第23話 元騎士の冒険者ダインに会いに冒険者ギルドへ言ったら、いきなり実力を試されることになった件
翌日。
王城での午前訓練を終えたあと、黒崎ユウトは宿舎の部屋で短槍の穂先を布で拭っていた。
窓の外はよく晴れている。城下町へ降りるにはちょうどいい天気だ。
レオンから渡された紹介状は、机の上に置いた革袋の中にしまってある。たった紙一枚。だが、あの紙がこれからの進路を大きく変えるかもしれないと思うと、妙に重く感じた。
短槍を壁に立てかけたところで、扉がこんこんと鳴る。
「黒崎くん、準備できた?」
橘真里奈の声だった。
「はい」
扉を開けると、いつものきっちりした服装の真里奈と、その隣でにやにやしている桐谷玲奈がいた。
「なんで玲奈もいるんだ?」
ユウトが素直に聞くと、玲奈は胸を張った。
「当然です」
「当然?」
「先生の恋愛応援団長として、初めての冒険者ギルド訪問デートを見届ける義務があります」
「だからデートじゃないって言ってるでしょ!」
真里奈が真っ赤になる。
「今日は黒崎くんの進路相談よ!」
「はいはい、進路相談という名のデートですね」
「玲奈!」
真里奈が抗議する横で、ユウトは小さくため息をついた。
だが、玲奈が来ること自体は、そこまで不自然ではない。もともと隠し事が苦手な真里奈だ。こういう時に玲奈だけ外す方が、むしろ怪しいのかもしれなかった。
「まあ、いいか」
「いいんですか?」
玲奈が少し驚いた顔をした。
「どうせ止めても来るだろ」
「よく分かってますね」
「分かりたくなかった」
真里奈は額に手を当てている。
それでも三人で城門を出る頃には、少しだけ空気が和らいでいた。
◇
城下町は今日も賑やかだった。
石畳の道を商人の荷車が行き交い、武器を腰に下げた男たちが酒場の前で話し込んでいる。道端では露店が果物や焼いた肉を売っていて、香ばしい匂いが風に乗って漂ってきた。
真里奈が小さく周囲を見回す。
「やっぱり城の中とは空気が違うわね」
「ええ」
ユウトも頷いた。
王城の中は整っていて静かだが、こちらはもっと生々しい。生きるために働き、食べ、稼ぎ、怒鳴り、笑う人の空気がある。
「で、冒険者ギルドってどっちでしたっけ?」
玲奈が聞く。
「この前見たのは、あっちの大通りを曲がった先だな」
ユウトが答える。
何度か行った城下町歩きでだいたいの位置は把握していた。三人はそのまま人混みを抜けていく。
やがて見えてきたのは、木と石を組み合わせた大きな建物だった。壁には剣と盾を模した看板。昼間だというのに出入りする人間が多く、扉の前にはすでに数人の冒険者が立っている。
「……やっぱり大きいわね」
真里奈が少し緊張した顔で呟く。
「ですね」
ユウトは革袋の中の紹介状を軽く確かめた。
「行きましょう」
三人で中へ入る。
中は、思っていた以上に騒がしかった。
受付の前では依頼の受注で揉めている男たちがいて、壁の大きな掲示板には紙が何十枚も貼られている。奥には酒場のようなスペースまであり、昼間から酒を飲んでいるらしい連中もいた。
王城の騎士団の詰所とはまるで違う。
秩序よりも、勢いと実力が優先される場所。そんな印象だった。
「いらっしゃい。登録か、依頼か?」
受付の女性が手慣れた様子で聞いてくる。
ユウトは一歩前に出た。
「人を探しています」
「名前は?」
「ダインさんです。レオンさんからの紹介状があります」
その名前を聞いた受付の女性が、少しだけ表情を変えた。
「ダイン?」
「はい」
「……ちょっと待ってて」
奥の方へ視線を向け、誰かに声をかける。
「ダイン! あんたに客!」
少しして、奥の酒場スペースの影から大柄な男が立ち上がった。
背が高い。肩幅も広い。年齢は三十前後だろうか。短く刈った髪に、日に焼けた肌。腰には短いが頑丈そうな剣を佩き、大きめの盾を壁に立てかけられている。
無口そうな印象だった。
男はゆっくりこちらへ歩いてくると、まずユウトではなく真里奈と玲奈を見て、そのあとでユウトに目を止めた。
「……あんたがユウトか」
低い声だった。
「はい」
「隊長からの手紙は?」
その呼び方で、ユウトは少しだけ安心した。
レオンの話は本当だったらしい。
ユウトは革袋から紹介状を取り出して渡す。ダインはその場で封を切り、ざっと目を通した。
無言。
真里奈と玲奈が少しだけ緊張する。
やがてダインは紙を折りたたみ、懐にしまった。
「……なるほど」
それだけ言って、ユウトをじろりと見る。
「隊長が人を寄こすなんて珍しい」
「忙しいから、紹介状だけだと」
「だろうな」
ダインは短く鼻で笑った。
「隊長は真面目すぎる。昔からそうだ」
レオンを「隊長」と呼ぶ声に、どこか自然な敬意があった。元部下という言葉に嘘はないのだろう。
ダインは腕を組んだ。
「で?」
「何の用だ」
ユウトは素直に答える。
「冒険者になることを考えてます」
「考えてる、か」
ダインの目が細くなる。
「軽い気持ちで言ってるならやめとけ」
「軽くはないです」
「そうか」
そこでダインは真里奈と玲奈の方を見る。
「そっちの二人は?」
「私たちも一緒です」
玲奈がすぐに答える。
「私は先生……じゃなくて、マリナさんの恋」
「玲奈」
真里奈が肘で小突いた。
「私は橘真里奈です」
慌てて言い直す。
「教師でした。でも今は……」
少しだけ言葉を選ぶ。
「この世界でどう生きるか、考えているところです」
ダインは一瞬だけ眉を動かした。
「教師?」
「はい」
「……隊長が世話焼きそうな組み合わせだな」
ぼそっとそんなことを言う。
それからダインは顎で奥を示した。
「立ち話も何だ。あっちで話すか」
三人はそのまま酒場スペースの奥の空いた席へ案内された。
◇
木のテーブルに腰を下ろすと、ダインは正面に座った。
近くで見ると、かなり迫力がある。だが威圧しているというより、無駄な言葉を削っている感じだった。
「まず言っておく」
ダインが口を開く。
「冒険者は自由だ」
「はい」
「だがその自由に、保証は一切ない」
受付で聞いた話と同じだ。だが今度は、もっと現実味がある。
「依頼を受けるのも自由。受けないのも自由。死ぬのも自由。見捨てられるのも自由だ」
「見捨てられる……」
真里奈が小さく反応する。
ダインは頷いた。
「騎士なら、最低限の後ろ盾はある。仲間も制度もある。国が面倒を見る」
「だが冒険者は違う。失敗すれば借金を背負う。怪我をすれば仕事がなくなる。死んでも酒場で一晩話題になるだけだ」
玲奈が少しだけ表情を引き締めた。
「……厳しいですね」
「だから、甘い考えで来る場所じゃない」
ダインはそう言ってから、ユウトを見た。
「それでも来たい理由は?」
ユウトは少し考えた。
王国への違和感。
勇者パーティとの距離。
選ばれた者とそうでない者の線引き。
いろいろある。
だが一番大きいのは、もっと単純なことだった。
「自分で決めたいからです」
ダインは黙って聞いている。
「騎士になる道もあると思います。でも、俺はたぶん騎士向きじゃない」
「……隊長もそう書いてたな」
ダインが小さく言う。
「生き残るタイプだ、か」
レオンがそんなふうに書いていたのか、とユウトは少し驚いた。
「組織の中で命令されるより、自分で危険を見て判断して、生き残る方が向いてる気がします」
「なるほど」
ダインは短く頷く。
「で、槍か」
「はい」
「見せてみろ」
「え?」
ダインは立ち上がった。
「軽くでいい。表に出ろ」
玲奈が小さく呟く。
「来ましたね」
「何が?」
「実力チェック、お約束です」
真里奈は不安そうだったが、ユウトはむしろ納得していた。
紹介状だけで信用されるほど、冒険者の世界は甘くないだろう。
◇
ギルドの裏手には、木人や丸太が置かれた小さな訓練場のような場所があった。冒険者たちが軽く体を動かしたり、新人を試したりする場所らしい。
ダインはそこで腕を組む。
「打ち込んでみろ」
丸太を指差した。
「これにですか?」
「ああ」
ユウトは短槍を構えた。
深呼吸。
間合いを測る。
踏み込みすぎず、狙いを絞って突く。
穂先が丸太に深く食い込む。
引く。
もう一度。
角度を変えて突く。
ダインは黙って見ていた。
やがて、少しだけ口元を動かす。
「悪くない」
「……ありがとうございます」
「槍を振ってないのがいい。剣みたいに使う奴は多い」
そこでダインは、自分の盾を持ち上げた。
「次。俺相手にやれ」
玲奈が小さく「おお」と言った。
「本格的ですね」
真里奈は少し心配そうにユウトを見る。
だがユウトは頷いた。
「お願いします」
ダインは盾を構える。
騎士時代に前線で使っていたのだろう。姿勢に迷いがない。正面からぶつかれば勝てないと、構えただけで分かる。
だからこそ、ユウトは普段通りにやるしかない。
距離。
間合い。
突くべき場所。
踏み込んでくるなら、その前を取る。
「来い」
短い合図。
ユウトは一歩踏み出し、盾の縁を狙って突く。
鈍い音。
弾かれる。
だが押し込まない。すぐに引く。
「ほう」
ダインの目が少しだけ変わる。
もう一度。
今度は足元を狙うように低く突く。
盾が下がる。
その隙間を狙って喉元――までは行かず、胸の前で止める。
「……」
ダインが止まる。
それから、ゆっくり盾を下ろした。
「いい」
短く言った。
「無理に前へ出ない。止める位置も分かってる」
「倒せるとは思ってませんでした」
ユウトが正直に言うと、ダインは小さく笑った。
「それで正しい」
「俺みたいなのを前から抜けるなら、もう冒険者じゃなくて騎士団に入れる」
玲奈が感心したように頷く。
「すごい」
「ユウトくん、ちゃんと通用してる」
真里奈もほっとした顔を見せた。
ダインは盾を肩に担ぎながら、少しだけ真面目な声で言った。
「隊長が人を寄こす理由は分かった」
「派手じゃない。だが死ににくい」
「その手の奴は、冒険者だと長生きする」
それは褒め言葉なのだろう。
ユウトは少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
ダインはぶっきらぼうに言った。
「ただし、まだ冒険者になると決めるには早い」
「え?」
「一度依頼を見ろ。街の外の空気を見ろ。騎士と違う現実を見ろ」
そこでダインは少しだけ視線を遠くに向けた。
「騎士は、守る場所が決まってる」
「だが冒険者には、それがない」
「自分で選び、自分で捨てる」
その言葉には、騎士だった人間の実感が滲んでいた。
ユウトは聞いた。
「ダインさんは……どうして騎士を辞めたんですか」
少し間があった。
玲奈も真里奈も、黙ってダインの返事を待つ。
ダインは盾を地面に立てた。
「嫌になったからだ」
それは簡単な答えだった。
「上の命令、貴族の都合、選ばれた奴と選ばれなかった奴の区別。全部だ」
その言い方に、ユウトは昨日の訓練場で聞いた話を思い出す。
「隊長――いや、レオンさんとはその頃から一緒だったんですか?」
「ああ」
ダインは頷く。
「隊長は変わらんよ」
「上に逆らう人じゃない。だが自分の目の前の人間はちゃんと守ろうとする」
「らしいですね」
ユウトが言うと、ダインは少しだけ口元を緩めた。
「だから今も隊長なんだ」
それからダインは、ふと思い出したように言った。
「昔はもう一人いた」
「もう一人?」
「ガルドだ」
その名前に、真里奈と玲奈が反応する。
「レオンさんが言ってた弓使い?」
「ああ」
「腕はいい。口も回る」
「今は?」
「隣国だ」
ダインは簡単に答えた。
「先に王国を嫌いになって出ていった」
ユウトの胸が少しだけ動く。
隣国。
エルドリア共和国。
冒険者ギルドが大きく、王国より自由だと聞く場所。
そこに、ダインの相棒だった男がいる。
「もし本気で王国を出るなら」
ダインが言う。
「俺より先に、あっちへ行った奴の方が参考になるかもしれん」
「会えるんですか?」
「今のところは無理だ」
「だが生きてる。しぶといからな」
少しだけ、希望の見える言い方だった。
◇
ギルドを出た頃には、もう日が傾き始めていた。
城下町の石畳が夕日に染まり、行き交う人影も少し長く伸びている。
真里奈が、隣を歩きながら静かに言った。
「思ったより……現実的だったわね」
「ええ」
ユウトは頷いた。
自由。
自己責任。
保証なし。
言葉だけなら簡単だが、ダインの声で聞くとまるで重さが違う。
「でも」
玲奈が割って入る。
「悪くなかったです」
「そうね」
真里奈も同意した。
「少なくとも、ちゃんと生きていける道ではある」
ユウトは空を見上げた。
王国に残るか。
隣国へ行くか。
冒険者になるか。
まだ決めきれない。
だが少なくとも、選択肢は見え始めていた。
その時、玲奈がにやっと笑う。
「それで先生」
「な、なによ」
「さっきの裏庭、ちょっと良かったですね」
「何がよ」
「ユウトくんが頑張ってるの見て、完全に恋する乙女の顔してました」
「してない!」
真里奈が真っ赤になる。
ユウトは少し考えてから言った。
「先生って大変ですね」
真里奈がすぐに振り向いた。
「……誰のせいだと思ってるの?」
そのやり取りに、玲奈が吹き出す。
「やっぱりこの流れ、好きです」
「玲奈、うるさい」
真里奈はそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
城門が近づいてくる。
王城へ戻れば、またいつもの訓練と、いつもの日常だ。
けれど今日、確かに一つ前へ進んだ。
それだけは間違いなかった。
ユウトは胸元の紹介状の感触を、もう一度だけ確かめた。




