第57話 拠点の裏庭に岩風呂を作って無限収納スキルを検証してみた件
その日もユウトたちは、いつものように討伐依頼を終えて共和国の交易都市へ戻るところだった。
西へ傾いた陽が川面を赤く染め、風に揺れる水がきらきらと光っている。討伐した魔物の血の匂いはすでに薄れ、代わりに濡れた土と草の匂いが鼻に残っていた。
今日の相手は、街道沿いの畑を荒らしていた小型の魔物の群れだった。危険は大きくないが、放っておくと作物に被害が出る。こういう依頼をきちんと片付けていくのも冒険者の大事な仕事だと、最近はユウトにもよく分かっている。
レイナが歩きながら腕を伸ばした。
「最近、討伐依頼ばかりですね」
ガルドが苦笑する。
「今は護衛依頼はちょっとな」
街の外の空気を吸い込みながら、ダインも続けた。
「最近妙に魔物も増えてるしな」
その一言に、ユウトは昨日のことを思い出しかけた。レア個体。強い気配。あれと似たものがいくつもあったという感覚。
だが、今はその話を広げる空気でもない。
マリナが言う。
「無理のない依頼が続いてるのはいいことよ。危ない橋を渡らないで稼げるなら、それが一番だもの」
ユウトも頷いた。
「そうですね」
やがて街に入る。
夕方の通りは賑やかだった。店を閉め始める商人。屋台から漂う焼き肉の匂い。小走りで家へ帰る子どもたち。石畳を荷車が軋む音。
そんな中で、マリナがふいに足を止めた。
「あら?」
レイナが振り向く。
「どうしたんです? 先生」
マリナが指差したのは通りから少し奥まった場所にある小さな雑貨屋だった。普段はあまり気にしない店だが、今日は店先に並んだ商品が目を引いたらしい。
ユウトたちも近づく。
店先に並べられていたのは、少し濁ったガラス瓶だった。中にはとろりとした液体が入っている。色も香りも、この世界ではあまり見ないものだ。
マリナが瓶を手に取り、慎重に店員へ尋ねた。
「これって、髪を洗う専用の物ですか?」
店の奥から出てきた店員は、感心したように眉を上げた。
「よく分かったね。最近仕入れたんだよ」
レイナが目を丸くする。
「ほんとに?」
店員は頷き、店の奥を指差した。
「それだけじゃないよ。そのあとに使う、髪を艶やかにするのもある」
マリナとレイナが顔を見合わせる。
次の瞬間、二人の目が明らかに輝いた。
「先生……」
「ええ……」
言葉にしなくても分かる。二人とも、今見ているものが何なのか理解していた。
ユウトももちろん分かる。
シャンプーとリンスだ。
この世界では髪を洗うのに石鹸を使い、その後は髪油を薄く伸ばすのが一般的だ。悪くはない。だが現代日本の感覚を知っている者からすると、あれはどうしても代用品の範囲を出ない。
マリナが迷いなく言った。
「これ、二つください」
店員はにこにこと頷いた。
「二つセットで銅貨五枚だよ」
少し高い。
だがマリナとレイナはまったく迷わなかった。
袋に入れてもらったそれを大事そうに抱えながら、レイナが言う。
「思わず買っちゃいましたけど……これって大衆浴場で使っていいんですかね?」
マリナは少し考える。
「どうなのかしら」
「聞いてみるわ」
そうして一行は、そのまま大衆浴場へ向かうことになった。
男三人は事情をよく分かっていない。
だが、女性二人が真剣なので、とりあえずついて行くしかない。
大衆浴場の入口で、番台の男に事情を説明する。
男は瓶を受け取り、光に透かすように眺めた。
「なんだ、これ」
レイナが早口に説明する。
「髪を洗うものらしいんです」
番台の男はしばらく黙って瓶を見ていたが、やがて首を振った。
「石鹸なら問題ないが、こいつはまだ駄目だな」
レイナの肩が落ちる。
「ええー!」
マリナも残念そうに眉を下げた。
「そう……」
「どうしてですか?」
番台の男は面倒くさそうに頭を掻いた。
「知らん物を勝手に使わせるわけにいかん。泡が立ちすぎたら困るし、排水にも影響が出るかもしれん。湯を汚すのも困る」
もっともな理由だった。
この世界の大衆浴場は、今ある道具と手順を前提に回っている。新商品を持ち込まれても、即座に許可できるはずがない。
レイナは袋を見下ろして、はあっとため息をついた。
「せっかく買ったのに……」
浴場を出る。
外はもう夕暮れで、通りの空気は昼より少し冷えていた。
マリナも苦笑する。
「仕方ないわね」
この世界の風呂事情は、日本のそれとはかなり違う。
大衆浴場でも、広い湯船にゆっくり浸かるというよりは、身体を洗って温めるための場所だ。家庭ならなおさらで、大きめの桶に湯を張り、小さな桶で汲んで流すのが普通だった。いわば湯浴みであって、のんびり肩まで浸かる風呂ではない。
ユウトは、少し前を歩く二人の背中を見ていた。
袋を抱える手つきは慎重だ。けれど表情は、どう見ても残念そうだった。
(先生たち……)
(お風呂、入りたかったんだろうな)
この世界では珍しい。
だから仕方ない。
けれど、もし。
(お風呂、作れたらいいのに)
そう思ったところで、ユウトは小さく息を吐いた。
作れたらいい。だが、どう作るのかは分からない。
今のは、ただの願望だ。
結局そのまま、彼は何も言わなかった。
⸻
翌日。
朝の借家には、いつも通りの静かな空気があった。
朝食を終えた四人が片付けをし、食後の飲み物で一息ついている頃に、食後の時間をきちんと外したガルドが訪ねてくる。
軽い挨拶を交わしたあと、一行はそのままギルドへ向かった。
掲示板の前には朝から多くの冒険者が集まっている。
レイナが依頼票の束を見上げた。
「いい依頼ありますかね?」
ダインが短く答える。
「掲示板見ないことにはな」
ガルドも依頼票を目で追いながら言う。
「最近、魔物が少し増えてる。今日は川沿いの方が多いな」
マリナが言った。
「無理せず出来る依頼を探しましょう」
ユウトも頷く。
「そうですね」
掲示板から選んだのは、川沿いに出るリバーボアの討伐依頼だった。
リバーボアは猪型の魔物で、川沿いの泥場を好む。畑に出て作物を荒らすことも多く、サイズのわりに気性が荒い。だが五人で当たるなら特別難しい相手ではない。
依頼は順調に終わった。
ガルドの矢が走り、ダインが正面を受け止め、レイナが水魔法で動きを鈍らせ、マリナの指示でユウトが無駄なく斬り込む。
川沿いに残った泥の匂いと、水面を叩く風の音。夕方に近づくにつれ、その風は少し冷たくなっていった。
討伐を終え、帰り道についたときだった。
ユウトが足を止める。
視線の先には、大きな岩があった。
川に削られたらしい巨岩で、大人の背丈ほどもある。表面は滑らかではないが、いびつすぎることもない。水を受けてきた年月を感じさせる形だった。
ユウトはしばらく岩を見つめたあと、ガルドに声をかけた。
「ガルドさん」
「ん?」
「これ、拠点の裏庭に置いてもいいですか?」
ガルドは岩を見る。
「別に構わないが」
「こんな物どうするんだ?」
ユウトは少しだけ頭を掻いた。
「昨日の話なんですけど」
「これ削れば、風呂に出来るかなって」
一瞬、時間が止まる。
次の瞬間。
「お風呂!?」
マリナの声が跳ねた。
「お風呂!」
レイナの声も重なる。
ユウトは二人の勢いに少し押されつつも、言葉を続けた。
「上手くいくか分かりませんけど」
「やってみます」
ガルドが低く笑う。
「面白いこと考えるな」
ダインも岩を見ながら言った。
「悪くない」
ユウトは巨岩に手を当てる。
次の瞬間、岩は音もなく消えた。
無限収納。
マリナとレイナの視線が、明らかに期待に満ちる。
ユウトはその視線に少しだけ苦笑した。
(これは……失敗しにくい空気だな)
⸻
借家の裏庭に大岩を出した時には、もう日がかなり傾いていた。
夕暮れの薄い赤が庭先を染め、隣家との境に立つ木柵の影が長く伸びている。
ユウトは岩の前に立った。
こうして近くで見ると、やはり大きい。
だが、形は悪くない。
深く削れば、十分に浴槽として使えそうだった。
問題は、どう削るかだ。
ユウトは岩に手を当てる。
そして、意識を集中した。
ごくわずかに。
本当に少しだけ。
岩の一部が、音もなく消えた。
ユウトは息を止める。
もう一度。
今度は少し広く。
削れた。
思った通りだった。
だが、その瞬間、別の考えが頭をよぎる。
(そういえば……)
これまで自分は、無限収納を「触れた物を丸ごと入れるスキル」だと思っていた。
荷物でも、素材でも、倒した魔物でも。
触れた対象をひとつの物として、そのまま収納する。
それがこのスキルの使い方だと、何の疑いもなく思っていた。
けれど、違った。
レア個体を倒したとき。
あの黒牙狼との戦いで、自分は丸ごと収納していない。
傷口から手を入れて、体の一部だけを収納した。
あの時は無我夢中だった。だが今、こうして岩を削っていてはっきり分かる。
意識すれば、収納する範囲を調整できる。
無意識なら一つの物体を丸ごと収納する。
だが、意識すれば一部だけを切り取るように収納できる。
つまり。
触れさえすれば。
鎧でも。
盾でも。
魔物の外皮でも。
全部無視して削れる。
ユウトは岩に触れたまま、小さく苦笑した。
「このスキルって……」
「自分で思ってたより、はるかに危険なんだな」
便利なだけではない。
使い方を間違えれば、ひどく危うい。
そう理解した。
だが今やっていることは、その危うさとは別だ。
ただ岩を削り、風呂を作ろうとしているだけ。
ユウトは息を整え、また手を動かす。
大人が二人入れる広さ。
縁は少し低めに。
子どもでも入りやすいように。
ガルドの娘が使う場面まで頭に浮かぶ。
だから段差もゆるくする。
削る。
削る。
削る。
出来るだけ滑らかに。
岩の内側が、静かに広がっていく。
(先生、喜んでくれるといいな)
その思いが、自然と手を動かしていた。
⸻
日が落ちる頃には、岩風呂の形はほぼ整っていた。
簡易の排水溝も作り、周囲には目隠し代わりの布も張る。男湯と女湯の仕切りも作る。大掛かりではないが、使うには十分だ。
水はユウトが何度も収納と排出を使って井戸水を運び、レイナが流れを整え、ガルドとダインが支えを作った。マリナは全体の動きが滞らないように指示を出し、必要な道具をすぐ手の届く場所へまとめる。
気づけば、五人全員で作っていた。
そして。
湯気が立った。
即席の加熱設備で温めた湯が岩風呂に満ち、夕闇の中で白くゆれる。
準備が出来た途端、喜び勇んで女性陣が入っていく。
マリナとレイナ、そしてガルドの妻と娘が湯に入る。
湯に足を入れた瞬間、レイナが弾けるような声を上げた。
「すごーい! 最高!」
マリナも目を輝かせる。
「ほんと!」
肩まで浸かった二人の顔には、昨日の残念そうな表情は影もない。
そこへ、ぱたぱたと娘が入ってきた。
「わあ!」
「お風呂ー!」
湯の中でくるりと回ったあと、ふとマリナとレイナを見上げる。
「お姉ちゃんたち、お胸おっきい!」
一瞬、空気が止まった。
レイナがマリナを見る。
「先生」
「なに?」
「また大きくなってません?」
マリナの顔が一気に赤くなる。
「なってないわよ!」
そこへ、穏やかに湯に浸かっていたガルドの妻がぽつりと言った。
「……もげればいいのに」
娘がきょとんと母を見る。
「ママこわーい!」
ガルドの妻は、にっこり微笑んだ。
「あら、冗談ですよ。もちろん」
とても優しい笑顔だった。
だが。
マリナとレイナは顔を見合わせる。
(目が……)
(マジだったような……)
なんだか背筋が少し寒くなった。
⸻
男湯側。
ガルドとダインが岩風呂に浸かり、深く息をついていた。
岩肌はまだ新しく削ったばかりだが、不思議と肌当たりは悪くない。湯の温度もちょうどいい。
しばらく無言で浸かったあと、ガルドが言う。
「風呂もすごいが……ユウト、お前もすごいな」
ダインも静かに頷く。
「うむ」
「顔に似合わず」
ユウトは苦笑した。
「お二人こそ」
ガルドとダインは顔を見合わせる。
そして肩をすくめた。
「なーに」
「並だよ、並」
当たり前のような口ぶりだった。
そこには、長年冒険者をやってきた者特有の、力みのない余裕があった。
⸻
一方その頃、女性側。
レイナがじっとマリナを見ている。
「先生」
「なに?」
「顔赤くなってません?」
マリナは少し視線を逸らした。
「……久しぶりのお風呂で、ちょっとのぼせちゃったかな?」
レイナは首を傾げる。
「?」
「なんか挙動が変ですよ」
マリナは慌てて言う。
「そ、そんなことないわよ」
「全然、普通」
だが言葉とは裏腹に、どこか落ち着かない。
そんな様子を、ガルドの妻が面白そうに見ていた。
「あらあら」
娘が不思議そうに母を見る。
「??」
妻は微笑むだけで、何も言わなかった。
⸻
風呂上がり。
湯気の立つ裏庭に、いつの間にか酒場の常連たちが顔を出していた。
岩風呂をぐるりと見回して、一人が腕を組む。
「風呂はすげぇが、周りがまだまだだな」
別の男も頷く。
「惜しい」
「よし、俺らできっちり作ってやるよ」
さらに別の男が胸を張った。
「こういうのは大工の仕事だ」
別の男。
「石は任せろ」
さらに別の男。
「排水なら俺だな」
元大工。石工。井戸掘り。
偶然なのか何なのか、妙に役者が揃っていた。
ガルドが少し呆れたように言う。
「お前ら何者だ」
常連たちは笑うだけだった。
⸻
縁側代わりに置いた板の上で、ガルドとダインが牛乳を飲んでいる。
風呂上がりの冷えた牛乳は、妙にうまかった。
ガルドが瓶を置いて言う。
「金取れるな」
ダインも真顔で頷く。
「冒険者より儲かるかもしれん」
そこへ、髪を拭きながら出てきたレイナが声を上げた。
「堕落!」
ガルドが眉をひそめる。
「なにがだ」
レイナはびしっと指を差す。
「風呂作って、常連さんたちが整備して、金まで取ろうとして」
「完全に堕落です!」
ダインは牛乳を一口飲んでから答える。
「違う」
「事業だ」
ガルドも頷く。
「正当な収入源だ」
レイナは即座に言い返す。
「同じです!」
常連たちが腹を抱えて笑う。
裏庭には、まだ岩風呂の湯気がゆっくりと立ち上っている。
こうして、ユウトたちの拠点の裏庭には。
また一つ、妙な名物が増えることになった。




