第27話 初めての依頼は薬草採取だったのに思ったより冒険者の現実を思い知らされることになった件
城門をくぐると、見慣れた石畳の街が広がった。
王都の城下町。
この街にはもう何度も来ている。訓練の合間の買い出しで来たし、生活用品を揃えるためにも歩いた。真里奈先生と二人で来たこともあるし、玲奈を交えて三人で歩いたこともある。
だから景色そのものは珍しくない。
露店から漂う焼いた肉の匂いも、荷車の軋む音も、通りを行き交う人々のざわめきも、今ではもう見慣れた日常の一部になっていた。鍛冶屋の前では朝から金属を叩く音が響き、防具屋の店先には革鎧が吊るされ、酒場の前では昼前だというのに出来上がった冒険者らしき男たちが笑っている。
この街は、相変わらず生きていた。
だが、今日は少しだけ違って見えた。
俺は手に持っていた短槍を軽く握り直した。
レオンさんから餞別として渡された武器。訓練用のそれよりもしっかりしていて、手にした時から妙に馴染んだ一本だ。柄の感触を確かめると、少しだけ背筋が伸びる。
棒の頃より重い。けれど、重すぎるほどじゃない。先端の重みがある分だけ、どこで殺傷力が出るのかが分かりやすい。振り回す武器じゃない。間合いを守り、突きで仕留める武器だ。レオンさんが何度も言っていた言葉が、今も腕の中に残っている。
玲奈が周囲を見回しながら言った。
「同じ街なのに、今日はなんか違いますね」
「立場が違うからね」
真里奈先生が静かに答える。
「これまでは騎士団の訓練生として来ていたけど、今日は違うもの」
俺も小さく頷いた。
そうだ。
今日はただの買い物でも、城下町見学でもない。
今日から俺たちは、王城の庇護の外で生きる側になる。
「ここからは全部自己責任よ」
真里奈先生がそう言うと、玲奈が苦笑した。
「改めて言われると、ちょっと怖いですね」
「怖いくらいでちょうどいい」
俺は前を見たまま言った。
「甘く見てると、たぶんすぐ痛い目に遭う」
「黒崎くんが言うと妙に説得力ありますね」
「なぜか最近そういう目によく遭うからな」
すると玲奈が吹き出した。
「たしかに」
「否定できないだろ」
「できませんね」
その軽さに少し救われる。
重く考えすぎても仕方ない。だが軽く見てもいけない。今は、その間くらいの気持ちでいるのがちょうどよかった。
通りの先に、見慣れた建物が見えてくる。
剣と盾の紋章を掲げた、大きな建物。
「冒険者ギルドですね」
玲奈が少し声を潜めた。
「前から見てはいましたけど、入るってなるとやっぱり緊張します」
「私もよ」
真里奈先生も、今日は少しだけ表情が硬い。
「黒崎くんは?」
「緊張はしてる」
俺は正直に答えた。
「ただ、ここでやっていくって決めた以上、入らないわけにもいかないだろ」
「それもそうですね」
玲奈は一度深呼吸してから頷いた。
俺たちはそのままギルドの扉を押した。
重い木の扉が開く。
中に入った瞬間、ざわめきと酒の匂いが一気に押し寄せてきた。
広いホール。
木の長机。
武器を持った男女。
鎧姿の男が大声で笑い、隣ではローブ姿の女が書類を睨んでいる。奥には酒場のような空間まであり、昼間だというのにもう飲んでいる連中もいた。
壁には巨大な掲示板がある。
依頼書がびっしりだ。
受付の前には何人か列が出来ていて、魔物の耳を詰めた袋を抱えた男と、護衛依頼の確認をしているらしい商人風の男が何やら揉めている。別の場所では、採取依頼を終えたらしい女冒険者が泥だらけの靴を脱いで椅子に腰かけ、疲れ切った顔でスープをすすっていた。
王城の整然とした空気とは真逆だった。秩序がないわけじゃない。だが、ここにはここなりの生々しさがある。
「思ってたより……荒っぽいですね」
玲奈が小さく呟いた。
「まあ、騎士団とは違うな」
「でも」
真里奈先生が視線を巡らせる。
「みんなちゃんと働いてる顔をしてるわね」
「働いてる顔?」
玲奈が不思議そうに聞き返す。
「うまく言えないけど」
先生は少し考えるようにして言った。
「守られている場所じゃなくて、自分で稼いで、自分で生きてる人たちの顔っていうのかしら」
その言い方は妙にしっくりきた。
王城は安全だった。訓練も食事も寝床もあった。だが、それはあくまで用意された環境だ。ここは違う。怪我をしようが、稼げなかろうが、自分でどうにかするしかない場所なんだろう。
俺たちは受付へ向かった。
カウンターの向こうには、前に見たことのある受付嬢が座っていた。俺たちを見ると、仕事用の笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょう?」
「冒険者登録をお願いします」
俺がそう言うと、受付嬢は三人を見て頷いた。
「初登録ですね」
引き出しから書類と小さな木板を取り出す。
「では順番に、お名前と出身地をお願いします」
書類に名前を書く。
そこで、やはり一瞬だけ手が止まった。
出身地。日本と書くわけにはいかない。この世界に存在しないのだから。
少しだけ迷ってから、俺は簡潔に書いた。
異邦。
それを見た受付嬢は特に何も言わなかった。真里奈先生も玲奈も、似たような書き方をしたらしい。異邦人や流れ者は珍しくないのかもしれない。
「問題ありません」
受付嬢は次に小さな金属製の棒を取り出した。先の細い金属棒で、木板に軽く触れる。
コツ、という音。
次の瞬間、木板の表面に淡い光が走り、文字が浮かんだ。
玲奈が目を見開く。
「……魔道具ってやつですか?」
「簡易型ですけどね」
受付嬢は慣れた手つきで刻印していく。
名前。
ランク。
出身地。
そして最後に、長い長い番号。
受け取った木板を見て、俺は思わず目を細めた。
「番号、長いですね」
玲奈も自分の証を見ながら頷く。
「長すぎません?」
受付嬢が肩をすくめた。
「世界中の冒険者を管理していますから」
「この番号は世界共通です。どこの国のギルドでも、同じ番号で本人確認ができます」
「世界中……」
真里奈先生が小さく繰り返す。
受付嬢はさらに続けた。
「それと、この番号はもう一つ重要な役割があります」
俺たちは自然と顔を上げた。
「ギルドでは冒険者のお金を預かっています」
玲奈が首を傾げる。
「お金を?」
「はい。依頼の報酬をそのまま預ける冒険者も多いです」
「好きな時に預けることも、引き出すことも出来ます」
真里奈先生が少し感心したように言う。
「銀行みたいなものね」
受付嬢は軽く頷いた。
「まあ、そんなところです」
「そしてその預金の管理も、この冒険者番号で行われています」
俺は自分の冒険者証を見た。
なるほど。
つまりこの番号が――口座番号みたいなものか。
受付嬢はさらっと言う。
「ですので、冒険者証を無くしても番号が分かれば預金の確認はできます」
「ただし再発行にはお金がかかります」
玲奈が苦笑する。
「なるほど……覚えておいた方がよさそうですね」
「その通りです」
受付嬢はうなずいた。
「ちなみに番号が長い理由はもう一つあります」
そしてあっさり言った。
「死んだ冒険者の番号も残っていますし」
玲奈が顔を上げた。
「消さないんですか?」
「消しません」
受付嬢はあっさり言う。
「死んだと思われていても、生きて戻ってくることはありますから」
「まあ、登録抹消された場合は新しい番号になりますけど」
「抹消?」
俺が聞き返すと、受付嬢は事務的に頷いた。
「Fランクの新人は、一カ月以上依頼を受けないと登録抹消です」
三人同時に黙った。
「依頼を受けないと、ですか」
「はい」
「冒険者は依頼を受けて働くのが仕事ですから」
受付嬢は淡々としている。
「働く意思がない冒険者は不要です。登録が抹消された場合、預けているお金も没収になります」
玲奈が引きつった顔で笑った。
「厳しいですね……」
「冒険者は自己責任ですから」
受付嬢は肩をすくめる。
「ちなみに、依頼を失敗した場合は実績が下がります。内容によっては賠償が発生することもあります」
「賠償まで……」
真里奈先生が少し真顔になる。
「依頼主の荷物を壊したり、護衛対象を守れなかったりした場合ですね」
受付嬢はそこで掲示板を指差した。
「依頼にはいくつか種類があります」
「採取依頼、討伐依頼、護衛依頼、運搬依頼、指名依頼、緊急依頼」
玲奈が聞く。
「緊急依頼って、強制なんですか?」
「いいえ」
受付嬢は首を振った。
「緊急依頼でも強制はできません。冒険者は自由ですから」
その言い方は、少しだけ誇らしげだった。
「ただし、報酬は高いです」
玲奈が苦笑する。
「なるほど。だから誰かは受けるんですね」
「そういうことです」
受付嬢は三人の冒険者証を机に並べる。
「ランクはF。新人ですね。最初は採取依頼や雑務から始める方が多いです」
そして、ちらりと玲奈と真里奈先生を見た。
「あと、女性冒険者は少し注意してください」
「注意?」
玲奈が首を傾げる。
「女性冒険者を自分の女扱いする依頼人がいます」
真里奈先生の表情がわずかに固くなる。
「そういうのは?」
「必ずギルドに報告してください」
受付嬢はにこりと笑った。
「次から依頼料をぼったくりますので」
一瞬、俺たちは黙った。
玲奈が先に吹き出した。
「ぼったくるんですね」
「当然です」
受付嬢は平然としている。
「ギルドは依頼人の味方じゃありません。冒険者の味方です」
その言葉は、意外と頼もしく聞こえた。
「あと男性冒険者」
今度は俺を見る。
「受付嬢を恋人とか母親とか、そういう存在だと勘違いするバカがいます」
「母親……?」
玲奈が吹き出した。
「たまにいるんです」
受付嬢は遠い目をしたあと、胸を張る。
「そういうやつをぶちのめす依頼が出ることもありますので、自称美しい受付嬢に妙な感情を抱かないようにしてくださいね」
「自称なんですね」
玲奈が即座に返す。
受付嬢は涼しい顔で言った。
「自分で言わないと誰も言ってくれませんから」
真里奈先生が肩を震わせて笑いをこらえている。
俺は苦笑しつつ頭を下げた。
「覚えておきます」
「それがいいでしょう」
受付嬢は最後に木板を差し出した。
「これで登録完了です。今日から正式に冒険者ですね」
受け取った冒険者証は、思っていたよりずっと軽かった。
なのに、妙に重い。
玲奈が自分の証を見つめて言った。
「なんか……本当に始まった感じしますね」
「ええ」
真里奈先生も静かに頷く。
「もう後戻りするつもりはないけど、こうして形になるとやっぱり違うわね」
俺たちは受付を離れ、掲示板の前に立った。
依頼書が無数にある。
薬草採取。薪集め。街道の荷物運搬。畑の害獣退治。
その中に、ゴブリン討伐や森狼討伐の紙も混ざっている。
ざっと見ただけでも分かる。
安全そうな仕事ほど報酬は安い。
危険そうな仕事ほど、報酬は跳ね上がる。
「最初は……やっぱりこれかな?」
俺は一枚の依頼書を指で押さえた。
【回復草採取】
報酬:銀貨二枚
場所:北側の浅い森
納品数:二十本
玲奈が少し口を尖らせる。
「意外と安いですね」
「たぶん最初は経験を買うのよ」
真里奈先生が言った。
「いきなり高い依頼に手を出して失敗したら、それこそ高くつくわ」
「それはそうか」
俺は依頼書をはがした。
受付へ持っていく。
「これを受けます」
受付嬢は確認して頷いた。
「堅実ですね」
「新人はそれで正解です。森は浅いですが、魔物がまったく出ないわけではありませんので気を付けて」
「はい」
俺たちは依頼票を受け取り、ギルドを出た。
◇
北側の森は、王城で訓練していた森ほど深くはなかった。
街から少し歩けば辿り着く。道もそこまで悪くない。
だからこそ新人向けなのだろう。
だが森は森だ。
木々が生い茂り、少し入るだけで街の喧騒は遠くなる。風が葉を揺らす音と、時折どこかで鳴く鳥の声しか聞こえない。街のすぐ外とは思えないほど、空気が変わる。
「回復草って、こんなところにあるのよね」
真里奈先生が辺りを見回す。
「あるはずだけど……」
「思ってたより普通の草ばっかりですね」
玲奈がしゃがみ込んで一本摘まむ。
「これじゃ分からないです」
「まあ、普通はそうだろうな」
俺も周囲の草を見た。
見た目だけで区別できるほど、俺は薬草に詳しくない。
だが、俺には使えるものがある。
ただし、それを外で迂闊に見せる気はない。
玲奈と真里奈先生は別だ。二人は同じ転移者で、俺のスキルも知っている。俺も二人のスキルを知っている。だから今さら隠す必要はない。だが、それでも場所が森の中である以上、周囲への警戒は必要だった。
俺は一度だけ辺りを見回した。
人の気配はない。
それから、足元の草へ意識を向けた。
《完全鑑定》
【雑草】
食用不可。薬効なし。
さらに隣。
【回復草】
軽い外傷や疲労回復用の薬の材料。
「……あった」
玲奈と真里奈先生が同時に振り向く。
「え?」
「もう?」
俺はその草を指差した。
「これが回復草だ」
「分かるの?」
真里奈先生が聞く。
俺は少しだけ肩をすくめた。
「鑑定で」
玲奈が目を丸くする。
「それ、普通の鑑定なんですか?」
少し迷ったが、ここは誤魔化す必要がない相手だ。
「いや。正確には完全鑑定」
玲奈が首を傾げる。
「鑑定スキルとは違うんですか?」
「かなり詳しく分かる」
俺は説明する。
「物の名前や効果だけじゃなくて、もっと細かい情報も出る。スキルとか、能力とか、そういうのまで」
「え、それってすごくないですか?」
玲奈が素で引いた顔をする。
その横で、真里奈先生がなぜか少し遠い目をした。
「……ええ」
そしてしみじみと言う。
「女性にとって、とっても危険なスキルだから玲奈も気をつけてね」
玲奈が首を傾げる。
「危険?」
真里奈先生は俺をちらりと見た。
「体重とかスリーサイズまでも見えるのよ」
一瞬、空気が止まった。
玲奈がゆっくり俺の方を見る。
「……黒崎くん?」
俺は慌てて首を振った。
「誤解だ!」
「何が?」
「いや、あれは事故です!」
真里奈先生が冷たい声で言う。
「事故じゃないでしょう」
「事故です!」
「見たのは事実よね?」
「だから不可抗力だったんです!」
玲奈が口元を押さえた。
「え、何があったんです?」
「言わなくていい!」
俺が止めたのに、真里奈先生はため息をついてからさらっと言った。
「お風呂上がりの時にね」
「先生!」
玲奈が完全に吹き出した。
「なるほど、そういう危険……」
「いやほんとに事故なんだって!」
「まあ黒崎くんなら悪用はしなさそうですけど」
玲奈は笑いをこらえながら言う。
真里奈先生は真顔で釘を刺した。
「だからこそ気をつけてね玲奈」
「はい」
玲奈は素直に頷き、それから俺に向き直る。
「黒崎くん、あんまり見ないでくださいね?」
「見ません!」
即答した。
真里奈先生がぼそっと言う。
「私のはもう見てるけどね」
「だから事故です!」
森の中にしばらく笑い声が響いた。
そのあと、真里奈先生がようやく話を戻す。
「でも本当にすごいわね、そのスキル」
「たしかに、採取依頼と相性抜群ですよ」
玲奈が感心したように言う。
「普通の冒険者って、たぶん一本一本見て探してますよね?」
「だろうな」
「それを黒崎くんは一瞬で見つけるんだから……」
玲奈がそこで、俺の手元を見た。
「しかも、収納で持ち運びも楽」
「まあな」
俺は回復草を根元から抜き、そのまま収納した。草がすっと消える。
「その反応、やっぱり何回見ても慣れません」
「俺も未だにちょっと便利すぎると思ってる」
真里奈先生も素直に頷いた。
「採取依頼との相性、かなり良さそうね」
その後は早かった。
俺が鑑定で回復草を見つける。
抜く。
収納する。
玲奈と真里奈先生が周囲の警戒と別の草の確認を手伝う。
三人で役割分担が自然にできていた。
「これも違うわね」
「こっちは毒草っぽいです」
「なら触るな」
「はい」
そうやって少しずつ数を増やしていく。
普通なら見つけるのに一番苦労するのだろう。
だが俺の鑑定があると、効率がまるで違った。
そして、草を見分けながら俺は考えていた。
やっぱり、このスキルは隠すべきだ。
完全鑑定は便利すぎる。薬草探しだけで終わらない。武器の質、素材の価値、魔物の情報、人間の能力。下手をすれば商人にも貴族にも狙われる。収納だけでも便利なのに、こっちまで知られたら面倒じゃ済まない。
「黒崎くん?」
玲奈の声で意識が戻る。
「いや、なんでもない」
そう答えて、再び足元へ意識を向けた。
そんな中で、ふと視界の端に小さな草が入った。
他の草に紛れ、色も地味だ。普通なら見逃していたと思う。
俺は足を止めた。
《鑑定》
【高級回復草】
上質な治癒薬の材料。
通常の回復草より希少。買値高。
「……これも薬草か」
玲奈が不思議そうに見る。
「それもですか?」
「依頼の回復草とは違うな」
真里奈先生もしゃがみ込んだ。
「見た目は普通だけど……」
「高級回復草って出た」
「高級?」
玲奈が少し目を輝かせる。
「高そうですね」
「たぶん」
俺はその草も抜いて、とりあえず収納した。
「あとでギルドに聞いてみるか」
「そうですね」
玲奈が頷く。
依頼とは別に、こういう発見があるのも冒険者なのかもしれない。
だが。
それだけでは終わらなかった。
少し森の奥へ入ったところで、空気が変わった。
前方から荒い声が聞こえる。
「だから言っただろ! もっと右を見ろって!」
「お前が突っ込みすぎたんだろうが!」
怒鳴り合う声。
木々の間から覗くと、冒険者らしい男が二人いた。
一人は腕を押さえて座り込み、もう一人は苛立った様子で周囲を見ている。
血の匂いが微かにする。
玲奈が小さく息を呑んだ。
「ケガしてる……」
俺たちに気づいた冒険者の一人が、こちらを見た。
「新人か?」
「そうです」
俺が答えると、男は険しい顔のまま笑った。
「森を甘く見るなよ」
「薬草採取でも、死ぬ時は死ぬ」
その言葉は妙に重かった。
「ゴブリン一体だと油断した」
「結果がこれだ」
もう一人が吐き捨てるように言う。
「こいつが余計な傷負ったせいで、今日の稼ぎは薬代で消える」
玲奈の表情が固くなる。
さっきまで少し浮ついていた気分が、急に現実へ引き戻された。
冒険者は自由だ。
だが、その自由にはこういう傷も含まれる。
真里奈先生が静かに言った。
「行きましょう」
「ああ」
俺たちは余計な口を挟まず、その場を離れた。
その直後だった。
ガサッ、と低い音。
茂みが揺れる。
俺は反射的に短槍を構えた。
「来る!」
飛び出してきたのは、緑色の小柄な魔物。
ゴブリンだ。
一体だけじゃない。
もう一体。
さらにもう一体。
「三体!」
玲奈が声を上げる。
「落ち着いて!」
真里奈先生の声が飛ぶ。
「ユウトくん、正面! 玲奈は左!」
「分かった!」
俺は前に出る。
短槍を構え、間合いを測る。
最初の一体が突っ込んでくる。
焦らない。
近づきすぎる前に、突く。
短槍の穂先が胸を捉えた。
鈍い手応え。
ゴブリンが崩れる。
左からもう一体。
「玲奈!」
「はい!」
玲奈の魔法が飛ぶ。
水弾。小さな塊だが、顔面に直撃したゴブリンが怯んだ。
そこへ俺が踏み込み、二体目も突き倒す。
残る一体が真里奈先生の方へ回ろうとする。
「右!」
先生自身の声が飛んだ。
俺は反射的に体を捻り、横へ薙ぐように柄を使ってゴブリンの動きを止める。
そこへ玲奈の二発目。
水弾が肩口に当たり、体勢が崩れる。
最後は短槍の突き。
静かになった森の中で、俺たちはしばらく呼吸を整えた。
「……終わったか」
俺が言うと、玲奈が小さく震えた声で返した。
「はい……たぶん」
真里奈先生が深く息を吐く。
「大丈夫?」
「なんとか」
玲奈は自分の手を見た。
「訓練で戦ってたのと、全然違いますね」
「そうね」
真里奈先生が静かに頷く。
「これが冒険者の仕事」
俺も短槍の先を見た。
血が付いている。
さっきまでの薬草採取とは、空気がまるで違った。
訓練ではない。
自分たちの依頼で、自分たちの責任で戦う。
それが妙に重い。
だが同時に、俺は一つ確信していた。
鑑定と収納。
この二つは思った以上に強い。
回復草も、高級回復草も、見逃さず拾える。
荷物を気にせず採取できる。
それは冒険者としてかなり大きいはずだ。
「薬草、数は足りてるか」
収納を確認する。
「ちょうど二十本だ」
玲奈がほっと息を吐いた。
「じゃあ帰れますね」
「ええ」
真里奈先生も頷いた。
「今日はここまでにしましょう」
◇
ギルドに戻った頃には、日が少し傾き始めていた。
受付へ向かい、依頼票を出す。
「回復草採取の納品です」
受付嬢は木箱をカウンターに置いた。
「では確認します」
俺は収納から回復草を取り出していく。
一束、二束、三束。
受付嬢の手が一瞬止まった。
「収納スキル……便利ですね」
「そうみたいです」
淡々と数を数えていく。
「二十本。問題なし」
木箱を閉じ、報酬袋を差し出した。
「依頼達成です。初依頼としては上出来ですね」
玲奈が少し笑う。
「ありがとうございます」
俺は思い出して、もう一つ収納から取り出した。
「あと、こんなのも見つけたんですけど」
カウンターに置いた草を見て、受付嬢の表情が変わる。
「……これは」
「高級回復草ですね」
玲奈が声を上げた。
「やっぱり高いんですか?」
「普通の回復草よりは、かなり」
受付嬢は草を持ち上げる。
「新人が採取依頼のついでに見つけるものじゃありませんよ」
俺は少し肩をすくめた。
「運が良かったみたいです」
受付嬢は俺の顔を見てから、草へ視線を戻した。
「そういうことにしておきましょう」
その時、後ろから低い声がした。
「何が見つかったって?」
振り向く。
ダインだった。
酒場スペースの方から歩いてくる。
受付に置かれた高級回復草を見て、少しだけ口元を動かした。
「お、もう依頼やってきたのか」
「ダインさん」
玲奈が少し明るい声を出す。
ダインは俺たちの前で止まり、カウンターの草を見た。
「新人にしては運がいいな」
俺は肩をすくめた。
「そうみたいです」
ダインは小さく頷いた。
「まあ、そういうこともあるか」
それ以上は踏み込まず、ダインは俺を見た。
「薬草採取はどうだった」
俺は少し考えた。
「思ってたより大変でした」
「だろうな」
ダインは笑った。
「冒険者の仕事ってのは、大抵そういうもんだ」
玲奈が苦笑する。
「薬草採取って、もっと平和だと思ってました」
「平和な依頼なんてない」
ダインはあっさり言う。
「たまたま死ににくいだけだ」
その言葉に、森で見たケガ人の姿が浮かぶ。
確かにその通りだった。
ダインは俺たち三人を見回した。
「だが、初回にしては悪くない」
「回復草を揃えて、余計なもんまで拾ってきた」
「高級回復草は店に売れば小遣いくらいにはなる」
玲奈の目が輝く。
「おお」
「本当に見つけ得だったんですね」
「まあな」
ダインは少し笑った。
俺は高級回復草を見た。
ただのついでだと思っていたが、価値があるなら使い道もあるだろう。
ダインが続ける。
「明日も来るか?」
俺はすぐに答えなかった。
今日一日だけでも、分かったことは多い。
冒険者の現実。
自由の重さ。
自分のスキルの価値。
そして何より。
これから先、本当に自分たちだけで生きていくのだという実感。
「来ます」
俺ははっきり言った。
ダインは頷く。
「なら、もう少しまともな依頼も見てやる」
「ありがとうございました」
「礼はいい」
ダインは短く答えた。
「生き残れ。それだけだ」
その言い方は、少しだけレオンさんに似ていた。
ギルドの外へ出ると、夕方の風が頬に当たった。
玲奈が大きく息を吐く。
「いやー……」
「思ってたより、だいぶ大変でしたね」
「そうね」
真里奈先生も静かに頷く。
「でも」
俺は手に持っていた短槍を軽く握り直した。
レオンの餞別。
今日、この武器で初めて自分の依頼をこなした。
「やれそうだ」
二人がこっちを見る。
「え?」
「冒険者」
俺は少しだけ笑った。
「思ってたより大変だけど」
「思ってたより、やれそうだ」
玲奈がにやっと笑う。
「いいですね、それ」
真里奈先生も柔らかく笑った。
「ええ」
そこで玲奈が、ふと思い出したように言った。
「……ところで」
「今日ってどこに泊まります?」
その一言で、三人そろって少しだけ止まる。
たしかに。
王城を出た以上、今夜の寝床は自分たちで確保しなければならない。
真里奈先生が考え込む。
「そうね……」
「早めに決めた方がいいわ」
夕方とはいえ、宿は遅くなるほど埋まりやすいだろう。
俺は少し考えてから言った。
「あの宿屋に行ってみますか?」
「前に使ったところ」
「あそこ、安かったし」
玲奈がぴたりと止まった。
「えっ」
ゆっくりと俺と真里奈先生を見る。
「なんで二人が宿屋を知ってるんですか?」
嫌な間が空いた。
真里奈先生が一瞬で顔を赤くする。
「ち、違うの!」
慌てた声だった。
「前にちょっとだけスキルを調べるのに入っただけなの!」
玲奈がじっと先生を見る。
「へぇー」
「ちょっとだけ」
「そう!」
「本当にそれだけ!」
先生は必死だ。
俺も頷く。
「事実だ」
「スキルの検証で部屋が必要だったんだよ」
玲奈は腕を組んだまま、にやにやしている。
「なるほどなるほど」
「スキルの検証ですか」
真里奈先生はさらに慌てた。
「ほんとに何もなかったのよ!?」
「先生」
玲奈が真顔で言った。
「それだと、何かあってほしかったみたいに聞こえますよ」
一瞬、空気が止まった。
「なっ!?」
真里奈先生の顔が一気に真っ赤になる。
「ち、違うわよ!!」
「そういう意味じゃないから!!」
玲奈が吹き出した。
俺は思わず額に手を当てる。
「玲奈、あんまり先生をいじるな」
「だって面白いんですもん」
「面白くないわよ!」
通りの真ん中で真里奈先生が抗議する。
だが玲奈はまったく堪えていない。
「でもまあ」
玲奈は笑いながら言った。
「安いならそこがいいですね」
「黒崎くんも知ってる、先生も知ってるなら安心ですし」
真里奈先生はまだ顔を赤くしたまま、小さく息を吐いた。
「……そうね」
「宿代はなるべく抑えたいもの」
俺も頷く。
「決まりだな」
王都の夕暮れの石畳を、俺たちは並んで歩き出した。
今度は訓練生としてではない。
冒険者として、自分たちの金で宿を取り、自分たちの足で生きていく。
それは小さなことのようでいて、思っていたよりずっと大きな一歩だった。




