16. 皇帝の国民愛は盲目
「………なんであなたがいるんですか?」
思わずきつい口調になったのは許して欲しい。だって、本当に嫌なんだもん。
「いや、俺も宿をとろうとしていた」
悪びれた様子もなく言うのは皇帝。
先程ギルドの方から「明日も休み」との緊急連絡が届いたことから考えると、皇帝は明日の仕事を休む気満々の様子だ。
国を愛し、国のために全力を尽くす皇帝像はどこへいった?性格最悪、男としてもダメ、国への愛をなくすと、他には何にも良いところがないのに。……………………あ、顔と金と権力があったか。
宰相さん、頑張ってね〜。
皇帝不在の穴を埋めるべく必死に働いている宰相の姿が目に浮かび、心の中で声援を送った。
「………あの、なぜ同室に?」
宿で自らの名を名乗ったところ、「警備隊の方から伺っております」との返答があり、すぐに部屋に通された。
その際に問題発生。
何と、皇帝とリエナは恋人か夫婦か何かだと思われていたらしい。面倒なので放っておいたら、こんなところで最悪の結果を招いてしまった。
目の前に置かれているのはダブルベッド。寝室の他に余分な部屋はなく、バスルームとトイレがあるシンプルな間取りだ。
こんなのって………ありえなくない!?
「だが、仕方がないだろう。この部屋しか空きがないのだから。ここだって、警備隊の計らいで部屋を取れたものの、彼らの口利きがなかったら借りられなかったのだぞ?」
一見、正論を述べているように聞こえるが、前提条件が間違っている。
―――――――――私たちは恋人でも何でもない。………………友人ですらない。
皇帝め、平民の貞操観念舐めてるな?
貴族の子女は婚姻前の男女が同じ部屋で寝るなど言語道断だ。それは平民でも変わらないことなのだが、生まれてこのかた一度も政治以外のものに目を向けたことのない皇帝が、庶民の暮らしなど知るはずもない。
「………貴方がこの部屋を使うのなら、私は別の宿を」
「言っておくが、こんな夜に宿を探すのは無謀だ。それに、暗い中女性を出歩かせるわけにはいかない」
善意で訴えてくるとは、卑怯な。これが悪意に満ちたものだったら容赦なく突っぱねたものを。
ぶっちゃけ、国民の保護に意識が傾きすぎて男女のあれこれについて気が回らないだけだと思うが。皇帝の国民愛は盲目だ。
「こんな町娘を襲ってくる人なんかいませんよ。今日のは人生に一度有るか無いかの偶然です」
へら、と笑って言ってみるが、皇帝は相変わらず納得がいかないようで………………というより、呆れているような気がする。
「昼間には一人でふらふらしているし、夜には出歩こうとするし、あなたは無防備過ぎる。本当に町娘か?」
「いままで襲われたことはありませんでした!!」
胸をやや反らし、自信を持って皇帝に告げる。
「……………………では、男に声をかけられたことは?」
「…………………………」
声をかけられるって、まさか今日のことか?いやでもあれは無防備とか関係なくて、単に親しくしてくれた人たちで………。
実は、食事は断ったものの、彼らからの贈り物はちゃっかりと貰ってきたリエナだった。リエナの鞄の中は、クッキーやらキャンディやら甘いもので溢れかえっていた。
鞄から一つ、溢れてこぼれ落ちたクッキーの袋………皇帝はそれを一瞥すると、呆れを通り越して哀れみの視線をこちらに向けた。
「言っておくが、それは媚薬入りだぞ?」
「…………………………え?」
びやく、と言ったか?
それは後宮でよく裏取引されているアレのこと?実は裏取引の犯人は、表向き皇帝のお相手をさせようと定期的に呼ばれている娼婦だとかいうアレのこと?皇帝には実は効かない(リエナ・リサーチより)アレのことか?
「まさかー。庶民が買える程度の媚薬なんて、効き目は無いに等しいですよ………」
庶民が手に入れられるような媚薬は、質が悪く効果があるのかないのかも判断がつかないくらいである。正直、異性を我が物にしたいなら媚薬を盛るより酒を飲ませた方がいい。
「では、試してみるか?」
「……………………………」
まさか、効く、とでも言いたいのか?
媚薬?を見てみると、うっすら魔法のようなものが。これはあれだ、いわゆる誘惑魔法だ。皇帝がいる前で魔法の解析はできないが、間違いない。
しかも、効果倍増の魔法がかかっているという、恐ろしいオマケ付きだ。
「…………………………つつしんで、遠慮申し上げます」
媚薬+誘惑魔法+媚薬と誘惑の効果2倍=最強の媚薬………………………………絶対に試せない。
「では、これは没収させて貰う」
食べるなり魔法研究に使うなり、お好きにどうぞ。
―――――――――ん、ちょっと待てよ?
最近、多くの女性が男性に付いていってしまう事件が多発していなかったか?………………皇帝がその捜査に乗り出した可能性は極めて高い。
皇帝の目的、わかっちゃった〜。
そう考えると、皇帝の今までの不可解な行動も納得がいくのだ。
おそらくだが、皇帝は捜査に乗り出してから、町娘ナナが媚薬の詰まった袋を大量に受け取っているのを目撃した。事件を解決する糸口になると考えた皇帝は、ナナと行動を共にすることにしたという訳だ。
しかし、配った男たちが犯人なのか、悪意を持って男たちに媚薬を渡した者が別にいるのか今の時点ではわからない。
媚薬をくれた男たちは、リエナが媚薬を飲んだ後にまた声をかけてくるか、媚薬を飲んだことを前提に夜に襲う気だろう。皇帝はそのチャンスを狙っている。
だから、強引にも夜も一緒に行動しようとするのだ。媚薬入りクッキーを食べさせて手っ取り早く男を釣り上げても良かったのに、リエナに忠告してくれたのは皇帝の優しさに他ならなかった。
そういうことか〜。じゃあ、遠慮なく協力させてもらいましょう。
――――――――――といってもたぶん、このまま待っていれば事態は動くはずなので、今は放っておこう。
「さっさと寝ましょう」
同じ部屋に泊まることをさんざん渋っていたはずなのに、突然就寝準備を始めたリエナの行為に皇帝は目を瞠った。
リエナは驚く皇帝をよそにダブルベッドに潜り込み、招かれざるお客様が来るまでぐっすりと眠ることにしたのだった。
事態は夜に急変する。
深夜、皆が寝静まった頃にリエナの部屋の扉を開ける者がいた。
てか、本当に来るんだ。……………………ここ、二人部屋なんだけどな。
二人部屋ということは、もう一人誰かいる可能性に考えが及ばないのだろうか。しかも、二人部屋は大抵の場合、夫婦で使ったりする。女性一人ならまだしも男性がいるとなればなかなか手が出しにくいはずだ。
そう思って、仰向けに寝ている状態で視線だけを皇帝の方に向けてみれば、皇帝は……………………いなかった。
恐らくリエナしかいないことに安堵した犯人が油断した隙に捕まえる算段なのだろう。
男はそろりそろりと足を忍ばせながら歩き、ついにベッドの側まで移動してきた。眠ったフリをしているので、気配から大まかなことしか感知できないのだが、歩き方から察するに男はどうやら武の道に優れた手練れのようだ。
男が布団を捲る。
そして、リエナの町娘ウィッグのおさげが解かれた茶色い髪にさらりと触れてきた。………………どうやら犯人はよっぽど余裕があるらしい。普通ならさっさと襲うなり、自分のテリトリーに連れ去るなりするだろう。
そして、ついにリエナの体に触れようと手を伸ばしてきた。
そして、感じたのは先日経験したばかりの浮遊感。お姫様抱っこ。
――――――――――――――え、もしかして、誘拐?………そっちがメインか。
あれほどの媚薬だと、人の精神を操ってしまう。正常な判断ができなくなったところで連れていけば、さわがれることもないのだろう。そして、自分に陥落した女を誘拐して帰るという訳だ。
――――なんて大胆な犯行。
人を即座に陥落させてしまうほどの媚薬は人の精神まで操ってしまうので、法によって禁止されている。貴族の間や花街といったところでは陰で取引されているのが実態だが、それでもバレればかなり厳しい処罰が下される。ただ傷を負わされるより、媚薬を盛られ自我を操作された方が心に深い傷を残すことが多いからこその厳罰なのだ。
そんなリスクを負うくらいなら、睡眠薬でも盛って誘拐した方がよい。おそらく犯人は、こういった犯罪に手慣れた愉快犯だ。
―――――結構、ヤバイかも。
傭兵としての血が騒ぐ。相手は賞金首の可能性が十分にある。今日一日、いや明日の貴重な(金稼ぎの)時間までも奪われてしまった。
久しぶりに、暴れてみようかしら?
相手は、犯罪を悪事とも思ってないような男。今まで散々悪どいことを行ってきて、報復がない方がおかしいのだ。
リエナは顔を覆う茶色い髪の下で口端を吊り上げ、笑った。