第9話 急にお休みになったので先生と城下町に行くことになった
宿舎の夜は、意外と静かだ。
昼間は訓練と移動で疲れ切っているし、灯りも松明とランプ程度。自然と消灯が早くなる。
――のだが、女子部屋だけは別だった。
小さな声が、毎晩のように続く。
訓練の愚痴。城の食事の話。洗濯の仕方。髪の手入れ。
そして今日は――恋愛の話になっていた。
「先生」
桐谷玲奈が枕を抱え、にやにやと笑う。
「先生、誰か気になる男の子とかいないんですか?」
橘真里奈はベッドの端で髪をほどいていた手を止めた。
「……いきなり何を言い出すのよ」
「だって先生まだ若いじゃないですか」
玲奈は楽しそうに言う。
「学校でも人気ありましたし」
「そういう話は――」
「じゃあ黒崎くんは?」
真里奈の動きがぴたりと止まった。
「なっ……!」
玲奈が勝ち誇ったように笑う。
「やっぱり」
「違うわよ!」
真里奈は小声で抗議した。
だが、同じ部屋にいた女子たちは面白がっている。
「黒崎くんって、けっこういいよね」
「落ち着いてるし」
「優しいし」
「なんか安心感ある」
玲奈がうんうんと頷く。
「ですよね」
「先生的にも、黒崎くんって――」
「ち、違うってば」
真里奈は必死に否定しようとした。
でも。
『先生的にもどうなのか』と聞かれた瞬間、頭の中に一つの光景が浮かんだ。
転移する前の――放課後の学校。
職員室で仕事をして、帰りが遅くなった日。
学校の外で知らない男に声をかけられて。
怖くて、動けなくて。
その時。
黒崎悠人が現れた。
『先生、下がってください』
自分の前に立って、そう言った。
男が逃げた後も。
黒崎くんが警察に連絡してくれて。
そして――
「……警察が来るまで」
真里奈は思わず口にしていた。
「ずっと、そばにいてくれたの」
一瞬、部屋が静まった。
次の瞬間。
「白馬の王子様じゃん!」
「それもう好きじゃん!」
「先生、顔!」
真里奈ははっとして、慌てて枕で顔を隠した。
「ち、違うわよ!」
玲奈がにやにやする。
「先生、それメロメロですよ」
「違う!」
別の女子が言った。
「先生、黒崎くんってけっこういいよね」
真里奈は枕の陰から小さく反論した。
「だ、だめ……」
「ダメ?」
玲奈がすぐ反応する。
「今の『ダメ』って、否定じゃないやつです」
真里奈は枕を抱えたまま叫んだ。
「違うの!そういう意味じゃなくて!」
女子たちは一斉に身を乗り出す。
「じゃあ、どういう意味?」
「先生、今の説明してください」
真里奈は追い詰められた。
そして。
うっかり、ぽろっと言ってしまった。
「……うん」
また静寂。
数秒後。
「認めた!!」
「先生かわいい!!」
「よし!」
玲奈が腕を組む。
「先生の恋愛、みんなで応援しよう」
「ちょっと!」
真里奈が抗議する。
だが女子たちはもう決めていた。
「まずはデートだね」
「そうそう」
「先生、距離詰めないと」
真里奈は真っ赤なまま枕を投げた。
「やめなさい!」
笑い声が部屋に広がる。
この夜。
女子たちの間で、ひとつの“方針”が固まった。
――橘先生の恋を応援する。
そして真里奈は、まだ知らなかった。
この方針が、明日とんでもない方向に暴走することを。
⸻
翌朝。
宿舎の食堂は、いつも通りだった。
黒いパンと薄いスープ。
味は正直、慣れない。だが腹は減る。
黒崎悠人は席につき、パンをちぎりながら周囲を見る。
……妙だ。
女子たちの視線が集まっている。
しかも。
にやにやしている。
(なんだこれ)
悠人が首をかしげた、その時。
食堂の扉が開いた。
レオンが入ってきた。
騒がしかった空気が、一気に静まる。
この数日、訓練を仕切ってきた騎士。現場の空気を変える力がある。
レオンは腕を組んで言った。
「今日は訓練はない」
一瞬、食堂が固まる。
「休みだ」
数秒の沈黙。
そして。
「えええ!?」
「マジで!?」
「やった!!」
歓声が上がった。
休みなんて初めてだ。
レオンは肩をすくめる。
「城が少し騒がしくてな」
「騎士団も今日は忙しい」
誰かが聞いた。
「何かあったんですか?」
レオンは少しだけ間を置いた。
「……勇者様たちの件でな」
空気が一瞬だけ、変わる。
だがレオンはすぐに切り上げた。
「お前たちには関係ない。気にするな」
「今日は休め」
それだけ言うと、レオンは食堂を出ていった。
生徒たちは一気に動き出す。
「城下町行こう!」
「市場見たい!」
「武器屋も!」
玲奈が立ち上がって言った。
「私は図書館!」
女子たちもわいわいと盛り上がる。
悠人も、久しぶりに肩の力が抜けた。
――その時。
「黒崎くん」
小さな声がした。
振り向くと、橘真里奈だった。
いつもより少しだけ、落ち着かない表情をしている。
「……ちょっと、相談があるの」
「相談ですか?」
真里奈は周囲をちらっと見た。
女子たちがこっちを見ている。
期待に満ちた目――というより、圧がある。
真里奈はさらに小声になった。
「……この世界の服」
「ちょっと困ってて」
「服?」
真里奈は耳まで赤くして言った。
「……下着とか」
悠人は一瞬、言葉を失った。
真里奈は慌てて続ける。
「この世界の下着って」
「サイズも合わないし」
「形も微妙で」
「……正直、すごく困ってるの」
そして、さらに声を落とした。
「でも」
「女子に言ったら絶対からかわれるから」
「みんなには内緒にしたいの」
悠人は一瞬、納得した。
確かに今の女子たちは妙にテンションが高い。
ここに“下着”という燃料を放り込んだら、どうなるか想像がつく。
真里奈は本当に困った顔で続けた。
「休みが急に決まったでしょう?」
「だから今しかないと思って」
「城下町で探したいの」
そして。
最後に、恐る恐る言った。
「……一人で行くの、ちょっと怖いから」
「付き合ってもらえる?」
悠人は女子たちを見る。
女子たちは満面の笑みでこちらを見ている。
だが。
目が笑っていない。
(断ったら)
(殺される)
悠人は即答した。
「よろこんで」
その瞬間。
女子たちが一斉にガッツポーズした。
真里奈は慌てて言う。
「ち、違うわよ!」
「これはデートじゃないから!」
女子たちが声を揃える。
「デートです」
「完全にデート」
真里奈は首をぶんぶん振った。
「違うもん!」
「お買い物だもん!」
その言い方が、妙に可愛かった。
玲奈が腕を組み、楽しそうに言う。
「黒崎くん」
「先生をエスコートしてください」
「いや、エスコートって……」
悠人が苦笑する。
だが女子たちの圧がすごい。
「頼んだ!」
「先生泣かせたら許さないから!」
「頑張れ!」
真里奈は顔を真っ赤にして俯いた。
悠人は小さく息を吐く。
(……護衛だ)
(先生の買い物の付き添い)
(ただそれだけ)
そう結論づけて、立ち上がった。
「橘先生」
「行きましょうか」
悠人は、できるだけ自然に手を差し出した。
真里奈が固まる。
「え……」
女子たちが騒ぐ。
「きゃー!」
「手ぇぇ!」
「エスコート!」
真里奈は慌てて言う。
「だからデートじゃないの!」
だが。
恥ずかしそうに、その手を取った。
指先が触れた瞬間。
真里奈がびくっと小さく肩を揺らした。
距離が近い。
肩が触れそうだった。
男子たちがひそひそ言う。
「なにアレ」
「距離近くない?」
「デートじゃん」
その瞬間。
女子たちが一斉に男子を睨んだ。
ぎろり。
男子たちは一瞬で黙った。
「……」
「……すみません」
悠人は苦笑した。
(このクラス)
(女子が最強だな)
真里奈はまだ赤い顔のままだった。
小さな声で、言い訳のように呟く。
「……ほんとにお買い物だから」
悠人も小さく頷く。
「分かってます」
その返事に、真里奈の耳がさらに赤くなる。
――その時。
宿舎の窓から、女子たちがこちらを見ていた。
「行った!」
「先生顔真っ赤だった!」
「黒崎くん鈍すぎ!」
玲奈が笑う。
「まあいいです」
「先生の恋」
「私たちで成功させましょう」
悠人はもちろん、それを知らない。
悠人はただ、城門へ向かって歩きながら首をかしげていた。
(なんか)
(やたら盛り上がってたな)
ただ先生の買い物に付き合うだけのはずなのに、女子たちの反応が妙だった。
(まあいいか)
先生一人で城下町に行くのは危ない。
護衛みたいなものだろう。
悠人はそう結論づけた。
横を見る。
真里奈は顔を真っ赤にして歩いていた。
(先生、やけに緊張してるな)
悠人は思った。
(初めての街で不安なんだろう)
――そう思っている時点で、彼はまだ何も分かっていない。
こうして二人は。
女子たちの歓声と期待に見送られながら。
城下町へ向かうことになった。
城門に向かいながら、悠人はふと足を止めた。
「あ、ちょっと待ってください」
「え?」
悠人はくるりと宿舎の方へ戻る。
真里奈が首をかしげた。
「どうしたの?」
「忘れ物です」
数分後。
悠人は宿舎から戻ってきた。
手にはいつもの長い棒がある。
騎士団から借りている、訓練用の頑丈な棒だ。
真里奈は少し驚いた。
「それ……持っていくの?」
悠人は当然のように答える。
「はい」
「城下町でも何があるか分かりません」
「護衛ですから」
真里奈は一瞬言葉を失った。
そして。
少しだけ、くすっと笑った。
「……ありがとう」
悠人は首をかしげる。
「?」
その頃。
宿舎の窓から女子たちが見ていた。
「え?」
「棒?」
「なんで棒?」
玲奈が頭を抱える。
「あーあ」
「黒崎くん」
「全然分かってないよ」
女子たちは笑った。
「まあいいか」
「そこが黒崎くんだよね」
玲奈がにやりと笑う。
「でも」
「それでも先生、嬉しそうでしたよ」
窓の向こうでは。
悠人と真里奈が並んで歩いていた。
真里奈はまだ少し顔が赤いままだった。
悠人はそれに気づかず、周囲を警戒している。
――完全に護衛の顔で。
女子たちは同時に言った。
「鈍い」
だが。
その様子が、なんだか少しだけ嬉しかった。
こうして二人は。
城下町へ向かって歩き出した。




