序章 2
双子がやって来る日が、二ヶ月後と決まった。
シャーリが兵士の募集をかけ、テリーア子爵が二人を推薦したていでやって来る事になったという。テリーア伯爵は唯一ちゃんとした事情を父から聞かされているらしく、もしかするとこんな日も来るかも知れないと、双子を一旦自身の養子として迎え入れた上で、きちんとした訓練を行ってきたという。子爵のお陰で推薦を受けてもおかしくない程度の腕をちゃんと持ち合わせているそうで、本人達にも怪しんでいる様子はないという事であった。子爵には頭が上がらない。
メリアーヌはこの度、五曹に任命された。
シャーリの軍は、最高司令官としてのシャーリ伯爵を筆頭に、一曹、二曹と第八曹までの階級がある。以下「志」という位が一から三まであるが、それ以下は完全なる一兵卒であり、大概において長くいる者が先輩である。六曹以上の曹の事を、兵士長とも呼ぶ。
曹の位を戴くと、配下の兵士を持てる。いきなり五曹とは大出世であるが、メリアーヌは曹の位を完全に腕っぷしだけで勝ち取ったとの自負がある。知略の方はお勉強中だ。頭を使う方は向いてはいないが、学んでいかなければならないと理解はしている。
いきなり過分な位を戴いたメリアーヌに対し、密かに愚痴を言っている者がいる事も分かっている。流石に次期シャーリ伯爵になる事が濃厚であるメリア―ヌ相手に面と向かっての文句は聞こえないが、そういった嫉妬の声は理解する。それを跳ね除ける為にも、メリアーヌは更に腕を磨いていかねばならない事は分かっていた。
さて、二人の弟候補を迎えるにあたり、メリアーヌは自分の部下を選んだ。
五曹が持てるのは六曹、七曹、八曹の持つ小隊であり、一兵卒を一人一人名指しで選ぶのではない。気の合いそうな者をと熟考を重ね、メリアーヌはハジム六曹と、ハギーギ六曹を選んだ。二人がそれぞれ七曹、八曹を含む百の兵を戴いており、メリアーヌの下に一気に二百人の兵士が集まる事となった。本来ならば六曹の指揮の元で成り立っている小隊を預からせてもらうという事で、メリアーヌにとってはお勉強の意味合いも強い。
ハギーギは四十を迎えるベテランで、教えてもらえることが多いと判断した。ハジムは前途明るい未だ三十二、六曹を戴くには中々の駆け足であり、その腕にはメリアーヌも一目置いている。なにより、二人はメリアーヌの傘下に入る事に嫌悪感を示さず、且つ自薦してくれた事もあり、それが最も大きな選抜の理由となった。
「え、だって。次期伯爵様でしょ? 何で断るのか理解出来ない」
ハジムはそう言って、歯茎をむき出しにして笑う。普通ならばそうだろうが、そうは言っても女であり経験の浅いメリアーヌを内心快く思っていない者も多いのが現実である。今後の為にと二人を誘って酒席を設けたのだが、二人は実に楽しそうにほいほい付いて来た。
「次期伯爵様である事を省いて考えても、メリアーヌ様の腕は確かだと思ったまで」
ハギーギは酒にほろ酔いながら言う。
「私は、ナム六曹をお負かしになった時に本物になられるなと思いましたので話を受けました」
先日負かした他小隊の六曹の名前が出ると、それそれ、とハジムは酒瓶を持ったままハギーギを指差す。
「仰る通りですよ、ハギーギ六曹。そうは言っても女性の腕、あの剛腕をうまくいなしたのには感激しましたよ、正直」
絶対勝てないと思った、とハジムは笑う。彼は笑うと歯茎が見えるせいか、豪快に見える。
「まあ、あれはあちらが侮ってかかって来たのが正直大きかったですけどね」
苦く笑うメリアーヌに、二人は駄目駄目と揃って両手を振る。
「あなた様は、五曹です。我々に敬語は禁物ですよ。上下関係はきちんとしておかないと、下に示しがつかない。シャーリの兵士の基本です」
そうだった、とメリアーヌはお酒を煽る。
酒場で二人の曹と酒を酌み交わし、それについていける自分は社交界よりもこちらがやはり性に合っていたという事なのだろうなと、最近しみじみと思う。無理やりに放り込まれた世界ではあったが、そう嫌悪するほどのものではない。むしろ、日に日に居心地が良くなってくる気はしている。女として終わったなと思わないではないが、これがシャーリの血の定めなのだろうと受け入れる気になっているのも事実だ。
「それで、テリーアからの新兵ですが、我々が一人ずつ預かれば宜しいのですか?」
二人にはその正体を明かしてはいないものの、誰かに面倒を見てもらわねばならない事は事実だ。新兵に五曹が付きっ切りなど違和感ここに極まってしまうため、一旦二人に預けて様子を見る事にした。
「ええ。どちらをどちらに割り振るかは追々考えるとして、心の準備だけしておいてもらいたいので、先に話しておく」
二人との懇親的な意味合いもありつつ、事前に弟候補達の事を頼んでおく目的もあった。詳細は、明かせないが。
了解しました、と笑って、ハギーギはメリアーヌの空いたグラスに酒を注ぐ。
「失礼があったら、お許し頂きたいんですけどね、メリアーヌ五曹」
「どうぞ」
「あなた、シャーリの中で探したら旦那さん見つかったと思いますよ。プライドが許せばですけど」
メリアーヌは口を運びかけたグラスをびたりと止めて、まじまじとハジムを見る。
「……そうかな」
「無礼を承知で申し上げるなら、中々豪快な女じゃないですか。兵士にはそういうの、好きな男も多いと思いますけどね」
流石に切羽詰まっていたとは言え、自国の父の部下の中からは探さなかった。灯台下暗しといったところだろうが、だからといって見つかったという保証もないよな、とメリアーヌは思う。こうなった今となっては部下になった者達にまで振られたのでは、流石に表を歩けない。
「いますよ、中々いい女だって言う人。嫁にしたいかどうかは別の話かもしれないですけど、見つかってたら今頃どうなってたんでしょうね」
「それこそ伯爵の座につられた輩が飛びつきそうで、あまり関心はしませんけどね」
ハギーギが肩を竦め、それも込みで魅力でしょ、とハジムは笑う。
「姫君として生まれた以上、バックボーン含めての魅力ですよ。俺は嫌いじゃないですけどね、メリアーヌ五曹みたいな女性。あ、俺嫁さんいるんですけどねっ」
あははと笑うハジムは段々と声が高くなっていく。酔っては来ているらしい。
「最近は、兵士になりたいという若者も多いとか」
ハギーギは頬を赤らめながらも、はっきりとした口調で話す。
「そうなの?」
「らしいですよ。割と女性にももてますし、戦時下にないので出兵らしき出兵もない。しかしながらいざとなれば命がけで戦わねばならぬ以上、そこそこ高給取りでもありますし」
そういうものか、とメリアーヌはグラスに口をつける。
「テリーアから二名採用するというのもその走りなのではと、割と皆浮足立っていますよ」
「そうなんだ」
「部下が出来るというのはやはり嬉しいものですからね。新しい顔が増えるというのも、新鮮ですし。隊全体が若返るとまた雰囲気も変わる」
「最近それこそ出兵がないからか、こういっちゃなんだけど死人が出ないでしょ。新しく採用しなくても人数減らないから、平均年齢ばっか上がっていきますからね。私の世代などが若者と言われる世代ですからね?」
三十を越えた世代が若者扱いでは、確かにそろそろ新しい風が欲しい気持ちも分からないではない。
「ハジムは、いくつの時に採用を?」
「最後の大規模採用世代ですよ。十八で入ったんで、もう十年以上になりますね」
世話になってます、とハジムはへらへら笑う。今のシャーリには十代どころか、二十代前半がほぼいない。メリアーヌが一番若いのではと思わないではない程だ。
「新しいの、二十二なんでしょ? 楽しみだなぁ」
思っていた以上に双子の到着を楽しみにしている者が多いという意外な話が聞けた会合となり、メリアーヌはハジムとハギーギの人選に誤りがなかった事を確認出来て安堵する。二人共面倒見の良さそうな兵士長で、選出されるにはやはりそれなりの理由があるものだと感心すらした。シャーリの人事に興味がわき、一度覗いてみたいとメリアーヌは思った。
メリアーヌは二人が来るまでの間に兵士長としての務めを覚えようと、二人から学ぶ。
率いている小隊の統率をとるのが兵士長の役目であり、毎日の稽古にプラスして学ぶ事が増えるとあっという間に二ヶ月が過ぎた。
弟かも知れない双子の到着に、誰よりも緊張していたのはメリアーヌであった事と思う。
伯爵の息子となれば当然出迎えに赴くものだが、いかんせんただの一兵卒として迎え入れる形である。兵士長であるメリアーヌが迎えに出る訳にはいかず、訓練中の小隊の前にひょっこりと現れるのを待つばかりだ。今か今かと待つ気持ちが勝って訓練に身が入らない。
メリアーヌが浮足立っているのを見て、ハギーギが笑う。
「休憩にしたらどうです?」
「それが良いかもしれないですね。そういえば、二人の歓迎会はどうします?」
二人の兵士長に声をかけられ、メリアーヌは握りしめていた剣を地面に突き刺し、それに体重を預ける。
「……歓迎会」
「してやらないと。親睦を深める意味でも。手配しておきます?」
「あー、頼む」
言われてみればそうだな、とメリアーヌは苦く笑う。ハギーギが退席していくのを見送りつつお言葉に甘える事にしたメリアーヌは、「休憩」と一声叫ぶ。どど、と何人かが座り込んだのが見える。
「若いといっても、殆ど同じ年だから。緊張はするかな」
ハジムの前でも取り繕っても仕方がないとばかりに笑うメリアーヌに、ハジムはにかっと笑う。
「部下と年が近い、あるいは年上というのは割と気まずいですからね。でもそれを言い始めると、メリアーヌ五曹の部下は全員年上でしょ。そんなに緊張しなくても」
そうなんだけど、とメリアーヌは笑う他ない。弟かもしれないと言えない事がもどかしい。
そわそわしながら、それから更に三時間ほど待たされたように思う。時間は決まっていなかったので遅れている訳ではなかったのだが、朝一番からずっと緊張しっぱなしであったメリアーヌは到着の報を聞いた時、「遅い!」と喉元まで出かけた。起床からこちら、十時間近く待たされたのだから許して欲しい。
二人は侍従の一人に訓練場に案内されるようにして、現れた。
「初めまして。今日からお世話になります、兄のルシェル・テリーアです」
「初めまして。弟の、クルール・テリーアです」
兄は深々と頭を下げ、弟はぺこりと頭を下げた。
身長はメリアーヌより少しだけ高い。正直な所、弟であれば一目で閃くものがあるのではと期待していたのだが、驚くほどにぴんと来るものがなかった。容姿としては確かに非常に微妙、髪の色はメリアーヌと同じアッシュブロンド、グレーに近い瞳の色まで同じだ。双子の母親は父と身体的に似通った男性が好みであったと言っていたが、確かに目の前の双子が父となんら血の繋がりがないとしたら、彼らの父親に興味が沸くほどにメリアーヌと似通った点が多い。
「六曹のハジムだ。こちらがハギーギ六曹、そしてこちらが現在この小隊を率いておられる監督官であらせられる五曹だ」
ハジムが順に自己紹介をすると、双子は一人一人を目で追い、宜しくお願いしますと頭を下げた。次いでハジムが七曹と八曹を紹介していく様子を眺めながら、メリアーヌはじっと双子を観察する。容姿としては確かに似ているが、決定的にメリアーヌとは違う点があった。
(二人共、やけに華奢だな)
鍛えていると聞いていたが、随分と細こく頼りない腰をしている。服の上からでは分かりにくいが、腕も下手をしたらメリアーヌより細いのではと思わないではない。
似ていない双子もいるが、ルシェルとクルールは瓜二つの方の双子であった。身長も目測では揃って同じ、体型も腰が細い所を含めて同じだ。だからといって見分けられない訳ではなく、兄は真っすぐな髪をきちんと束ねており、弟は少し癖のある短髪だった。また、兄は口元に、弟は右目尻に黒子がある。
一通り紹介を聞いた双子は、真っすぐにメリアーヌを見た。口元に微笑みを浮かべる愛想の良い兄と、真顔の弟、知れば知っていく程中身は違うのではと思う。
「ようこそ。今日から宜しく。当シャーリの設備や階級については追々説明を。二人には二人部屋を用意してあるので、後程案内を」
はい、と微笑む兄と、ぺこりと頭を下げた弟に、メリアーヌは配属を決めた。
「兄ルシェルは、ハギーギの下に。弟クルールはハジムの下に明日から配属を命ずる。困った事があれば二人を頼るように」
はい、と二人は声を揃えた。
メリアーヌは時間を確認し、言う。
「二時間後には二人の歓迎会を開くが、まずはテリーア兄弟の腕を見せてもらう。ハジム六曹、ハギーギ六曹、それぞれの相手を」
はっ、と六曹二人が頭を下げるのと、兄弟が頭を下げるのがほぼ同時であった。ある程度の腕であるならば真剣で勝負してもらうところだが、相手を殺めない事にも技量が要る。二人の技量が分からない以上、木刀での立ち合いを命ずる他ない。
他の部下達が観戦する態勢に入る中、兄弟は各々の上司と向かい合う。距離にして十歩程度、メリアーヌの開始の合図を待つ二人の表情には緊張した様子はない。
「擦り傷以上の怪我は認めない。――始め」
掛け声と同時に動いたのは、ハジムだった。まずは相手の出方を待ったハギーギとは違い、若き六曹はまずは攻める。クルールがどう動くかと全員の視線が集まる中、クルールは実に優雅にハジムの一撃をいなした。剛腕の振り下ろす一刀を弾くようにして流れるように回転し、相手からは視線を逸らさないまままた構える。にやにやと楽しそうなハジムはクルールに猛攻をかけるが、クルールはひたすらにいなし、避け、体勢を整える。
「成程、な!」
ハジムは、相手の力量を見切ったのか、見事に攻撃を交わしたクルールに対し、今度は剣を振り下ろすでなく足払いを仕掛けた。はっと飛びのこうとしたクルールは僅かに足を取られ体勢を崩す。尻もちこそつかなかったが、次に振り下ろされる攻撃は避けきれたものではなかった。クルールが視線を上げた時には振り下ろす体勢に入っていたハジムに、そこまで、とメリアーヌは声を上げる。ぴたりと攻撃を止めたハジムが居直るのと、クルールがぺこりと頭を下げるのが同時であった。
一方のハギーギは、一応剣を構えたまま動かない。ルシェルはじりじりと間合いを詰めつつも、相手の出方を窺っているのか、相手が上司である為に気を遣っているのか、攻撃を仕掛ける事はなかった。弟が負けたのを横目に確認してから漸く、ふう、と詰めた息を吐き出したのがメリアーヌには見えた。
「まいります」
「どうぞ」
ルシェルの目が、すっと冷たく光る。穏やかで愛想の良い兄は、一刀を振り上げるにあたり表情を消し、仕掛けた。
クルールが躍るように優雅で軽やかな戦い方であった一方、ルシェルは風を切るように鋭い。二人共細身である事もあって非常に軽やかだが、相手の攻撃を交わしながら機を待つクルールと、非力さを補うように数で攻めるルシェルの見た目に反した男らしい攻めの戦い方はまるで正反対、ほう、とメリアーヌは我知らず唸る。ハギーギはルシェルの猛攻を最初こそ受けたものの、ぺろりと舌を出したかと思うと、自らの木刀を投げ捨てると同時にルシェルの木刀を白羽取る。はっと目を丸くしたルシェルごと捻るように地面に沈めた。
そこまでとメリアーヌが声を上げるまでもなくルシェルは起き上がり、ぺこりとハギーギに頭を下げる。流石に、我が六曹達の圧勝であったが、思ったよりも腕が立つな、とメリアーヌは感心した。剣が手に馴染んでいると表現すべきか、握り慣れている事だけは間違いがない。
「宜しい。では、今日はここまで。兄弟は私と共にこちらへ。後の者は片付けて先に二人の歓迎会の準備を」