第66話 魔王のケーキ屋プレオープンが予想以上に繁盛した件
朝の通りには、まだ夜の冷たさが薄く残っていた。
石畳の上には夜露がわずかに光り、昇り始めた朝日がそれを淡く照らしている。遠くではパン屋の窯に火が入ったのか、小麦の焼ける香りがゆっくりと街へ広がっていた。店の戸板を外す音。荷車の車輪が軋む音。交易都市の朝は、いつも通り少しずつ目を覚ましていく。
その中で、ひとつの店だけが妙に目立っていた。
元は酒場だった建物。
今はすっかり様子を変え、窓の向こうには色とりどりの菓子が並んでいる。
白いクリームをまとった菓子。
果物を飾った菓子。
栗の色をした渦巻きの菓子。
層の重なった濃い色の菓子。
看板はまだ仮のものだったが、それでも十分だった。
甘い香りが、店の外まで流れている。
通りを歩いていた人々が、その匂いにつられるように足を止める。しかも、そこへ酒場経由の噂まで重なっていた。
「ここか?」
「魔王とか名乗ってるやつが変な菓子屋を始めるって話の」
「本当にやるのかよ」
集まり始めているのは、ほとんどが見覚えのある顔だった。
酒場の常連たちである。
魔王が店を出す。
しかも菓子屋。
その時点で面白いのに、食べたことのない甘い匂いまでしている。
覗きに来ない理由がない。
⸻
店の中では、ユウトたちが最後の準備をしていた。
棚にはケーキが整然と並んでいる。
ショートケーキ。
フルーツタルト。
ティラミス。
モンブラン。
ここ数週間の修行の成果が、そのまま棚に並んでいるようだった。最初の頃の試作にあった不格好さはもうほとんど残っていない。スポンジの焼き色も均一で、クリームの表面も滑らかだ。果物の配置にまで、きちんと意味があるように見える。
レイナが窓の外を覗き込み、小さく息を呑んだ。
「……思ったより来てますね」
その声にマリナも外を見る。
「本当ね」
店の前には、すでに数人どころではない人影があった。まだ開けてもいないのに、なんとなく列のようなものまで出来始めている。
ガルドが腕を組む。
「酒場の連中だな」
ダインも短く言った。
「噂が早い」
レイナが苦笑する。
「まあ……あの酒場ですから」
面白い話は、酒の勢いでその日のうちに街中へ広がる。まして今回は、魔王とケーキ屋だ。材料が強すぎた。
⸻
その時だった。
奥の厨房から魔王が出てくる。
手には焼き上がったばかりのスポンジ。
立ち上る熱を手のひらで確かめるようにして、軽く香りを嗅いだ。
「ええ感じや」
満足そうに呟き、棚を見渡す。
並んだケーキ。整えられた作業台。磨かれた道具。そこに立つ弟子と仲間たち。
魔王は小さく笑った。
ユウトが言う。
「準備は出来ています」
魔王は頷いた。
「よし」
棚を軽く叩く。
「ケーキも揃っとる」
⸻
副官が一歩前へ出た。
それだけで店の空気が少し引き締まる。
「配置を確認します」
静かな声だったが、よく通る。
まずレイナを見る。
「接客」
「はい」
次にマリナを見る。
「商品説明」
「わかりました」
ガルドを見る。
「列整理」
「任せろ」
ダインを見る。
「同様」
「承知」
そして最後に、視線がユウトへ向いた。
「在庫管理」
ユウトはすぐに頷いた。
「はい」
その返事を聞いて、魔王がにやりと笑う。
「ケーキ屋の生命線や」
⸻
魔王は棚に並ぶケーキを指差した。
「ユウト」
ユウトが姿勢を正す。
「はい」
「商品を収納する時だけやなく」
棚の上のケーキから、入り口側の空間まで目をやる。
「補充する時も気ぃつけるんやで」
今日はプレオープンだ。
客の前で潰したり、位置をずらしたりは出来ない。
ユウトは真剣な顔で頷いた。
「はい」
「入れる時も出す時も気をつけます」
魔王は満足そうに笑った。
「さすが愛弟子や」
マリナが小さく吹き出す。
「弟子から愛弟子にランクアップしてるわね」
ガルドが腕を組む。
「うむ。本当にケーキ作りでスキルの修行になっているからな」
ダインも頷いた。
「うむ。ただそれ以上にケーキ作りの腕が上達しているがな」
レイナがユウトを見る。
「ユウトくん、自分が冒険者だって忘れてない?」
その瞬間だった。
副官が静かに言った。
「それはあなた方も同じなのでは?」
マリナ、レイナ、ガルド、ダイン。
四人とも同時に黙る。
店の中に妙な沈黙が落ちた。
しばらくして、レイナが視線を逸らす。
マリナは咳払いをする。
ガルドは腕を組み直し、ダインは何も言わずに視線だけを逸らした。
誰も反論出来なかった。
⸻
その沈黙を見て、副官がほんの少しだけ口元を緩めた。
「魔王さま」
魔王が振り向く。
「なんや?」
「実は少し緊張しておられますね」
魔王は一瞬だけ黙った。
そして、店の中をゆっくり見回す。
並んだケーキ。
整えられた棚。
磨かれた作業台。
扉の向こうの客の気配。
「そらな」
少し笑う。
「ケーキ作りは散々やったけど」
「ケーキ販売は初めてやからなぁ」
レイナが意外そうな顔になる。
「緊張するんですね」
魔王は肩をすくめた。
「そらするやろ」
「うまい言われるんは慣れとるけど」
「金払ってもろて食べてもらうんは別や」
その言葉には、いつもの軽さとは少し違う本気があった。
マリナはその横顔を見て、小さく笑う。
「本気なんですね」
魔王は即答した。
「当たり前や」
⸻
やがて、店の外からまた声がした。
「まだか?」
「開かねえのか?」
客はもう待ちきれないらしい。
ガルドがちらりと扉を見る。
「そろそろだな」
ダインも短く言った。
「時間だ」
魔王は扉の前に立った。
振り返る。
弟子。
仲間。
副官。
全員を見渡す。
それから、いつものようににやりと笑った。
「ほな」
「プレオープンや」
扉を開けた。
⸻
扉が開いた瞬間、外のざわめきが店内へ流れ込んできた。
待っていた客たちが一斉に中を覗き込む。
だが、最初に入ってきた男はすぐに足を止めた。
「……なんだこれ」
棚に並んだ菓子を見て、思わず声が漏れる。
白いものが乗った柔らかそうな菓子。
果物が飾られた色鮮やかな菓子。
渦巻きのような形の菓子。
今まで見たことのないものばかりだった。
後ろから来た別の男も覗き込む。
「菓子……なのか?」
「見たことねえな」
さらにもう一人。
「甘い匂いはするが……」
客たちは棚の前で立ち止まり、少し戸惑ったように顔を見合わせた。
その時だった。
マリナが一歩前に出る。
落ち着いた声で、優しく説明を始めた。
「こちらはケーキといいます」
客たちの視線が集まる。
「柔らかく焼いた生地に、甘いクリームや果物を合わせたお菓子です」
男の一人が首を傾げる。
「クリーム?」
「牛の乳から作る甘い泡立てたものです」
マリナは棚のケーキを指差した。
「こちらはスポンジという生地を使っています」
「とても柔らかい焼き菓子です」
その説明は、どこか授業のようにわかりやすかった。
レイナが横で小さく笑う。
(先生だなあ)
客の一人が腕を組む。
「つまり」
「甘い菓子ってことか?」
マリナは微笑んだ。
「はい」
少しだけ間を置く。
「今まで食べたことのない甘さだと思います」
その言葉に、客たちは顔を見合わせた。
「ほう」
「そこまで言うか」
最初に入った男がフォークを手に取る。
「じゃあ」
「試してみるか」
⸻
一口。
沈黙。
そして。
「……うまっ」
男の声が店の中に響いた。
後ろの客がすぐ聞く。
「どうだ?」
男はもう一口食べた。
「なんだこれ」
「ふわふわしてる」
「甘いけど重くねえ」
別の客が言う。
「俺もくれ!」
レイナが素早く皿を出す。
「こちらどうぞ!」
次の客も一口。
「……うまいな」
さらにもう一人。
「これやばいぞ」
店の空気が一瞬で変わった。
ざわめきが広がる。
「おい」
「もう一個くれ」
「こっちのはなんだ?」
「その白いのも頼む!」
列が一気に動き始めた。
⸻
店内の様子を見ていたユウトは、すぐに状況を理解した。
棚のケーキの減り方が速い。
フルーツタルトがもう半分。
ショートケーキは残り数個。
ティラミスもかなり減っている。
(早い)
ユウトはすぐに厨房の方を見る。
まだ在庫はある。
修行で大量に作っていた。
ユウトは静かに 無限収納 を使った。
棚の奥の空間に、意識を向ける。
次の瞬間。
厨房に置いてあったケーキが、静かに棚の裏へ移動した。
触れていない。
空間を通して、位置を変えた。
修行の成果だった。
ユウトはそのまま、棚の状態を確認する。
減り方。
客の注文。
次に売れそうな種類。
そして必要な数。
すべてを頭の中で整理する。
そして――
棚に自然にケーキを補充した。
客には気付かれない。
だが、棚の数だけがいつの間にか戻っている。
⸻
魔王はその様子を見て、にやりと笑った。
「ほう」
小さく呟く。
「ええやん」
副官も静かに頷いた。
「判断が早いですね」
魔王は楽しそうに言う。
「さすが愛弟子や」
⸻
その頃、店の外ではさらに人が増えていた。
「おい」
「なんかすげえ匂いするぞ」
「新しい菓子らしい」
「魔王の店だってよ」
そして、店の中から聞こえる声。
「うまっ!」
「これすげえ!」
「もう一個!」
それを聞いた通行人が、足を止めた。
⸻
気づけば、店の外にははっきりとした列が出来ていた。
最初は酒場の常連ばかりだったが、通りがかりの商人や職人も足を止め始めている。甘い匂いに加えて、店内から聞こえてくる声が決定的だった。
「うまい!」
「これすげえぞ!」
「なんだこの菓子!」
噂は一瞬で広がる。
交易都市では珍しいことではないが、ここまでの速さはなかなかない。
店の中では、すでにかなりの混雑になっていた。
レイナが皿を並べる。
「順番でお願いしまーす!」
マリナが横で説明を続ける。
「こちらは栗のクリームを使ったケーキです」
「こちらは少し苦味のある層と甘い層を重ねたお菓子になります」
客たちは最初こそ戸惑っていたが、一口食べるとすぐに表情が変わる。
「これも美味いな」
「おい、こっちも頼む」
「全部食ってみたいぞ」
ガルドが入口で腕を組み、低い声で言う。
「押すな」
それだけで列がきちんと整う。
ダインも横に立ち、静かに周囲を見ていた。
その威圧感のおかげで、客同士の揉め事はまったく起きない。
店の動きは、驚くほどスムーズだった。
⸻
その時、店の奥から少し年配の男が声を上げた。
「おい」
ケーキを食べながら周囲を見回す。
「店主は誰なんだい?」
その声に、店内の何人かが反応した。
「そういやそうだな」
「誰が作ってるんだ?」
客の視線が自然と厨房の方へ向く。
その時だった。
魔王がひょいと前に出た。
エプロン姿のまま、軽く手を挙げる。
「オッチャンやで」
客たちは一瞬だけ黙った。
そしてケーキを食べていた男が言った。
「あんたか」
皿を持ったまま、素直に頷く。
「これすげえ美味いぞ」
その言葉を聞いた瞬間。
魔王の顔がぱっと明るくなった。
「ほんま?」
身を乗り出す。
「うまいやろ!」
その反応があまりにも嬉しそうで、客の何人かが思わず笑った。
「なんだあんた」
「職人か?」
魔王は胸を張る。
「まあそんなもんや」
レイナが横で小さく呟く。
「めちゃくちゃ嬉しそう」
マリナも苦笑する。
「本当にケーキ屋やりたかったのね」
⸻
その時だった。
別の客が魔王をじっと見て、少し首を傾げた。
「……ところでよ」
ケーキを食べながら聞く。
「この店」
少し間を置く。
「魔王の店って聞いたんだが」
周囲の客もちらりと魔王を見る。
魔王はあっさり答えた。
「名前だけやけどな」
さらっと言った。
その横で、副官が小さく呟く。
「実際そうですが」
誰にも聞こえないくらいの声だった。
レイナが横で吹き出しそうになる。
⸻
その頃、ユウトは店の奥から店内を見渡していた。
客の流れ。
注文の速度。
棚の減り方。
すべてを同時に確認する。
意識を集中させる。
完全鑑定。
棚の情報が頭の中で整理される。
ショートケーキの減りが最も早い。
モンブランもかなり人気がある。
ティラミスは少しゆっくりだが、確実に動いている。
(このままだと――)
ショートケーキが先に切れる。
ユウトはすぐに判断した。
厨房にあるケーキを確認する。
無限収納。
次の瞬間、棚の奥にショートケーキが補充された。
客は誰も気づかない。
自然な形で、ケーキの数だけが増えている。
さらに別の棚にも意識を向ける。
モンブランを補充。
ティラミスも補充。
棚は常に整った状態を保っていた。
⸻
店の中では、すでに十人以上の客がケーキを食べていた。
そして。
ほとんど全員が、同じ顔をしている。
驚きと満足が混ざった顔だ。
⸻
店の外の列は、さらに長くなっていた。
⸻
店の中は、すでに小さな祭りのような騒ぎになっていた。
客は次々とケーキを頼み、食べ、また別のケーキを注文する。
「こっちもくれ」
「この栗のやつもう一個!」
「その白いのは?」
レイナは皿を並べながら声を上げる。
「順番でお願いしまーす!」
マリナはその横で説明を続ける。
「こちらはモンブランといって、栗のクリームを使ったケーキです」
「この茶色い層のものはティラミスといいます」
最初は慎重だった客たちも、今ではすっかり遠慮がなくなっていた。
一口食べて驚き、二口目で納得し、三口目で笑顔になる。
そんな光景が、店のあちこちで繰り返されている。
「これ本当に菓子か?」
「なんだこのふわふわ」
「甘いのに止まらねえぞ」
そして誰かが必ず言う。
「もう一個くれ」
⸻
その様子を見ながら、ユウトは店の奥で静かに状況を整理していた。
客の人数。
棚の残数。
注文の傾向。
意識を集中する。
完全鑑定。
棚の状態が頭の中で立体的に浮かび上がる。
ショートケーキ 残り四二。
モンブラン 残り三六。
ティラミス 残り五五。
フルーツタルト 残り二九。
(タルトが先に切れる)
ユウトは厨房の方向を見る。
そこにはまだケーキが並んでいる。
修行中に何度も練習した動き。
ユウトは静かに 無限収納 を発動した。
厨房にあるケーキの位置を意識する。
次の瞬間。
棚の奥に、自然にケーキが並び直した。
触れていない。
だが位置も角度も乱れていない。
棚の様子は、最初からそこに置かれていたかのように整っている。
客は誰も気づかない。
レイナだけが一瞬棚を見て、小さく笑った。
「……ユウトくん」
「もう補充してる」
ユウトは短く頷く。
「減り方が早いので」
⸻
その時だった。
別の客がケーキを食べながら言った。
「おい」
「この店、やばいぞ」
隣の男が聞き返す。
「何が?」
「うまい」
「いやそれは分かる」
「そうじゃねえ」
男は皿を指差す。
「今まで食った甘いもんと、全然違う」
別の客が頷く。
「確かに」
「菓子ってもっと重いもんだろ」
「これは軽い」
さらに別の客。
「酒のあとでも食えるな」
その言葉を聞いて、ガルドが小さく笑う。
「なるほど」
ダインも言った。
「確かに酒場向きだ」
⸻
その頃、店の外ではすでに新しい客が増えていた。
「ここか?」
「噂の菓子屋」
「魔王の店ってやつ?」
列の後ろに並んだ男が言う。
「さっき食ったやつが言ってた」
「とんでもなく美味いらしい」
別の男が笑う。
「大げさだろ」
だが、その直後。
店の中からまた声が聞こえた。
「うまっ!」
「これ二個目!」
「おい、持ち帰り出来るか?」
列の後ろにいた男が言う。
「……どうやら本当らしいな」
⸻
店の中では、魔王が腕を組んでその様子を眺めていた。
口元がにやけている。
「ええなぁ」
副官が横で言う。
「魔王さま」
「なんや」
「かなり繁盛しています」
魔王は笑う。
「せやな」
そして店の中を見渡した。
客の笑顔。
皿の上のケーキ。
忙しく動く弟子と仲間たち。
魔王は小さく呟いた。
「ええ店や」
⸻
その時、入口の方から声が聞こえた。
「おい!」
「まだ入れないのか!」
ガルドが振り向く。
「順番だ」
ダインも低く言う。
「並べ」
列はさらに長くなっていた。
⸻
その様子を見て、レイナがぽつりと言う。
「……これ」
「プレオープンですよね?」
マリナが苦笑する。
「ええ」
「そのはずよ」
ユウトは店の中を見渡した。
客の数。
注文の勢い。
そして減り続けるケーキ。
小さく息を吐く。
「……忙しくなりそうです」
⸻
ユウトのその言葉は、決して大げさではなかった。
その後も客は途切れることなく店に入り続けた。
最初は酒場の常連たちだけだった。
だが、甘い香りと「うまい」という声は、通りを歩く人間を確実に引き寄せていく。
仕事の途中の職人。
荷運びの商人。
買い物帰りの主婦。
そして通りすがりの旅人。
列はいつの間にか通りの角まで伸びていた。
⸻
店の中では、客たちの反応がほとんど同じだった。
最初は棚を見て首を傾げる。
「これが菓子?」
そしてマリナの説明を聞く。
「ケーキというお菓子です」
そのあと、一口食べる。
そして。
「……うまっ」
驚いた顔になる。
それを見た別の客が頼む。
また驚く。
そして言う。
「これすげえぞ」
それが何度も繰り返されていた。
⸻
昼前には、ほとんどのケーキが売り切れていた。
棚は空になりかけている。
最後のモンブランを受け取った客が言った。
「いやあ」
「いい店見つけた」
レイナが笑う。
「ありがとうございます」
男は頷いた。
「また来る」
その言葉を残して店を出ていった。
⸻
やがて。
最後のケーキが売れた。
棚の上には、もう何も残っていない。
店の中が、ふっと静かになった。
レイナが大きく息を吐く。
「終わった……」
マリナも椅子に軽く腰を下ろした。
「思ったより大変だったわね」
ガルドが腕を組む。
「いや」
「思ったより売れた」
ダインも頷く。
「完全に予想以上だ」
⸻
魔王は棚を見ていた。
きれいに空になった棚。
その様子を見て、にやりと笑う。
「完売やな」
レイナが笑う。
「すごいですね」
魔王は肩をすくめた。
「まあ」
「オッチャンのケーキやからな」
副官が横で静かに言う。
「かなり評判になっています」
魔王が聞き返す。
「もう?」
副官は窓の外を見る。
「はい」
通りの向こうで、さっき店を出た客たちが話をしている。
「魔王の店のケーキ食ったか?」
「やばいぞあれ」
「今まで食った菓子と違う」
「明日も来るか?」
魔王はその様子を見て、楽しそうに笑った。
「ええやん」
⸻
その日の夕方には。
すでに街のあちこちで、同じ話がされていた。
「魔王が菓子屋を始めたらしい」
「ケーキっていう菓子だ」
「信じられないくらいうまい」
「並ばないと食えないらしいぞ」
噂は、交易都市の酒場、宿屋、市場へと広がっていく。
そして数日のうちに。
この街には、ちょっとした騒ぎが起きた。
⸻
交易都市に、空前のケーキブームが訪れた。
⸻
そしてその噂は。
当然のように、別の場所にも届くことになる。
ある日。
とある酒場で。
一人の青年が、その話を聞いた。
「……ケーキ?」
仲間の一人が頷く。
「らしいぞ」
「魔王が作ってる菓子らしい」
青年は少しだけ眉をひそめた。
「魔王が……菓子?」
仲間が笑う。
「なんか変だよな」
「でもすげえ美味いらしい」
青年は少し考える。
それから、ぽつりと呟いた。
「……今度行ってみるか」
⸻
その青年の名前を。
勇者という。




