13. 皇帝陛下の理想の女性像
後宮廃止。
この事態に、どう対処するべきか。
リエナは執務机の側で、皇帝が書類に向かう姿を眺めつつ、脳内でうーんと唸っていた。
後宮廃止をどうにかしなければならない。それはわかっているのだが、リエナにはどうしても腑に落ちない点があった。
「浮かない顔をしているな」
その声にふと現実に戻りそちらを向くと、皇帝はいつの間にかペンを動かす手を止めてこちらを見ていた。
「いえ、陛下と宰相様が結婚をしない理由について悩んでいまして………」
皇帝の隣で書類の分類を行っていた宰相もこちらの会話に耳を傾けていたようで、僅かだがこちらに視線を向けた。
「だから言っただろう、女は煩わしいと」
皇帝の答えに宰相も同意見だとばかりに頷く。
「いえ、どう考えても結婚するより結婚しない方が不利益な気がしまして。結婚すれば口出ししてくる貴族の方も減りますし、既婚者ということで周りからの信頼度は上がります。それに、陛下の嫌いな女性からのお誘いも断れますし………」
「結婚しろ、結婚しろと五月蝿いが、結婚したらしたで今度は世継ぎをと騒がしいだろうが」
「でも、逆に考えれば、子供ができればそれで女性関係からおさらばできます」
すべてにおいて納得がいかない。もとより女性に期待を抱いていないならば、いずれ適当なのを見繕うしかないだろう。なのになぜ皇帝は、この状態を長年放置し妃について口煩く言われ続ける生活を送っているのか。
リエナはどうしても理解できないのだ。
だって、皇帝の言っていることは辻褄があっていない。皇帝もそれに気付いているだろうに、訂正しようともせず、こちらにきちんとした説明をする意志もないらしい。
二人の終わらない問答に見かねた宰相がこちらに助け船を出してきた。
「陛下は、別にいい加減に妃を選ぼうなんて考えていらっしゃいませんよ。それどころか、慎重になりすぎているくらいです」
では、何故後宮があんな状態になるのだ。
後宮の女性の数も、湯水のごとく使われているお金についても全く把握していないではないか。
この皇帝は、女性たちが後宮に暗殺者や、情夫までも招き入れていることを知っているのか?毒薬や、武器や、拷問具などまで持ち込んでいることを知っているのか?
後宮内では監視が全くないのを良いことに昼間から私刑や拷問、盗難、強姦などの犯罪が公然とまかり通っている、治安が貧民街よりも遥かに悪い場所だということを知っているのか?
いい加減でないなどと、何を根拠に言っているのだろう。
「つまりですね、皇帝陛下は女性に対して理想が高すぎるのです。高い理想を持つがゆえに周りの女性に失望してしまうのです」
「ち、因みに陛下の理想の女性像とは?」
周りの女性に失望するほどの理想って、どんな理想だよ?
「それは陛下本人に尋ねてみては?」
にっこりと笑顔で返されてしまった。本人に聞くのが何となく憚られる気がして宰相に尋ねたのに。
「そうだな、まず、見た目は外交で好印象を与えられるような感じで」
皇帝は何故か勝手に語り出してくれた。尋ねてもいないのに。
――――まあ、いいか。遠慮なくリエナ・リサーチに書き加えさせて貰うことにしよう。
外交で好印象………。
つまり、美人ということか。しかも、万人受けする感じの上品で清潔感のある美人だ。まかり間違っても、マニアックな人にしか需要がない美人ではダメだ。
「性格は?」
「慎ましやかで優しく、心の強い人だな。自分勝手でない者が良い」
……………………………………へぇ〜。
何と言うか、皇帝に殺意を抱きたくなる。だって、そんな見た目も性格も完璧人間は、はっきり言って、い な い!!!
そして、そんな居もしない人と比べられ、貶められてきた女性はどれ程可哀想なのか。
「他に、条件はないのですか?」
そう、ちょっと欠点があるのが可愛らしい………みたいな。天然な娘とか、ドジな人とか。
「そうだな、礼儀作法は勿論完璧。人の上に立てるだけのリーダーシップを持った人、しかも博学で、柔軟性に優れた頭脳の持ち主が良い」
どこの大企業の入社条件ですか?随分と厳しいのですね。就職氷河期だから?
しかも、この条件を付けると皇帝陛下、貴方のお嫌いな貴族の女性しか選択肢がなくなるのでは?
「叶うなら、武術や魔法に優れ、自分で身を守れる者は良いな」
……………………もう聞きたくない。聞いた自分が馬鹿だった。
「あと、ナツのように紅茶を上手く淹れられる人がいい」
自分のせいでハードル上がったーーーー!?
確かに、宰相の言うように、妥協が必要なレベルかもしれない。妥協というか、もはや改心させる必要がある。
「ではなぜ、貴族の女性を嫌うのです。人を使うことに慣れ、教養と作法を身に付けているのは貴族だけです」
思わず宰相がつっこんだ。きっと、長年疑問に思っていたのではないだろうか?
「性格が気に入らない」
見た目は貴族、性格は町娘ってところか?
「ナツみたいな女がいたら、良いのだけどな」
皇帝がぽつりと呟いたその言葉のせいで、室内はしーんとなった。
「陛下、その発言はさすがに………」
危ない扉を開いてしまいそうです。
そのまま、妃の話は終わってしまった。ナツは勤務時間が終わり、帰宅した。
部屋には、皇帝と宰相の二人だけが残っていた。二人とも、黙々と山積みの書類を片付けていく。
「宰相、ナツは何であんなに俺たちの結婚について気にするんだ?」
「それは、ナツが優しいからでしょう。傭兵といえども、綺麗な心の持ち主です」
「ナツは、何者なんだ?王宮での作法も分かっているし、紅茶を淹れることもできるから、元はどこか良いところの子供だったのではと思ったのだが………いくら身辺を調べても、一つも情報が出てこない」
皇帝から見てもナツのふとしたしぐさは綺麗で、どこか貴族の立ち居振舞いを思わせる。美しい顔立ちは育ちのよさを感じさせる。きっと生家はそれなりに名のある所なのではないかと思う。
あんなに幼いのに働かなければならないということは、今、彼の家はどんな状況なのだろう。裕福な家庭で大事に育てられた彼が仕事を始めるというのは、さぞかし大変だっただろう。
皇帝は心配になりナツについて調べてみたのだが、ナツの名前は傭兵の中ですら知られていない。ナツの実力はなかなかのもので、知っている人がいないなんてことはないはずなのに。何せ近衛隊長を倒せる実力を持っているのだ。
以前二人が戦った試合は見事だった。ナツは臆する様子もなく余裕の表情で近衛隊長と対峙していた。そんなナツの油断をうまく突いた近衛隊長だったが、ナツは逆にそれを利用して勝利した。………近衛隊長の剣がナツを掠めた時はひやっとしたが。
ナツの実力は計り知れない。まだ誰もその本気を見たことがない。護衛をする際、たとえ何人に囲まれようがナツはその全てを同時に相手にして見せ、常に護衛対象を守ることも忘れない。
あれほどの実力を持った者が他に何人いるだろうか。
「それに、魔力が感じられないのも妙だ」
人には必ず備わっているはずの魔力が感じられない。つまりナツは呪われているか、魔力封じが施されているかのどちらかということになる。
だが、呪いや魔力封じなら、最強の魔力を持つ自分がそれに使われている魔力を感じられないはずがない。いつもなら、魔力を行使した相手を特定することすら可能なのに。
つまり、ナツは自分の理解を超えた方法で魔力を消しているということか。
「ナツは――――――――本当に何者なんだ?」
「さあ、でも私たちの中でその存在が日に日に大きくなっているのは間違いないですね」
明日はナツに休暇を出した。会えないとつまらないと考える自分に二人は驚くのだった。
――――――――その後の皇帝と宰相。
「言っておくが、あの時の発言はそういう意味ではないからな」
「そうですか。私はてっきり陛下が男しょ―――」
「それ以上言うな。ただ俺は、ナツやお前みたいに心を許せる女性がいたら、と思っただけだ」
「私も心を許せる内に入るのですか。光栄ですね」
「当たり前だ。お前が信用できなかったら、俺は誰も信用できない」
「それはそれは。少しは他にも親しい人を作って欲しいのですけれどね。いつか陛下に素敵な女性が現れることを祈っていますよ」
「お前もさっさと誰か娶れよ」