第20話 先生を黒崎くんと二人きりにする作戦を開始した結果、なぜかクラス全員が妙に協力的になっていた件
翌朝。
宿舎の食堂は、いつもより少しだけ騒がしかった。
とはいえ、それは表面上の話だ。
黒崎ユウトが見る限り、普段とそこまで大きく違うわけではない。いつもの黒パン、いつもの薄いスープ、いつもの少し眠そうなクラスメイトたち。連日の訓練の疲れがまだ残っているのか、朝から元気いっぱいという者は少ない。
だが。
女子たちだけは、妙に目が冴えていた。
そしてなぜか、ちらちらとユウトと橘真里奈の方を見ている。
(……なんだ?)
ユウトはパンをちぎりながら、なんとなく嫌な予感を覚えた。
向かいでは相沢翔太が、いつものようにパンをスープに浸している。
「今日の女子、なんか変じゃないか?」
ユウトが小声で言うと、相沢もちらりと周囲を見た。
「分かる」
「なんか企んでそうだよな」
「だよな」
その時だった。
「黒崎くん」
横から声がした。
振り向くと、桐谷玲奈がにこにこと笑っている。
嫌な予感が少し強くなる。
「何?」
「今日、先生の隣空いてるんで」
「座ってもらっていいですか?」
「……なんで?」
「なんでって」
玲奈は首をかしげる。
「先生一人だと寂しいじゃないですか」
「いや、別に」
そう言いながら真里奈の方を見ると、彼女は少し離れた席でスープを飲んでいた。そしてこっちと目が合った瞬間、妙に慌てたように視線を逸らす。
その反応もまた怪しい。
「ほらほら」
玲奈が椅子を引く。
「どうぞ」
「いや、だから何で俺が」
「いいからいいから」
女子たちが周囲でくすくす笑っている。
男子たちは何が起きているのか分からず、パンを食べながら首をかしげていた。
結局、妙な勢いに押されてユウトは席を移動した。
真里奈の隣に座る。
「……おはようございます」
「お、おはよう」
真里奈の返事が少し上ずっていた。
普段ならもっと落ち着いているのに、今日はやけにぎこちない。
ユウトは少し不思議に思ったが、深くは追及しなかった。
その代わり、向かい側を見る。
玲奈が満足そうに頷いていた。
(やっぱり何か企んでるな)
だが、何を企んでいるのかまでは分からない。
真里奈はスープを飲みながら、小さな声で言った。
「……今日、やけに女子たちが元気ね」
「そうですね」
「何かあったのかしら」
「俺に聞かれても」
そこでふと、ユウトは真里奈の横顔を見る。
朝の光の中で見ると、たしかにきれいだ。
整った顔立ちに、きっちりした雰囲気。訓練が続いているのに髪も乱れていない。教師だから当然と言えば当然なのかもしれないが、やはりすごいと思う。
――きれいだし、いい人だよな。
昨日、自分が玲奈に言った言葉を思い出して、少しだけ気恥ずかしくなった。
だからなのか、次に出てきた言葉は少しだけ間の抜けたものになった。
「先生って大変ですね」
「え?」
真里奈が驚いたようにこちらを見る。
「女子たちにあんなにからかわれて」
そう言うと、真里奈は数秒だけ固まった。
それから、にこっと笑った。
「……誰のせいだと思ってるの?」
笑顔だった。
だが、目はまったく笑っていなかった。
ユウトは一瞬考える。
「……俺じゃないですよね?」
次の瞬間、周囲の女子たちが一斉に吹き出した。
「黒崎くんですよ!」
「原因本人!」
「一番ダメなやつ!」
「違うわよ!」
真里奈が慌てて否定する。
「そういう意味じゃなくて……って、もう、うるさい!」
女子たちは大笑いだ。
相沢が遠くから見て、ぽつりと言った。
「黒崎、なんか朝から大変そうだな」
ユウトは静かにパンを食べながら思った。
(……やっぱり俺のせいなのか?)
◇
朝食を終えた後、いつものように訓練場へ向かうことになった。
だが、今日の空気はやはり妙だった。
移動の列を作る時も、女子たちの動きがやたらと早い。
「先生、こっちどうぞ!」
「黒崎くん、その隣空いてますよ!」
「……いや、別に空いてなくてもいいだろ」
「いいからいいから」
気づけばまた真里奈の近くに立たされていた。
しかも今度は完全に意図的だ。
ユウトがちらりと玲奈を見ると、彼女は親指を立てていた。
何が「よし」なのか分からない。
真里奈はというと、明らかに落ち着かない様子で何度も髪を触っていた。
「先生」
「な、なに?」
「今日なんか変じゃないですか?」
「変じゃないわよ!」
妙に強い否定だった。
「そうですか」
「そうよ!」
その返事のあと、少しだけ間が空く。
真里奈は咳払いしてから言った。
「……こないだの夜は」
「え?」
「あの時は、その……」
真里奈が珍しく言葉を探している。
「助けてくれてありがとう」
野営の夜のことだ。
ユウトはすぐに分かった。
「ああ」
「いえ、たまたまです」
「たまたまでも助かったのは事実よ」
真里奈は前を向いたまま言う。
「だからお礼」
「はい」
そこまで言われると、少し照れる。
ユウトは短槍の柄を握り直した。
「短槍も、先生守るにはちょうどいいですねー」
後ろから玲奈の声。
「違う!」
真里奈が即座に振り向く。
「そういうことじゃないの!」
「でもリーチ長いですよ?」
「玲奈!」
女子たちがまた笑う。
ユウトは思った。
(やっぱり今日、女子たちおかしいな……)
◇
午前の訓練は基本動作の確認だった。
短槍の扱いに慣れるための反復練習と、集団での連携確認。
騎士たちは容赦なく指示を飛ばす。
「クロサキ、踏み込みすぎるな!」
「槍は詰める武器じゃない、間合いを支配する武器だ!」
「はい!」
短槍は棒より少し重い。
だがその分、先端に意識が集まりやすい。突く動きがそのまま攻撃になるので、棒より分かりやすい部分もある。
何度も突き、引き、構え直す。
汗が額を伝う。
騎士が近づいてきた。
「悪くない」
「焦って振り回さないのはいい」
「はい」
「お前は最初からそっちの方が合ってたな」
短くそう言って、また別の生徒の方へ行ってしまう。
だがそれだけで十分だった。
認められている。
そう感じるだけで、少しだけ嬉しかった。
昼前になると、訓練は一旦休憩に入った。
そのタイミングを見計らったかのように、玲奈が動く。
「先生」
「はい」
「ちょっと資料室まで一緒に来てもらっていいですか?」
「資料室?」
真里奈が首をかしげる。
「騎士団からもらった訓練記録、見てみたいんです」
「ああ、あれね」
真里奈は納得したように頷いた。
「分かったわ」
そこで玲奈が、わざとらしくユウトを見る。
「黒崎くん」
「え?」
「荷物持ってくれません?」
「なんで俺が」
「短槍あるから頼りになりそうですし」
「意味が分からない」
だが女子たちが一斉に頷いた。
「そうそう」
「黒崎くんなら安心」
「先生の護衛も兼ねて」
「護衛って何だよ」
完全に怪しい。
だが、ここで断るのも面倒だった。
「……分かったよ」
「ありがとうございます!」
玲奈がにこっと笑う。
こうして、ユウトと真里奈と玲奈の三人で資料室へ向かうことになった。
王城の廊下は昼でも少しひんやりしている。
歩きながら、真里奈が小さく言った。
「ごめんね」
「え?」
「なんか巻き込んじゃって」
「いえ、別に大丈夫です」
むしろ最近は慣れてきた。
女子たちのからかいも、玲奈の妙な仕切りも、全部まとめて日常の一部になりつつある。
資料室の前に着くと、玲奈が突然言った。
「あっ」
「どうした?」
「私、先に先生に頼まれてた別の書類、取りに行かなきゃでした」
「え?」
真里奈が目を丸くする。
「そんなの頼んでないけど」
「今頼まれました!」
「頼んでないわよ!」
玲奈はもう動いていた。
「というわけで、先生と黒崎くんで先に見ててください!」
「ちょっと玲奈!」
「すぐ戻ります!」
そう言い残して、玲奈はものすごい勢いで走り去った。
廊下に残されたのは、ユウトと真里奈の二人だけだった。
「……」
「……」
妙な沈黙が落ちる。
真里奈が先に口を開いた。
「……絶対わざとよね」
「ですよね」
二人で同時にため息をつく。
するとそれだけで、少しだけ空気が和らいだ。
「入るか」
「そうね」
資料室の中には、木箱や書類棚が整然と並んでいた。
王国の記録、訓練の資料、地図らしき巻物。整理されているが、やはり少し埃っぽい。
真里奈は近くの棚を見ながら言った。
「こういうの、ちゃんとしてるのね」
「意外ですね」
「意外って何よ」
「いや、もっと雑かと思ってました」
「失礼ね」
真里奈が少し笑う。
それだけの会話なのに、なぜか少し緊張する。
ユウトは適当な木箱を持ち上げて机に置いた。
「先生」
「ん?」
「こないだの夜のこと、まだ気にしてます?」
真里奈の肩が少しだけ揺れる。
「……少しね」
「やっぱり危なかったですか?」
「危なかったわよ」
真里奈はあっさり言った。
「黒崎くんが止めてくれなかったら、たぶん怪我してた」
「でも最後に倒したのは騎士さんですし」
「それでもよ」
真里奈は小さく首を振った。
「前に出てくれたのは事実だもの」
そして、少しだけ笑う。
「かっこよかったわよ」
「……え?」
ユウトは思わず聞き返した。
真里奈も自分で言ってから少し恥ずかしくなったのか、目を逸らした。
「だ、だから」
「その……ありがとうってこと」
「はい……」
何と返せばいいのか分からない。
資料室の静けさが、余計に妙な緊張を生む。
そこでユウトは、別の話題を探すように口を開いた。
「先生って、本当に大変ですよね」
「またそれ?」
「いや、女子たちにあんなにからかわれて」
「……」
真里奈は少しだけ頬を膨らませた。
「誰のせいだと」
小さく呟いた声は、朝より少し柔らかかった。
ユウトは苦笑する。
「やっぱり俺なんですか」
「半分くらいは」
「半分?」
「残り半分は玲奈たち」
「そっちは納得です」
二人で小さく笑う。
その瞬間、真里奈の中でふっと何かが緩んだ。
――きれいだし、いい人。
昨夜、玲奈から聞いたその言葉がまた頭をよぎる。
この子は、自分のことをちゃんとそう見てくれている。
でも、恋人がいると思っているから動かない。
だったら――。
昨夜、あれだけ騒ぎながらも決めたはずだった。
チャンスがあるなら、自分から言う。
今が、そのチャンスなのではないか。
「黒崎くん」
「はい?」
真里奈は勇気を出して顔を上げた。
だがその瞬間。
資料室の扉が勢いよく開いた。
「先生ー!」
玲奈だった。
後ろには女子が二人ほどいる。
「大変です!」
「……何が?」
「大変そうなので来ました!」
「何も大変じゃないわよ!」
真里奈が叫ぶ。
女子たちは室内の空気を一瞬で察したのか、にやにやし始めた。
「あー」
「いい感じでした?」
「全然よ!」
真里奈は顔を真っ赤にする。
ユウトは状況がよく分からず、木箱を持ったまま立ち尽くしていた。
玲奈は真顔で頷く。
「作戦継続ですね」
「何の作戦よ!」
「いえ、何でもありません」
絶対に何かある。
ユウトはそう確信したが、結局この場では何も聞けなかった。
◇
夕方。
訓練が終わり、宿舎に戻る頃には、クラス全体の空気が少し変わっていた。
それぞれが、自分の未来を考え始めている。
商人に志ざす者。
騎士を目指す者。
農業を考える者。
料理屋や酒場に興味を持つ者。
それはまだ漠然としたものだ。
だが、もう誰も「全員でずっと一緒」という空気ではなかった。
同じクラスで、同じ日に異世界へ来た。
それでも、この先の道は分かれていく。
相沢が隣でぽつりと言った。
「なんかさ」
「いよいよ本当に、それぞれって感じになってきたな」
「そうだな」
ユウトは短く答える。
その少し前を、真里奈と玲奈が歩いていた。
玲奈が何かを熱心に話している。
真里奈は何度も「無理よ」と首を振っていた。
だが、完全に否定しきれてはいないようにも見える。
(何の話だ……?)
気にはなる。
だが、聞いたところで多分まともには教えてくれない。
ユウトは肩をすくめた。
◇
その夜。
女子部屋では、当然のように第二回作戦会議が開かれていた。
「先生!」
玲奈が布団の上で正座する。
「今日は大チャンスだったじゃないですか!」
「大チャンスって何よ!」
「資料室で二人きり!」
「あなたが無理やり作ったんでしょうが!」
真里奈が真っ赤になる。
女子たちはきゃいきゃいと盛り上がっていた。
「で、どうだったんですか?」
「何か言いました?」
「言ってないわよ!」
「どうしてですか!」
玲奈が本気で悔しがる。
真里奈は枕を抱えた。
「無理よ!」
「いきなりそんなの!」
「先生」
玲奈は真剣だった。
「黒崎くん、先生のことちゃんと好きです」
「でも」
「恋人がいると思って止まってるんです」
「だから」
「先生から行かないとダメです」
真里奈は顔を伏せる。
分かっている。
分かっているからこそ、簡単には動けない。
教師。
年上。
立場。
いろいろなものが頭をよぎる。
だが、同時に思う。
このまま何もしなければ、本当に何も始まらないのではないかと。
「……次は」
小さく呟く。
「次は、ちゃんと言う努力はするわ」
女子たちが一斉に顔を上げた。
「おお!」
「先生!」
「進歩!」
玲奈が拳を握る。
「よし」
「次はデート作戦強化です」
「なんでそうなるのよ!」
真里奈の抗議が響く。
だがその声には、もう完全な拒絶はなかった。
恥ずかしさと、焦りと、少しの期待。
全部が混ざったような声だった。
そして男子部屋では。
ユウトがまた小さくくしゃみをした。
「……なんか最近、妙に寒いな」
その原因には、今日も全く気づいていないのだった。




