四話
「バイトだ。決まったぞゴミクズ」
これが発端。発端って言葉を『ほったん』とは読めなかった人は素直に挙手してほしい。俺と握手しよう。
「馬鹿野郎、低脳、バイトだ」
「愛、なんで罵りながらなんだ?」
「ボクもあまり趣味じゃないんだがね。罵られるお仕事だから反応を見てるんだ」
「……………ちょっとタイム」
なんだ?罵られるとお金もらえる仕事って?
普通に上司や先輩に罵られたり馬鹿にされたり、辛い事は仕事なんだからあるだろうが、この罵倒のされかたはある種小学生並だろ。一体どんなバイトだって――――
「速くしなさいよド低脳」
やっべ、その通りだったよ愛しゃん。『ド』ついたよ『ド』が。たしかに俺、日向正太郎は馬鹿さ、低脳さ。しかしながら―――
「なに? 低脳に見られたら私にも馬鹿が移っちゃうわ」
………………この黒髪の清楚系のお嬢さんがこんな言葉遣いだとギャップが凄いな。泣きそうだけど。
「すみません。ですが―――」
「は!? 私に、私にお前ごときが『ですが』なんて言葉を許されると思って?」
最近美人さんに会う機会が多いなぁ。とか思ってた三時間前の俺に理由を説明して家に帰らせたい。
そして記憶にあるしこのお嬢さん。
お嬢さんと言うくらいにはこの方はお嬢さんだ。親がなにやって金持ちなのかは知らんが、愛がつてで持ってきたバイトは…………言わば執事、それ以下の小間使いだ。この黒髪清楚綺麗系なお嬢さんの。この馬鹿でかい家の一室、この馬鹿でかい部屋で俺は掃除しながらお嬢さんの相手だ。
和服似合いそうだなこのお嬢さん。やっぱ寝巻は……………パジャマ、うん、着物で寝たら似合いそうだけど、やっぱギャップ狙ってパジャマだ。色は明るい感じで―――
「ちょっと聞いてんの!?」
「はい!」
「喉渇いた。お水、貰ってきて」
「了解であります! それでどこへいけばいいのでしょうか?」
この学校の体育館のような広さを持つこの屋敷で、水一つ探すにも時間が掛かりそうだし、なにしろ今日来たばかりだぞ俺は。
「なに? この私にそんな手間取らす気? 正太郎の癖に生意気言わないで……………って」
「やっぱ俺の事覚えてたな。愛の知り合いってお前だろ。普通、今日来たばかりの男に大事なお嬢さんの面倒なんて見させないだろうからな」
「くっ、正太郎は私の言うこと聞いてればいいの! お、お金に困ってんでしょ!? 私がそれを助けてあげるんだから、言うこと聞いてればいいの!」
やっぱ人は簡単には変わらないんだな。
真宮沙織父さんが生きてた頃、じいさんが開く集まりとは別に、父さんが行っていた仕事の集まりで会った女の子だ。やっぱり歳も近い事もあり、父さん達が仕事の話をパーティーしながら話してる間は、俺はこの子達と遊んでいた。
やっぱりもやっぱり、大人は子供達を集めとけばなんとかなると思ってたんだろうが、この子だけは違う。昔から偉そうで、実際偉いのかもしんないけど、俺の事を目の敵にしてよくケンカした記憶がある。
「態態な事して、そこまで俺を虐めたいかよ?」
きっとそうだ。愛とどう知り合ったのかは知らないけど、俺がバイト探してるって言ってたのを聞いて思いついたんだろう。全く持って酷い奴だ。
「ちがっ―――そうよ。体だって無駄に大きくなったんだから、もっと厳しいお願いしたって壊れないでしょ?」
女王様気取りかよ。それっぽい笑み浮かべやがって、愛には悪いけど、こんな体も気持ちも擦り減って駄目になりそうなバイトは……………
『本当にヘタレ。お母さんに悪いと思わないの?』
あお姉ちゃんの言葉が…………
「てりゃ」
ポカ。
擬音にするとこんな感じ、実際にこれくらい可愛い音が沙織の頭から鳴った。
綺麗な手で沙織に手刀を振り下ろした人物が座っている沙織の背後から現れた。
「じゃじゃーん」
と言いながら。
「もう、ダメだよ。沙織ちゃんが一番楽しみにしてたじゃない! しょうちゃんに会える、って。枕抱いて足をバタバタさせちゃうくらい」
「ちょっ! なんで言うのお姉ちゃん!」
お姉ちゃん、とは呼ばれたが、彼女は沙織と似た顔をしながら笑っている。似ている、どころではなくほとんど同じ顔を持った彼女は真宮華織沙織の双子の姉だ。
「華織、久々だな」
「そうだね。三ヶ月は長いね」
「え!? ちょっと待ってよ」
沙織が動揺しながら割り込んできた。今の会話のどこに驚くところがあったんだ?
「私、ずっと会ってなかったよ? なんでお姉ちゃんは会ってるの!?」
「しょうちゃんのお父様のお葬式の日に、私達が海外に住む事をしょうちゃんに言ったじゃない?」
「うん、そうだった」
「あの時、私はしょうちゃんに手紙書くって言って」
そう、父さんの葬式の日に。更に別れをしなきゃいけなくて、涙腺弱まってた俺はボロボロ泣いたっけ。
「それで、手紙をメールにかえてやり取りを続けて、私達の高校入学にあわせて帰国した次の日に我慢しきれなくなって会いに行ったの。それで、ちょくちょく会ってるのさ」
「な、な、なんでよ!」
本当になんでよ、だよ。どうして華織と会ってて沙織が怒るんだ。
「沙織ちゃんが素直にならないのがいけないよ。それに私達の方が忙しくてあまり会えてなかったし。沙織ちゃんに言ったって素直に会えた? 今日だって最初に再開の挨拶も出来ないで意地悪してたのに」
「うう……………」
なんで二人が険悪なムードなんだ。もう少し仲良しな双子だったろ。
「しょうちゃん! アルバイトで来たんだよね?」
と華織。見分け方は簡単、眼鏡をしてる方が華織、してないのが沙織だ。低脳な俺でも分かる間違い探しだ。
「ああ。しかし、沙織の相手は―――」
「この首輪を私と沙織ちゃんにつけて!」
はい?なに言ってんだこの人間は?
笑顔、爽やかに可愛く、無駄なく、そんな言葉を堂々となんで言えた?つか言ったのか?勘違い、聞き間違いの可能性があるだろ?この渡された首輪も実は違うもので、首輪なんかじゃなくて、ほら時計とか、バンドしかない新作の時計とか…………………
「ってなんでだよ!?」
「速く! もう、もう我慢できないのぉ…………」
ヤバい、何がヤバいって全部ヤバいよ。こんな美人さんに詰め寄られて、両手は俺の胸に触れていて潤んだ瞳で見つめられてる。のに、なのに全くときめきはない。このドキドキはこの状況をどうしたらいいのかと、首輪したらその後どうなるかという興味、となんで沙織は何も言わないのだろうか。色々渦巻いてよくわからなくなっている俺。
「なんで? この後はお風呂入って背中を流してあげるだけだよ? マッサージもしようか?」
上気した顔、俺を見つめるその顔がどこまでも艶っぽくて、瞳が綺麗で…………………
「きゃん。これで華織は、身も心もしょうちゃんの、モ・ノ」
「ってうぁっ!」
「てうあ? なに奇行と奇声のコンボをやってやがるの? キモいよアンタ。私のお姉ちゃんになにしてくれんのよ」
冷たい一言。あまりにもその通り過ぎて言い返せず泣きそう。
でも、少し冷静に―――
「沙織ちゃんいいでしょ~? 沙織ちゃんもはい、これ、つけてもらいなよ」
「はぁ!? なんでよ! そんな気持ち悪い事………」
「本当に?」
「な、なんでよ? だって気持ち悪いじゃない」
「気持ち悪い?」
「……………あ、え…………その………」
えーと、えと、なんで少しずつ自信なくしてきてんの沙織さん。いや、華織さんもすっげぇ楽しそうだし。
「素直になりなよ。またのけ者にしちゃうよ?」
「……………うう…………」
「嫌われたいの? しょうちゃんに」
あれ?沙織のきつめの目付きがどんどん弱くなって、泣きそうな顔になってきたぞ。まさかな。この怪しい雰囲気まさかな。
座っていた沙織さんが何故か立ち上がって、何故か俺の前に立った。何故か何かを決意するかのように唇を噛み締めている。手にはさっき気付いたら華織につけていた首輪を何故か沙織も持っている。どうやら受け取ってしまったらしい。
「しょ、しょしょし………正太郎!」
裏返った。噛みまくった挙げ句裏返った。
この後の展開は有り得ない。有るわけない。あっちゃいけない。
「首輪、首輪して、私の首に、首輪……………してほしいの!」
………………………………………………………えと、沙織さんだよね?ちょっとぼーっとしてる間に沙織と華織が入れ替わった。なんてことないかな?
ないかなって自分で言っている以上分かってるんだ。まず服装が違うし、首輪の有無もあるし、分かっている。この潤んだ目で見上げてきて、控え目の胸の上で祈るように手を合わせてる仕種をしている美少女が俺に何を言った?
強気な沙織がこんな弱々しいと儚げで、とても、とてつもなく可愛い。
「お願い、して…………」
いや、ダメだ。やっちゃダメだ。ダメだ。紗羅ちゃんに怒られ……………
「……………ありがと。で、いいのかな? えへへ」
………………この日、日向正太郎は御主人様になった。
って待てい!なにフェードアウトしようとしてんだよこんちくしょう!
これじゃ俺ただの変態じゃないか。幼なじみのような双子の女の子に首輪をして、ベッドの上に寝ている俺をどうやって変態じゃないと言い張ればいい誰か教えてくれ。
「えへへ、気持ちい~い?」
「かたい…………」
言うよ!誤解とか受けないように言うよ!
なんか気付いたらベッドの上でマッサージ受けてんだよ俺は!?何故かな、何故かマッサージ受けてんだよ。
二回マッサージと繰り返すくらいビックリしてます俺日向正太郎。
「御主人様ぁ…………そろそろ御褒美くださ~い」
「……………」
肩を回しながら俺は半身を起こしてベッドの上に座る。
どうしよ。この期待に満ちた四つの瞳を俺はどうすれば―――
「「きゃふん」」
とりあえず撫でてみた。ベッドの上に座る俺、ベッドから下りてひざまずいて頭を差し出してきている双子姉妹(首輪装着)
いちいちぜろと電話に打ち込まれたらもう俺に勝ち目はない構図だろう。さて、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。どうして、こんな抜け出せない状況が出来上がったのだろうか。
『しょう君楽しそうだなぁ…………………』
………………………………っ!?
右を見る、左を見る、後ろを見る、上を見る。
「しょうちゃん? どうしたの?」
「挙動不審ね。確かにこんな変態行為見られたらアレだけど、誰も見ないわよ。この部屋は私達の自室だし」
「えへへ、沙織ちゃん。その変態行為嬉しいし好きでしょ?」
その問いに首肯する沙織。
「それと正太郎、右手、怪我してる」
「今更気付いたのか?」
「べ、別に…………いや、うん、そう、あまりにもどうでもよくて今気付いたわ」
流石に手の平に浅くなく一文字についた傷だ。一日二日じゃ治るわけないし、包帯も外せなかったが、痛みはあんまりないし、さっき掃除してる時も別に気になる程の痛みはなかった。
「名誉の負傷、だよね?」
「ああ。勘違いだけど名誉の………………」
「華織? なんで知ってんだ?」
「知らないよ。男の子が包帯巻く程の怪我は誇らしいものでしょ? きっと」
ああ、そういうもんかな。そういう、もんかな?
『あう……………あう…………』
まただ!今度は間違いない。
周囲をキョロキョロと見回す。
「本当どうしたの正太郎。誰も………………」
「いらっしゃい」
驚く俺と沙織、華織は不敵な笑みで部屋の入口を見ている。冷たい表情で立っているのは―――もう言うまでもなく我等がプリンセス紗羅ちゃんだ。
「こんにちは。私の旦那様を返してもらいに来ました」
え?なにこの展開?どゆこと?
つか、絶対俺怒られる気がする。そしてなにか違和感が。
「えへへ、それは出来ないな~。私達の御主人様だもん。ほら首輪も」
「パジャマ以外にしょう君にはアブノーマルな趣味はないですよ」
パジャマはアブノーマルじゃない!正しい欲求の在り方だ。
とか言う前に、今日の紗羅ちゃんはとても輝いて、強く見える。これが違和感の正体だ。綺麗な外見の紗羅ちゃんが気丈に振る舞うと格好いい、非常に格好いい。
「はいは~い。紗羅、これどうする?」
いつの間にか部屋に入り込んでいた葵さん、言い直すとあお姉ちゃん。紗羅ちゃんが開けた扉から入って来たのだろう。気配を殺して。
そして、あお姉ちゃんが手に持っているのは、花瓶?
「はい、外に捨てるか、ベランダに置いておいてほしいです。しっかり窓は開けて、お願いします」
いや、本当今日の紗羅ちゃん格好いい。
「チッ…………流石ですね。中城さん。奴隷お嬢様は人を揺らがせる物をよくわかってらっしゃるのかしら?」
「……………何を言ったって、こんな卑怯な手で男性をモノにしようとする女性には負けません」
「紗羅、今のは点数高いわよ」
あお姉ちゃんが紗羅ちゃんの傍らに寄った。
さて、一体なんの話をしてるんだ。顔を見る限りでは沙織も置いてきぼりっぽいし。
でも、
「華織」
「しょうちゃ―――」
「俺、女の子叩いたの初めてだ」
「な、なんで!? 私は、なにも」
今の発言は許せない。凄く腹が立った。
「今の紗羅ちゃんの事を言ったんだろ? だからだ。違うんなら誰に言ったのか言えよ」
華織は頬を押さえて目を丸くして見上げてくる。
「な、な、しょうちゃんが…………………………」
泣き出した。自分のせいで女の子が泣くのは…………流石に叩くのはやりすぎか…………謝るべきか………
「なに格好いい事言って行動したのに自信なくしとるか」
「いて! あお姉ちゃん、そういう場合優しく攻撃しない? なんか筋かなんか入って凄く腕痛いんだけど今のパンチ」
「さっきの花瓶、ちょっとしたアロマよ」
あ、無視っすか、そうっすか。
アロマ?アロマテラピーとかいうやつ?煙…………じゃなくてお香焚いたりするやつか、アロマテラピーはもっと広い意味らしいけどそれと花瓶がなんの関係が?
「しょう君、この部屋にどれくらい居ました?」
「え?」
五時間くらいじゃないのかな。時計だって……………
「八時間……………なんでだ。時間の感覚が」
その時高笑いが聞こえてきた。声の先は言うまでもなく。
「全く。酷いなぁ。今日でしょうちゃんを私達のモノにしようとしたのに…………全く、全く、邪魔してさ」
「お姉ちゃん……………」
目付きが違う。前までの華織はあんなに怖い目はしてなかった。したことなかったぞ。
「本当は高校卒業して、結婚、って流れを用意してたんだけど、中城さんのせいで予定を早めなきゃいけなくなっちゃって、ちょっと無理し過ぎたかな~……………あ~、邪魔だな~私のほうが絶対しょうちゃん幸せなのに」
「そんなことありません! こんな薬でしょう君を惑わすような真似、許せません。貴方じゃしょう君を幸せに出来ません!」
薬?時間の感覚、花瓶、アロマ、首輪?俺がぼーっとしてた理由。
そういうことなのか。まさか、本当に。
「お姉ちゃん、薬ってなに?」
「沙織ちゃんが素直になるお薬、しょうちゃんが私達にめろめろになっちゃうお薬、この二つは近い物よ。素直になるだけなんだから」
「お姉ちゃん……………」
「あ~、帰ってくれるかな? 私、今日はもう疲れた。私の負けだから」
「しょう君も連れてきます」
「今日は帰すから、次は覚悟してね。しょうちゃん」
あんまり動かない頭で記憶してたのは妖艶なまでに美しい華織の笑顔と沙織の不安げな顔だった。
「あう、あう~」
元に戻りました。
「あう、怖かったです。ちょっと頑張り過ぎました」
「えと、大丈夫? それと、ありがとう? かな」
ゴスッ。
っておかしくね?なんで?なんで人体からそんな擬音が聞こえてくるの?
「あお姉ちゃん痛い…………」
もちろんこの擬音は俺の体から発生した物だ。
「ばか、なんであんな変態行為してるかな」
「いや、そのごめんなさい」
「うっ、素直に謝られると…………でも、いくらアロマのせいだからってあんな変態で異常な行為を強要されても、精神力でなんとかなるでしょ!?」
確かに。まだ首輪のくだりでは頭は働いてたわけだし、流石にあそこまでの異常行動なら正常な意識を保てそうなのに。
「つまり…………しょう君は少し興味があるんですね。首輪」
…………………………………
「ちょっと! 今の間はなに? なんで間があくのよ」
「い、いや、紗羅ちゃんあお姉ちゃん、助けてくれてありがとう! じゃあ先に帰って夕飯の支度でもしようかな!」
全力逃亡を俺は敢行した。
苛々する。まさかここまで予定通りいかないなんて。
理由はどうであれ私達が一番日向正太郎を愛しているのに。ずっと好きで、素直になれない妹も幸せになれる計画が用意されていたのに、一人のイレギュラーで台なし。
高校生の間は三人で、時に二人で、恋人としての時間を過ごす。そして、大学生で学生結婚。親の援助は仕方なしに、同棲を初め、三人でい続ける。夫婦の名義は悪いけど私、でも沙織ちゃんには寂しいなんて感情を抱けないくらい彼との時間を設ける。あくまでも三人で。昔からの約束なんだから。
全部予定があったのに、計画してたのに、なにもかも上手くいかなかった。確かに強行手段に踏み切った。少し強引さはあったが、まさか私が、正太郎に打たれるなんて…………………
頬に触れる。流石に女の子相手だ。彼も随分加減してくれた。痛みもなく赤くもなってない。
まぁ、半日も経てば当然か。
しかし、確かにそこに打たれた感触はある。胸には痛みもある。
でもなぜだろう。何故、洗面台の鏡に映る私は笑ってるのだろう?
「簡単ね。今日はこれ以上やって嫌われたくなかったから、次は、ないわ。しょうちゃん」
そうだ。約束であり、私の人生である正太郎を渡すわけにはいかない。私だけじゃないんだ泣くのは、この鏡に映った姿と同じ姿を持った妹も泣くんだ。それは駄目だ。だから笑う。
私は、妹は、この顔は、笑う。