第28話 宿屋で冒険者として生きる為にスキルルールを真剣に話し合った件
宿屋は、城下町の大通りから一本入った静かな通りにあった。
通りそのものは細いが、寂れているわけではない。行き交う人の数は表通りより少ないものの、家々には灯りが入り、どこかの家からは煮込み料理の匂いが漂ってくる。昼の喧騒が遠ざかった分だけ、こちらの方が人の暮らしが近くに感じられた。
その通りの先に建つ宿は、二階建ての石造りだった。
新しい建物ではない。壁の色は少しくすみ、木の扉や窓枠には長年使われてきた跡がある。だが、屋根も壁もきちんと直されていて、手入れを怠っているようには見えなかった。派手さはないが、堅実な宿、という印象だった。
玲奈が建物を見上げる。
「ここなんですね」
「ああ」
俺はうなずいた。
「前に一回だけ入った宿だ」
その言葉を聞いた瞬間、玲奈がゆっくりと真里奈先生を見る。
「へぇ」
短い一言だったが、十分すぎるほど意味がこもっていた。
先生が即座に反応する。
「だから泊まってないって言ってるでしょ!」
「前に来たのは、色々と検証をするために少し部屋を借りただけ!」
玲奈はにやにやしながら首を傾げた。
「へぇー」
「部屋借りたんですね」
「その言い方やめなさい!」
先生の頬が一気に赤くなる。
「ちゃんと説明したでしょ!」
「ちょっと休憩しただけ!」
「しかも色々と確認するため!」
玲奈は肩をすくめる。
「分かってますよ」
「でも先生、反応が分かりやすいから」
「分かりやすくないわよ」
先生は腕を組んで顔を背けた。
俺は軽く息を吐いた。
「……からかうの、その辺にしとけよ」
「本当にそれだけなんだから」
玲奈はようやく笑いを引っ込めた。
「はーい」
返事は軽いが、これ以上つつく気はないらしい。
俺は扉に手をかけた。
重い木の扉が、低く軋む音を立てて開く。
中は外から見るより広く感じる。
入口の近くには木のテーブルがいくつか並び、壁には油のランプが掛けられている。酒場のような騒がしさはなく、空気は静かだった。客同士が談笑する声もなく、ただ落ち着いた時間が流れている。
奥のカウンターにいた男が顔を上げる。
四十代くらいだろうか。日焼けした肌に無精ひげを生やした、いかにも宿屋の主人という感じの男だった。
「おや」
男は俺たちを見ると、少し目を細めた。
「前に来たあんたたちか」
覚えていたらしい。
真里奈先生が少し驚いたように言う。
「あ、はい」
その横で、玲奈が小さく呟いた。
「ほんとに覚えられてる……」
先生はそれを聞いて、余計に気まずそうな顔になる。
主人は苦笑した。
「まあ、宿屋だからな」
「一度来た客くらいは覚えてる」
それから、仕事の顔に戻る。
「今日は泊まりか?」
「はい」
俺が答える。
「三人です」
主人は帳簿を開き、慣れた口調で言った。
「一人部屋は銅貨五枚」
「二人部屋は銅貨八枚だ」
玲奈が少し驚く。
「思ったよりお安いですね」
「飯は出さないからな」
主人は肩をすくめた。
「安宿はだいたいそんなもんだ」
玲奈は首を傾げる。
「食事は別なんですか?」
「そうだ」
「いい宿になると一階が食堂とか酒場になってることが多い」
「泊まった客がそのまま飯を食えるようにな」
「その分、値も上がる」
「なるほど……」
玲奈は素直に感心したようだった。
俺はちらりと先生を見る。
「二人部屋と一人部屋でいいですよね」
「ええ」
先生はすぐに頷く。
「それでお願いできますか」
主人は鍵を二つ取り出した。
「二階だ」
「廊下の奥の二つを使え」
鍵を受け取り、俺たちは階段を上がった。
木の階段は、足を乗せるたびに軽く軋んだ。だが不安な感じはない。古いが、手入れはされている。
二階の廊下は静かだった。
床はきれいに掃かれていて、窓から差す夕方の光が細く伸びている。
俺は一人部屋の扉を開けた。
中は質素だった。
木のベッドが一つ。
小さな机。
椅子が一脚。
壁際には簡単な棚。
豪華さはない。けれど、寝るための場所としては十分だった。
短槍を壁に立てかけ、荷物を下ろす。
城の部屋と比べたら狭いし、何もない。だが、不思議と悪くなかった。
ここは与えられた部屋じゃない。自分たちで選んで、自分たちの金で取った部屋だ。
それが少しだけ、今までと違って感じられた。
少ししてから、俺は廊下に出た。
隣の部屋をノックする。
「入っていい?」
「どうぞー」
玲奈の声が返ってくる。
扉を開けると、二人部屋は当然ながら少し広かった。ベッドが二つ並び、窓際に机がある。玲奈はすでにベッドの端に座っていて、先生は椅子に腰掛けていた。
俺は扉を閉め、壁に背を預ける。
「ちょっと話しておきたいことがあるんだ」
二人がこちらを見る。
「……スキルのこと」
玲奈がすぐに頷いた。
「ですよね」
真里奈先生も静かに言う。
「私も、その話は必要だと思ってたわ」
少しの沈黙が落ちた。
この世界に来てから、俺たちはずっと流されるまま動いてきた。王城に保護され、騎士団に鍛えられ、ようやく外へ出た。
でも、ここから先は違う。
どう動くかも、何を隠すかも、自分たちで決めなければならない。
俺は言葉を選びながら口を開いた。
「この世界だと、スキルって結構大事なものなんだと思う」
「昨日ギルドに行って、なんとなくそんな感じがしたし」
「普通は一人一つみたいだし」
玲奈が真面目な顔で聞いている。
先生が続ける。
「ええ」
「少なくとも、簡単に人に見せるものじゃないわね」
「二つ持ちは珍しいはずよ」
俺は頷いた。
「たぶん、目立つと思う」
「目立つのが絶対悪いってわけじゃないけど」
「今の俺たちにはあんまり良くない気がする」
玲奈が腕を組む。
「良くないっていうと……」
俺は少し考えてから答える。
「うーん……」
「この世界でも、いい人ばかりってわけじゃないと思うんだ」
「スキルのこと知られたら、当てにされたり、面倒ごとに巻き込まれたりするかもしれないし」
真里奈先生が小さく頷いた。
「そうね」
「珍しい力だと分かれば、それだけで利用しようとする人もいるかもしれない」
玲奈の表情が引き締まる。
「なるほど……」
「じゃあ、基本は隠す方がいいですね」
「ああ」
俺は言った。
「外では言わない方がいいと思う」
「ギルドでも、街でも、他の冒険者の前でも」
玲奈が確認する。
「じゃあ、どこまで隠すんですか?」
「全部、かな」
そう言ってから、俺は少し言い直した。
「……いや」
「必要な時はあるかもしれないけど」
「少なくとも、自分からは言わない方がいいと思う」
先生が続ける。
「ただし」
「仲間には隠さない」
「戦闘で分からない方が危ないもの」
「それはそうですね」
玲奈はすぐに同意した。
「連携取れないですし」
俺たちはそこで、細かく確認していった。
何を外に見せていいのか。
何は絶対に伏せるのか。
もし訊かれたらどう誤魔化すのか。
答えを一つずつ決めていく。
「収納は……」
玲奈が言う。
「見られちゃう場面ありますよね」
「たぶん、それは隠しきれない」
俺は頷いた。
「採取依頼だと特に」
「そこはしょうがないかな」
先生が言う。
「でも鑑定は?」
「そっちは隠したい」
俺は即答した。
「薬草が分かるのも、なるべく知識があるふりをした方がいいと思う」
玲奈が納得したように頷く。
「なるほど」
「完全鑑定の方が危ないですもんね」
「うん」
「たぶん」
俺は少し間を置いた。
「この世界だと、あれは普通じゃない」
先生が静かに言う。
「ええ」
「特にユウトくんの完全鑑定はね」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
分かっていたことだ。
俺の無限収納も便利だが、完全鑑定はそれ以上に危うい。物の価値も、人の力も、隠されている情報も、全部見えてしまう。そんなものが普通であるはずがない。
玲奈が空気を軽くするように言った。
「なんか、秘密会議みたいですね」
先生が小さく笑う。
「言い方は軽いけど、たぶんそれで合ってるわ」
俺も少しだけ口元を緩めた。
「まあ、そうかもな」
最終的に決まったのは、単純だが大事なことだった。
外ではスキルの話をしない。
仲間には隠さない。
見せるとしても必要最低限。
自分から能力を広めるようなことはしない。
それは、この世界で生きるための最低限の線引きだった。
話し合いが終わると、部屋の空気は少し和らいだ。
玲奈がベッドに倒れ込む。
「はぁー……」
「なんか急に疲れました」
先生が苦笑する。
「緊張してたのよ」
「ギルドも森も、全部初めてだったもの」
俺も同じだった。
体の疲れより、頭の疲れの方が大きい。
玲奈が天井を見たまま言う。
「でも」
「なんか本当に始まったって感じしますね」
先生がゆっくり頷く。
「ええ」
俺は窓の外に目を向けた。
城下町の夜が広がっている。
路地の向こうにはランプの明かりが増え、どこかの家からは笑い声も聞こえる。
王城の中とは違う。
騎士団の庇護の下でもない。
ここから先は、自分たちで選んで、自分たちで進んでいくしかない。
それでも、不安だけではなかった。
むしろ少しだけ、胸の奥に熱が灯っている気がした。
これが、冒険者としての最初の夜なんだと思う。
◇
夜は静かに過ぎた。
王城の中と違い、完全な無音ではない。遠くの酒場の笑い声、通りを歩く足音、どこかで閉まる扉の音。そんな生活の音が、窓の外からかすかに聞こえてくる。
それなのに、不思議とよく眠れた。
◇
翌朝。
目を覚ました時、最初の数秒だけ、自分がどこにいるのか分からなかった。
見慣れない天井。
狭い部屋。
壁際に立てかけた短槍。
そこでようやく思い出す。
宿だ。
冒険者として初めて取った部屋。
俺は体を起こし、軽く伸びをした。
軽く身支度を整えてから廊下に出る。宿の中はまだ静かだった。階下からはかすかに物音がする。主人は起きているらしい。
俺は隣の部屋の前に立ち、軽くノックした。
「先生、玲奈」
少し間を置いてから言う。
「起きてますか?」
中で何かが動く音がした。
しばらくして、玲奈の声が返ってくる。
「……起きてます」
扉が少しだけ開く。
玲奈が顔だけ出した。
髪が少し乱れていて、明らかに寝起きだった。
「黒崎くん」
「朝早くないですか」
「普通の時間だと思うけど」
俺が言うと、玲奈は眠そうに目を細めた。
「うーん……」
「冒険者って朝早いんですね」
「依頼取るなら早い方がいいだろうし」
「まあ、そうなんですけど」
玲奈はそう言いながら、あくびを一つした。
その時、部屋の奥から先生の声がする。
「玲奈……?」
「黒崎くん?」
玲奈が振り返る。
「あ、先生」
「黒崎くん来てます」
布団が動く音がした。
「ちょ、ちょっと待って!」
数秒後、先生が姿を見せた。
髪が少し乱れている。
玲奈がすぐに笑う。
「先生、寝起き可愛いですね」
「余計なこと言わないの!」
先生が慌てて髪を整える。
俺は思わず苦笑した。
「準備できたら下で待ってる」
「ええ」
「すぐ行くわ」
扉が閉まる。
俺は一階へ下りた。
宿の主人がカウンターの向こうからちらりとこちらを見る。
「もう出るのか」
「ええ」
「ギルドに行きます」
「そうか」
主人は短く答えただけだった。
しばらくして、先生と玲奈も下りてくる。
先生はもうきちんと髪を整えていたし、玲奈も完全に目が覚めたらしい。
「お待たせ」
「そんなに待ってない」
俺が答えると、玲奈が小さく笑う。
「ほんとですか?」
「ほんとだよ」
三人で宿屋を出る。
朝の城下町は、昨夜とはまた違う顔をしていた。
パン屋からは焼きたての匂いが漂い、商人たちは店を開く準備を始めている。荷車の軋む音、職人の声、通りを掃く音。街がゆっくりと目を覚ましていく時間だった。
玲奈が大きく背伸びする。
「よし」
「今日も頑張りますか」
先生も頷く。
「ええ」
俺たちは並んで歩き出した。
冒険者ギルドへ向かって。




