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「駆けつけた」と仰いますが、王都からここまでは馬で二日でございます

作者: 霜月りつ
掲載日:2026/08/04

王都から辺境まで、早馬で二日。

「すぐ駆けつけた」を旅程表で検算する、1話きりの話。

「あのときは、すぐに駆けつけた」


 オイゲン様がそう仰いましたので、わたくしは旅程表の余白に、その言葉を書き取りました。


 旅程表というのは、宿場ごとの所要と、替え馬の置き場と、その値を書いた紙でございます。辺境の領には必ずございます。早馬を出すときに、これがないと手配ができませんので。


 うちの旅程表は、祖父の代からのものを書き継いでおります。峠道が付け替わるたびに、所要の欄を直します。直すときは古い数を消しません。横に線を引いて、新しい数を下へ足します。去年の冬にどれだけかかったかを知りたいことが、たびたびございますので。


 わたくしは十六のときから、この表の書き継ぎをしております。父が右手を痛めてからでございます。父は左手でも書けますが、数字だけは読み違えると人が死にますので、わたくしが書くことになりました。


「何を書いている」


「いま仰ったことでございます」


「……なぜ」


「あとで確かめますので」


 オイゲン様は、少し笑われました。冗談だと思われたのでございましょう。


「ヘートヴィヒ、君は昔からそうだ。何でも紙にする」


「はい」


「だが今日は、その、真面目な話をしに来た。婚約のことだ」


「伺っております」


 わたくしは頷きました。二月ほど前から、そういうお話になっているのは存じております。この辺境まで嫁ぐのは難しい、というのが、あちらのお家のお考えでございます。


「僕は、君を軽んじたことは一度もない。父上が倒れられたときも、すぐに駆けつけた。覚えているだろう」


「はい。覚えております」


 わたくしは、旅程表を卓に置きました。


「ですので、それを確かめさせてください」


「確かめる、とは」


「王都からここまで、どのくらいかかるかでございます」


 わたくしは指で表をなぞりました。


「早馬でございますと、二日でございます。宿場は四つ。替え馬は三度。ヴィンケル、ローゼン坂、ハルテ、それからうちの手前のエーベルンでございます。替え馬代は三度で銀貨十一枚。急ぎのときは領が立て替えます」


「……ああ」


「普通の馬車でございますと、六日でございます。夜は宿に入りますので。荷を積んでおりますと八日でございます」


 わたくしは、表の下の欄をお見せしました。ここには実際に来た方の名と、着いた日が書いてございます。早馬を出したときに、誰がいつ着いたかを控えておかないと、次の手配ができませんので。


「父が倒れましたのは、四月の二日でございます。知らせの早馬を出しましたのが、その日の夕方。王都に着きましたのが、四月四日でございます」


「そうだ、四日に聞いた」


「オイゲン様がこちらにお着きになりましたのは、四月十三日でございます」


 部屋が、少し暗くなりました。日が雲に入ったのでございます。


「十一日でございます。四月二日から数えて十一日。知らせをお聞きになってからでも、九日でございます」


「……いや、待ってくれ。支度がある」


「はい」


「王都を離れるには、父上の許しも要る。馬車も出さねばならない」


「はい。ですから、馬車で六日でございます」


 わたくしは表を指しました。


「六日でお発ちになったとして、着くのは十日でございます。実際は十三日でございました。三日ぶん、どこかで止まっていらっしゃいます。エーベルンの宿は、四月十一日に伯爵家の馬車を一泊お泊めしております。宿帳がございます」


 オイゲン様は、何も仰いませんでした。


「わたくしは、遅いと申し上げているのではございません」


 わたくしは、そう申し上げました。本当でございます。


 父が倒れましたのは、朝の見回りの途中でございました。北の水路の堰のところで、供の者の腕の中へ倒れたと聞いております。運び込まれたときには口がきけませんでした。


 あの十一日のことは、あまり覚えておりません。覚えているのは、湯を沸かしていたことと、村の女衆が代わる代わる来てくださったことと、それから、門のほうを何度も見たことでございます。門を見ても誰も来ないとわかっておりましたのに、見てしまうのでございます。


 あれは待っていたのではございません。待つのは、来る見込みのあるときにすることでございます。わたくしは表を持っておりましたから、いつ着くかは初日に計算しておりました。ただ、体が門を見るのでございます。


「王都から辺境へ来るのは大ごとでございます。それは存じております。ただ、すぐ、というのは二日のことでございますので、十一日を『すぐ』と仰ると、旅程表と食い違います。それだけでございます」


    ◆


 旅程表の下に、もう一枚挟んでございました。


 替え馬代の控えでございます。


 銀貨十一枚。四月四日から五日にかけて、ヴィンケル、ローゼン坂、ハルテ。名前の欄には、ヨスト、とございます。


 父の元従者でございます。三年前にお暇をいただいて、王都で馬具屋に入っております。


「この方は、四月四日の朝に王都で知らせを聞いて、その日のうちに発ちました。着いたのは六日の昼でございます」


「……二日、か」


「はい。二日でございます」


 わたくしは控えを裏返しました。裏には、替え馬代を領が立て替えた記録がございません。


「ご自分でお払いになりました。返すと申しましたら、いいと仰いました」


 オイゲン様は、控えをじっと見ておられました。


「彼は、父の枕元で一晩おりまして、翌朝には王都へ戻りました。店を空けられないと仰って」


「……ヘートヴィヒ」


「はい」


「僕は、君に何と言えばいい」


「何も仰らなくてよろしゅうございます」


 わたくしは、旅程表を畳みました。


「距離は、どなたにも同じでございます。二日は、どなたが走っても二日でございます。ですから、この紙で誰かを責めることはできません。書いてあるのは、道のりだけでございますので」


 オイゲン様は、控えを卓へ戻されました。戻す手つきが丁寧でございましたので、この方は悪い方ではないのだと、あらためて思いました。悪い方ではないというのは、褒め言葉として申し上げているのではございません。


 わたくしは旅程表を壁の釘へ掛け直しました。帳場の、戸口から見える高さでございます。ここに掛けておかないと、早馬を出すときに探すことになります。探しているあいだにも、道のりは縮みません。


 掛けたあとで、替え馬代の控えをもう一度見ました。銀貨十一枚。裏の、領が立て替えた記録のない欄でございます。


 あの空欄は、埋めるべきものでございました。四月の六日から今日まで、わたくしは埋めておりません。埋めていない理由は、旅程表には書いてございません。

二日は、誰が走っても二日です。

距離だけは平等だ、というところに落としたかったのでした。


この「霜月りつ」名義では、声を荒げずに、記録だけで答える人たちの話を書いております。どれも一話で終わります。


・診断書に書かれていない一行を読んだ話 『妹君の診断書に、安静を要すとはどこにも書かれておりません』

 https://ncode.syosetu.com/n3152mo/

・持参金の返還額を関税表どおりに計算した話 『持参金はお返しに及びません。関税表どおりに計算いたしますので』

 https://ncode.syosetu.com/n3137mo/

・十年ぶんの働きを見積書にした話 『真実の愛に賛成いたします。こちらが十年分の見積書でございます』

 https://ncode.syosetu.com/n3188mo/

・言い訳の日付を通行簿で確かめた話 『「急な仕事」と仰った日、街道は雪で閉じておりました』

 https://ncode.syosetu.com/n3120mo/

・断罪の場で三年ぶんの議事録を読み上げた話 『断罪の前に、議事録を三年分だけ読み上げてもよろしいですか』

 https://ncode.syosetu.com/n3145mo/

・三年ぶんの炭の数で答えた話 『わたくしが何もしていないと仰るなら、この屋敷の炭は誰が数えたのでしょう』

 https://ncode.syosetu.com/n3130mo/

・呼ばれ方が変わった日を数えていた話 『あなたがわたくしを「おい」と呼び始めた日を、全部書き留めております』

 https://ncode.syosetu.com/n3127mo/


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