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短編

あなたと猫どっちが大事?そんなの猫に決まっているでしょう!~猫が好きすぎて婚約破棄されたけど、その直後に知らない王子に求婚される話~

作者: 猫町佑

「マリエル・ローゼンタール、貴様との婚約を破棄する!」


 グラーフェンベルク伯爵家の嫡男、ヴィクトル・グラーフェンベルクは私に向かってそう言い放った。私を見つめる彼の目は恐ろしく冷たい。


「私よりも猫を優先する女が、次期グラーフェンベルク伯である私の妻にふさわしいとは思えん! この猫狂いめ!」


 猫で婚約破棄なんて、ずいぶんと妙な展開なのですが、こののち、もっと妙なというか、不思議な出来事に巡り合うことになるのです。とりあえずは婚約破棄のいきさつから。


 その日、私は婚約者であるヴィクトルの邸宅を訪ねていました。

ヴィクトルが冬の休暇を過ごした別荘から戻ってくる日だったからです。


 本来、私もその別荘での休暇を共に過ごすはずだったのですが、私の愛猫クロエが体調を崩してしまい、一緒に行くことはできませんでした。

 私の家も子爵家、もちろん猫の世話を頼める者はいるのですが、私にとって猫は親友であり家族。いえ、もしかしたらそれ以上の存在。そんな存在が病気になっているのに、置いて出かけるなんてできません。


 私は幼いころから大の猫好きで、3歳のころに初めての猫を与えられて以来、19歳となった現在までずっと猫を飼い続けてきました。

 猫を愛し、猫と共に過ごした16年。これからも猫なしの暮らしは考えられません。


 ですので、ヴィクトル様が最後に言い放った「猫狂いめ!」はむしろ褒め言葉です。


 それはさておき、やはり別荘に同行できなかったことは婚約者として、よろしくないこと。

 ヴィクトル様が戻ったら改めてお詫びしよう。


 そう思って、グラーフェンベルク邸を訪ねたのです。


 婚約者である私の姿を認めると、グラーフェンベルク家の執事さんはすぐに私を広間に通してくれました。


 まだヴィクトル様は戻っていないらしく、しばらく広間で待っていると、突如としてガヤガヤと廊下が騒がしくなり、ヴィクトル様と別荘に同行していた友人たちが広間へと入ってきました。みなさん、戻ったばかりなので旅装です。

 そして、お仲間に混じって一人の若い女性がいたのですが、私を発見すると、そそくさと広間から出て行ってしまいましたが、この時はそれほど気には留めませんでした。


 とにかく、ヴィクトル様は謝罪と長旅を労わった私に向かって「なんだ、いたのか」と冷たい視線を投げかけ、お仲間のみなさんに私を紹介することもなく、それどころか私の顔を見るなり、婚約破棄を言い渡したのでした。

 もちろん私は常に猫を優先させたいわけではなく(本当はさせたいけど)、今回は猫が病気だったのでどうしても同行できなかったのだと事情を説明したのですが……。


「猫の病気?」

「はい、事前にお伝えした通り、体調があまりよくなくて」

「改めて聞こう、伯爵家の嫡男であるこの私と猫どっちが大事なのだ?」


(そんなもの猫に決まっているでしょうが!)


 と言えるわけありません。

 返答に詰まった私を見て、ヴィクトル様は「ほら見たことか」と言わんばかりの笑みを浮かべます。


「もういい! ここにいる皆が証人だ! 改めて宣言するマリエル・ローゼンタールとの婚約は、今この場をもって破棄する!」


 婚約破棄はもちろんショックでした。

 でも、同時に少しホッとしたというのも正直な気持ちです。

 あの方が私の猫クロエに優しくしてくれるとはどうしても思えなかったので。

 これまではいっしょに暮らせばもしかしたら猫の可愛さに気づいてくれるかもしれないと半ば自分を騙すように信じていたのですが、今日の冷たい目を見て確信しました。


 あの人はクロエにとってよくない人――。


 であれば、お別れするべきです。


 私は深く一礼し、震える足を踏み出したのでした。


   ΦωΦ 


 ローゼンタール子爵家の屋敷に戻ったころにはすっかり夜が更けていました。

幼いころから面倒を見てくれたばあばが夕食を取っておいてくれていたのですが、食欲がないので辞退して、私は自室へと駆け込みました。

 待っていたのは、愛猫クロエ。茶色のトラ柄でお腹付近の毛は白い。いわゆる茶シロ柄です。


「ただいま、クロエ」


 私が声をかけると、クロエき、猫用の寝台の上から身を起こし、背中を丸めて伸びをしました。そして、トトッと寝台から飛び降りると、私の膝に近づき、小さな頭を擦り寄せてくるのです。


 クロエの体調は回復して、いまではすっかり元気。

 その温もりに触れた途端、胸を締め付けていた苦しさが少し軽くなった気がします。


「クロエ、前にお引越しするかもしれないっていったでしょ。あれね、大丈夫になった。クロエもこの部屋がいいよね」


 私はクロエの体をそっと抱き上げると、ベッドの上へと運び、毛の流れにそって、ゆっくり優しく背を撫でる。

 しばらくするとクロエはぶるぶるぶるるると、喉を鳴らしはじめました。

 その音に包まれていると、不思議と心が落ち着きます。


「結婚なんて向いてないんだろうな……でもいいんだ。クロエがいてくれたら」


 つぶやいた言葉は、静かな部屋の空気に吸い込まれていきます。


 そのときでした。

 ――かすかな鳴き声が、窓の外から聞こえてきたのです。


「……え?」


 クロエではない。もっと掠れた、弱々しい声。

 私はカーテンを開け、庭を覗き込む。そこには、泥にまみれた一匹の猫が門扉のそばで身を縮めていました。

 夜になり外はみぞれ混じりの雨が降っています。

 あんなところにいては凍えてしまいます。


「たいへん……!」


 私は急いで部屋を出て階段を下り、外へと駆け出した。帰宅時よりもさらに気温が下がり、部屋着で飛び出した私の体温をあっという間に奪う。

 

「ずぶ濡れで、寒いよね」


 しゃがみ込み、そっと手を差し出すと、猫はかすかに唸って、震えながらも最後の力を振り絞り、牙をむいています。


「大丈夫よ、怖がらなくていいの」


 声を落として呼びかけると、猫は一瞬こちらを見上げました。


「お家に入って身体を拭こうね」


 言葉が通じるはずもないが、気持ちは通じたのか、猫は警戒を解き、私の方へと歩み寄る。

 私はその身体をそっと抱き上げた。冷たい小さな身体の重みが腕に伝わります。


「ばあば、お湯とタオルをお願い」


 私は猫を抱いたまま自室へ駆け戻りました。

 クロエが驚いたように目を丸くしたが、弱々しく鳴くその姿に、すぐ状況を察したのか大人しく毛布の上に座り直しました。


「クロエ、ごめんね、この子を助けてあげたいの」


 私は泥まみれの猫をそっと寝台に横たえると、ぬるま湯を入れた桶と柔らかい布を用意しました。

 毛並みにこびりついた泥を少しずつ拭い取る。猫は初めこそ小さく唸ったが、やがて観念したように目を閉じ、されるがままになった。

 泥を落とすと、雪のように真っ白な毛並みが蘇る。


「白猫さんだね、よしよし……大丈夫、大丈夫よ」


 身体を拭き終えると、私はクロエのために常備していた、魚のフレークを小皿に盛って与える。

 白猫は一度くんくんと匂いを嗅ぐと、ガツガツと食べ始める。


「お腹が空いていたのね……」


 胸の奥がきゅっと痛む。どれほど長い間、寒さと飢えに耐えてきたのだろう。


 食べ終えた猫は、用意した柔らかめの毛布の上に身を丸めました。


「気に入ってくれてる! そうだよね、この毛布、いいよね」


 その毛布は柔らかくて、ビロードのようなすべすべとした肌ざわり、私の飼っていた代々の猫たちのお気に入りなのです。

 その姿を見守っていると、クロエがそっと寄り添い、まるで古くからの友人のように隣に横たわった。


「ふふ……クロエ、あなたって本当に優しいのね」


 二匹の猫が静かに眠る様子を眺めていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 婚約を失ったばかりなのに、不思議と孤独ではない――そんな気持ちが広がっていく。


 私はその姿を眺めながら、ランプを小さくし、眠りについたのでした。


 ――翌朝。

 目を覚ますと、窓から柔らかな朝日が差し込んでいました。


「……あれ?」


 毛布の上にはクロエだけが眠っていて、もう一匹の猫の姿は、どこにもいませんでした。


「どこへ行ってしまったの……?」


 寝台の隅には、昨夜置いた毛布が少しだけ乱れたまま残っていた。

 まるで夢だったかのように、白猫さんは影も形も消えてしまったのでした。

 これでお別れかと思ったのですが……。


 三日後の夜、白猫さんの再訪がありました。

 その日も、少し魚のフレークを食べ、私のブラッシングに喉を鳴らし、クロエと共に毛布の上でグルーミングし合い、そして朝、私が目を覚ますといなくなっていました。

 私とクロエを気に入ってくれたのか、それ以降、何日かに一度、白猫さんは私の家を訪れるようになったのでした。


    ΦωΦ 


 それから数日後。

 冬の冷たい空気のなか、私は街に出ていました。クロエと白猫さんの二匹分になったため猫のご飯の減りが早く、補給が必要になったのです。使用人はいるのですが、猫の買い物だけは絶対に自分ですると決めています。


 広場は買い物客で賑わい、露店の呼び込みの声や、子どもたちの笑い声が飛び交っていました。私は人混みをかき分けながら、袋を胸に抱え、早く帰ってクロエに味見させてやろうと足を速めた。

 そのときでした――。


「道を開けろ! 第二王子殿下のお通りだ!」


 鋭い声が響き渡り、人々が左右に避ける。豪奢な馬車が石畳を揺らしながら進んでくるのが見えた。深紅の旗に王家の紋章。

誰もが頭を垂れ、息を潜めます。


 フェリクス第二王子、その名はもちろん国中知らぬものはいません。


 ――変人として、ではありますが。


 年齢は22歳、たぐいまれなる美貌の持ち主であり、同時に英邁、十代の頃から国政に参加しているとのこと。

 しかし、男盛りの年齢にも関わらず、サロンや夜会、晩餐会の類にまったく顔を出さない。そのために、女嫌い、もしくは人嫌いだともっぱらのウワサなのです。


 先導の馬車に続いて、ウワサの王子を乗せた馬車が通過していく。

 私も猫のご飯の入った袋を抱え直し、脇に寄ろうとしたのですが――。

 

 馬車の窓から、ひとりの青年がまっすぐにこちらを見つめていることに気づきました。


 澄んだ湖水が空を映したような蒼い瞳、金糸のような豪華な髪、整った鼻筋。

 肖像画で描かれた通りの姿。

 間違いありません、お付きの方ではなく、フェリクス第二王子本人です。


(……きれいな顔……天使みたい)


 王子の薄い唇が動き、馬車の中で従者の方に何事か話しかける。

 従者は軽く頷くと、御者に向かって大きな声で指示を伝える。


「馬車を止めろ!」


 王子が公道で、しかも人目のある広場で馬車を止めるなど前代未聞のこと。御者は動揺した様子でしたが、従者の指示には抗えず手綱を引き、馬車を止めます。


 その直後、フェリクス王子は躊躇なく扉を開き、石畳に降り立ちました。

その姿に群衆は一斉に息を呑んでいます。


 そして――、

 王子がこちらへ歩み寄ってくるではありませんか。


 ……えっ⁉ 私⁉


 間違いありません。王子はまっすぐに私の顔を見つめています。

 私は荷物を抱えたまま立ち尽くし、ただその蒼い瞳を見返すしかできません。


「で、殿下、ご機嫌――」


 私が慌てて臣下の礼を取ろうとした、直前だった。

 王子が私の目の前で石畳の上で片膝をつき、いわゆる跪拝の姿勢を取った。

 まっすぐ私を見つめる、蒼い瞳。


「どうか、私の妻になってほしい!」


 その言葉に、静まり返っていた、広場に一気に衝撃が走りました。


「いま、なんとおっしゃった?」

「妻に――?」

「王子が?」

「あの娘、何者だ?」


 人々のざわめきが嵐のように駆け巡ります。

 その嵐の中で、私は何も言えず、ただ呆然と立ち尽くしていました。


(なぜ、どうして。王子と私に、いったいどんな縁が――?)


「殿下、なにを!」


 驚いていたのは街の人々だけではありません。従者にとっても、青天の霹靂だったようで、慌てて、私と王子の間に割って入ります。


「殿下、お戯れはおやめになってください」

「戯れなどではない」

「で、ですが、この令嬢とご面識は?」

「ない!」


 きっぱりと断言する王子。

 そうですよね、ないですよね……。


 私がお会いしたことを忘れているなどという無礼なことがなくてホッとしました。


「ではご面識がないのに求婚とはいかがなお考えで?」

「……それは」


 フェリクス王子ご自身も怪訝な顔をされています。

 腕を組むと「うーん」と考え込んでしまいました。


「殿下、今日のところはここまでにいたしませんか?」


 そんなフェリクス王子に声をかけたのは先ほどとはまた別の従者の方でした。

 年齢はかなり上で六十歳くらいでしょうか。


「ここはいったんわたくしめが収めます」


 優しげな口調でそう言われると、王子もその方を信頼しているようで、「うん」と頷きました。

 そして今度は従者さんのその優しげな笑みが今度は私に向けられました。


「失礼、ご令嬢、お名前は?」

「マリエル・ローゼンタール、ローゼンタール子爵家の娘です」

 

 私がそう答えると、恭しく頭を下げてくれました。


「マリエル嬢、このことについては改めてご説明させていただきますので。今日のところは失礼いたします」

「は、はい……」


 再び王子を乗せて馬車は走り出し、結果、残った私は見物人の視線が一気に集まることになってしまいました。



「第二王子殿下が突然、片膝をついて求婚なさった!」

「相手は誰だ……?」

「わからない……。おとなしそうな娘だった」


 市場でも、パン屋でも、屋敷に戻る途中でも、騒動が収まる様子はない。


「えっと、わ、私も行かないと」


 その視線から逃れるために、私は小走りで広場を後にしたのでした。


   ΦωΦ 


 街から戻り、部屋に閉じこもると、クロエがすぐに膝に乗ってきた。


「クロエ……私、どうしたらいいの?」


 クロエは答えず、ただ喉を鳴らすばかり。

 猫は癒しの効果は高いが、相談相手としては少々心もとないのです。


 もう何度繰り返したかわからない自問自答。


 ――どうして殿下は、私に求婚を?


 ――殿下と私になんの関係が?


 その問いに答えが出たのは、それから三日後のことでした。


 夕刻、屋敷の門前に一台の馬車が止まり、降り立ったのは、あのとき王子を諫めていた白髪の執事でした。


「わたくしはフェリクス殿下の執事を務めておりますクラウスと申します。ローゼンタール嬢にお伝えしたいことがございます」


 恭しく頭を下げるクラウスさんの声は穏やかでしたが、独特の重みがあるように感じます。


「この件については、決して他言無用に願います。殿下の御身に関わる重大な秘密にございますゆえ」


 私は思わず息を呑みます。


 ――重大な秘密? 殿下の御身に関わる?


 胸の鼓動が早まっていくのを感じながら、私はクラウスさんの馬車に乗り込みました。

 そして、フェリクス王子が待つ屋敷へと向かったのでした。


 第二王子邸の応接間に通されると、すぐにクラウスさんが恭しく頭を下げて告げました。


「殿下がお食事をご一緒に、とお望みです」

「……私と、ですか?」


 私と……、そうに決まっているのだが、反射的に聞き返してしまいました。

 あの晩餐会にも夜会にも決して姿を現さぬ第二王子が私と二人きりで食事だなんて……。


 やがて通された食堂には、長い大卓があったが、席に着いていたのはフェリクス殿下一人でした。

 燭台の灯りが金糸のような髪を照らし、その蒼い瞳が私を見つめています。


「来てくれて嬉しいよ、マリエル嬢」

「……お招きいただき、恐れ多く存じます」


 緊張で喉が渇き、声が震える。

 従者たちは給仕を済ませると下がり、広い食堂に残ったのは私と殿下だけ。


 静かな食事が始まった。銀の器に盛られた肉料理や香草のスープ。

 緊張で食欲も湧かず、味わう余裕などありませんでしたが、口に運ぶしかありません。

 王子は優しく微笑みながら、そんな私の様子を見ています。


「この前は……驚かせてしまったな」


 やがて、ぽつりと王子が言いました。


「あ……、いえ」


 広場での出来事。人前での突然の跪拝と求婚。

 思い出しただけで顔が熱くなります。


「本当にすまなかった。でも……ああ、せずにはいられなかったんだ」

「なぜ……私に?」


 問いかけると、殿下は少しだけ困ったように笑いました。


「自分でも、はっきりとはわからない。ただ……君を見ていると、心の奥からどうしようもなく『好きだ』という気持ちが湧いてくるんだ」


 照れ臭そうにはにかむ王子。

 どうして私に?

 まったく理解ができない。けれど、フェリクス王子の表情は真剣そのもの。


「だから……マリエル嬢。婚約を前提に話を進めさせていただきたい」

「……!」

「どうだろうか? 必ず貴方を大切にする」


 私は一度大きく深呼吸する。

 相手はこの国の王子。断るという選択肢など、最初からありません。


「……殿下のお望みを、私ごときが拒むことなどできません。謹んでお受けいたします」


 緊張で唇が乾きながらも、そう答えると、殿下はホッと安堵の表情を浮かべています。

 そして、このタイミングを見計らっていたかのようにクラウスさんが静かに私の側へと進み出ます。


「マリエル嬢。殿下とご縁を結ばれるならば、ひとつだけ知っていただかねばならぬことがございます」

「……?」

「それは殿下にかけられた呪いについてです」

「呪い……」

「はい、殿下を悩ませる忌々しき宿命でございます。マリエル嬢と殿下の面識についてもおそらくこのことが関わっているはずです」


 ふぅ、と深いため息を吐き、クラウスさんは重々しく言葉を続ける。


「言葉で説明するよりも、一晩お供いただければ、おわかりいただけましょう。殿下のお許しもいただいております」

「……一晩、ですか」


 殿下の私室に二人きりで――。

 婚約を承諾したばかりの身で、そんなこと……。頬が熱くなり、心臓が早鐘を打った。


(ま、まさか……婚前交渉など……⁉)


 動揺しながらも否応もなく、私は従者の方の案内で王子の私室へと導かれました。

 目の前には豪華な装飾の施された重厚なドア。


「おやすみなさいませ」


 従者の方を廊下に残し、ドアが閉められ、私は一人王子の部屋に残されました。

 美しい刺繍の施された天蓋付きの寝台、そこから少し離れて据えられたベルベットのソファセット、フェリクス王子はそこで優雅に紅茶の入ったカップを傾けていました。


「ミルクティだ。キミも飲むかい?」

「は、はい」


 王子は自らカップにお茶とミルクを注ぎ、私に手渡してくれました。

 なんと光栄な……。


「急に呪いだとか、一晩過ごせなどと言われて戸惑っていることだろう」

「……」

 

 なんと答えていいのかわからず、私は曖昧に頷くだけ。


「しかし、これがどうしてこのようになったのか、私にもわからないのだ、母上と父上の成婚に横恋慕した魔女がやったとも、何代前の祖先が受けた呪いが蘇ったのだとも……とにかく、物心ついたころより、私は特殊な夜を過ごし続けた――」


 王子はそう話しながらゆっくりと窓辺に立ち、夜空を見上げる。

 月明かりが端正な顔をさらに神秘的にライトアップし、その蒼い目は宝石のように輝いている。


 ――鐘が鳴る。


 次の瞬間、ゆっくりと殿下の姿が小さくなっていくではありませんか!


「……!」


 私は思わず後ずさります。

 そこにいたのは――真っ白な猫でした。


 私が何度も助け、クロエと一緒に毛布で眠っていた、あの白猫だった。


「あなたが……!」


 驚きに声が震えます。


「なぁぅ!」


 猫となった殿下は、蒼い瞳をきらきら輝かせながら、嬉しそうにひと鳴きして、ふわりと私の膝に飛び乗り、身体を擦り寄せてくる。

 柔らかい毛並み、温かな体温。


「そ、そんな……これはいったい⁉」


 事情を尋ねようとしても、膝の上の猫は甘えるように顔を押しつけ、喉をゴロゴロと鳴らすばかり。

 威厳ある第二王子の姿はそこになく、クロエと仲良しの愛らしい猫がいるだけです。

 フェリクス第二王子――いえ、白猫さんは、ソファに腰掛ける私の膝の上に乗り、喉を鳴らしながら、ふみふみと前足を動かし私のスカートをこねるように押している。

 私は少々恐縮しつつも、いつものように柔らかな背を撫でてあげます。


「……こんなに甘えん坊だったのですね」

「にゃぅ」


 まるで言葉が通じているかのように、猫は嬉しそうに鳴き、さらに顔をすり寄せてくる。

  

「……ふふ、だからベルベットのソファなんですね」


 この手触り、人間も好きだが、猫は大好きなのだ。

 ぶるぶる、ぶるぶる……。

 猫の喉を鳴らす音を聞いていると自然にリラックスできます。

 私もそのままソファにもたれ、うとうととまどろみに落ちていったのでした……。


 どれくらい経ったでしょうか。

 いつの間にか、窓の外では月明かりは消え、黎明の薄紫へと変化しています。


「殿下……」


 いつの間にか白猫さん――フェリクス王子は私の膝の上から姿を消していました。どこへいったのかと周囲を見渡すと、ベッドの上で丸くなって眠っています。


 その白い毛並みにかすかに朝日が差し込むと……。

 徐々にフェリクス王子の身体が大きくなっていくではありませんか。

 手足がゆっくりと伸び、毛皮に覆われた身体から、すべすべとした肌へと変化し――。


「……! で、殿下っ!!」


 さすがに裸の王子をそのまま見ているだけというわけにはいきません!

 私は慌ててベッドに駆け付けると、王子の身体に毛布を掛けます。

 毛布を掛けられ、目を閉じたまま、気持ちよさそうにはにかむ王子。

 そして毛布の中で身体は完全に人間に戻り――。

 最後に残ったのはまっしろな猫耳だけ。


 ――か、かわいいいいっ!


 思わず叫びそうになるのをギリギリ抑えます。

 猫耳王子、可愛すぎますっ!


 これのどこが呪いなのでしょうか、完全に祝福、神様からの贈り物です。


「おはよう……」


王子が目を覚まし、私に向かって微笑みかけました。


「失礼はなかったかな? 猫の間のことは、あまり覚えていないんだ。ただ……」


 王子は毛布で身体をくるんだまま、身を起こし、ベッドの上で胡坐をかいています。


「詳しくは覚えていないけど、とても幸せな夢を見た。そんな気分なんだ」


 そういうと、王子はふわわと猫のようなあくびをしたのでした。


   ΦωΦ    


 それから数か月、私とフェリクス王子は順調に愛を育んでいきました、というか、私と白猫のフェル(白猫の時はこう呼ぶようにしたのです)はと言うべきかもしれませんが。

 私はたまに王子の邸宅にお忍びでお邪魔してお食事を共にし、そして王子の化身、白猫フェルは毎晩のように私の部屋を訪れ、幸せな夜を過ごしたのでした。


――そんなある日。


「そろそろ婚約者のお披露目の宴を開こうかと思うのだがどうだろう?」


 王子は突然、そのような話を切り出されました。

 もちろん、いずれは正式に婚約を発表するつもりだったのですが、できればこの猫化の呪いが解決してから、せめて解決策を見出してからとおっしゃっていたのですが……。


「いや、そのつもりだったのだが、あまりに猫の時間が気持ちよくてな。しばらくは猫と王子を兼務しようかと思う」


 猫でいる間の時間はほぼ記憶がないもの、幸せだった感覚とリラックス効果は残り、身体の疲れは取れ、昼間の政務に力が入るそうです。


「次の新月の夜、お披露目の宴を行う、いいな」


 王子の猫の魔法は月の光を受けると発動し、陽の光を受けると元に戻るようで、月の光のない新月の夜だけが王子が王子の姿でいられる夜。

 その夜に晩餐会を開き、その場で婚約を発表するのだそうです。

 王子がそうお決めになったのであれば、私は異存はありません。


 こうして、お披露目の宴が開かれることが発表され、王都はそのウワサでもちきりになりました。爵位がある家であれば宴の参加を認めたということで、参加者を希望した人は数えきれないほど。


 そしてあわただしく月日は過ぎ、二週間後の新月の夜となりました。

 会場は王家の所有物である王都でももっとも壮麗なオルフェリア宮殿。

 その広大な敷地はこれまで一度たりとも夜会に出なかった第二王子とその婚約者を一目見ようと、麗人、令嬢でごった返していました。

 

 そして、その人々が一目見ようとしている目的物である私というと――。


 会場である水晶の間の端っこで、お菓子に舌鼓を打っていました。


 私が婚約者であることは王家の一部の方々と私の両親を除けば秘密ですので、こうして会場にいても、なんの問題もありません。

 お披露目されてしまっては、こうして呑気にお菓子など食べていられませんから。

 いまなら誰の目も気にすることなく、純粋にお菓子を楽しめる。

 そう思ったのですが――。


 「マリエルか、久しぶりだな」

 

 突然、私の名を呼んだのはヴィクトル様でした。そのの傍らには若い女性の姿があります。


「紹介しよう、新しい婚約者のイザベラだ」


 イザベラさん、どこかで見たような……。

白いレースのドレス、長い金髪、伏し目がちな微笑み。


 そうだ。あの日――。

 ヴィクトル様が別荘から戻られたとき、私を見てそそくさと広間を出て行ったあの女性――!


 イザベラさんが私ににこやかに会釈します。

 しかし、その目の奥に宿る光は、どこか冷たく感じます。


「まあ、あなたが……マリエル嬢? 猫の世話で婚約を破棄されたという」


 私はその目を見て確信しました。

 あの別荘の一件の時点でふたりはすでに――関係があった。

 いえ、もしかしたら、あのときの別荘でそういう関係になった。

 だから、ヴィクトル様は過剰に私が猫を優先することを叱責し、婚約を解消した。

 きっとそう。


 あくまで勘ではありますが、確信にめいた感覚があります。


「どうだ? 猫は元気か?」

 

 ヴィクトル様はどこか馬鹿にするような口調でそう言いました。


「おかげさまで」

「それはなにより」

「ええ、私も猫さんのこと心配していたんですよ。私たちのキューピッドのようなものですからね」


 イザベラさんがヴィクトル様の耳元でささやきましたが、その声量は私にわざと聞かせようとしているとしか思えない大きさでした。

 種明かしして、私が屈辱で歯噛みするところをその目で見て、自分が勝利者であることを確認してやろうということでしょう。


 でも――。

 私はまったく歯噛みなどする必要はありません。

 イザベラさんの意図とはまったく逆のむしろ憐れむような笑顔を返します。


 だって、まったく悔しくもなければ、当然の権利である怒りすら湧いてこないのですから。


 むしろ、このあとのことを考えると、この会話でお菓子を食べる時間が失われていることが惜しいくらいです。


「失礼、カップケーキを取らせていただきますね」


 私はイザベラの脇をすり抜け、壁際に並べられたケーキの方へと向かいます。


「これでよかったのかな?」


私の前に皿に乗ったカップケーキが差し出されました。

差し出したのは――。


 フェリクス第二王子、その人でした。

 王子のご尊顔を間近で見ても、ヴィクトル様もイザベラさんも何者なのかわかっていないようです。

 無理もありません、これまで、政務以外で公の場に顔を出していない王子とあって、ほとんどの人間は面識がないのですから。


「今日は、ご足労いただき感謝する」


 ヴィクトル様とイザベラさんがその挨拶に怪訝な顔をしています。


「フェリクス・エルンスト・アストレイン、ルドヴィク・アストレインの第二王子だ」


 フェリクス王子の澄んだ声が響きました。


 すぐに最敬礼をもって、返事をしなければならないヴィクトル様とイザベラさんですが、なんの返事もありません。ただ唖然としています。

 呆然とするふたりを残し、王子の言葉は周囲の人にも届き、ざわめきが波紋のように広がり、視線がこちらへと注がれはじめます。


「いかん。騒ぎになるな。退散するか」


 おもむろに私の手を取る王子。


「後程、正式にご挨拶させていただきますので」


 私は会釈、二人に会釈だけすると、騒然とする人ごみを抜け、王家の席である高台へと向かうのでした。


   ΦωΦ 


 婚約発表の宴が終わったあとも、オルフェリア宮殿の外はまだ人々の熱気で満ちていました。

 おそらく夜通し宴は続くのでしょう。

 けれど、私とフェリクス王子はその喧騒を離れ、王家だけが入れる私室へと戻ってきていました。

 

 空気を入れ替えるために窓を開けると、夜風はすでに春の香りがしました。

 窓の外には新月の夜。空には月がなく、星だけが静かに瞬いています。

 

 フェルがはじめてお家に来たときは冷たいみぞれ混じりの雨の夜でした。


「まるで夢のようです」

「人間でいる間は夢ではなく現実であってほしいものだ」


 王子はそう言うと私の傍らに立つと、少し照れくさそうに、私の肩を抱き寄せた。

 その手の温かさに、胸の奥がじんわりと満たされていきます。


「新月が終われば、また月が満ちはじめる。……あしたの夜にはきっと猫に戻るだろう」

「はい。そのときも、ちゃんと膝を空けておきます」

「それは助かる」


 王子の柔らかな声が夜風に溶けていく。

 窓の外、いまだ続く宴の灯りを眺めていた王子の端正な横顔、その顔がおもむろにこちらを向きました。

 私を見つめる蒼い目。

 

「これからはフェルと呼んでくれないか? 人間の姿のときも」

「よろしいのですか?」

「お前の声でそう呼ばれるとなんとも幸せな気分になるんだ」

「承知いたしました。フェル」


 私が猫の姿のときと同じように王子を呼ぶと、王子は照れ臭そうに笑います。


「それから――」

「はい」

「新月の夜には人間の私にも膝を貸してほしい」


 その言葉に、私も笑みを返します。


「もちろんです、フェル」


 窓の外の星々が、私たちを祝福するようにきらめいているのでした。


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