第一章 21
夜が明けきらぬ静けさの中、シャーリ主塔の執務室には、重い沈黙だけが満ちていた。
項垂れるばかりのヨシュアを退席させようとしたメリアーヌを、ハジムが制する。
「同席させましょう。落ちた様子をレオに見せつけるのは、非常に効果的です」
耳打たれ、メリアーヌは頷く。ちらりと見遣った先では、まるで耳を失ってしまったかのように何も聞こえぬ顔をして、ヨシュアはぼんやりと床を眺めている。レオの審議が始まってもこの様子なら陥落を思わせプレッシャーを与える事も出来るし、覚醒して言い争いを始めればそれはそれ、感情的になされる口論は大概において私情が多分に含まれる。こちらに都合が悪くなるようであれば、メリアーヌの一存でいつでも追い出せる。
疲労が濃くなりつつある二日目、メリアーヌの一声で入室してきたレオもまた、一睡もしていないと思しき盛大な隈を携え、のろりと姿を現した。
ヨシュアとは対照的に、メリアーヌと目が合うなりレオはしゃんと背筋を伸ばし、堂々とした足取りで部屋へ入ってきた。眉一つ動かさず、感情の読めぬその表情には、気後れの気配すらない。
「これより貴官に対する最終審問を執り行う。記録官により全てが記録され、全てが軍議に提出される」
ヨシュアと同じ事を前置くと、レオは震えるでもなく真っ直ぐにメリアーヌを見つめ、はい、と低く応じた。
「まずは確認を。おとといの十八時過ぎ、東の兵装庫にて、貴官は何をしていた?」
「片付けです。当番でしたから」
「誰と?」
「一人でした」
メリアーヌは目を細める。あえて緩く頷いてから、机に肘を載せ、あくまで穏やかに言葉を重ねた。
「先程、ヨシュアはこう言った。“訓練の後、十八時から、レオと二人で片付けをしていた”と」
ぴくり、とレオの指先が動いた。
レオから見て左前方、部屋の角にヨシュアを座らせている。目を少し動かせば視界に入るはずだが、レオは真っ直ぐにメリアーヌだけを見つめたまま、目を動かす事をしなかった。
「貴官が一人だったというのなら、ヨシュアの証言は虚偽だな?」
「……彼の勘違いでしょう。確かにおとといは私とヨシュアの二人が東兵装庫の管理担当でしたが」
レオは一度言葉を切って、意を決したようにくっと顎を上げる。
「ヨシュアは東兵装庫に、遅れて到着しましたので。途中からという意味なら、一緒でした」
「ほう」
メリアーヌが鼻で笑うのと、ハジムが鼻を鳴らしたのが同時だった。切り捨てやがった、とハジムが小さく呟いたのを、恐らく彼の目の前にいたメリアーヌだけが聞いた。
ヨシュアは反応を示すだろうかと思ったが、メリアーヌとしては今はレオから目を離したくない。
「貴官は何時に東兵装庫に到着し、ヨシュアは何時に到着を?」
「私は直ぐに向かったので、十八時十分には到着を。ヨシュアはおそらく、半を回っていたかと思いますが」
「妙だな、西の備品倉庫にて、貴官を見たという証言がある。時間は、十八時十分。貴官が東兵装庫にいたという、まさにその時間だが」
目撃者、キファの名前は当然ながら、出さない。
はて、と飄々と言うレオは眉一つ動かさず、淡々と返答する。
「見間違いでしょう。私は、東の兵装庫にいたのですから」
「被害者であるルシェル・テリーアは貴官に二度蹴られたと。クルール・テリーア及び、名は伏せるが目撃者が一名」
「ですから、見間違いでしょう。身内の証言程あてにならぬものもありません」
驚いた事に、レオは惚け続けるつもりらしい。顔色一つ変えぬ面の皮の厚さに呆れるメリアーヌは、ルシェルの傷口と一致する靴の話を切り出してみたが、他にも靴を新調している人間はいるでしょうとやはりのらりくらり言う始末、メリアーヌは素直に、扱いに困った。
「では逆に問うが、貴官が東の兵装庫にいたと証言してくれる者に心当たりは」
「ありませんね」
「幾人も備品を返しに来たはずだが?」
「いちいち顔など見ていません」
思わず肩を竦めたメリアーヌに、ははは、とハジムが笑った。レオの視線が初めて、メリアーヌからハジムに移る。
「何か? ハジム六曹殿」
レオもまた腹を括ってこの場に臨んでいるらしく、ハジム相手にじろりと睨む目が完全に据わっている。
「分かる分かる、焦るよな、レオ・ガリヴァン」
「……何がです」
「三十五をまわって、役職にかすりもせず未だ下っ端。おまけに貴重な曹の地位をぽっと出の小娘がさらりと横取りした挙句、えらそうにお前を尋問してるんだから。腸煮えくりかえる気持ちは分からんではない」
小娘とは私の事かと突っ込もうかと思ったが、空気は読む。不快なわけではない。
「挑発のつもりですか?」
まさか、とハジムは笑いながら、ゆっくりとメリアーヌの後ろから移動する。
「テリーア兄弟が妬ましい気持ちも分からんではない。次期シャーリ当主、メリアーヌ姫のお気に入りと噂に高く、三十路を超えた我々にしてみればそれはまぁ眩しいくらいに若いわな」
じっとハジムを睨みながら無言を貫くレオに、ハジムはヨシュアの近くで足を止め、続ける。
「どっちかが我らが姫君を射止めてみろ。二十三だ。二十三の小僧にまた、抜かされる事になるなあ」
「それは貴官も同じでは、ハジム六曹」
「なはは、確かに」
一本取られたとばかりに自らの額を一つ叩いたハジムは、ぎ、とヨシュアの腰掛ける椅子の背凭れに右手をつく。ぴく、と俯いたままのヨシュアの肩が揺れる。
「だが、テリーア兄弟が出世しても俺に損はない。どちらかがシャーリ伯爵の座を射止めたとしても、俺を蔑ろにはさせん。これからそう育てる」
ふん、と苦く鼻を鳴らすレオは僅かに目が強張った。ハジムならそう出来るかもしれないと思ったのだろうと、レオの心が透けて見えたような気がした。
「小僧をいたぶって鬱憤晴らしとは、あまりに情けない。出世できぬも納得、シャーリのお偉い方は見る目があるとは思わないか、レオ・ガリヴァン」
「ヨシュアの事ですか?」
ちらりと、レオの目がハジムから僅か下へ、そこには未だ俯くばかりのヨシュアの姿がある。
「ヨシュア!」
ばん、と椅子の背凭れに預けていた右手で、ハジムはヨシュアの背中を叩いた。痛みからか名を呼ばれた驚きからか、はっとしたようにヨシュアが視線を上げる。
「若造を影でいたぶり鬱憤晴らしなど恥晒し極まれり! 命じられて仕方なく従ったヨシュアの方がまだましだ!」
ヨシュアに聞かせるように前言を重ねながら叫んだハジムに、ヨシュアはようやく我に返ったように、のろのろと辺りを見回す。そのヨシュアと目が合った瞬間、レオがぴくりと眉根をひくつかせた。――揺らいだと、メリアーヌは瞬間的に思った。
「どれだけ空惚けようとも、ヨシュア、レオ両名がテリーア兄弟に危害を加えた事実は揺るがず、冤罪だとしても最早有罪だ! シャーリが断じる、それが全て!」
高らかに叫ぶハジムの声は、野太く力強く、耳ではなく胸に響く。誰もが今、ハジムを見ている。
「有罪である! 誰がなんと言おうとも、ここにおわすメリアーヌ五曹が有罪と叫べば有罪、シャーリ全土に居場所などない!」
がっとハジムはヨシュアの肩を掴んで無理やり立たせると、長机の上にその身を放り投げる。腹をぶつけるようにして上半身を机の上に投げ出されたヨシュアは、ぐっ、とくぐもった悲鳴を漏らし、ハジムはついでその机をレオの方へと蹴る。
「有罪、有罪だ! 何を恐れる、レオ・ガリヴァン! シャーリ全土を統べる時期当主、メリアーヌ・シャーリ五曹より恐ろしいものが貴官にはあると宣うか!? 家族諸共土牢にぶちこまれて余生を過ごすよりも、本当に恐ろしいか、コーローは!」
身を預けていた机を蹴飛ばされてヨシュアは床に転がり、吹っ飛んできた机を青くなって避けたレオは、よろりと僅かに後退る。ひえ、と肘をついていた机が吹っ飛んで密かにメリアーヌも小さく悲鳴をあげたのは、内緒だ。
テリーア兄弟がそそと苦い顔で各々部屋の四隅に逃げていくのを後目に、ハジムは転がった机に脚を載せ、身を乗り出すようにしてレオを上から覗き込む。
「使い捨てにされてなお、なぜ忠誠を誓う。お前にとって何の価値があって、沈黙を守る。五曹の下に尻尾を振って飛び込んだ俺は厚き信頼を勝ち取っていずれ五曹へ、いや、更なる高みへと登る。お前は何を得る。どうせ尾を振るなら、振り方を間違うな」
固く唇を噛み締めたレオの前で、にいと笑いながらハジムは足を載せた机を踏み潰す。激しい破壊音に全員の肩が反射的に揺れた中、どん、とハジムはレオの胸を押した。それほどまでに力を入れたようには見えなかったが、レオはぐらりと簡単によろけ、蹈鞴を踏むようにして後方の壁に背中からぶつかった。
「貴官ほどの年齢にして、これまでの歩みがこんなものか。テリーア兄弟が貴官と同じ年になる頃には、いったいどこに立っているだろうな。――哀れだな、レオ・ガリヴァン」
静かに言ったハジムの声に、からん、と壊れた机が転がる音が重なる。
ぐ、とくぐもった声を上げ、床を叩いたのはヨシュアだった。
レオに向けた言葉の全ては、ヨシュアの劣等感をも大いに擽ったらしく、ばん、とまた一つ、床を叩いた。
「ヨシュアは既に命令されてやったと供述をしている。コーローが貴官を助けてくれると思っているのか? 何を根拠に」
ハジムのあまりの気迫に言葉を失っていたメリアーヌは、体を壁に預けたまま体勢を戻せずにいるレオに、ハジムの言葉を継ぐように畳みかける。
「二人だけが馬鹿をみて、何の得がある。何を約束してくれたんだ。沈黙は忠誠心というならかうが、忠誠に値する人物であるかどうかを決めるのはシャーリだ」
私だ、とメリアーヌは敢えて、言う。
「コーローの首を飛ばすなど、本来造作もない。私は、このシャーリを統べるシャーリ伯爵の、たった一人の子」
立ち上がり、ゆっくりとレオに歩み寄ったメリアーヌは、レオの前に仁王立ち言う。
「頭が高い」
ぐ、とレオが燃えるような怒りに震えながら、眉根を寄せる。
「頭が、高い。平伏せ」
メリアーヌが床を指差すと、ぶるぶると震えながら、屈辱に血の涙を流さんばかりに目を赤くしてのろりと膝をついたレオを見下ろし、メリアーヌは続けた。
「理由など不要である。私は、それが許される人間である。コーローもまた、同じだ。甘い顔をしてやっているだけ」
すっと腰を折り、メリアーヌはレオの目を間近で覗き込む。
「権力をかさにと言われるのは、私とて不服である。ゆえに調査を行い、証言を集め、証拠を揃え、きちんと軍規に照らした裁きを所望する。シャーリに身を置く限り、シャーリの軍規は絶対であり、私が揺るがせない。その姿勢を、今示すのだ」
それで、とメリアーヌはレオの顎に手を遣り、その顔を上向かせる。
覗き込んだその目にメリアーヌだけを映し、屈辱に歪むその頬を撫でる。
「それで? レオ・ガリヴァン。お前に良心と、この私、シャーリへの忠誠は?」
かくん、と力が入っていたレオの肩が落ちる。怒りは諦めへ、ゆらりと揺らいだレオの瞳にはもうメリアーヌを睨み返す力はなかった。
六曹に命じられた、とぼそりと呟いたレオに、ヨシュアが蹲ったまま床を一つ打つ。
沈黙の中に、堪えきれぬヨシュアの聞き取れないほど小さな慟哭が、抗いようのない敗北をただ静かに告げていた。




