第22話 訓練中に勇者パーティの本音を知ってしまい、この国を出る準備を本気で考え始めた結果、レオンさんから冒険者ダインへの紹介状をもらうことになった件
朝の訓練場には、まだ昨夜の冷えが少し残っていた。
石畳の隙間に白く乾いた土がたまり、木剣や槍が並べられた棚の横では、騎士たちが黙々と準備をしている。空は晴れていたが、風は少し強い。長物を使うには、かえって都合がいい天気だとレオンは言った。
「今日は各々の武器の基礎を詰める」
低い声が訓練場に響く。
「はい!」
生徒たちの声が揃う。
「前に出すぎるな。槍は距離を作る武器だ。振るな。突け。戻せ。もう一度突け」
黒崎ユウトは短槍を構え、足の位置を整えた。棒を使っていた頃より、構えに迷いが少なくなっている。先端に重みがある分、どこが武器として働くのかが分かりやすい。踏み込みは浅く、間合いは広く。近づかれる前に止める。夜の森でゴブリンを押し返した時の感覚が、まだ腕に残っていた。
「…クロサキ」
「はい」
横を通った騎士が一瞬足を止める。
「悪くない。肩に力を入れすぎるな」
「はい」
「それと、戻しが少し遅い。二発目が死ぬ」
「分かりました」
騎士は小さく頷き、次の生徒の方へ向かった。
そのやり取りを、少し離れた位置から橘真里奈が見ていた。教師として生徒の訓練を見守っている顔だが、視線はどこかやわらかい。隣では桐谷玲奈が、いかにも楽しそうにその横顔を見上げていた。
「先生」
「なによ」
「黒崎くん、また褒められてますよ」
「見れば分かるわ」
「見れば分かる、ですか」
玲奈がにやにやする。
「昨夜も思いましたけど、先生最近、黒崎くんのことになると反応が早いですよね」
「そんなことないわよ」
「あります」
「ない」
「あります」
真里奈が眉をひそめる。
「玲奈」
「はい」
「あなた、最近ちょっと楽しんでない?」
「恋愛応援団長として当然です」
「誰が団長を任命したのよ」
「私です」
即答だった。
真里奈は思わず額を押さえた。
少し前まで、自分がこんなやり取りを女子生徒とする日が来るとは思っていなかった。しかも、その原因が自分の恋愛だなんて、なおさらだ。
そこで玲奈が、訓練しているユウトの方を見て、ひそひそと続けた。
「でも本当に、槍似合いますね」
「そうね」
真里奈は、つい素直に答えてしまった。
短槍を構えるユウトは、剣を構える他の生徒よりずっと自然だった。無理に格好つけず、でも逃げてもいない。届く距離を見極めて、危険を避けながら戦う。その姿は地味だが、見ていて安心できる。
玲奈がすかさず食いつく。
「先生、今ちょっと見惚れました?」
「見惚れてない!」
「でも今、素で“そうね”って言いましたよ」
「言ったけどそういう意味じゃないわ!」
その時だった。
訓練場の外、城壁の向こう側から、重たい爆音が響いた。
ドォン、と腹の底に響くような音だ。
全員の動きが一瞬止まる。
騎士たちが揃って、嫌そうな顔をした。
「……またか」
誰かが小さく呟く。
別の騎士が舌打ちする。
生徒たちは顔を見合わせた。
「何ですか、今の」
「魔物ですか?」
ざわつく訓練場の中で、レオンだけが淡々としていた。だがその目つきは少しだけ険しい。
「訓練を止めるな」
そう言ってから、近くにいた副官らしき騎士へ視線を向ける。
「確認してこい」
「はっ」
騎士が走っていく。
訓練は再開されたが、空気は明らかに変わっていた。誰もが音の正体を気にしている。
しばらくして戻ってきた騎士が、レオンにだけ聞こえるよう小声で報告する。
だが、その距離は生徒たちにも近すぎた。
「勇者パーティです」
「やっぱりか」
「遠征前の実戦想定訓練を前倒ししたらしく」
「被害は」
「訓練用の柵が全損。森の一部が焼けました。同行の騎士二名が軽傷です」
周囲の空気が固まる。
レオンは深く息を吐いた。
「分かった」
それだけ言って、訓練の方へ向き直る。
だが、もう聞いてしまった以上、生徒たちのざわめきは抑えきれなかった。
「勇者パーティって……」
「今の、勇者様たち?」
「騎士が怪我ってどういうこと?」
レオンが一度だけ鋭い目で全体を見回すと、ざわめきは少し収まった。だが休憩に入った途端、堰を切ったように質問が飛ぶ。
「レオンさん、勇者パーティって今どうしてるんですか?」
「俺たちより訓練進んでるんですよね?」
「遠征って本格的なやつですか?」
レオンは少しだけ黙った。
そして隠しても仕方がないと判断したのか、珍しく説明するように口を開いた。
「お前たちより訓練は進んでいない」
生徒たちが驚く。
「え?」
「そうなんですか?」
「勇者なのに?」
「勇者だからだ」
レオンの声は淡々としていた。
「個の力は強い。だが連携と実地の経験が足りん。王城は早く使いたがっているが、現場はそう簡単に見ていない」
少し間を置いて、さらに言う。
「それでも、そろそろ本格的な遠征に出る予定だ」
今度は、ざわめきではなく沈黙が広がった。
本格的な遠征。
つまり遊びではない。本当に命を懸ける任務だ。
生徒の一人が恐る恐る聞く。
「同行する騎士たちは……その、大丈夫なんですか?」
レオンが答えるより先に、近くの騎士が苦笑した。
「正直、不安がってる」
その言葉に、訓練場の空気がさらに重くなる。
「強いのは確かだ」
騎士は肩をすくめる。
「だが強いことと勝つことは別だ。勇者様たちは、自分たちが強いことを分かっている。分かっているから、加減が雑になる」
「傲慢なんですか」
誰かがぽつりと聞いた。
騎士は少しだけ言いづらそうにしたが、否定はしなかった。
「……最近はな」
「王城の連中が持ち上げすぎた」
「勇者様、選ばれた英雄、救世主。毎日そう言われりゃ、誰でも変わる」
別の騎士が吐き捨てるように言う。
「本人たちも、最近は露骨だ」
「選ばれた自分たちと、お前たちは立場が違う。そう思ってるらしい」
「え……」
「つまり」
「俺たちとは、あまり関わりたくないってことですか?」
その問いに、騎士は短く頷いた。
「内緒だがな」
「遠征前も、できるだけお前たちと接触しないようにしてる」
「凡人と一緒にするな、って空気だ」
生徒たちの顔色が変わる。
玲奈は露骨に眉をひそめた。
「感じ悪いですね」
「玲奈」
真里奈がたしなめる。
だがその声にも、いつもの余裕は少なかった。
ユウトは黙って聞いていた。
思い出すのは、召喚された直後のことだ。確かに最初から天城隼人たちは少し浮いていた。王城の人間は露骨に彼らを特別扱いし、自分たちとは別の場所へ連れていった。
それが今、こういう形になっている。
生徒の一人が、小さく聞いた。
「何か、俺たちにできることはないんですか」
その問いは自然だった。
同じクラスで召喚された。関係が薄くなったとしても、完全な他人ではない。
だがレオンは首を振った。
「ない」
きっぱりした言い方だった。
「遠征は別任務だ。向こうは向こうで、お前たちは関わるなと言っている。現場も混乱を増やしたくない」
「でも……」
「気持ちは分かる」
レオンは生徒の言葉を遮らずに受けた。
「だがな。勇者は勇者の戦いがある。お前たちは、お前たちの生き方を考えろ」
その言葉は、不思議と冷たくは聞こえなかった。
むしろ、現場の騎士としての率直な忠告だった。
休憩が終わり、訓練は再開された。
だがユウトの頭の中には、さっきの話がずっと残っていた。
選ばれた者。
立場が違う者。
勇者と凡人。
それは、嫌になるほど分かりやすい線引きだった。
◇
訓練が終わった帰り道。
宿舎へ戻る石畳の道を、ユウトと真里奈は並んで歩いていた。玲奈は少し後ろで女子たちに捕まっている。だから今だけは、珍しく二人で話せる。
「先生」
「なに?」
「相談があります」
真里奈が少しだけ表情を改める。
「どうしたの?」
ユウトは少し迷った。
だがもう、誤魔化す気はなかった。
「俺、この国を出ることを考えてます」
真里奈が足を止める。
「……どうして?」
「今日の話、聞きましたよね」
「勇者パーティのこと?」
「はい」
ユウトは前を向いたまま言う。
「勇者たちが嫌なやつになったとか、そういうことより」
「この国、選ばれたやつとそうじゃないやつを、はっきり分けてる気がするんです」
「……」
「俺たちは勇者じゃない」
「だったら、ここで騎士団に組み込まれて、王国の都合で使われるより、別の生き方を探した方がいい気がする」
真里奈はしばらく黙っていた。
教師としてなら、「軽率に決めるな」と言うべき場面かもしれない。
けれど今の彼女は、ただの教師ではなかった。
恋人として、この世界で一緒に生きる相手の言葉を聞いている。
「黒崎くん」
「はい」
「勇者を見捨てたいわけじゃないのよね?」
その問いに、ユウトはすぐ頷いた。
「それはないです」
「困ってたら助けたいです」
「元クラスメイトですから」
「でも」
「だからって俺たちまで、勇者の付属品みたいに生きる必要はないと思ってます」
真里奈は小さく息を吐いた。
その答えを聞いて、少し安心したのだろう。
「……そうね」
そして、はっきりと言う。
「もし出るなら、私も一緒に行くわ」
ユウトがそちらを見る。
「先生……」
「恋人を一人で行かせるほど、私は薄情じゃないもの」
少し照れたように笑う。
「それに」
「教師としても、生徒を守る場所は自分で決めたい」
そこで後ろから、ぱたぱたと足音が近づいた。
「話、聞きました!」
玲奈だった。
「聞いてたのかよ」
「半分くらいです!」
「半分でも多いわよ!」
真里奈が言う。
玲奈はまったく悪びれず頷いた。
「でも私も賛成です」
「この国、ちょっと変です」
「勇者様だけ特別扱いして、それ以外は適当に鍛えて使えばいい、みたいな空気ありますもん」
「そこまで露骨ではないと思うけど……」
真里奈が言いかける。
だが完全には否定できない。
玲奈は続ける。
「それに、恋愛応援団長としては」
「先生の恋を最後まで見届けないといけません」
「その理由はやめなさい!」
真里奈が顔を赤くする。
けれどユウトは、そのおかげで少しだけ気が楽になった。
重い話をしていたはずなのに、玲奈がいると不思議と空気が軽くなる。
「で、どうするんですか?」
玲奈が聞く。
「すぐ出るんですか?」
「いや」
ユウトは首を振った。
「その前に、冒険者のことをちゃんと知りたいです」
「ギルドね」
「はい」
そこで真里奈が言った。
「レオンさんに相談してみましょう」
「ああ」
「それがいいですね」
◇
翌日。
騎士詰所の一角で、レオンは机に向かっていた。
書類の山に埋もれながらも、その姿勢は崩れない。忙しいのが一目で分かる。
「相談があるんですが」
ユウトがそう言うと、レオンは顔だけ上げた。
「珍しいな」
「何だ」
「俺、冒険者になることを考えてます」
レオンの目が少し細くなる。
「ほう」
「理由は」
「騎士より、そっちの方が俺には合ってる気がするからです」
「自由だからか」
「それもあります」
ユウトは少しだけ真面目な声で続けた。
「王国の都合で動くより」
「自分で生き方を決めたい」
レオンはしばらく黙っていた。
それから、小さく鼻で笑う。
「まあ」
「お前は騎士っぽくないな」
「そうですか」
「組織の号令より、自分で危険を嗅ぎ分ける方が向いてる」
その評価は、以前にも聞いた気がした。
レオンは引き出しを開け、紙を取り出す。
「この街の冒険者ギルドに、オレの元部下がいる」
「元騎士ですか?」
「ああ」
「名前はダイン」
「盾役だ。腕はいい。口数は少ないが、信頼できる」
「会えますか」
「オレは忙しい」
レオンは即答した。
「ギルドに気軽に顔を出せるほど暇じゃないし、騎士があそこへ出入りしすぎるのも妙だ」
さらさらとペンを走らせる。
「だからこれを持っていけ」
書き終えた紙を折って差し出した。
「紹介状だ。ダインに渡せ」
ユウトはそれを受け取る。
「ありがとうございます」
「それと」
レオンが少しだけ目を細めた。
「ダインは昔、弓使いのガルドと組んでた」
「ガルド?」
「ああ」
「今は隣国だ。王国が嫌でな」
その一言に、ユウトと真里奈、それに玲奈まで反応する。
「隣国……」
「エルドリア共和国ですか?」
玲奈が聞く。
レオンは頷いた。
「冒険者として生きるなら、あっちの方が向いてるかもしれん」
「王国より自由だ」
「ただし」
声が少し低くなる。
「保証はない。全部自己責任だ。死んでも誰も文句は言えん」
ユウトは紹介状を見た。
軽い紙切れ一枚だ。
だが、その重みは小さくない。
「それでも」
ユウトは顔を上げる。
「俺は、そっちの方がいい気がします」
レオンは小さく頷いた。
「なら会ってこい」
「ダインは人を見る」
「お前が冒険者としてやれるかどうか、多少は分かるだろう」
◇
詰所を出たあと。
真里奈は少しだけ安心したように息を吐いた。
「よかったわね」
「はい」
ユウトは紹介状を胸元にしまう。
玲奈がすぐに横から覗き込んできた。
「ということは」
「次は冒険者ギルドですね」
「そうなるな」
「つまり」
玲奈がにやっと笑う。
「デートですね」
「違う!」
真里奈が即座に否定する。
「これは将来の相談よ!」
「恋人と二人でギルドに行くんですよ?」
「それは……そうだけど!」
「しかも紹介状もらって、次の人生を考えるイベントです」
「イベントって言わない!」
ユウトは二人のやり取りを聞きながら、小さくため息をついた。
今日の話は、かなり重かったはずだ。
勇者パーティのこと。
王国の空気。
自分たちのこれから。
それなのに最後は、やっぱりこうなる。
「……なんか」
「また背中が寒いなあ」
玲奈が満面の笑みで言った。
「大丈夫です」
「今回はちゃんと前向きな寒気です」
「意味が分からない」
そう返しながらも、ユウトは少しだけ笑っていた。
王国を出るかもしれない。
冒険者になるかもしれない。
これから先、何があるかはまだ分からない。
それでも。
一人ではない。
そう思えるだけで、少しだけ前が見えた気がした。




