「駆けつけた」と仰いますが、王都からここまでは馬で二日でございます
王都から辺境まで、早馬で二日。
「すぐ駆けつけた」を旅程表で検算する、1話きりの話。
「あのときは、すぐに駆けつけた」
オイゲン様がそう仰いましたので、わたくしは旅程表の余白に、その言葉を書き取りました。
旅程表というのは、宿場ごとの所要と、替え馬の置き場と、その値を書いた紙でございます。辺境の領には必ずございます。早馬を出すときに、これがないと手配ができませんので。
うちの旅程表は、祖父の代からのものを書き継いでおります。峠道が付け替わるたびに、所要の欄を直します。直すときは古い数を消しません。横に線を引いて、新しい数を下へ足します。去年の冬にどれだけかかったかを知りたいことが、たびたびございますので。
わたくしは十六のときから、この表の書き継ぎをしております。父が右手を痛めてからでございます。父は左手でも書けますが、数字だけは読み違えると人が死にますので、わたくしが書くことになりました。
「何を書いている」
「いま仰ったことでございます」
「……なぜ」
「あとで確かめますので」
オイゲン様は、少し笑われました。冗談だと思われたのでございましょう。
「ヘートヴィヒ、君は昔からそうだ。何でも紙にする」
「はい」
「だが今日は、その、真面目な話をしに来た。婚約のことだ」
「伺っております」
わたくしは頷きました。二月ほど前から、そういうお話になっているのは存じております。この辺境まで嫁ぐのは難しい、というのが、あちらのお家のお考えでございます。
「僕は、君を軽んじたことは一度もない。父上が倒れられたときも、すぐに駆けつけた。覚えているだろう」
「はい。覚えております」
わたくしは、旅程表を卓に置きました。
「ですので、それを確かめさせてください」
「確かめる、とは」
「王都からここまで、どのくらいかかるかでございます」
わたくしは指で表をなぞりました。
「早馬でございますと、二日でございます。宿場は四つ。替え馬は三度。ヴィンケル、ローゼン坂、ハルテ、それからうちの手前のエーベルンでございます。替え馬代は三度で銀貨十一枚。急ぎのときは領が立て替えます」
「……ああ」
「普通の馬車でございますと、六日でございます。夜は宿に入りますので。荷を積んでおりますと八日でございます」
わたくしは、表の下の欄をお見せしました。ここには実際に来た方の名と、着いた日が書いてございます。早馬を出したときに、誰がいつ着いたかを控えておかないと、次の手配ができませんので。
「父が倒れましたのは、四月の二日でございます。知らせの早馬を出しましたのが、その日の夕方。王都に着きましたのが、四月四日でございます」
「そうだ、四日に聞いた」
「オイゲン様がこちらにお着きになりましたのは、四月十三日でございます」
部屋が、少し暗くなりました。日が雲に入ったのでございます。
「十一日でございます。四月二日から数えて十一日。知らせをお聞きになってからでも、九日でございます」
「……いや、待ってくれ。支度がある」
「はい」
「王都を離れるには、父上の許しも要る。馬車も出さねばならない」
「はい。ですから、馬車で六日でございます」
わたくしは表を指しました。
「六日でお発ちになったとして、着くのは十日でございます。実際は十三日でございました。三日ぶん、どこかで止まっていらっしゃいます。エーベルンの宿は、四月十一日に伯爵家の馬車を一泊お泊めしております。宿帳がございます」
オイゲン様は、何も仰いませんでした。
「わたくしは、遅いと申し上げているのではございません」
わたくしは、そう申し上げました。本当でございます。
父が倒れましたのは、朝の見回りの途中でございました。北の水路の堰のところで、供の者の腕の中へ倒れたと聞いております。運び込まれたときには口がきけませんでした。
あの十一日のことは、あまり覚えておりません。覚えているのは、湯を沸かしていたことと、村の女衆が代わる代わる来てくださったことと、それから、門のほうを何度も見たことでございます。門を見ても誰も来ないとわかっておりましたのに、見てしまうのでございます。
あれは待っていたのではございません。待つのは、来る見込みのあるときにすることでございます。わたくしは表を持っておりましたから、いつ着くかは初日に計算しておりました。ただ、体が門を見るのでございます。
「王都から辺境へ来るのは大ごとでございます。それは存じております。ただ、すぐ、というのは二日のことでございますので、十一日を『すぐ』と仰ると、旅程表と食い違います。それだけでございます」
◆
旅程表の下に、もう一枚挟んでございました。
替え馬代の控えでございます。
銀貨十一枚。四月四日から五日にかけて、ヴィンケル、ローゼン坂、ハルテ。名前の欄には、ヨスト、とございます。
父の元従者でございます。三年前にお暇をいただいて、王都で馬具屋に入っております。
「この方は、四月四日の朝に王都で知らせを聞いて、その日のうちに発ちました。着いたのは六日の昼でございます」
「……二日、か」
「はい。二日でございます」
わたくしは控えを裏返しました。裏には、替え馬代を領が立て替えた記録がございません。
「ご自分でお払いになりました。返すと申しましたら、いいと仰いました」
オイゲン様は、控えをじっと見ておられました。
「彼は、父の枕元で一晩おりまして、翌朝には王都へ戻りました。店を空けられないと仰って」
「……ヘートヴィヒ」
「はい」
「僕は、君に何と言えばいい」
「何も仰らなくてよろしゅうございます」
わたくしは、旅程表を畳みました。
「距離は、どなたにも同じでございます。二日は、どなたが走っても二日でございます。ですから、この紙で誰かを責めることはできません。書いてあるのは、道のりだけでございますので」
オイゲン様は、控えを卓へ戻されました。戻す手つきが丁寧でございましたので、この方は悪い方ではないのだと、あらためて思いました。悪い方ではないというのは、褒め言葉として申し上げているのではございません。
わたくしは旅程表を壁の釘へ掛け直しました。帳場の、戸口から見える高さでございます。ここに掛けておかないと、早馬を出すときに探すことになります。探しているあいだにも、道のりは縮みません。
掛けたあとで、替え馬代の控えをもう一度見ました。銀貨十一枚。裏の、領が立て替えた記録のない欄でございます。
あの空欄は、埋めるべきものでございました。四月の六日から今日まで、わたくしは埋めておりません。埋めていない理由は、旅程表には書いてございません。
二日は、誰が走っても二日です。
距離だけは平等だ、というところに落としたかったのでした。
この「霜月りつ」名義では、声を荒げずに、記録だけで答える人たちの話を書いております。どれも一話で終わります。
・診断書に書かれていない一行を読んだ話 『妹君の診断書に、安静を要すとはどこにも書かれておりません』
https://ncode.syosetu.com/n3152mo/
・持参金の返還額を関税表どおりに計算した話 『持参金はお返しに及びません。関税表どおりに計算いたしますので』
https://ncode.syosetu.com/n3137mo/
・十年ぶんの働きを見積書にした話 『真実の愛に賛成いたします。こちらが十年分の見積書でございます』
https://ncode.syosetu.com/n3188mo/
・言い訳の日付を通行簿で確かめた話 『「急な仕事」と仰った日、街道は雪で閉じておりました』
https://ncode.syosetu.com/n3120mo/
・断罪の場で三年ぶんの議事録を読み上げた話 『断罪の前に、議事録を三年分だけ読み上げてもよろしいですか』
https://ncode.syosetu.com/n3145mo/
・三年ぶんの炭の数で答えた話 『わたくしが何もしていないと仰るなら、この屋敷の炭は誰が数えたのでしょう』
https://ncode.syosetu.com/n3130mo/
・呼ばれ方が変わった日を数えていた話 『あなたがわたくしを「おい」と呼び始めた日を、全部書き留めております』
https://ncode.syosetu.com/n3127mo/




