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5ー① キアラ

 

 時間は少しばかり巻き戻り、アミーリアが前世のママだと判明した数日後のこと————


 キアラは暇さえあれば発声練習をしていた。

 その日も夜中にふと目が覚めて、いまなら誰にも怪しまれず存分にやれるな、と再び眠気がくるまでのつもりで滑舌を良くする練習をしていた。

「しゃ、ち、しゅ、しぇ、しょ……た、ち、ちゅ、」

 さ行とた行が特に課題だ。

「……ちゅ、……とぅ……んんッ!」

 いったー。舌嚙んだ~。かえって目が冴えてきたわ。

「……キアラ? 起きているのか?」

「ひぁっ⁉」

 突然、低音のイイ声が耳に響いた。

 気付けばベビーベッドのすぐ側に、ギディオンが立っていた。

 さすがは歴戦の騎士。こんな近くにくるまで、というか声を掛けられるまで全然わからなかった。

「パパ……」

 キアラがそう言うと、ギディオンは嬉しそうに破顔した。

「眠れないのか? 腹が減っているのだろうか……。誰か呼ぼうか」

「いあない。ぽんぽん、いっぱい」

 少しばかり癪だが、赤ちゃん言葉の方が喋りやすいし通りがいい。

「そうか」

 キアラの小さな頭に、ギディオンの硬い皮膚に覆われた大きな手が落ちてくる。こんなに武骨な手なのに、まるで羽毛で撫でられているようにふんわりと優しく、とても暖かい。思わずほっこり笑顔になる。

「キアラはアミーリア様によく似ている。……愛らしいな」

 ちなみに、キアラはギディオンと同じ金髪金瞳。顔立ちは確かにアミーリア寄りだが、目元だけはギディオン似である。

(ありがとー、パパ。でもね、どっちかというと私パパ似よ。このツリ目は未来の悪役令嬢を確実に予感させるんだよねぇ)

 キアラのそんな心の声など知らぬギディオンは、目を細めていとしげにキアラを眺めている。アミーリアを見ている時の顔とは全く違い、この時ばかりは眉間の縦シワがほとんど無くなっていた。

 顔を顰めていないと、凛々しく精悍な、かなりの美形なのがよく分かる。

(パパ、いつもそーいう顔してればいいのに。すっごくカッコイイのになー)

 フェザータッチのナデナデが頭から頬に移動してくる。それがあんまり気持ちよくて、キアラはうっとりと目を閉じた。

「眠くなったのか?」

「うぅん」

「まるで、ちゃんと話が通じているみたいだな……」

(通じてますとも。そしてパパがここで呟いたことは全部憶えているし、理解していますよ)

 ギディオン(パパ)には内緒だけどね。憤死するといけないので。


 こんな風に、キアラはアミーリアの知らない所で、実はギディオンと交流し仲良く(?)なっていた。

 ギディオンは、アミーリア以外となら普通に会話もできるし、表情だって本当はとても豊かだ。

 アミーリアに対してだけあんな風になってしまう理由も、キアラは知っている。

 だから、ちゃんとお喋りができるようになったら、アミーリアの死を回避することと、二人の間にある誤解を解いて仲良くなる手助けを、真っ先にするつもりだった。



 ギディオンはキアラが誕生して以来、アミーリアに隠れて子供部屋をこっそり訪れていた。

 キアラがギディオンの存在に気が付いたのは、目がちゃんと見えるようになってからだ。

 何人か子供部屋を訪れる大人の中で、男性はたった一人しかいなかったので、この男性が今世の“パパ”なのだと見当がついた。

 まだこの時点では『風は虎に従う』の世界とは知らなかったので、パパが“ギディオン”だとは分かっていなかったが。

 ギディオン(パパ)は、夜中に度々訪れてはキアラが起きていれば、キアラに向かって話し掛けてきた。

「今日の彼女も妖精のように愛らしかった」だの「緑のドレスがとても似合っていた」だの「キアラを抱いている彼女はこの世のものとは思えない程神々しい」だの……。

 話の内容はほぼアミーリア(ママ)のことで——砂を吐きそうな戯言ばかりだった。

 たぶん溜め込んでいる思いの丈を誰でもいいから聞いて欲しかったのだろう。ただ、その相手が自分の娘——赤ん坊——というのは、どうかと思うけれど。

 どうやらアミーリア(ママ)は気付いていないようだが、毎日どこからかギディオンはアミーリアを覗き見ているらしい。

 今世の父、ちょっとヤバい奴なんじゃ、と思わないでもなかったが、理由は知らないけど両親が仲違いしているのは言葉の端々から伺えたので、多少のストーカー臭は大目に見た。

 なんだか話を最後まで聞いていると、ちょっと可哀想というか……気の毒になるからだ。

 なんせ、だいたい話は「またアミーリア様に話し掛けられなかった」や「結局今日も声を掛けられなかった」とか「顔を見た途端、逃げられてしまった」で〆られ、ギディオン(パパ)がひどく落ち込んで終わるので……


 ※※※


 アミーリア様は俺の初恋なんだ。

 しかし、出会った時には、いずれ王太子の婚約者になるかもしれない、手も触れられない高嶺の花。

 叶わぬ恋と胸に秘めていた女性が、思わぬ展開で自分の妻になった。

 それなのに、その妻(アミーリア)には好かれていないどころか、嫌われて避けられている————

 辛いことだが、仕方がない。彼女には他に好きな人がいるのだから。

 自分の態度が良くないのもわかっている。だが、アミーリア様を目の前にすると、嫌悪の目で見られているのではないかと怖くなって……、自分にそんな目を向けるアミーリア様を見たくなくて、思わず顔を背けてしまう。

 それだけではない。アミーリア様が……あまりにも可憐で美しくて、彼女が好き過ぎてまともに顔を見られない。

 彼女を前にすると、極度の緊張で体が震え、顔面が強張り、言葉が詰まり、最終的にはあらぬことを口走ってしまう。

 いい大人がどうかと思うが、十代半ばで騎士団に入団してから、まわりは男ばかりの生活を長年送り、長じてはずっと戦場を駆けていたので、女性に不慣れだという自覚はある。だから、女性をどう扱っていいか分からないのだ。本当に困ってしまう。

 特にアミーリア様は、細く華奢で、自分が触れたら壊れてしまいそうで————


 ※※※


 時々、熱に浮かされたようにギディオンはそんなことを訥々と話した。

 きっとキアラが理解しているなどとは思わずに告白していたのだろう。

 行動には問題アリアリだが、ここまで相手(ママ)のことが大好きなんだし、すでに夫婦なんだからいずれ勝手に仲直りする、きっと犬も食わないヤツだわ、と正直キアラは楽観していた。

 しかし、その考えは甘かった。ギディオンが呟く戯言より甘かった。

 後日、ここが小説『風は虎に従う』の世界だと分かると、アミーリアとギディオンの関係が好転するのは、簡単なことではないと気が付いた。

 アミーリアとギディオンの結婚に至るまでの背景や経緯を考えれば、傍観していて勝手に解決できるものではない。

 しかも、二人の仲と感情の(もつ)れは、はっきりいって前日譚で描かれていたよりも複雑だった。

 小説ではせいぜい『政略結婚の相手で、お互い好意はもっていない』程度の関係だったと思う。

 だが実際には、キアラが見る限りアミーリアとギディオンはお互い想い合っているのに、どうしたワケか、どちらも『自分は嫌われている』と固く信じている。

 そのうえ相手には、『本当に好きな人が別にいる』のに『仕方なく自分と結婚した』と、二人とも本気で思い込んでいるのだ。

 いわゆる両片思いの状態である。アミーリアに至っては、乳母がギディオンの愛人だと確信していた。

 そこまで思い込む理由を二人とも口にしないので、どうしてかは分からないけれど……。

 とにかく、キアラは早く喋れるようになって、拗れに拗れている二人の関係を修復したいと考えていた。

 なんせあの二人、お互いが初恋同士なのだ。

 だから恋愛面に関しては(いい年なのに)思春期もイイトコ、しかも拗らせすぎて、お互い妙なすれ違いや勘違いを繰り返し、完全に動きが取れなくなっている。

 初恋にありがちの多少のすれ違いは、漫画や小説なら甘酸っぱくて甘美な恋のスパイスに成り得るだろう。

 だが、あの二人にとってこれ以上のすれ違いは、スパイスどころか致死量のキャロライナ・リーパーレベルの刺激物にしかなり得ない。

 しかも、あんなに偏った思い込みでガッチガチに固まった頭の持主二人では、お互いの気持ちに気付くワケがなかったのだ!

 あれでは、すれ違ったとしても高架道路の上と下を歩いているようなもので、ニアミスすることすら無いだろう。さぞかし周囲の者はいままでヤキモキ(イライラ?)したに違いない。

 二人にお互いがお互いを本当はどう思っているのか、()()()()教えてあげなければ。

 普通に教えるだけでは信じないだろうから、しつこく根気よく懇々と少しの誤謬(ごびゅう)もなく教えるのだ!

 それができるのは、きっと娘であるキアラだけ。

 そう思って準備(滑舌や発声練習)に励んでいたところに、教えるより先に事件が勃発してしまったのだ————





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