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第一章 11

 メリアーヌは朝食を終えると、朝の訓練を六曹達に一任し、主塔へと足を向ける。

 訓練場の中央、内塀に囲まれた中にそれは静かに佇んでいる。四面に大時計がある四角柱の造りで、外塀の中にある軍事訓練場や兵士の宿舎を擁する空間とはまた異質、見た目の無骨さとは裏腹に、王の住まいとしての格式を感じさせる。

 広間には大きな暖炉が据えられ、黒く煤けた壁に歴代の王の肖像画が影が差す。重厚な木の梁が天井を支え、天井から吊るされた鉄製の燭台が微かな明かりを落としている。

 階上には礼拝堂。石の窓から射し込む光が、彩色ガラスを通して床に七色の斑を作り出していた。静寂と荘厳が重なり合い、祈りが今もそこに残っているかのようだ。地下へ降りれば、そこは一転して陰鬱な雰囲気を纏う。

「メリアーヌ様の、お戻り」

 内塀の中に住まうは、シャーリ一族と、親族、補佐を行う文官、あとは要人の世話係である侍従やメイドなどである。武官としては勤めが長く信頼に値する兵士達が見張りに立つも、数はそう多くはない。

 五曹の位を得てからこちら、メリアーヌは内塀の外で生活をしている為、用事がない限り主塔に足を踏み入れる事はまずない。自らの甘えを封じる為であり、他の兵士達に白い目で見られない為である。

 主塔三階、執務の間は礼拝堂の隣に位置し、広間とはまた異なる静けさに包まれていた。今回メリアーヌが主塔を訪ねた理由が、この執務室の中に居る人物との面会にある。

 扉の前に立つと、お付き侍従がメリアーヌの姿を認め、静かに頷いた。

「ヴァレリー伯爵、メリアーヌ様がお越しでございます」

「お通しせよ」

 侍従により開かれた扉を抜けると、深い青の絨毯と黒檀の書棚に囲まれた空間が広がる。椅子に腰を掛けていたヴァレリー伯爵は、メリアーヌの姿を見るなり、ゆるりと筆を置いた。

「珍しい。いかがした」

 確か来年六十になるのだったか、白髪の隙間から覗く眼差しは穏やかでありながら、長年の政務の重みに裏打ちされた鋭さを宿している。

 このヴァレリー、号は伯爵にして自らも城を構えながら、シャーリとは古き遠縁にあたるよしみでシャーリ城に留まり、政務を取り仕切る重鎮である。ヴァレリー城は馬車で僅か一日、月のうち一週間程は城に帰ってしまう為に不在だ。

 幼い頃より見知った、メリアーヌにとっては第二の父親に近しい人物である。

 メリアーヌは迷いなく進み出て、背筋を伸ばして言った。

「規律について、確認したい事が。私の部下に対し、見過ごせぬ暴力を揮ったと思しき者がおります」

「軍規第六条に抵触する可能性がある事項だ。だが、“思しき”であっては、動けぬぞ」

「ええ。証拠はこれより集めます。ですが、その前に規則そのものの精査が必要かと思い、伯爵の見解を仰ぎたく」

 ヴァレリー伯爵は、メリアーヌに椅子を勧める。

「ほう、気になっているのは?」

「実際に手を出している人物を裁く事は可能でしょうが、彼らの行動の根本は、彼らの上官の私への不満から来ているものと推察されます」

 メリアーヌが椅子に腰を下ろすと、すっと侍従が飲み物を差し出してくれる。

「その者も裁きたいと?」

「でなければ真の意味で片付かないと考えていますが、六条ではこの者は裁けません」

「訓練における訓練場以外での組手、武器の使用、或いはそれに準ずる行為を禁ずる。これに背き相手を死傷した場合には状況検分と監査の末、故意と認められた場合には秩序の統制を図るべく厳正に対処を行うべし」

 ヴァレリー伯爵は頬杖をつきながら、六条を諳んじ、続ける。

「まあ、そうと軍規を示したところで、血の気の多い男ばかりだ。最近では殆ど適用されていないが」

 些細な小競り合いで軍規を振りかざしていたのでは、裁く側の労力が偲ばれる。現状、「軍規に照らすか否か」の境が実に曖昧になっている。

「訴え出る者のない状況が続いているのが実情ですが、一度、軍規の存在を改めて認識させ、きちんと裁かれる場合があると皆の頭に刷り込む事もまた必要と考えます。それに、私は私の部下に手を出す人間を見過ごすつもりはなく、武力を行使し事の収束を図ったとて、私自身が軍規に背くのでは正に本末転倒」

 じっとメリアーヌを見つめるヴァレリー伯爵の目には老獪故に力強く、若きを怯ませる力があるが、メリアーヌにとっては良き相談相手である。

「シャーリの人間故に、シャーリの作った軍規に則った処罰を与えたいのです。コーロー六曹にも」

「あいつか」

 個人名を出したメリアーヌに、ヴァレリーは苦く笑う。

「奴も中々にしつこいのう」

「所詮六曹止まりの器。逆らえぬ若き新人に理由なき制裁を与える事を見過ごす。助長しているとすれば尚の事、我がシャーリ軍には不要」

 ふふとヴァレリー伯爵は口の端だけで笑う。

「いずれはシャーリを継ぐメリアーヌに敵意を向ける時点で、阿呆の所業と言わざるを得ぬ。思っても口に出さぬ、手を出さぬが大人だろうに」

「腕が立つ故に切れぬと過信しているのでしょう。確かに惜しいと思いますが、いざという時に命令を聞けぬ者は足並みを乱すだけ。私のシャーリには、要りません」

 今一度強く言ったメリアーヌに、ヴァレリーは頬杖を付いていた身を背凭れに預けた。

「よかろう」

 長い沈黙の後、ヴァレリー伯爵はようやく口を開いた。

「お前がそこまで言うならば、私もこれを“正式な申し立て”として扱おう。規律を振りかざすだけの無粋は好まぬが、腐った枝を残せば、いずれ幹も腐ろうて」

 重く、低く、だが確かに力強い声が、いつもメリアーヌの背中を押してくれる。

「伯爵ではなく、二曹ヴァレリーとして、軍紀条文の再掲と調査の名目でのヒアリングを許可しよう。お前自身の手で、正せ。お前の軍を」

 ヴァレリーは最後に、満足げに目を細めた。

「――期待しているぞ、メリアーヌ」

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