという暗殺者の中では有名な花だ。
あちらにあるのは対になっている花を口にすることで毒が発動する珍しい種。毒を一つずつ摂取しただけでは気づかないため、暗殺者にとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。あ、対の花も発見。
そっちのは触るだけで猛毒という恐ろしい奴だ。しかも、熱に反応して人に向かって伸びる代物で、鉢植えを置いておくだけで暗殺完了。日光を蓄えて夜に急速に伸びるので、だいたい枕元に置かれ、就寝中に死ぬらしい。
あ、そっちにはまさかの希少種。匂いを嗅ぐことで化学物質を吸い込み、体内に入って中毒を引き起こすという。ごく少量で効く劇物だ。
よく見ると、様々な毒花が集結している。たぶん、毒があるからこそ鮮やかで美しい色合いなのだと理解する。
さらに観察すると、地面に敷かれている芝も根と葉を一緒にすりつぶすと毒になる。芝に似せた別物だ。
皇帝陛下のお母様。あなたは何を思ってこんな庭を作ったのでしょうか。
一番恐ろしいのはあれ。
空気を紫色に染めるほどの毒花粉をばらまく、大量殺人兵器とまで称された花。とある科学者が魔法使いと協力して発明したものだ。繁殖させれば一国を簡単に潰せるほど。戦争に利用するため、今でも国のトップは血眼で探している。
一応、それぞれの花に結界が張ってあるから良いが、こちらから触れれば終りだ。
それを見ていた皇帝は、何を思ったのかぷちっとそこら辺の花を引き抜いた。
「せっかくだから頭に差してやろう」
皇帝の手の中にあるものを確認すると、強力な毒ではないものの、葉に触れると気絶する代物。
「陛下、それ、触ると気絶します!!」
「ああ、よく知っているな。幼い頃母上がよく、気絶するほど魅惑的な花だと語っていたのを思い出すな」
お母様、何てことを。
毒花に関してそんな曖昧な知識しか与えられていない皇帝が生きていることは、奇跡に近い。
というより、魅惑的って………幼子にどんな言葉を使っているのだ。
「ちが………そうではなくて、ですね」
「ん?心配か?こんなもの、迷信だ。俺も子供の頃はこれに怯えていた」
皇帝はからかうように笑った。
子供の頃の対応の方が正しいです、むしろ。
「あの、皇帝陛下。花は取らない方が………そうです、じ、地面に戻しましょう!」
「そうだな、必死に生きているのだから。だが、一輪はもう摘んでしまったから、ナツにやる」
要りません。
必死の言い訳も通らず、さらに毒花は近づいてくる。今となると、その美しい色合いも恐ろしい。
もうダメだ、と目をつむった時。
「髪に差すときは、葉が邪魔にな…」
どさっ。
おそるおそる目を開けると、案の定皇帝は気絶していた。
わお、強力!
触れた瞬間、即座に効力を発揮してくれた。
これなら、通りすがりに使用され気絶させられても抵抗できない。女性でも簡単に使える。暗殺業界に革命をもたらしそうだ。
………………なんて物騒なことを考えている場合ではなかった。
さて、これをどうしよう………。
ここは王族の居住区画であり王族しか入れない場所であるため、助けを呼ぶことはできない。
さらに、ここで働く少数の者も皇帝が何故か人払いしている。
唯一この場所に人を入れる許可を出せる皇帝が倒れている今、ナツに為す術はない。
皇帝一人を置いていくのは望ましくない。放置している間に襲われたら困るし。だが、地面の上を引きずっていくのはダメだ。土が見えないほど隙間なく毒が敷き詰められている。恐ろしい何かが調合されかねない気がする。
この際だ、仕方ない。
「こ〜の〜え〜隊長〜!」
力一杯叫んでみた。
「何だ?」
どこからか即座に近衛隊長が現れた。
やはり、大好きな皇帝のことをどこかで見張っているに違いないとは思ったが、まさか進入禁止区域に不法侵入しているとは思わなかった。
「皇帝陛下を運んでください」
「何があった?」
「ちょっと毒に触れただけ………」
そう聞いた瞬間近衛隊長は目にも止まらぬ速さで皇帝を抱えて駆けていきましたとさ。
リエナはそんな近衛隊長を手を振りつつ見送った。
「…………はあ、帰るか」
精神的にかなり疲れたので足取り重く自室に向かう。
はあ、今日はとんでもない一日だったな~。
そんなことを考えなが足を進めていると、何者かに肩を捕まれた。
ナツは気の緩みから背後を取らせてしまったことを反省した。
まさか、敵か?
咄嗟に後ろを振り向き臨戦態勢に入る。
「きちんと事情を説明してくれるのだろうな………」
そこには、今までにないくらい怖い顔をして立っていらっしゃいました………さっきまで皇帝を運んでいたはずの、近衛隊長が。