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三話

深深と雨が降っていた。集中して見ると周囲の喧噪が嘘のように消えた。俺はただ、雨が降る様だけを見続ける。


梅雨というだけはある。ここ最近雨ばかりだ。こんなんで来週の球技大会は大丈夫だろうか、野球を選んだ俺だが、別にそんな運動神経良いわけじゃないし、ま、足引っ張って目立たないようにのんびりやってやり過ごせば良いでしょう。


「しょう君!」


「ん? どったの紗羅ちゃん」


我等が大事なお姫様、中城紗羅ちゃんの登場だ。お姫様の騎士である俺は座りながら恭しく一礼した。


「さっきからずっと声をかけてるのに窓の外ばっかり見てました! あう、嫌われたかと思いました…………」

「ああ、ごめんごめん。少しほうけちゃってさ」


もう早いもので、紗羅ちゃんが転校してきてから一ヶ月が経った。学校にも、周囲の地理にも慣れてきた紗羅ちゃん。初日から悶着あったが、紗羅ちゃんの性格の良さにそんなものどこへやら。愛のおかげもだいぶあるのだろう。今ではクラスのマスコットのようだ。


あの発作も危なげな状況はあったが、愛と俺でなんとか出来ていた。


やっぱり女子の愛がいてくれるのは助かる。そうでなくとも愛は優秀だ、愛が紗羅ちゃんと仲良くしてなかったら、と思うと恐くなる程だ。


「あう、しょう君女の子の事考えてます。愛さん辺りの事」


紗羅ちゃんが睨んでくる。睨んできても少し愛らしさが残ってるからなんの威圧感もない。


「愛の事なんて考えてないよ。今日の晩御飯なにかなって?」


最近思うところがあるのでちょっと誤魔化してみた。


「目を見ればわかります! しょう君はわかりやすいんです……………後、晩御飯は鮭を焼こうかと」


そう、最近目を見られると俺の秘密が大体ばれるのだ。


俺が部屋に大事に隠しているパジャマカタログは綺麗に女性が着ているページだけ消滅し、メンズしか読めない状況にされる。なんて酷い事をされてるか君達に分かるか?俺の癒しであり、潤いであり、安らぎであるパジャマを……………まぁ、紗羅ちゃんが日替わりで色んなパジャマを見せてくれてるから結構満足してるけどね。


「球技大会紗羅ちゃんはなにするんだっけ?」


「もう、球技大会の事に思いを馳せるのは良いですが、明日からテストなんですよ? 本当に大丈夫なんですか?」


そう、今こうして紗羅ちゃんが自由に席を立って俺が座っている席の前の林田さんの席に紗羅ちゃんが座っている理由はそれだ。テスト、もうこのカタカナに腹が立ってくる。日本人が受けるんだから日本語であれば良いのに、


「しょう君!」


「はい、余計な事考えてましたごめんなさい」

「はっはっはっ、また正太郎の勉強の世話かい? 紗羅も諦めたらどうだい? これには勉学に勤しむ心もそれを積み重ねる脳力もないよ」

脳力だなんて気取った言い方をしやがって、どっかのテレビの企画かよ。


今、本来なら授業時間なのだが、今日最後の授業は先生が不在という事で、テストのための自習となった。


俺の頭は下の上、正直前回の進級もギリギリだった。出席日数じゃなくて、真面目に出席して成績でギリギリは珍しい、授業態度だって寝てるわけじゃないのに、ってな感じの褒めながらけなされる説教を受けた。


「わかってます。でも、この六月中間試験と来月終わりの期末で赤点を一つでも取ったら夏休み補習なんですよ? せっかく夏休みは御祖父様の別荘に二人きりで旅行の予定がたっているのに」


分かってるんかい、少しはフォローとか…………ないぐらいの学力と思ってください。


って!驚愕の新事実だ。テストを試験って言えば日本語じゃないか!すっげ、紗羅ちゃんすっげ!


「……………正太郎、なに『テストってカタカナを試験って言えば日本語になる』って感じで驚いてるんだ」


「め、愛さ~ん…………お知恵を貸してください、このままじゃあ」


「ふむ、紗羅に泣き付かれては聞かないわけにはいくまい。なぁに、こいつにだって頭はある。パジャマのブランドやパジャマの正式な商品名やら変態的なところでは良い記憶力を発揮するから、それに結び付けてやればいい」


「……………しょう君、テストで赤点を取らなかったら私と愛さんの夏用の薄地新作パジャマをお披露目します」


…………なに?『薄地』だと?


薄地、そう、夏場に向けてのちょっと薄いパジャマ。保温性と吸水性を追求したパジャマ、それを薄くする。まるで神への反逆ともとれる行為だが、夏場だ。夏なんだから薄いのは良い、薄いのは良い、肌のラインがよく見えるから良い!あれ?夏なんだから、の後あたりから感情に飲まれてる。


「つまり、ネグリジェ…………って事かな紗羅ちゃん?」


「あう、ネグリジェを着るのが一瞬で看破されました。ネグリジェはお嫌いですか?」


「とんでもござぁせん!」


やべ、テンション上がり過ぎて全部声が裏返った。


「たしかにパジャマニアの中にはネグリジェを邪道とする人はいるそうですが、あれだって寝巻、あの透けた感じはまさに蠱惑! もう翻弄される自信があるねネグリジェに」


例えるならパジャマは純愛、甘酸っぱい青春と恋愛って感じだ。逆にネグリジェのエロさは、もう翻弄されるような大人の恋、綺麗だけではない、苦さや辛さをつけた味のあるものだ。


「ふむ、いきなり普段使わない、もとい、使えない言葉を使いだしたかと思えば内容がこれでは…………だが、やはりパジャマのためとなるとこれだけの力を発揮できるようだな」


となんか分析している愛、さっきそういえば愛もパジャマのお披露目に入ってたけど、本当に着るのか?


「いや、着ない」


まだ声に出してないのに返答ありがとう。紗羅ちゃん以外のパジャマも見てみたかったのに。いくら胸が薄くても相手をドキドキさせる事ができるパジャマはやはり偉大だ。


「…………………………お願いします」


「あれ? 紗羅ちゃんどこに電話してたの?」


俺の言葉の後妙に静かだと思ったら紗羅ちゃんは携帯電話で誰かに電話していた。と言っても、紗羅ちゃんの携帯電話のアドレス帳には俺と愛と母さんとじいさんと斎藤さんのしか入ってないから、残りは三人。更にそのうち二人は大体行動を共にしているから実質二人だ。


まぁ、じいさん達で間違いはないんだが、ここは言わねばならない。大事な事だ、これから紗羅ちゃんが生きていくのにとても大事な事。


「今ネグリジェを頼んだんだよね?(また無理を言ったんだね?)」


「って事は俺に着て見せてくれるんだよね?(あんまり権力をそういう使い方しちゃいけないよ)」


「あう、もちろんしょう君には隅から隅まで触るのもオッケーですよ」


さっきからの男達の熱い視線が更に強く俺を焼いている。


「肌触りなんかを確かめても良いってこと!?(だから、じいさんを頼るのはいいけど、頼りすぎもよくないよ)」



…………………うう。


「あれ? しょう君どうなさったんですか?」


「まぁ、自分の言いたい事と本能がぶつかりあって、本能が圧倒的過ぎてへこんでるんだろうよ」


俺、そんな寝巻好きか?


好きだ。


即答だよ俺の本能。


「あう! 本題に戻しますと、お勉強しましょう!」


この最後の『お勉強しましょう!』がまさかあの事件の引き金になるとは―――










「あう、無事に試験も終了。しょう君は赤点なし、完璧でしたね!」


「え?」


「まさか赤点回避出来るとはな。パジャマで学習、ドキッ、はだけちゃう、が功を奏したな」


「はい?」


「今回はしょう君からのお礼って事での食事ですからね。愛さん、本当に、本当に特別ですからね」


「うぇ!?」


「はは、わかってるよ。全く、正太郎と二人きりに最近なれないな」


「ぬぅぇ?」


「もう! 二人きりなんてダメです。私がいなきゃ許しません」


「ぷぉい!?」


「そろそろ相手をしてやろう。いくらファーストフード店と言えど、テンションがおかしすぎて視線を集めだしている」


いや、あのさ、引っ張ったよね?なんかこの後の展開を仄めかす感じで引っ張ったよね?


んで!なんで!試験終わっちゃったの!?


「あう、なんか口をパクパクと開くだけで声が出てません。でも何と無く言いたい事は分かります」



苦笑いしながら紗羅ちゃんがそんな事をおっしゃってくれる。涙が出るほど嬉しい、これで、俺はこの謎の恐怖と戦う事が出来る。


「赤点回避のご褒美のパジャマですよね?」


「違う!」


やっと声が出た。目を見れば俺の考えてる事分かってくれんじゃないのか!


「いや、テスト! 試験! 勉強とか!」


「あう、しょう君勉強のしすぎで頭が故障しましたか?」


「してないんだ! 勉強! 俺! 試験も!」


「落ち着け正太郎。紗羅も恐がっている。試験は終わったじゃないか、全く、珍しく人が褒めているというに壊れるなよ」


ジュースに口をつけて愛が嘆息した。


紗羅ちゃんは苦笑いを顔に貼付けたままだ。


俺か?俺が悪いのか?間違ってるのは世界だろ?俺は必死で足掻いて生きてるんだ。


そしてなんで知らぬ間にこのバーガーセットやらナゲットやらが俺の奢りになってんの!?財布を出したっけ?



「本当本当、全くしっかりしてくださいよ」


そう言ってポテトを摘むメイド服の女性。髪は長くないが、女性っぽさがなくならない程度には長い。セミロングってやつか。メイド服のため周囲から浮きまくってるが、彼女だけを見るとメイド服がこれほど様になるのは斎藤さんとこの人ぐらいだろ、と思える。


「あっ、ナゲットも貰いますよ」


「……………っ!」


愛が動いた。動いた、と言えど、あまりに速くて愛がどう動いたか説明出来ない。四人で座る席で、俺の隣は紗羅ちゃん、俺の向かいは愛、そして愛の隣に謎のメイド服、愛は隣を奇襲したわけだ。


「ほいほい、おいたはいけませんよ~」


愛は目を見開いている。メイド服は口にナゲットを銜えたまま愛の両手を掴んでいた。


「貴女、何者です? 今までは完璧に気配だってなかったのに」


え?やっぱりそうなの?てっきり俺の抜けた記憶の中で知り合った変人メイドかと思ったよ。


「鉄槌!」


「にゃふっ!」


文字通り、文字通り鉄槌が謎のメイドの頭に下ろされ、聞くと寒気がしそうな鈍い音が発生した。


「斎藤さ~ん、流石に鉄槌はモノホン使うべきじゃないですよ~」


「おいたしてるのは貴女です。坊ちゃん専用、なくしてもいいのですよ?」


「えぇっ!? そんな殺生な! あんなに辛い訓練抜けて、やっと許されたのに、そんなの嫌です」


「なら許しなく主と席を一緒に、なんて茶目っ気でもやめなさい」


「は~い」


唇を尖らせて立ち上がるメイドさんと、それに鋭い眼光を送る斎藤さん。


「斎藤女史の知り合いでしたか。なるほど、ボクが見逃すわけだ」


「あなたもいい動きでしたよあいた」


もう一度メイドに鉄槌が振り下ろされた。


「調子に乗らない。愛さん、申し訳ありません。彼女、若輩ではありますが、能力だけは高くて」


「ええ、驚いただけですから大丈夫ですよ」


なんか俺と紗羅ちゃん置いてきぼりだけど、なんなんだろうこのメイド服がファーストフード店にいる状況は。


「坊ちゃん、テスト、お疲れ様です。この度赤点回避のご褒美として、旦那様より彼女が貴方の専用になりました。使い方はこの斎藤と違いはありません。能力もそれなりに有能、上手く使ってやって下さい」


恭しく腰まで折って頭を下げる斎藤さん。つまり、要約すると、それってことは?


「どもども~、葵です~。葵ちゃんって呼んで下さい、まいますたぁ」


………………………………


「え?」










「絶対に認めません!」


「いや、そこをなんとか! 頼むよ紗羅!」


と、紗羅ちゃんにしがみついてまで懇願するじいさん。俺はそれを、哀れに見えてきた、なんて考えながら見ている。


「ご主人、奥様、コーヒーはホットおあアイス?」


と聞いてきたのは葵ちゃん、というか年齢的には葵さん。今日は珍しく母さんも家にいる。団欒だ、と叫んだじいさんは鍋(夏が近いのに)の準備をして意気揚々と家に来たが、葵さんの事を認めないと強く紗羅ちゃんに言われてこの調子だ。


葵、とだけ名乗ったメイドさん。じいさんの説明によれば、今後俺、日向正太郎にはじいさんの会社のそれなりのポストにつけるという考えがあり、これまでそういう教育を受けてなかった俺に優秀な補佐役が必要だ、という事で葵さんが俺の専任になった。


とだけ言われても、俺は生まれの理由からじいさんの会社で世話になる気はないし、葵さんも、そんな俺には全く必要のない人だ。


はてさて、口があまり上手くない俺が下手な事を言えば斎藤さん辺りに簡単に丸め込まれてしまう。とりあえず、紗羅ちゃんの成り行きを見守りつつ、上手い言葉を探した。


「だから、しょう君には私がいます。必要とあれば私が葵さんの役を完璧にこなしましょう!」


「いやね、紗羅だって家事とかあるでしょ? あんまりじいちゃん的には良くないかなぁ、って」


「しょう君に女性が四六時中ついてるなんてふざけないで下さい!」


「いや、だからね」


「じいさん。俺はじいさんに仕事貰う気はないぞ」


じいさんがこっちを見る。ああ、多分チュパカブラに遭遇して襲われた人はこんな顔して死んでくんだろうなぁ、って顔して驚いている。


「あのな正太郎、今の就職難のご時世でコネがあるのがどれだけ恵まれてるか分かってるか? いや分かってないな。コネ、コネクションだぞ? コネクションなのかは知らんが、なぜ恵まれた状況を自ら捨てる?」


なんかすんごい馬鹿にされながら諭されてる。もう目が幼稚園児を見るようだぞこのジジイ。


「はいはい、仕事の話云々を差し引いても私はご主人様に仕える気でいます。紗羅様のお役にも―――」


「うん、私は賛成だ。このヘナチョコにしっかりした人がついてなきゃ無理だ」


葵さんの言葉に割って入ってきたのはずっと黙していた母さんだ。母さんはえらく真面目な顔で(元々目つきも悪いし、真面目か怒ってるかしか見えないが)言い切った。


やっぱり母さんの意見ともあって、紗羅ちゃんは驚愕、しながら器用に泣きそうになっている。じいさんは予期せぬ助け舟に諸手をあげて喜びそう。


「で、でも」


「嫁よ。そんな女が張り付いたくらいでそっちの尻を追い掛けるような息子だったら私は………………握り潰す」


何を!?俺を!?俺自体をか!?


母さんならなんとかしそうで嫌だ。


「少しは私の息子を信用してやっては貰えないだろうか?」


と言って座りながら頭を下げる母さん、もちろん紗羅ちゃんは、


「い、いえ! あの、頭を上げて下さい。私は、私は……………信用しますから、しょう君を」


あれ?意見が、俺の意にそぐわない方向に。


「なら正太郎には葵で決定だな。うん、葵君と呼ぼう」


「いえ、葵ちゃんで」


おかしいな。さっきから葵さんのじいさんに対する態度、目つきや口調が悪い。一応、じいさんは葵さんにとって上司とかそういうのすら越える最も重要な人じゃないのか?


「そうか、なら―――」


「やっぱり呼ばないでほしいです。私、貴方が…………」


その瞬間俺の背筋は凍り付いた。


理由は分からない。体が勝手に反応して、数秒間指一本動かせなくなった。


「あんまり、調子にのらないほうがいい」


声を聞いても体が冷える。暑いはずの気温がこの部屋からは消え去り、冷蔵庫の中のように感じた。


「あれ? 斎藤さん、私、貴女も好きじゃないですよ?」


主人への罵倒に、斎藤さんも抑え切れなかったんだ。銀の食器が葵さんに向けられ、葵さんはそれを握り締めている。形から察するにフォークかスプーン、って!


「斎藤さん! なんてことするんだ。切れちゃってるよ手が」


俺は立ち上がって、二人の間に割って入り、葵さんの手を無理矢理開いた。フォークで切ったのだろう、手の平には一文字が入っていた。


今まで斎藤さんが磨いていた物だが、やっぱり心配だ。とりあえず蛇口、水で流して消毒して絆創膏…………じゃ無理だ。傷口が広いから、大袈裟だが包帯?なにかで…………



「正太郎君、お姉さん、やっぱり君が優しい子になってて嬉しいな」


葵さんがじいさんにも斎藤さんにも向けなかった優しい目で俺を見て、切ってない右手で俺の頭を撫でてくる。


…………あっ。


「あお姉ちゃん…………?」


「やっぱり、忘れてたんだね。全く、あれだけ私に『好き、あお姉ちゃん大好き、結婚しよ』って言ってたのに」


そう言って微笑んだ女性の手を握りながら俺は動く事が出来なかった。










葵。葵とだけしか呼ぶ名はなく、昔、俺の側にいてよく遊んでくれたお姉ちゃん。


いつも笑顔で、あの頃の俺の手を引っ張って……………


そう、毎日死ぬ思いをした。探検と称し山の中に入り俺を置いていったり、冒険と称し川に俺を叩き込んだり、修業と称してあお姉ちゃんを積載したリヤカーを5キロ程引かせたり…………小学生にやらせる事じゃないだろ!


「な、なんであお姉ちゃんが俺のお手伝いになるんだよ」


「え? 楽しいからに決まってるわ」

あっけらかんと言い切った。てか即答だよ。


この笑顔、あの時と一緒だ。俺をボロボロのズタズタのグチャグチャにした昔と。


「お義母様の言葉がなければ認めませんでした。後! 『あお姉ちゃんと紗羅ちゃん、皆が好きだから結婚したい』とも言いましたからね」


「まだ認めてないくせに、それと、結局私の名前が前でしょ? やっぱり私のほうが」


「しょう君!」


「俺は、紗羅ちゃんの方が好きかな」


頑張った。俺頑張った。かなり恥ずかしいが、大切な事を言った。少しずつこういう事態に免疫をつけていってる紗羅ちゃんだけど、もしもの事態がある。


それに、比較したら紗羅ちゃんの方が好きなのは嘘じゃない。


「あう……………あうあうあう…………あう~」


ヤバイ、なにがヤバイってどうやら紗羅ちゃんには刺激が強すぎたらしい。完璧に壊れてしまった。


じいさんは葵さん、もとい、あお姉ちゃんの敵意に堪えられなかったのか鍋の用意だけして帰ってしまった。もちろん斎藤さんも。そして母さんは、


「奥様も大変ね、こんな時間から仕事だなんて。そんなに頑張るからヘタレが育っちゃったのかしら?」


こちらをニヤニヤと、嫌らしい笑みで見てくる。あお姉ちゃんの言うことは尤もだ。俺はなにも成長してない。紗羅ちゃんの事も中途半端、母さんに無理させてるのは分かってるのにバイトすらせず、日々を楽して生きている。


反省してる。こんなんじゃ父さんのような男になる、これが夢のまた夢の妄想だ。


分かっていても行動を起こさない俺に苛立ちもある。


「……………俺寝るよ」


「ちょっとは男らしくなったかと思ったのに。成長してるのは体だけ? お姉さん、なんのために正太郎のところに戻ってきたの?」


なんのために戻ってきたの?なんて知るかよ。向こうの言い分が正しすぎてなにも言い返せやしない。


「悔しいとも思えないんでしょ? 明日になったら学校行っていつも通り。やめたら? 少しは格好つけなよ? 紗羅も愛想尽かすよ?」


「いい加減してください! 貴方に日向正太郎のなにが分かるんですか!?」


やめてよ。紗羅ちゃんやめてくれ。


「分かるよ。親の事なんて考えず、じいさんがいるから最悪の事態にはならないや。簡単だよね、楽だよね。きっと死ぬまでそうなんだよ。じいさんに仕事なんてもらわない、なんて大それた事言える立場じゃないのにさ」


「あう、やめて下さい! しょう君には良いところ沢山」


「やめてくれ! それ以上言ったって、俺が惨めになるだけだ…………」


「あう、しょう君…………大体、文句を言いにきたんですか葵さん!?」


「ん? んなわけないじゃん。正太郎のお父様、私の旦那様の遺言よ。『正太郎はきっといい男になる。もし、葵が大人になった時、正太郎がいい男になれてなかったら、その手助けをしてやってはくれないか?』ってね。私、なんだかんだで貴方を弟みたいに思ってるし、きっと好きなんだね」


昔の葵姉ちゃんとは違う大人の笑顔だ。


そして今やっと分かった。何故あお姉ちゃんが一緒に暮らしてたか、俺の父さんのお手伝いさんだったんだ。


「あう…………私は」


「もちろん弟としてね、紗羅も妹みたいに思ってるし、紗羅の事は心から応援してるわ。でも、どうせなら格好いい正太郎がいいでしょ?」


と言って紗羅ちゃんの頭を撫でるあお姉ちゃん。


「しょう君は、しょう君は格好いいです。元から!」


紗羅ちゃんが俺を評価すればするほど俺は惨めになる。その評価が高ければ高いほど実際の俺は陳腐になる。


情けない。全部情けない。










「なに? バイトしたい?」


次の日、学校で愛に相談してみた。とりあえず、とりあえずというのもおかしいかもしれないが、働いて金を稼ぐ、これをしなきゃと思った。


「ふむ、そういうのなら…………お前のじいさんでも頼ればいいじゃないか」


「駄目だ。じいさんは頼りたくない」


「そのような意地を…………ふむ、まぁ知り合いにあたってみよう。だが期待するなよ」


「ありがと」


「お待たせしました。あう、食べないでいてくれたんですね」


紗羅ちゃん登場。現在お昼休み、紗羅ちゃんは職員室に呼び出されて昼休み早々に教室を出ていて、10分程経った今御帰還だ。


「ああ、ボクは早く紗羅の弁当を食べたかったのだが、正太郎がどうしても紗羅ちゃんを待つと言うんでな。それと、ボクの分の弁当までありがとう紗羅」


「あう、愛さんには大変お世話になってますから」


今日は、今日も俺は紗羅ちゃんが作ってくれた弁当だ。


「…………紗羅ちゃん?」


期待に胸膨らまして弁当箱をあけた俺に驚愕と胸に風穴があく衝撃が走った。


「あう? どうしましたか?」


「弁当箱、空だよ?」


「あう! 大変です、でも、今日は紗羅お腹が減って自分の分を多めに作って、尚且つお箸が一本しかありません!」


もう魂胆見え見えの説明台詞だ!


今日の紗羅ちゃんの弁当箱を見てみると、育ち盛りの男用に少し大きい俺の弁当箱の二倍はありやがる。


「あうー、なんてことをしてしまったんでしょう私は。これは私と分け合って食べるしかありません!」


うわ、うわ、マジでこの娘さんやる気だ。俺を落とすと言ったのは伊達じゃないらしい。


「はい、まいますたぁ」


と机に出現したのはいつも俺が使ってる少し大きめの弁当箱、と綺麗な白い手、それに沿って腕を見て、その手の人を見た。


「はぁい、お困りかと思いまして私余計な事しちゃいました」


言っておく。誤解ないように『しちゃいました?』じゃない『しちゃいました』と自分で余計な事をしてると分かってるんだ。だって紗羅ちゃんに対してすんごく嫌らしい笑みで笑ってるもん、あお姉ちゃん。


「あう、葵さん、なんで私の邪魔するんですか?」


睨んでる。これ以上にないくらい敵意をあお姉ちゃんに向けてる。


「私、紗羅様も立派なレディにしなくちゃなんで」


「話が繋がりません!」


「立派なレディになればまいますたぁとの結婚を認めます」


つか『まいますたぁ』って呼び方固定なの?


「いや、あう…………邪魔しないでよ…………」


マズイ!これはマズイ!


俺は焦って席を立ち紗羅ちゃんに寄ろうとするが、あお姉ちゃんに阻まれた。


「そうやって、それで、そんな事で、正太郎の気を引きたいの? ざっけんじゃないわよ、正太郎の甘さに付け込んでるだけの最低女じゃない。昔の紗羅はもっと純真に正太郎を思ってたわよ」


葵さん、じゃなくて本気のあお姉ちゃんの言葉。


紗羅ちゃんは体を震わせて自分を抱くようにしてうずくまっている。愛が側に寄り添ってはいるが、震えはいっこうに止まらない。


嫌だ。こんなの嫌だ。


「やめろよ! 弁当箱ありがとう。部外者なんだから帰ってくれるかな」


初めてかもしれない、あお姉ちゃんにこんなに敵意を持って接するのは。ケンカしたことはいくらでもあったけど、それでも仲がいい故だ。今は違う。


「ふーん、良かったね紗羅、正太郎の同情は引けたみたいよ。これが恋愛感情になったって虚しいだけだと思うけどね私は」


最後に紗羅ちゃんが余計に震える言葉を吐いて、あお姉ちゃんは教室を出て行った。


すっかり注目の的になっていたので愛想笑いを浮かべて、俺は紗羅ちゃんに近付いた。


……………やっぱり泣いていた。また、また俺の前で泣いている。俺が手が届く距離で紗羅ちゃんが、泣いている。


「紗羅、ちゃん。俺、違うから、同情とかじゃないから、絶対に」


俺はそれだけ伝えて教室を出た。


走る。端から見たら逃げ出したように見えたんだろうな、そう思いながら走る。


そして、


「あら? まいますたぁ、出てけって言ったのに追ってくるとはどういう了見ですか?」


完璧に『葵さん』になってるあお姉ちゃん。


「出てく、外で話をしよう」


「学校おさぼりはいけませんよぉ」


「いいから行こう!」


あお姉ちゃんの手を無理矢理取って前を歩く。って前から!


「おや、日向んとこのメイドか」


理事長ォォォーーーッッ!


「ええ、ババァさんですよね?」


あお姉ちゃんぅぉぅーーッッッッ!!!


俺の職業が明日からフリーターとかニートになっちまうよォォォォォォッッ!


「ふん、日向んとこのはどいつもこいつもムカつくね。そこの坊主のほうが弁えてるよ」


「ええ、唯一の特技が小心者ですからねこの子は」


恐い、もう次いつあお姉ちゃんが爆弾を起爆させるか恐いよ。


「ったく、坊主学校出るんなら私が言っといてやる」


ああああ、ああああああああああああ。


つまり????僕はもういらない子なの?私は俺は?学校を出されちゃうの?退学?じいちゃんのあお姉ちゃんの、


「せいだからな!! 俺悪い事してないのにグボッ!」


「落ち着きなさいよ小心者。さっきの会話聞いてたんでしょ、大事な話と察してくれたババァの計らいよ」


拳槌打ちをくらった後頭部を押さえてババァ、じゃなかった理事長を見る。


「なに泣きそうな顔してんだい。自分の息子を早々自分から捨てる親がいるかい。アンタを庇う事はあっても切り捨てることはしないよこの学校にいる限りはね」


やべぇ、なんて格好いいババァなんだ。


「ありがとうばあちゃん! じゃなかった理事長」


「ったく、日向って苗字は退屈しないね」










「話ってなによ? とゆうか、なんでこんな場所で話を?」


「アナタが坊ちゃんに危害を加えかねませんから」


と斎藤さん。


校門を出た瞬間に張っていた斎藤さんや、他のメイド服の女性や男性に無理矢理車に押し込められた俺達はじいさんの屋敷にいた。


「ってメイド服の男性はなんだったの!?」


聞かなきゃいけない事を斎藤さんに聞いた。


「メイド○イです」


「メイドガ○?」


「伏せ字を一瞬で無効化しましたね坊ちゃん」


そして、奥の襖から着物を着たじいさんが現れた。


「すまねぇな、ご足労―――」


「あれは拉致よ」


とあお姉ちゃん。じいさんは苦い顔して斎藤さんを見る。斎藤さんは相変わらずの澄まし顔。


「坊ちゃんと手を繋いでる時の葵はとても隙だらけだったので、つい」


「つい拉致するんですね斎藤さん」


あお姉ちゃんがツッコミをいれる前にぼやいておく。


「しかし、不測の事態に葵の注意は完璧に坊ちゃんにありました。私達と確認しなければ本気で噛み付いてきたでしょう」


「つまり?」


とじいさん。なんか頬が吊り上がっている。


「大好きな正太郎と手を繋いじゃってる。わ、私ドキドキしちゃうよぉ…………でも、命にかえても君を守るからね…………てな感じです」


うまい!


「すげぇ、斎藤さんすげぇ! あお姉ちゃんの声そっくりだった!」


でも、そんな台詞をあお姉ちゃんが言うわけないし、なんか結構恐い。


「斎藤はなんでも出来ますから」


調子に乗った斎藤さんは次は紗羅ちゃんの声でそう言った。


「つまり、葵を態態拉致しなくても正太郎は大丈夫だったんじゃないか?」


「ええ、でも、この間も借りもありますから」


しれっと返す斎藤さん。本当に自由な人だ。


「勝手な事言わないでよ。誰が正太郎なんて…………後借りって貴女の主人を罵倒した事!? フォークで刺してきてよく言うわよ」


「そんな事じゃありません」


ピシャリと言い放つ斎藤さん。そんな事であるじいさんは畳にのの字を書いている。


「じゃあ、なんだっての!?」


あお姉ちゃんもなんだかヒートアップしてきている。


「言うまでもない! 貴女がいなくなってた間、坊ちゃんの面倒を見ている時この斎藤も『斎藤さんすごいねぇ、なんでも出来るんだ。僕斎藤さん大好きだよ。結婚したい』と坊ちゃんにプロポーズを受けてるんです」


………………


とりあえずタイムマシン、なんでも良いから過去に行って俺を矯正しないと。


「後、坊ちゃん専任が何故私に回ってこないのですか!」


やめてくれ斎藤さん。じいさんが凹みきって死んじまう。


「べ、別に正太郎の事なんて好きにしたら良いじゃない。見込みあるかと思ったけど大してないし」


やめてくれ。俺も凹みきって死んじまう。


…………と、斎藤さんが舌を出して笑った。


笑った。


スッゴい冷たい笑顔。それに何故か悪戯っぽく舌を出している。


そして斎藤さんが指をパチン鳴らした。


じいさんの背中にある壁に白いカーテンみたいなのものが下りてきた。あれは、プロジェクターとかに使うやつだよな。映像が映るやつ。


『えと、お仕えしたい人がいるっていうか、大好きな子がいるんです』


白幕に映し出されたのは…………えーと、あお姉ちゃんだよな。しかも大分若い、でも今も若いから、幼いって感じか。


『まだまだ子供ですけど、絶対素敵な男性になります』


映像のあお姉ちゃんすっごく嬉しそうだな。あお姉ちゃんがここまで言う男って誰だろうか。恋人とかなんだろうか。そして、なんで俺の胸はこんな重いんだ。


「やめて! 私が悪かったから! もうやめ……………」


限界を超えたあお姉ちゃんが斎藤さんに掴みかかった。斎藤さんはあお姉ちゃんの両手首を掴み、更に頬を吊り上げた。


続いて白幕に映し出されたのは…………


「ノート?」


「彼女、葵は日記をつけるのが習慣らしくて、今日はその最新版を手に入れてきました」


と斎藤さんがただの大学ノートが映っている映像に補足をつけた。


あお姉ちゃんの背中を見ている俺は、あお姉ちゃんが呼吸すらしてないんじゃないかというくらい微動だにしてない事が……………って急激に震え出した。


「斎藤さん…………わかったわ。私が悪かった。だから―――」


『今日、遂にこの時がやってきた。日向正太郎、彼に会える。どんな素敵な人になってるだろう? 声は大人になっただろうか? 背は? もう、考え出したらキリがなかった』


「いや…………斎藤さん! 斎藤さムグッ!」


始まったのは日記の朗読、声は完璧にあお姉ちゃんなのだが、恐らく斎藤さんの仕業だ。そして、あお姉ちゃんは斎藤さんに羽交い締めにされ口を押さえられた。瞬きをしたら、手首を掴んでいた斎藤さんがあお姉ちゃんを羽交い締めにしていたからビックリ…………してない、斎藤さんだもん。


『遂に会った。遠くから見ても一目でわかった。速く触れたい、声を聞きたい、私を見てほしい。そんな気持ちで近づいた。ショックだったのは私を忘れていた事、それだけ。正太郎は想像よりもずっと素敵な男性になっていた。まだちょっぴり子供だけどお姉さんがいればきっと大丈夫だよ。憎まれ口も厭味も、本当は辛いけど、全部正太郎のため。明日も貴方に会えるって事がこんな幸せだと思わなかった。明日もきっと私は笑顔でいられる。ドキドキして寝られないかも…………はーと』


「キャー! ギャーッ! ウワァァァァッ!」


限界を迎えたらしいあお姉ちゃんが壊れた。騒ぐだけしか出来ないというのは、斎藤さんの押さえ込みは相当なものなのだろう。


「反省しましたか? 坊ちゃんの専任と旦那様の専任を交換してくれますか?」


すっげぇ楽しそうだよ斎藤さん。


「いやぁぁ! あんなじいさんいやぁぁぁぁっ!」


二人ともやめたげて、じいさんが、じいさんが!


「全く…………少しは素直にやったらどうですか? 坊ちゃんは確かにまだ子供ですが、いずれは―――」


「そんなのわかってる! 正太郎は素敵な男性になるもん、でも、私がこうやって厳しくしなきゃ………私も、甘えたいし、甘やかしたいけどダメなの!」


ようやく解放されたあお姉ちゃんは、斎藤さんにつかみ掛かる。


「飴と鞭、ですよ」


斎藤さんが快活に笑った。キャラじゃないくらい清々しく、そして気味が悪いくらい笑った。


結局あお姉ちゃんは背中しか見えないから表情は窺い知れない。想像も、あんまり出来そうにない。


「部屋の隅で泣いているジジイも最初は酷いものだったらしいですよ。私の母さんによれば」


と斎藤さん。つまり、斎藤さんのお母さんは斎藤さんの先任にだったわけか。


というかいい加減にしてください。部屋の隅にいたじいさんが、俺の袖で涙を拭ってるんだよ。すっげぇウザいし、このワイシャツは後で新しいのにかえてもらおう斎藤さんに。










「あのー、すんませーん……………葵ちゃーん?」


駄目だ。もう完璧に反応してくんない。


あの後車で家まで送ってもらって、あお姉ちゃんは真っ直ぐ部屋の中に向かって、そのまま鍵を閉めて出て来なくなってしまった。


この家に来て住むことになったばかりのあお姉ちゃんに部屋がある筈もない。今、あお姉ちゃんが引きこもってる部屋は紗羅ちゃんの部屋だが。


とりあえず拉致があかないので、俺は一階に降りた。今更かもしれないが、この家は二階建て一軒家、俺の部屋と紗羅ちゃんの部屋は二階、後二つ部屋があるが、使ってない物置と化している。父さんがいた頃から住んでる家、元から三人で住むにも大きな家だったから部屋は余っている。片してあお姉ちゃんの部屋を用意してあげなきゃな。


「ただいま帰りました」


「紗羅ちゃん。そういや―――」


「ごめんなさい! 私、またしょう君や愛さんに迷惑かけちゃいました……………でも、私は同情とかでしょう君に好きになってもらうわけじゃありません。私の力、魅力で貴方をメロメロにします」


……………驚いた。素直に驚いた。


玄関を通り掛かったら紗羅ちゃんが帰ってきたところに出くわしただけだったが、今の宣言をした紗羅ちゃんはとても……………綺麗だった。格好よかった。


「あはは、お手柔らかに頼むよ」


なんて返したらいいか分からない俺は、よく考えないで答えていた。


「はい、じっくりじわじわ追い詰めちゃいます」


目を少し細めて笑う紗羅ちゃん、なんだか眼光が猛禽類を思い出させた。










「さて、今日は奥様は帰れないそうですからね。凹みきって部屋から出て来ないジジイから解放された斎藤が晩御飯を……………いえ、デザートを……………お嬢さん、最近やるようになりましたね」



斎藤さん登場の理由は斎藤さんが全部言ってくれたので、聞き直す必要もない。斎藤さんが現れて早々凹んでるのは、紗羅ちゃんが夕食からデザートまで用意してるからだった。もちろん、俺も手伝っている。包丁と火を使わない事は俺の出番だぜ………………あれ?調理には一切いらない人じゃね?俺の存在皿運びじゃね?


「斎藤さんは、二階でいじけてるメイドを呼び出してきてください。聞けば斎藤さんが原因だそうじゃないですか、本当は、本気で、心底、斎藤さんが来なければ、しょう君と二人きりが完成してご飯を食べさせあいっこなんて夢のような時間が出来たんですけどね。斎藤さんが来てしまったんで、呼んできてください。別に、呼び出すのに私達が食事を終了してしまうくらい時間が掛かってもいいですよ?」


こんな長い言葉をよく噛みもせずに言えるな紗羅ちゃんは。そして、あお姉ちゃんに対してだとすんごく厳しいな。やっべ、共同生活に早速暗雲が。


「ふむ、この斎藤、坊ちゃんがご飯を食べる顔がお気に入りです。無邪気無垢な感じが好きです。だから、それには従えません」


となんだか今日は攻撃的な斎藤さん。


「それは同意せざるおえませんね。なら、食事を始めましょうか」


と紗羅ちゃん。


「って! なに紗羅ちゃんはあお姉ちゃん無視しようとしてるんだよ!?」


「あう、ばれました…………」


「冗談でも、あんましよくないよそういうの。俺は嫌いだな」


そう言って俺は二階を目指す。


階段を上がる。そこで気付いた。部屋が開いている。ドアが開きっぱなしになっている。慌てて俺は中を確認するが、そこにあお姉ちゃんはいない。態態隠れる真似もしないだろうから、外に行ったのか。


「しょう君! しょう君! しょう君しょう君しょう君……………ごめんなさい、私、ごめんなさい…………」


部屋の中に気を取られて、俺は部屋の中に倒れ込むように紗羅ちゃんに押し倒された。


正面から倒れたので手はつけたし、受け身っぽい事も出来たが、紗羅ちゃんが背中にしがみついて動けなかった。


「私、私…………もう言いません。冗談も、嘘も、しょう君嫌がる事も………だから!」


「紗羅ちゃん!」


無理矢理起き上がる。背中にしがみついていた紗羅ちゃんは当然振りほどかれて床に倒れた。俺はその肩を掴んで泣いてる紗羅ちゃんを見据える。


「仲良くしようよ。俺も君も、母さんにあお姉ちゃん、じいさんに斎藤さん、皆家族で、皆味方だろ? あお姉ちゃん、きっと君に拒絶されるの気にしてたんだよ」


「………………優……い…………方は……で……」


なにかを呟く紗羅ちゃん、こんな距離なのに全く聞こえない。


「昔言われたんです………昨日も、私の事も好きだって葵さんに…………でも、本当に私なんかを」


「なんかじゃない…………なんかじゃ」


その時、俺と紗羅ちゃんの横にノートが落ちてきた。


「その開いてるページ読んであげてください。斎藤が出来るのは、それと外で車の手配だけです」


紗羅ちゃんと顔を再度見合わせ、明かりをつけてそれを読む。あお姉ちゃんの日記であることはすぐに分かった。


『斎藤さんから紗羅の事を聞かされた時はショックだった。今まで知らずに過ごしてきた自分に腹が立った。今すぐ行って抱きしめてあげたい。今すぐ行って一緒に泣いてあげたい。でも、それすらも出来ないくらい紗羅は不安定らしい。少しだけ様子を映したビデオを見せて貰ったが、見てられなかった。痩せて、目も虚ろで、可哀相、なんて酷い事を、私は許せない。中城も日向も、皆許せない。あの二人は、二人だけは私が守ってあげなきゃ、力をつけて、私が絶対に』


見開きの左側は読み終わった。そして右。


『紗羅は回復にあるらしい、良かった。正太郎に会いたがっている紗羅、正太郎を好きでいる紗羅、お姉ちゃんとして二人の恋を応援したい。紗羅と正太郎が二人で歩いている未来にお姉ちゃんもいれたらな』


「それは斎藤が用意したコピーノートです。坊ちゃん達に見せるページを用意したから時間軸バラバラですが、葵への脅しにはなるでしょう。それは坊ちゃんに差し上げます」


あまりに楽しそうな冷たい笑顔の斎藤さんだった。


「……………謝りたい。しょう君私謝りたいです!」


よし!決まったな。










斎藤さんの車で来たのはまた馬鹿でかい敷地。じいさんの屋敷以上に敷地はデカイが、中はいくつも建物が立ってる。巨大な門を越えた先の此処は?


「メイド養成所ってどこですかね。ここで日向の血筋に仕える人間を用意する場です。私も此処出身ですよ」


そして車は一つの施設の前に停まる。


「どうぞ。ここが寮です。きっとここに戻ってるでしょう。そして、荷物纏めて…………どうなるやら、ここには戻れないでしょうし」


ドアを開けてもらって俺は車外に出る。


「戻れないんですか?」


「ええ、どんな内容でも理由でも、ここに戻るって事は御主人様の要望に対応出来なかった出来損ないですから。処分されるんです」


………………なんだよ、それ。なんか腹立つ。



「さて、坊ちゃん。斎藤はここから中立です、そして、出来損ないを自ら回収させるのはメイドとして推奨しません。ですから、進めば敵、帰れば味方です斎藤は」


嫌だ。もう嫌だ。腹立つ。許さない。この仕組みも、今の状況も、腹立つ。


「斎藤さん。俺は斎藤さん好きです。家族だと思ってます。だから、斎藤さんが敵になるなんて事は有り得ない」


「しょう君、カッコイイです…………」


俺は進む。あお姉ちゃんにもっかい会って話をしなきゃ。なんで家から急に出てっちゃったのか。










「………………え?」


なんで俺は急にこんな状況に?


「ここは聖域です。日向の名を持っていても簡単には入ることを許してません」


俺はドア開けた瞬間に誰かに左腕を捻りあげられて、首にナイフを当てられている。


ドア開けた時に見えたのはメイド服だけ、後は何が起こったか、速過ぎてなにがなんだか。ナイフは態と見せられたし。


「あの、あお姉ちゃ―――葵は戻ってますか?」


「ああ、あの出来損ないの主でしたか。アレなら荷物整理してますよ泣きながらね」


「っ!? どこですか? 会わせて下さい!」


泣いている?またかよ!また泣かせてるのか、また何も俺は気づかずに。


「だから、聞いてますか? 貴方はここには入れないんです。ああ、血筋を考えたら余計に入れませんね」


………………………………


「いい加減にしろ! 俺は家族に、姉ちゃんに、会うだけだ! さっきから出来損ないだの血筋だの、頭悪い事言いやがって!」


アドレナリンか、血が煮え繰り返ってるからか痛みなんか感じない。首につけられたナイフを握る。ジンジンするだけで痛みなんか。


振り向く、肩がおかしな感じがするが振りかえってやる。


「やめなさい! 腕がどうなっても!」



「なんだよ。俺は、家族に泣いて欲しくねぇんだよ! 後な! 二度と俺の家族を出来損ないなんて言うな! 次は許さない!」


振り返った先には眼鏡美人さん。なんか声よりずっと可愛くて驚いた。それにぎりぎりで腕を放してくれたし。


「は、はい! 申し訳ありません…………」


「ふふふ、鈴蘭ともあろう人がまさか坊ちゃんに屈服させられるとは」


と斎藤さんが笑う。紗羅ちゃんもしっかり斎藤さんに押さえられてる。


「くっ、斎藤。私は、ただ…………………」


「あ、えっと、鈴蘭さん? あお姉ちゃんは?」


「え? えっと葵なら……………そこに」


指差された先を振り返れば、あお姉ちゃんが立っていた。やっぱり泣いているし、後寝る時に必ずないと寝れないと昔言っていた大きなウサギのぬいぐるみ、名前はチャッピーを抱えている。


「なんで来たのよ…………私はただこの子を取りに来ただけなのに…………情けない姿、あんまり見せたくなかったのに……………」


…………………え?



やべ、急に手が痛くなってきた。


「えっと…………家から出て行ったんじゃ…………?」


「なんでよ。私、まだ貴方を立派な男性にしてない」


「えっと…………俺が勝手に熱くなってただけ?」


「ええ、だから斎藤は帰るように言ったのに。面白かったからいいですけどね」


………………俺は泣いた。










「その、失礼な言動に手の傷や腕、本当に申し訳ありません!」


と鈴蘭さんに頭を下げられた。


「いや、良いんです。俺の勘違いだし、それだけ鈴蘭さんが本気で此処を守ってるって事でしょ?」


聞けば、鈴蘭さんはメイド養成所のメイド長らしい。ここのメイドさん達を一番大事にしてるそうだ。


「はい、そう言って頂けると。正太郎様、これは私の番号です。困った時にお使い下さい。鈴蘭が力を貸しますから」


と可愛いメモ用紙を頂いた。


「ありがとうございます。手当も、本当に迷惑かけました」


頭を下げて俺は車に向かう。鈴蘭さんはいつまでも笑顔で手を振っていた。










「応援するけど、紗羅、貴方も素敵な女性するんですからね。覚悟しなさい」


すっかりお姉さんを取り戻したあお姉ちゃん。紗羅ちゃんと二人で俺はそんなあお姉ちゃんを優しい目で見ている。


「な、なによ。ビシバシいくんだから覚悟しなさいよ。後、大好きよ二人とも」


これがあお姉ちゃんの飴と鞭らしい。なんか笑える。


家族。うん、やっぱこれが今の俺達の関係を表すのにピッタリな言葉だ。

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