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第一章 5

 メリアーヌは、朝ご飯を食べ損ねた。七時に間に合わなかったからである。

 多少遅れて行っても食事の提供は受けられたろうが、シャーリの人間だから優遇されるのだと思われたくなかった。――悔しいながら胸がいっぱいで食欲がなかった事も要因の一つである。

 八時十分前に訓練場に向かうと、昨日しこたま飲んでいたはずだが、全ての部下が清々しい顔で既に各々体を動かし始めていた。

 メリアーヌの姿を認めた者達の挨拶を受けながら、メリアーヌはよろよろと六曹二人の元に向かう。

「おや、珍しいですね。酒が残ったので?」

「朝食にもお見えでなかったので、丁度心配していたところで」

 曹の位にある者達とは朝食の際に顔を合わせるので、食堂に行かなかった事が言わずともばれている。

「いや、自分の耐性のなさに打ちひしがれていて」

「何の耐性です?」

 男、とは言えずにメリアーヌは肩を落とす。あまりにも情けない。

 鐘が鳴り、訓練開始を告げる。

 朝の訓練は八時から十時半まで、前半が体力づくり、後半が組手の鍛錬である。メリアーヌは監督官として全体を俯瞰的に見る事を職務としているものの、そうはいっても見ているばかりでは体が訛って仕方がない。四曹に上がる為の訓練を怠れる立場ではないので、メリアーヌの鍛錬は十時半、監督官としての職務を終えてからが始まりである。

 双子は、ハギーギ、ハジムの下でそれぞれ手探りながら、訓練としてはまずまずの初日を迎えているように見えた。

 早速支給されたシャーリ軍服に袖を通しただけで、まるで身内になったような親近感が沸く。組手には馴染がないようで苦戦して見え、新品の軍服はあっという間に土塗れになった。転がされても投げられてもかぶりついていく姿勢が、新人らしい若さに眩しい。

 十時半の鐘が鳴ると、双子はどっと座り込んだ。平然と立っているのはやはり慣れた者だけであり、新人では吐く事も途中で音を上げる事もあるのだが、双子はなんとかやりきったようであった。ただし、暫く立てそうにはない。

「付き合いましょうか、五曹」

 ハジムは肩を回しながら、体を伸ばすメリアーヌに近寄って来る。彼もまた組手には参加するものの監督する立場でもあるため、動き足りていないと見える。十時半から体を動かそうとするメリアーヌに大抵付き合ってくれるのは、このハジムだ。

「お願いしようかな」

「今日は男を軽々持ち上げる五曹に、是非組手のご教示を願いたく」

 あは、とメリアーヌは苦く笑う。単純な腕力では、流石に鍛えた大の男には勝てない。

「型取りだけでお願い」

「仕方ありませんね」

 流石にハジムとて自身が負けるとは思っていないようで、メリアーヌの提案に軽く応じる。

 シャーリでは、朝の鍛錬にエジェットと呼ばれる柔術を採用している。

 相手を確実に落とす為に急所を狙った攻撃を繰り出す柔術で、攻撃を繰り出す動きといなす為の動きをセットで基本の型取りとしている。実戦では当然ながら攻撃を繰り出す順は決まっていないが、最初は順序通りの型で覚え、いなし方を学んだ者から実戦形式に移る。

 実戦では何でもありである。エジェットの技を使用しつつ、取っ組み合いを含め型にない動きも可であるために、そうなるとメリアーヌには残念ながら荷が重い。掴まれたら振りほどく為の型もあるにはあるが、あくまでエジェットは体の動かし方を学ぶためのものであり、単純な腕力に屈服せざるを得ない場面も多々ある。メリアーヌは、「掴まれない」ように動かねばならない。

「攻撃側を」

「いなす」

 組み合う前に、どちらの型をとるか宣誓を行う。メリアーヌは当然、いなす側である。こちらの方がメリアーヌにとっては重要だ。

 メリアーヌとハジムが向かい合うと、座り込んだままの部下達がちらりと顔をこちらに向ける。近寄って来て観覧の体勢に入る者もあったが、現在はあくまで彼らにとっては休憩中、何をしていようとも自由である。

 揃って右手を差し出し、手のひらをぱちんと叩き合う事でゴングが鳴る。

 エジェットの攻撃順は頭に入っているが、強者と組むにあたり難しいのはそのスピードにある。繰り出される攻撃がともかく重い、とにかく早い。それをいかに素早くいなし、交わしていくかが受け手の手腕だ。下手をうち攻撃を食らってしまうとそれなりにダメージがある。

 目、顎先、喉元と、手順通り上から攻撃を繰り出して来るハジムの動きについていけない事は決してない。むしろ動きとしてはメリアーヌにしてみれば遅い方だが、とにかく重い。拳の側面を叩き落とし、手刀を下から弾き飛ばすも弾き切れずに頬を掠める。本来うまく弾けたなら避けずともよいものを、メリアーヌはいなしきれなかったものを交わす訓練を、このハジムと組む時に行う。

 わらわらと観覧の部下達が集まって来る気配を感じながらも、視線はハジムから逸らせない。互いの目を見ながら、視界の端の気配だけを頼りに払い落としていく。手順を知っているからこそであるが、そう簡単なものでもない。

 みぞおち、膀胱と、攻撃が下半身に移ると更に難易度は上がる。足を使い始めるからだ。

「踊ってるように見えてますかね? 五曹」

 ハジムがにやにやと、余裕の滲む笑みを浮かべ声をかけて来る。

 達人同士の組手は踊っているように見える、とよく言われるが、自身は舞っている側であるので分からない。

「私に無駄な動きがあるから、どうかな」

 避ける、という動きをするが故に、どうしてもメリアーヌは軸がぶれがちになる。自覚がある。

 脛をハジムの蹴りが掠めたものの、なんとか組み終えたメリアーヌは暫し、肩で息をする。観覧の拍手に応じるハジムには余裕が見えて悔しい。

「やっぱり何回か当たるな」

「当たった後の処理も大事ですからね。実戦では実際、当たると思っておいた方がいいわけで」

「まあ」

 ぐいと汗を拭うメリアーヌは、ついで肩を回し、足首を回し、攻撃を受けた部位の動きを確かめる。

「走り込んで来る」

 休憩に入る部下達の事は六曹に任せ、メリアーヌは走り込みを行う。いつもの事だ。

「了解です。こっちの事はお任せ下さい」

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