表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クラスごと異世界転移したモブの俺、ハズレスキル【無限収納】が覚醒したので異世界で無双します  作者: よるねこ
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/119

第97話 酒場と物流と盗賊の件(十五)


 土曜の朝は、金曜より少しだけ遅く始まった。


 それでも、寝すぎたというほどではない。体の奥に残っていた重さが、ようやく人並みの疲れへ落ち着いたくらいだ。目を開けた時、窓の外はすでに白く明るんでいて、薄い陽が床の端を照らしていた。


 マリナは寝台の上で一度だけ大きく息を吸った。


 肺に入る空気が、昨日の朝よりずっと軽い。張り詰めたものが無いわけではない。けれど、それは街道へ向かう前の硬さではなく、営業日の朝に店へ向かう前の静かな集中に近かった。


 隣では、レイナももう起きていた。


「おはようございます」


「おはよう」


 声はまだ少し低い。だが、寝不足の重さはもうない。昨日、借家へ戻ってすぐに休んだのが効いたのだろう。


「足、大丈夫ですか」


 レイナが布団を整えながら訊く。


「ええ。少し張ってますけど、動けば問題ないくらいです」


「私もそんな感じです」


 言いながら立ち上がる。床へ足をつけた瞬間に分かる。河原の小石を踏んだ足裏も、渡し場の冷たい水も、まだ完全には消えていない。けれど、痛みではない。働ける体の重さだ。


 顔を洗い、髪を整え、支度をする。


 土曜の朝の動きは、金曜とはまた少し違う。金曜は「間に合うか」が強かった。今日は、ちゃんと始めるための朝だ。慌ただしさではなく、準備の落ち着きがある。


 隣の部屋からは、ユウトとダインの気配が聞こえる。革の擦れる音、卓に置かれた何かの小さな音、それから低い会話。日常の音なのに、仕事へ向かう前の体温をちゃんと持っている。


 借家の戸を開けると、外の空気は思っていたより澄んでいた。


 空はよく晴れている。朝の光が石畳をやわらかく照らし、家々の屋根の端を白くしていた。通りを行く人影はもう少なくない。昨日は昼前に閉まったとはいえ、魔王さんのケーキ屋の土曜を知っている客は早い。


 借家の前には、すでにガルドがいた。


 自宅から出てきたばかりなのだろう。朝の空気がそのまま服に馴染んでいる。弓を背負い、いつものように落ち着いた顔で立っていた。


「おはようございます」


 マリナが声をかける。


「ああ」


 ガルドが頷く。


「よく寝られたか」


「なんとか」


「なら十分だ」


 そのやり取りに、無理な気遣いはない。けれど、こういう一言があるだけで、朝の体は少しだけ動きやすくなる。


「今日は普通に営業ですね」


 レイナが言う。


「普通に、な」


 ガルドの返事は短かった。


 その「普通に」の中に、この数日の色々が全部入っている気がして、マリナは少しだけ口元を緩めた。


 五人で店へ向かう道は、金曜よりずっと静かだった。


 昨日は街道帰りのまま急いで歩いた。今日は営業へ向かう足だ。急いではいるが、慌ててはいない。空気の質が違う。


 通りを二つほど曲がったところで、前方のざわめきが少し変わった。


 人が集まっているわけではない。だが、道の端へ自然と寄るような流れが出来ている。何かが来る時の空気だ。


 マリナは足を少しだけ緩めた。


 すると、角の向こうから金属の擦れる音が聞こえた。


 軽い音ではない。短剣や鎧の金具が鳴るような高さではなく、もっと重く、引きずるような音だ。石畳に金属が触れ、硬く短く鳴る。その音の間に、足を引きずる気配と、低い呻きが混じる。


 レイナの足も止まった。


「……何ですか、これ」


 声が自然に落ちる。


 角を曲がって現れたのは、鎖で繋がれた男たちの列だった。


 首に鉄の輪を嵌められ、そこから伸びた鎖で前後を繋がれている。手も自由ではない。昨日まで街道で刃を向けてきた顔が、その中にいくつもあった。腫れた頬、割れた唇、肩へ巻かれた粗い布。歩くたびに鎖が引かれ、前の者がよろめけば後ろの者の足まで乱れる。


 街の兵がその列を挟むように歩いていた。槍を持ち、余計な言葉は交わさない。何度も見た光景なのだろう。緊張も、同情も、顔には乗せていない。


 ユウトの視線が、その列へ吸い寄せられる。


 昨日、渡し場で川へ叩き落とした男。橋の向こうで呻いていた男。街道で後頭部を地面へ打ちつけた男。顔の腫れ方や歩き方に、記憶が重なる。


 同じ人間だ。


 だが、もう戦う側の顔ではない。


「昨日の連中だな」


 ガルドが低く言った。


 マリナとレイナが同時にそちらを見る。


 ガルドは列から目を外さないまま、続ける。


「共和国じゃ、ああなる」


 説明口調ではない。ただ、知っている者の声音だった。


 兵の一人が、こちらへちらりと視線を寄越す。冒険者ギルドで何度も顔を合わせたことがあるのだろう。ほんの少し顎を動かした。


「お前らが捕えた連中だ」


 事務的な声だった。


 マリナは短く頷く。


「処分が決まったんですね」


「ああ」


 兵は前を向いたまま答える。


「犯罪奴隷だ。鉱山か港湾都市だな」


 鎖が引かれる。


 列の中ほどの男が足をもつれさせ、石畳へ膝を打ちつけた。鈍い音がして、首輪の鉄が引かれ、後ろの男まで半歩分だけ引きずられる。だが兵は止まらない。止めるのは列を整えるためだけだ。倒れた男の肩を槍の柄で押し起こし、また前へ歩かせる。


 マリナはその動きを見て、喉の奥が少しだけ硬くなるのを感じた。


 死刑ではない。


 それで終わりではない。


 働かされて、使われて、それで潰れるまで続く。それがこの国の形なのだと、目の前の鎖の重さがはっきり見せてくる。


「……港か鉱山か」


 レイナが小さく繰り返す。


 その声に答えたのはガルドだった。


「重い方へ回されるだろうな」


 淡々とした言い方だった。


「大抵、一年も保たん」


 その一言が、朝の空気の中でやけに重く落ちる。


 ユウトが、そこで初めて小さく息を吐いた。


「死ぬまで、ですか」


 問いというより、確かめるような声だった。


「ああ」


 ガルドは短く返す。


「この街じゃ珍しい話じゃねえ。犯罪の程度で差はあるが、盗賊で、しかも街道を潰してた連中だ。軽くは済まん」


 列は止まらない。


 石畳に鉄が擦れる音が、少しずつ遠ざかっていく。けれど、その音はすぐには耳から消えなかった。重い。引きずるような重さだ。人間が前へ運ばれていく音なのに、どこか荷車の鎖にも似ている。


 マリナは、しばらく言葉が出なかった。


 自分たちが捕えた者たちが、こうして別の場所へ送られていく。それは頭では分かっていた。だが、石畳の上で実際に見ると、理解の形がまるで違う。


 ユウトも黙っていた。


 視線は列を追ったままだったが、追いかける気配はない。ただ見ている。たぶん、今目の前にあるものと、街道で自分がやったことの先を、初めて繋げているのだろう。


「黒崎くん」


 マリナは低く呼んだ。


「はい」


 声はすぐ返ってきた。


「これも、私たちが受けた依頼の先です」


 言葉を選ぶ。軽くは言えない。だからといって、説教にしたくもない。


「街道で人を止めて、流れを潰して、刃を向けてきた。その先が、これです」


 ユウトは少しだけ目を伏せ、それからまた前を見た。


「……はい」


 それだけだった。


 だが、その短さの中に、ちゃんと重さがあった。


 列が角を曲がり、見えなくなる。


 最後尾の兵の靴音が消えたあとも、しばらくは誰もすぐに歩き出さなかった。朝の街の音が遅れて戻ってくる。荷車の軋み、店を開ける戸板の音、人の話し声。そのどれもが、今はさっきまでより少しだけ遠く聞こえる。


 最初に歩き出したのはガルドだった。


「行くか」


 それだけ言う。


 引きずらないための声だった。


「はい」


 マリナも頷いた。


 歩き出すと、さっきまで止まっていた血がまた流れ始めるような感覚があった。店へ向かう足は変わらない。けれど胸の中に、さっきの鎖の音がまだ残っている。


 レイナが少し歩いてから、小さく言った。


「きついですね」


「ええ」


 マリナは隠さずに答える。


「でも、見た方が良かったとも思います」


「そうですね」


 レイナも頷く。


 街道で切って終わりではない。その先に国の仕組みがある。優しさではない。だが、甘くもない。そういう場所で自分たちは冒険者をやっているのだと、改めて分かる。


 ユウトはまだ少し静かだった。


 魔王さんのケーキ屋が見える通りへ入っても、いつもなら厨房や売り場へ向く気配が、今日は一拍だけ遅い。


 マリナはその横顔を見てから、声を掛けた。


「黒崎くん」


「はい」


「考えるのは大事です」


 そこで一度言葉を切る。


「でも、引きずりすぎないでください。今日は今日で、こっちの仕事があります」


 ユウトは少しだけ目を見開き、それから頷いた。


「分かりました」


「今日の店も、誰かの生活です」


「はい」


 その返事は、さっきより少しだけはっきりしていた。


 魔王さんのケーキ屋の前まで来ると、そこにはもう土曜の熱が出来始めていた。


 通りに漂う甘い匂い。扉の前で待つ客の気配。朝の明るい空気の中で、店だけが少し早く一日の中心になっている。


 その流れを見た瞬間、マリナは自分の中の何かがきちんと繋がるのを感じた。


 街道を守ることと、この店を開けることは、別の話ではない。


 列へ並ぶ客も、王都から来る荷も、港へ向かう流れも、全部がどこかで繋がっている。だから、今自分たちはここに立つ。


 扉を開ける前に、ユウトが小さく息を吸った。


「先生」


「何ですか」


「今日は、ちゃんとやります」


「昨日もやってました」


「今日は、もっとです」


 その言い方に、マリナは少しだけ笑った。


「そうしてください」


 そう返すと、ユウトの目からさっきまでの沈んだ色が少しだけ引く。


 扉の向こうから、魔王さんの声が聞こえた。


「お、来たな」


 その声の明るさに、朝の冷たい空気がやわらぐ。


 マリナは一度だけ呼吸を整え、それから店の中へ足を踏み入れた。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ