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クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

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第77話 森で見つけた果実で魔王のケーキ屋さんの問題を解決してみた件


 翌朝、魔王のケーキ屋には、休み最終日らしい静かな空気が流れていた。


 店の扉は開いているが、客を迎えるためではない。明日の営業に向けて、仕込みと片付けを進めるための朝だった。窓から差し込む光はまだ柔らかく、木の床の上に細長い影を落としている。昨日焼いたスポンジの甘い匂いに、温めたバターの香りが重なり、店の奥では金属の器具が触れ合う小さな音が規則正しく続いていた。


 ユウトたちが店に入ると、魔王は作業台の向こうから顔を上げた。


「おう、早いな」


「おはようございます」


 ユウトが頭を下げると、レイナも続いて声を揃える。


「おはようございます」


 マリナは店内を見回し、小さく息を吐いた。


「営業していない日の店って、やっぱり少し雰囲気が違いますね」


「そらそうや」


 魔王は笑いながら、手元の布で指先を拭う。


「今日は売る日やなくて、明日に備える日やからな」


 その言葉どおり、店の中には慌ただしさよりも準備の気配があった。副官は帳面を開いて材料を書き留めており、ガルドとダインは邪魔にならない場所に立ちながら、何か手伝えることがあれば動けるように周囲を見ている。


 だが、その中で一人だけ、どうにも落ち着かない様子の者がいた。


 ユウトだ。


 レイナがすぐにそれを見つけて、くすりと笑った。


「ユウトくん、朝からそわそわしすぎです」


「そんなに分かる?」


「分かります。昨日からずっと同じ顔してます」


 マリナもその横で柔らかく笑う。


「黒崎くん、もう頭の中では出来上がってるんでしょう?」


 ユウトは少し照れたように頭を掻いたが、否定はしなかった。


 昨日、森で見つけた果実のことが気になって仕方がないのだ。無限収納の中にしまってある以上、摘んだ瞬間の状態はそのまま保たれている。香りも、水分も、鮮度も、何一つ変わらない。その性質を考えれば、朝一番で魔王に見せるのが一番早かった。


 魔王も、そんなユウトの様子を見てすぐに察したらしい。


「ほな、さっさと出せや」


 ユウトはすぐに姿勢を正した。


「はい」


 意識を手元へ集める。空間がわずかに揺れ、次の瞬間、小ぶりの赤い果実がユウトの手の中に現れた。


 朝の光を受けたその果実は、りんごによく似ている。だが、少しだけ丸みが強く、表面の赤も深い。皮の張りは失われておらず、軽く指先で押した時の弾力も昨日のままだった。


 魔王が興味深そうに目を細める。


「ふむ」


 果実を受け取り、重さを確かめるように指先で転がす。それから鼻先へ寄せ、香りを吸い込んだ。


 レイナが身を乗り出す。


「どうですか?」


「まだ何も言うてへんやろ」


 魔王はそう言いながらも、口元には少し笑みが浮かんでいた。


 ユウトは果実を見つめたまま言う。


「師匠、これでパイを作れないでしょうか」


 その一言で、店の空気がすっと変わった。


 副官が帳面から目を上げ、ガルドが腕を組み直し、ダインも静かに視線を向ける。マリナはユウトの顔を見て、それから果実へ視線を落とした。


「パイ?」


 レイナが最初に反応した。


「ケーキじゃなくてですか?」


「はい」


 ユウトは頷く。


「この果実、水分が少ないんです。香りは強いですけど、果肉が締まっていて、酸味もある。そのまま食べるには少し尖ってますけど、加熱すればちょうどよくなると思います」


 言いながら、自分の中にある考えを確かめるように言葉を積み重ねる。


「それに、今の店って持ち帰りの商品がないじゃないですか」


「ないな」


 魔王はあっさり頷いた。


 ユウトは続ける。


「この世界だと冷蔵設備が一般的じゃないから、生菓子が持ち帰りに向かないのは分かります。でも、焼き菓子なら話が変わると思うんです」


 魔王は果実を作業台の上へ置いた。腕を組み、そのまま少しだけ天井を見上げるようにして息を吐く。


「まあ、そこはそうやな」


 店の中に漂う甘い匂いとは別に、少しだけ現実的な空気が混ざる。


「例えば仕事帰りに買うやろ。そこから真っすぐ家に帰るとは限らん。途中で酒場に寄るかもしれんし、用事が出来て遅くなるかもしれん。帰った頃には子どもが寝とることもある。ほな翌朝食うかいうても、朝から甘いもん嫌がる母親は多い」


 ガルドが低い声で補足する。


「結局、次の間食か、晩飯の後になる」


「せや」


 魔王は頷いた。


「そうなると、丸一日以上常温で置かれる可能性が高い。生クリームも果物も使ううちのケーキを、そういう前提で売るんは危ない。味も落ちるし、安全面もある。せやから持ち帰りはやっとらん」


 マリナが静かに頷いた。


「売らない理由があるのね」


「店として当たり前の判断や」


 魔王はそう言ってから、再び果実に目を落とした。


 ユウトはその視線を見ながら、胸の奥で確信がさらに強くなるのを感じていた。


 問題は分かっている。


 だからこそ、答えの形もはっきり見えていた。


「でも、これならいけると思います」


 ユウトの声は自然と強くなる。


「この果実、りんごに似てますけど、街で使われていないのは多分、酸味が強くて小ぶりだからです。そのままだと扱いにくい。でも焼けば香りは活きるし、水分が少ないから中身が緩みすぎない。パイなら、持ち帰り向きの商品になるはずです」


 しばらく、誰も口を挟まなかった。


 魔王がようやく小さく笑う。


「ええとこ見とるやん」


 その一言で、ユウトの背筋が少しだけ伸びた。


 認められた、というより、考えが通った手応えだった。


「口で言うとってもしゃあない」


 魔王が作業台の上を片づけ始める。


「作るで、ユウト」


「はい」


 ユウトはすぐに隣へ立った。


 果実を一つ手に取る。まず断面を見る必要がある。包丁を使ってもいいが、ユウトはいつものように指先へ意識を集めた。果実の表面へ軽く触れ、極めて薄い無限収納をその一点に展開する。


 刃物のように鋭く、だが抵抗感はない。果実は音もなく二つに分かれ、滑らかな断面を見せた。


 白に近い果肉はしっかり詰まっており、水がじわりと溢れる感じはない。むしろ切ったことで立ち上がる香りの方が印象に残る。


 レイナが小さく声を漏らした。


「やっぱり、そういう使い方すると便利ですね」


「便利やけど、雑にやったら全部終わるで」


 魔王が果実の断面を指先で軽く押しながら言う。


「薄く当てる場所がずれたら、形が崩れる。きれいに切れるんは、ちゃんと狙っとるからや」


 ユウトは頷く。


 そのまま薄く切り分けた一片を口に運んだ。酸味はやはり強い。だが鋭いだけではない。甘さが後ろに控えている。生で食べるには少し使いにくいが、熱を通せば変わる種類だ。


「鍋」


 魔王が短く言う。


「はい」


 刻む。鍋に入れる。砂糖を合わせる。


 火にかけた瞬間、まず立つのは生の果実の酸っぱい匂いだ。少しずつ熱が回るにつれ、その匂いが柔らかくなり、甘さを含んだ香りへ変わっていく。


「そこや」


 魔王が鍋の上に顔を寄せるユウトへ言う。


「今の変わり目、覚えとけ」


 ユウトは返事をする代わりに小さく頷いた。鼻に抜ける匂いを、そのまま頭へ刻み込む。


 果肉の崩れ方も見る。煮崩れすぎれば中身が流れる。かといって火を止めるのが早ければ、パイの中で味がばらける。


 魔王はその境目を、ほとんど感覚で見ている。ユウトは完全鑑定を重ね、その感覚を追いかける。


「砂糖はもうそれ以上いらん」


「はい」


「火は落とすな。そのまま」


「はい」


 言葉は短い。だが、その短さで十分なくらい動きが噛み合っていた。


 生地も同時に進む。


 魔王が生地を伸ばし、ユウトが果実の量を見て詰める。包み方、重ね方、切れ目の入れ方、どれも一つ一つに意味がある。持ち帰る以上、味だけでなく崩れにくさや扱いやすさも必要になる。


 マリナがその様子をじっと見ていた。


「黒崎くん、完全に職人の顔してるわね」


 レイナが笑う。


「先生、それ昨日も言ってませんでした?」


「昨日よりさらに、よ」


 その声には冗談半分だけではない温かさがあった。


 やがて、一つ目のパイが焼き上がる。


 オーブンの扉が開いた瞬間、店の中に香ばしい匂いがふわりと広がった。焼けた生地の匂い、その奥から立つ甘酸っぱい果実の香り。生の状態では尖っていた果実が、完全に別の顔になっている。


 レイナが思わず両手を胸の前で合わせた。


「うわ、これは強いですね」


 マリナも目を細める。


「見た目からして惹かれるわ」


 焼き上がったばかりの熱はまだ強い。魔王は少しだけ休ませてから、一切れを切り分けた。


 断面はきれいだった。層は潰れていない。果実は煮崩れすぎず、生地を湿らせすぎてもいない。


 魔王が一口食べる。


 その瞬間、視線が少しだけ止まった。完全鑑定が使われているのが分かる。


 ほんのわずかな沈黙。


 それから魔王は、ごく自然な声で言った。


「常温で十日は保つな」


 その言葉が落ちた瞬間、店の空気が一気に変わった。


 レイナが目を丸くする。


「十日?」


「この果実そのものの水分量が少ない。糖度もあるし、焼き菓子にした時の安定感がええ。味の落ち始めはその前に来るけど、商品としての品質は十日持つ。安全面も問題ない」


 ダインが短く言った。


「成立したな」


 ガルドも低く頷く。


「持ち帰り商品になる」


 マリナがユウトを見る。


 その目には驚きと、はっきりとした喜びがあった。


「黒崎くん」


「はい」


「すごいわ」


 ユウトは一瞬だけ言葉を失う。嬉しさはある。だがそれと同じくらい、次に考えるべきことも浮かんでいた。


「でも、安定して集められないと意味がないです」


 ユウトはすぐに続ける。


「昨日は森で見つけましたけど、あれが偶然なら商品には出来ません」


 ガルドが腕を組んだまま口を開く。


「ギルドに依頼を出せばいい」


 全員の視線がそちらへ向いた。


「危険度が低くて、採取場所がある程度分かっているなら、新人向けの依頼になる。量が必要ならなおさらだ。採取依頼として流せば回る」


 魔王がにやりと笑う。


「それやな」


 商売人の顔だった。


「最初の仕込み分はこっちで取る。場所も量も見とかなあかんし」


 ユウトも頷く。


「行きましょう」


 魔王は周囲を見回した。


「先生たちは今日はもう帰ってええで」


「どうせ今日はユウトと二人で徹夜やろうしな」


 レイナがすぐに反応する。


「もう徹夜確定なんですか」


「売るなら数がいるやろ」


 魔王は当然のように言った。


「数を出すなら今夜しかない」


 副官が帳面を閉じた。


「私も同行します」


「念のため、やな」


 魔王は軽く肩をすくめたが、止めはしない。


 マリナがユウトへ視線を向ける。


「黒崎くん」


「はい」


「無理しすぎないでね」


 ユウトは少しだけ笑った。


「はい」


 レイナが肩をすくめる。


「どう考えても無理する流れですけどね」


 それでもその声は明るい。


「明日、絶対見せてくださいね」


「任しとき」


 魔王はそう言ってから、すぐに空気を切り替えた。


「ほな行くで」


 その一声で、仕事が次の段階へ進む。


 森へ向かう道は昨日と同じだ。だが、昨日とは目的が違う。


 討伐ではない。採取だ。


 それだけで、同じ道でも見え方が少し変わる。風の匂いも、足元の土の感触も、昨日より穏やかに思えるのは気のせいではない。昨日は危険を探しながら歩いた。今日は成果を持ち帰るために歩いている。


 森へ入り、昨日の場所を起点に果実の群生を探る。完全鑑定を使えば、生体反応ではない形で点在する目当ての果実の位置が把握できる。木の根元、低木の陰、少し奥の斜面。思った以上に広い範囲へ散っていた。


「見えにくい場所にもあるな」


 魔王が周囲を見回しながら言う。


 ユウトは頷き、手際よく回収を始める。果実へ触れた瞬間に収納し、状態の良いものだけを選び、傷んだものは避ける。足場の悪い場所では副官が枝を払って進路を整え、その間に魔王が群生の傾向を見ていた。


「新人向けの依頼なら、この辺までで十分や」


 魔王が木々の位置を確かめながら言う。


「奥まで入らせる必要はない。量もこれなら回る」


 ユウトの無限収納は、こういう場面でこそ圧倒的だった。普通なら籠に詰めて何度も往復しなければならない量も、手を伸ばすだけで次々に収まっていく。採取の効率がまるで違う。


 十分な量を確保して店へ戻る頃には、街の空はもう夜に近かった。


 店の中は静かだ。だが、その静けさは長く続かない。


 魔王が収穫した果実の山を見下ろし、腕を軽く回した。


「こっからが本番や」


 ユウトも頷く。


「はい」


 それから先は、本当に止まる暇がなかった。


 果実を切る。煮る。冷ます。生地を作る。伸ばす。包む。並べる。焼く。焼き上がったものを冷まし、その間にまた次の分を仕込む。


 魔王とユウトの手が止まらない。


 会話は減る。だが、それは噛み合っていないからではなく、噛み合いすぎているからだった。


「それ、もうちょい薄く」


「はい」


「煮詰めすぎるな」


「はい」


「次の生地出せるか」


「出します」


 返事も動きも無駄がない。甘い匂いと焼き上がる香ばしさが店いっぱいに満ちていく。パイの山が少しずつ増え、冷ます棚が埋まっていくたびに、副官が無言で別の場所を空けてくれる。


 深夜を過ぎても、終わりは見えない。


 魔王が笑う。


「ええやん」


「顔が職人になっとるで」


 ユウトはへろへろのまま笑い返した。


「師匠の方こそ、まだ元気じゃないですか」


「アホ」


 魔王は果実を包みながら言う。


「元気なふりや」


 それでも手は止まらない。


 朝になる頃には、二人とも明らかに疲れ切っていた。肩は重く、腕も鈍い。それでも焼き上がったパイが並ぶ棚を見た時、その疲労の奥にある達成感は隠しようがなかった。


 営業日当日の朝。


 新しい商品が店頭に並ぶ。


 今までの魔王のケーキ屋にはなかった「持ち帰り」が、初めてそこに形になっていた。


 最初の客が足を止める。


「これ、持ち帰りできるのかい?」


 魔王が笑う。


「できるで」


 その一言が、まるで火のように広がった。


 持ち帰れる。仕事帰りに買える。家族に持って帰れる。その場で食べ切らなくても大丈夫。


 今まで存在しなかった選択肢が、客たちの顔を変えていく。


「子どもに持って帰れるな」


「夜まで保つんか」


「これはええ」


 反応は早かった。しかも味が強い。香ばしい生地と、甘さと酸味がきれいにまとまった果実は、単に保存が利くだけの商品ではなく、それ自体で十分に惹きがある。


 カウンターの向こうでは、ユウトと魔王が普通のケーキを作っている。


 徹夜明けで二人とも明らかにへろへろだった。目の下は重く、動きもいつもよりわずかに鈍い。それでも手だけは止まらない。


 魔王が苦笑する。


「死にそうや」


 ユウトも同じように笑った。


「でも、満足です」


 魔王はちらりと横を見る。


 店頭のパイが、また一つ客の手に渡っていくところだった。


「せやな」


 短い返事だった。


 だが、それで十分だった。


 昨日森で見つけた小さな果実は、休み最終日を一晩使って、魔王のケーキ屋の新しい顔になっていた。

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