第一章 13
心を滾らせたままメリアーヌが最初に迎えたのは、ヨシュアだった。
部屋の扉が開き、既に顔には疲労と警戒の色を滲ませた兵士は、帽子を胸元で手にしたまま、所在なげに立ち尽くしている。その足ががたがたと震えているのを、メリアーヌはちらりと見遣る。
「名を」
「よ、ヨシュア、レーンです」
「腰に手を」
メリアーヌの指示に従い、「はっ」と兵士は背筋を伸ばして立つ。記録官が一言一句逃さぬよう、筆を走らせる。
「貴官は昨日の夕方、他部隊のテリーア兄弟のいずれかに接触したか」
「……いえ。宿舎東の兵装庫で、備品の手入れをしていました」
兵装庫は、武器類や訓練器具の点検や整備、一時保管をしておく為の部屋である。東西南北四か所にあるが、ヨシュアはまず、東の兵装庫と主張した。
記録官がきちんと記録している音を聞きながら、メリアーヌは、双子が向かったのは同じく東西南北ある中の西の備品倉庫である事を頭の中に地図を描きながら確認する。因みに備品倉庫は訓練や日常業務で使用される消耗品や補助具の保管に使用する部屋で、縄や計測用具などがある。
「誰かと一緒に?」
「いえ……その、一人です。レオとは、昼過ぎに別れました」
尋ねてもないのにレオの名が出たなと、メリアーヌは鼻を鳴らす。
「その場で誰かに会ったか?」
「……いえ。誰も、来ませんでした。ずっと中で作業をしていて」
メリアーヌは一度目を閉じ、小さく頷いた。おどおどとメリアーヌと記録官を見比べるヨシュアは気の毒な程に蒼白で、気の弱さが窺い見えた。
「わかった。呼び戻されるまで待機していなさい」
ひとまず解放される事に安堵したのか、ヨシュアは許可を得るなり直ぐに踵を返した。扉前で待機していたハギーギに目配せし、付き添わせる。口裏を合わせる隙は与えない。
メリアーヌはハジムを呼び、昨日の東の兵装庫と西の備品管理室の職務担当者、及び周辺にいた兵士の目撃情報を集めるようにと指示を出す。メリアーヌ配下、全ての兵士の動員を許可すると、ハジムはくぅ、と地団太を踏むようにして喜びをあらわに、脱兎の如く駆けて行った。
ヨシュアが退室し、間もなくして入って来たのは、もう一人の男――レオだった。扉の外から漂ってきた緊張感は、彼の姿にも濃く刻まれている。
「名を」
「レオ・ガリヴァンです」
年の頃はヨシュアとほぼ同じ、三十になるかならないかというところだ。テリーア兄弟を除けばシャーリではかなり若い部類、思えば彼らは長らく下につく者のない苦汁を舐めた世代であり、鬱憤もあったのではと推察する。
「早速だが、昨日の夕方はどこにいたか思い出してもらおう」
「ヨシュアと一緒に、東の兵装庫で備品の補修をしていました」
揃って東の兵装庫と具体的に証言したあたり、彼らはあの日、そこの当番であったのかもしれない。
「ヨシュアと共に行動していたと?」
「はい。訓練終了の後は、ずっと一緒でした」
早速証言が食い違い、メリアーヌは直ぐに行動を起こした成果を噛み締める。調査を行うと先に触れを出したなら、どこで何をしていたかなど一番最初に口裏を合わされるところだが、それをさせなかった事がメリアーヌに勝機をくれる。コーローよりも高い位を与えられ、ヴァレリー二曹に話を繋げたからだと言われたらそれはそうなのだが、調査に入るまでの時間のかかる手順全てを端折れた事を思えば、今はシャーリの娘である七光りに感謝もしようというものである。たとえメリアーヌ自身の実力ではなかろうとも、部下を守るチャンスをくれるなら甘んじて受け入れる。
メリアーヌの指が、机を小さく二度叩いた。視線が鋭くなる。
「ヨシュアは、昼過ぎからは別行動だったと証言しているが?」
平静に見えたレオの顔が、明らかに強張る。
「……いや、一緒だったと、思います」
「思う、では困るな。もう一度、きちんと答えてもらおう。昨日の夕方、貴官はどこで、誰と、何をしていた?」
レオの喉が動いた。乾いた唾を飲み込むレオは、記録官を気にしてか焦った様子で乾いた笑みを浮かべる。
「二人であたったのは、一昨日の間違いでした。ちょっと記憶が混乱を。昨日は、そう、一人でした」
「ふむ」
メリアーヌは椅子の背に軽く身を預けた。証言を翻した事も、きちんと記録に残る。
こんこん、と扉が折よくノックされ、一枚の紙が回って来る。さっと目を通してみたところ、ハジムから取り急ぎ東の兵装庫と西の備品管理室の昨日の管理担当者の名前が確認できた。目撃者は目下調査中とある。
「ふむ。昨日の東の兵装庫の管理担当はヨシュア、レオ両名で矛盾しない」
安堵からか表情を緩ませ、にやりと笑うレオに、メリアーヌは続ける。
「現在目撃者を募っている。東の兵装庫に片付けに向かった兵士が君達を目撃してれば良し、同時に西の備品管理室においての目撃情報も募っている最中故、しばしこちらで待っていて貰おう」
席を立つメリアーヌを不安そうに見上げ、レオは言う。
「どちらへ」
「貴官には関係がない」
わざと不安を煽るように言い放ち、メリアーヌは一度退出する。
扉口にはいつ到着したのやらテリーア兄弟が揃って佇んでおり、メリアーヌの姿を認めて背筋を伸ばした。
「来たのか」
「居てもたってもいられません」
疲れた顔で苦く笑うルシェルは、メリアーヌから解放されるなりハギーギに叩き起こされたと思われる。幾らも寝ていないだろう。
「すまないな。明日休みをやるから、今日は付き合ってくれ。クルールの傷が治る前に、傷跡との照合も済ませたい」
「もちろんです」
同じく疲れた顔をしているクルールも、目だけは爛々とさせて頷く。
「二人に、他の部下達に、あるいは他の部隊の同じ思いをしているかもしれない全ての兵士に、断固たる姿勢を示したい。守るべく動く者があると、力なき女の身であれども成すべきを成せると示したい。協力を頼む」
「喜んで」
二人が一様に頭を下げるので、メリアーヌはその頭を眺めながら思う。
「……私に上に立つ者としてのチャンスをくれた事に、感謝する」
ぽつりとメリアーヌが言うと、二人はのろりと顔を上げて、ぽかんとメリアーヌを見た。
「おかしなことを言っていると、思うかもしれないけれど。どこか、自信がなかったんだ。腕を鍛えてもやっぱりどこかで屈強な男には叶わず。それを補おうと躍起になって技を身につけても、腕を掴まれたら振りほどけないのは分かっていて。五曹になった事も、シャーリの名も重く、負担で、有難いような、悔しいような」
自分でも何を言っているのかと自問しながら、何故か双子の顔を見ていると、メリアーヌは言葉が感情にのって溢れる事を止められなかった。
「馬鹿にされて貶されても、相手にする方が馬鹿げている、子供じみていると鼻で笑って対処しなかったけれど、本当はどうにかしてやりたい、悔しい、と」
対抗しようとしなかっただけだと、メリアーヌは目頭が熱くなってくるのを堪えるように、俯いた。
「動き出すチャンスをくれた事に、感謝している。二人共」
ぐっと唇を噛み締めたメリアーヌは、ぎゅっと目を閉じた。涙など流せない。女である自分を捨てて、諦めて飛び込んだ軍の中にも居場所がないなどと信じたくなくて、認めたくなくて、堪えてきたものを吐き出して、狂おしい程に今、メリアーヌは胸が痛い。子供のように大きな声を上げて叫んで、声の限り泣き喚いて、腹の底から込み上げる積み上げた黒き塊の全てを、吐き出してしまいたい想いに駆られた。
固く握りしめた拳を震わせるメリアーヌの手首を、ぐっとクルールが掴んだ。