第70話 いつの酒場に祝勝会に行ったら勇者くんたちが残念会をしてた件
夜の交易都市は昼とは違う顔を見せる。
石畳の通りには酒場の灯りが揺れ、扉の隙間から笑い声や楽器の音が漏れていた。焼いた肉の匂いと麦酒の香りが混ざり合い、夜の空気をゆるく酔わせている。
その中でも、ユウトたちがよく通う酒場は今夜も賑やかだった。
扉を開けると、暖かい空気とざわめきが一斉に流れ出す。
「おう、来たか」
常連の声が飛ぶ。
ユウトたちは笑いながら店内に入った。
今日は祝勝会だ。
ケーキ屋のプレオープンも無事成功し、修行も一区切りついた。さらに今日は、ちょっとした出来事もあった。
それを理由に、こうして酒場に集まったのである。
「今日は食うぞー!」
レイナが腕を上げる。
ガルドが苦笑する。
「お前はいつも食う気満々だな」
「いいじゃないですか。お祝いなんですから」
マリナが柔らかく笑った。
その横で、魔王が大きく伸びをする。
「いやぁ」
「仕事の後の酒はええなぁ」
副官が静かに横に立つ。
「魔王さま、まだ一滴も飲んでいません」
「気分や気分」
そんなやり取りをしながら席に向かおうとした時だった。
レイナがふと足を止めた。
「……あれ?」
店の奥の方を見ている。
ユウトもそちらを見る。
そこには、少し暗い雰囲気のテーブルがあった。
四人の若者が、どこか沈んだ顔で酒を飲んでいる。
見覚えのある顔だった。
「勇者くんたちだ」
レイナが小声で言う。
天城隼人。
白石美咲。
神崎剣也。
高橋蒼真。
異世界から召喚された勇者パーティである。
だが今夜の彼らは、普段の自信満々な雰囲気がない。
完全に――
残念会だった。
魔王がそれを見て小さく笑う。
「なんや」
「ずいぶん落ち込んどるな」
レイナが肩をすくめる。
「まあ」
「今日のアレ見たらね」
ガルドが腕を組む。
「無理もない」
ダインも短く言った。
「若い」
ユウトは少し困ったように頭を掻く。
「……どうしましょう」
マリナが優しく言った。
「放っておくのもかわいそうよ」
魔王は腕を組んで少し考えた。
そして、にやりと笑う。
「ほな」
「ちょっと慰めたるか」
レイナが笑う。
「絶対からかうやつ」
魔王は肩をすくめた。
「オッチャン優しいからなぁ」
副官が静かに言う。
「信用できません」
そのまま魔王は勇者たちのテーブルへ歩いていった。
勇者パーティは気づいて顔を上げる。
そして。
一瞬で固まった。
副官の姿が見えたからだ。
「げっ」
神崎が小さく声を漏らす。
天城が慌てて周囲を見る。
「ちょっと」
「ここ普通の店だよな?」
高橋が震えた声で言う。
「あのバケモノいるんだけど」
白石が真顔で頷く。
「絶対にいやです」
「もう二度と戦いたくありません」
四人はテーブルの端に集まって、小声で相談を始めた。
魔王はそれを見て、にこにこしている。
「大丈夫やで」
「そっちの怖いおばちゃんは今日は不参加やから」
副官が横で言う。
「参加しています」
魔王は笑う。
「今日は弟子に任せます」
勇者パーティの視線が、一斉にユウトへ向いた。
ユウトは少し困ったように笑った。
副官が「弟子に任せます」と言ったせいで、完全に注目が集まっている。
天城は戸惑い、神崎は警戒し、高橋は副官を気にし、白石は固まったままだ。
妙に気まずい沈黙が落ちた。
ユウトは頭を掻いた。
「……えっと、こんばんは」
ぎこちない挨拶だった。
天城も小さく頭を下げる。
「……あっうん、どうも」
レイナが小さく笑う。
「なんか変な空気ですね」
魔王が肩をすくめた。
「まあしゃーない」
その時、店主が酒瓶をテーブルへ置いた。
「なんだか知らないが祝勝会なんだろ」
自然な流れで酒杯が並ぶ。
とく、とく、と酒が注がれる。
レイナが固まった。
「……あ」
ガルドが小さく息を吐く。
「そうだったな」
ダインも短く言う。
「止めても無駄だ」
マリナが言った。
「黒崎くん」
「はい?」
「……一口だけよ」
レイナが即座に言う。
「それがダメなんですよ、先生」
ユウトは苦笑する。
「そんなにですか?」
常連たちは静かに見ていた。
ユウトは肩をすくめる。
「じゃあ一口だけ」
酒を口に運ぶ。
一口。
数秒。
そして――
ゆっくり顔を上げた。
視線がまっすぐマリナへ向く。
その瞬間、常連たちが小さく頷く。
来た。
ユウトの表情が変わる。
そして叫んだ。
「先生ぇぇぇ!」
突然、ユウトがマリナに抱きついた。
酒場の空気が一瞬止まる。
そしてすぐに、常連たちが笑い始めた。
「おっ」
「久しぶりだな」
カウンターの常連が楽しそうに振り返る。
「これだよこれ」
「安心するな」
ユウトはマリナの肩に顔を押し付けたまま、うっとりした声を出した。
「先生……」
「大好きです」
マリナの頬が一瞬で赤くなる。
「く、黒崎くん……!」
だがユウトは止まらない。
「愛してます」
酒場の笑い声が大きくなる。
魔王が腕を組んで頷いた。
「いやぁ」
「ほんま真っ直ぐな愛やな」
レイナが肩を震わせている。
「真っ直ぐすぎる」
ユウトはマリナを見上げ、真剣な顔で言った。
「先生」
「一生、俺の作ったケーキを食べてください」
魔王がすぐに突っ込む。
「先生の作ったケーキを食べたいとは言わんのやな」
レイナが吹き出した。
「そこ重要?」
ユウトは拳を握りしめた。
「愛とは強さです!」
酒場が静かになる。
ユウトは続けた。
「強さとは愛です!」
魔王が即座に言った。
「いや毒されとるやん」
副官が静かに頷く。
「正しい認識です」
ユウトはさらに真剣に言った。
「先生」
「先生のこと」
「ずっとかき混ぜたいです」
その瞬間。
酒場の空気が止まった。
マリナ
「えっ」
レイナ
「何その告白」
副官が冷静に言った。
「完全に毒されています」
ユウトはまったく気にしない。
「先生!」
「先生の愛があれば!」
「徹夜でも!」
「早起きでも!」
「休憩なしでも!」
「平気です!」
レイナが苦笑する。
「まあ最近お店忙しかったしね」
魔王が真顔で頷いた。
「……マジですまんかった」
その時だった。
ユウトがマリナの腹に顔を埋めた。
「先生」
「お腹引き締まってきましたね」
マリナが少し得意そうに言う。
「そうでしょ」
「副官さんにトレーニングメニュー作ってもらったの」
それを見ていた白石美咲が真顔で言った。
「先生」
「ふしだらです」
酒場がまた静まり返る。
高橋蒼真が小さく呟く。
「……いいなぁ」
マリナは慌てて首を振った。
「ち、違うの!」
「これは一種の介護なの!」
「看病なの!」
レイナが即座に突っ込む。
「言い訳苦しすぎ」
常連たちは大笑いしていた。
勇者パーティは――
完全に固まっている。
特に神崎は真っ赤になっていた。
その様子を見て、ユウトがゆっくりとそちらへ顔を向けた。
そして。
神崎を指差した。
「神崎」
神崎がびくっとする。
「な、なんだ」
ユウトは真剣な顔で言った。
「愛の前に」
酒場が静まり返る。
「性別なんか関係ない」
天城が机に突っ伏した。
高橋が顔を覆う。
白石が天井を見上げる。
それに構わずユウトが今度は勇者を指差した。
「天城」
「な、なんだよ」
「自分の愛を疑うな」
「何いってんだ、お前は!」
真っ赤になりながら天城がテーブルを叩いて抗議する。
「ち、違う」
真っ赤になった天城と神埼の視線が交差する。
「隼人、お前……」
「いや、剣也、そうじゃ……」
「……ないわけでもないような……」
「ハヤト……」
レイナが机を叩いて笑った。
「ちょっと待って」
「カップリング完成してるんだけど」
魔王が腕を組んで頷く。
「真の勇者ハヤト」
そして神崎を見る。
「愛の剣聖ケンヤやな」
副官が静かに言った。
「世の虐げられている同志を救うのでしょう」
高橋がぼそっと言った。
「……異世界でも更生してない」
「きっちり腐ってる」
レイナが肩をすくめる。
「まあご時世だから」
勇者パーティの空気は、完全に壊れていた。
⸻
勇者パーティのテーブルは、しばらく沈黙していた。
酒場のざわめきだけが、その場の空気を埋めている。
天城隼人がゆっくり顔を上げた。
「……いや」
「ちょっと待って」
神崎が真っ赤な顔のまま言う。
「待て待て待て」
「なんで俺がそういう役なんだ」
天城も思い出したかのように否定する。
「そ、そうだ。こんなのは気の迷いだ」
レイナが肩を震わせる。
「いやもう」
「流れが完璧すぎて」
魔王は腕を組んで頷いた。
「若いってええな」
そして勇者たちを見る。
「落ち込んどる場合ちゃうで」
赤面していた天城が魔王の言葉に苦笑する。
「いや……」
「落ち込みますよ」
赤面していた神崎も小さく頷いた。
「正直、かなり」
魔王は少し困ったように頭を掻いた。
「まあ」
「今日はしゃーない」
「相手が悪かった」
副官が静かに補足する。
「あなた方は弱くありません」
「相手が異常なだけです」
その一言で。
勇者パーティの視線が、ゆっくりユウトへ向いた。
ユウトは――
まだマリナに抱きついたままだった。
「先生」
幸せそうな声だった。
「いい匂いです」
マリナは少し困ったように笑う。
「黒崎くん」
「みんな見てるから」
「離れなさい」
それでもユウトは離れない。
ユウトがマリナの肩に顔を押し付けたまま言った。
「先生」
「俺今、最高に幸せです」
魔王が腕を組んで頷く。
「いやぁ」
「愛弟子にやられて落ち込んでる子どもたちを慰める魔王って感じやな」
勇者たちはなんとも言えない顔をした。
魔王は肩をすくめる。
「まあまあ」
「いつまでも落ち込んどってもしゃーない」
そして勇者たちを見て笑った。
「若いんやし」
「これから強くなればええ」
神崎が少しだけ苦笑した。
「……そうですね」
魔王は手を振る。
「今日はいっぱい食べ」
「オッチャンが奢ったるから」
その瞬間。
勇者パーティの空気が一変した。
「ほんとですか!?」
天城が勢いよく顔を上げる。
神崎も驚いている。
高橋はすでにメニューを見ていた。
白石だけが静かに言う。
「……ありがとうございます」
魔王は満足そうに笑った。
「遠慮せんと食べ」
「その年頃は食うのが仕事や」
そして。
料理の追加注文が始まった。
⸻
それから酒場は一気に賑やかになった。
勇者パーティは遠慮するどころか、次々と料理を注文し始めた。
「これと」
「あとそれも」
「肉料理もう一皿!」
高橋はすでにパンを三つ目に突入している。
神崎は大皿の肉料理を真剣な顔で切り分けていた。
天城も驚くほどよく食べる。
白石だけは控えめだが、それでも普段より食べている。
そして――
ユウトとレイナも当然のように食べていた。
さらに。
ガルドとダインも、冒険者らしい食べっぷりで皿を空にしていく。
魔王はその様子を見て満足そうに笑っていた。
「若いってええなぁ」
レイナが肉を頬張りながら言う。
「魔王さん」
「この肉めちゃくちゃ美味しいです」
「せやろ」
魔王は嬉しそうに頷く。
その隣で副官は静かに食事をしていた。
量は多くない。
むしろ少ないくらいだ。
「副官さん、食べないんですか?」
レイナが聞く。
副官は淡々と答えた。
「腹六分目です」
「戦士の心得です」
レイナが小さく呟く。
「ストイックすぎる」
その間にも料理はどんどん消えていった。
若い男が多い。
とにかく食べる。
肉。
パン。
スープ。
追加。
追加。
さらに追加。
魔王は最初のうちは、楽しそうにその光景を眺めていた。
だが。
少しずつ。
ほんの少しずつ。
表情が変わり始める。
「……」
テーブルを見る。
料理の皿は山のように積まれていた。
空皿も同じくらい積まれている。
ユウトがマリナにまだ抱きついたまま言う。
「先生」
「幸せです」
マリナが困ったように笑う。
「黒崎くん、離れて」
レイナが笑う。
「もう諦めた方がいいですよ先生」
常連たちはそれを見て楽しそうに笑っていた。
「やっぱりこれだな」
「落ち着く」
酒場の空気は完全にいつもの調子だった。
そして。
しばらくして。
店主が伝票を持ってきた。
「はいよ」
魔王の前に置かれる。
魔王はそれを手に取った。
ちらっと見る。
もう一度見る。
そして。
少しだけ笑った。
「……」
魔王はゆっくり顔を上げた。
「副官」
「はい」
「ちょっと金貸して」
副官の視線が冷たく突き刺さった。
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