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4 アミーリア

 

 ギディオン・クルサード侯爵は、思っていたよりも早くアミーリアに会いに来た。

 宝石商レヤード(アラン)がアミーリアの元を訪問した次の日の午前中に、キアラとアミーリアがいる子供部屋を訪ねてきたのだ。


「……話があると聞いた」

 子供部屋に入るなりギディオンはそう言うと、不機嫌そうにきゅっと眉を寄せた。するとデフォルトの眉間の縦シワがさらに四本ほども増える。いかにもアミーリアに会うのが嫌でしょうがないとでも云う顔つきだ。

 アミーリアは一瞬ムッとして唇を噛んだが、呼び出したのは自分だということを思い出して、努めて笑顔を浮かべた。そしてソファに座るよう勧めると、メイドにお茶を頼んだ。

 ギディオンはアミーリアとキアラが座っているソファの向かい側のソファへ窮屈そうに体を縮めて腰を下ろし、時々身動ぎしては息苦しそうにため息をつく。

 ソファ脇にあるローテーブルにメイドがお茶を置いたものの、口を付けることなく「話とは何だろうか」と性急に切り出してきた。

 それも顔をアミーリアから背けたまま。

 そんなギディオンの態度は「同じ空間で息をするのも耐えられないから早く済ませてくれ」と言っているようにしか、アミーリアには見えなかった。

 二人の間には気まずく重い空気が流れ、なんとはなしにお互い俯いて黙り込んだ。


(そんな言い方……。そこまで私のことが嫌いなの……)

 面と向かって話すのはずいぶん久しぶりだが、ギディオンの態度は相変わらずだった。

 いや。王宮の礼拝堂でひっそりと結婚式を挙げた時は、少なくともアミーリアと顔を合わせてくれていたので、むしろ段々と悪くなってきているかもしれない。

 アミーリアは覚悟して身構えてはいたものの、“嫌いだ”アピールを目の前でされるのはやはりひどく堪えた。胸が重石を飲み込んだように苦しくなってくる。

(後悔している、ってことか)

 結婚後、避けられていると分かってからは、ギディオンに不快な思いをさせたくなくて、なるべくアミーリアも城内で出会わない様に気を遣って行動してきた。

 だがそれも無駄だったのだ。親の仇であるアミーリアが妻だと云うこと自体厭わしいのだろう。そう考えるとなんだか無性に泣きたくなった。

 しかし、いまはそんな自分の感傷よりも、優先することがあった。

 宝石商レヤードの件を報告しなくてはならない。

 胸にわだかまる重苦い感情を振り払うように、アミーリアは俯いていた顔をぐいっと上げた。

「……昨日の、」

 アミーリアが話そうとした時、ギディオンが痺れを切らしたのか同時に口を開いた。

「昨日の宝石商は、シルヴェスター王子に似ていたらしいな」

「…………は?」

 ギディオンから思いもよらない名前がいきなり出てきて、アミーリアは一瞬虚を突かれた。

 顔を背けたまま、表情をますます厳しくしながら、ギディオンは続けて言った。

「調べるように命じたそうではないか。……そんなに気に入ったのか」

「…………はぁ?」

 言っている意味がじわじわと頭に沁み込んでくる。

 まさか、ギディオンは、私が、あのアランを、情夫に、するとでも、思った⁈

(私がそんな恥知らずだと⁉)

 有り得ない誤解に、恥辱で目の前が真っ赤に染まる。

 自分がそうだからと云って、私まで同じだと思うとは!

 怒りは爆発寸前だった。

 アミーリアは憤怒のあまり言葉を失くし、ぶるぶると体を震わせた。

「パパ、メッしょ! しゅぐああまりゅの!」

 キアラの甲高い声が響き、ハッとした。

 さっきまでアミーリアの隣に座っていたはずのキアラが、いつの間にかローテーブルを伝い歩きしてギディオンの側に移動していた。

 キアラは怒ったようにギディオンの膝を何度もぺしぺし叩いている。

「キアラ?」

「はーくあーまってっ⁈」

「は、くあーま? とは?」

 ギディオンは首を捻り、話し合いの邪魔になると思ったのか、キアラの両脇に手を入れてひょいと持ち上げると「ベル、ちょっとキアラを預かっていてくれ」と、そばに控えていた乳母に向かってそう言って立ち上がり、キアラを乳母に手渡した。

((ベル⁈))

 アミーリアとキアラは心の中で、同時に叫んでいた。

 ギディオンが乳母“アナベル”を愛称呼びしていることに驚いたのだ。

(人目も憚らず愛称で呼ぶなんて……!)

 アミーリアは、キアラの乳母にと紹介された時から、彼女はギディオンの愛人だと確信していた。ひと目見ただけでそう思う程、乳母とギディオンは屈託なく親しげだった。

 愛のない夫婦とはいえ、夫の愛人を乳母として受け入れるのは苦痛だったのに、さらにまたこの仕打ち。

 もう隠す気はないと云うことなのかと、さっきとは違う怒りで体がカッと熱くなった。

 アミーリアは怒気で体を震わせながら、乳母へ刺すような視線を向けた。乳母は青い顔をして首を左右に振る。

「ギディオン様! いけません!」

 乳母に注意され、ギディオンはしまったと云うように手で口を押さえた。

 二人がファーストネームで呼び合っていることや、ギディオンが自分へ向けた訳の分からない疑い、乳母とギディオンが目配せで話が通じていること——それらが頭の中でぐるぐると廻り、屈辱と怒りと悲しみがいっしょくたに体中を駆け巡る。制御できない感情がとめどなく湧き出てきて止まらない。

 アミーリアは我慢できずに「私とキアラの前で、わざわざみせつけなくても……ッ」と思わず口にしてしまった。

(私が怒る筋合いじゃないのは分かっている。分かっているけど……!)

「いったい、何を……?」

 怪訝そうな表情をするギディオンに、アミーリアの怒りはさらに増した。まだしらばっくれるのかと。

「あなたたちに私のことをとやかく言えるのッ⁉」

「……やはり貴女は……」

「アミーリア様、誤解です!」

(そうやって、この城にいる者はいまだに私のことを“奥方様”とは呼ばずに名で呼び、誰ひとり妻とは認めていないじゃない。私を亡国の公女としか見ていないから! だから乳母以外にも……、私は……ッ)

 もはやアミーリアの怒りは、ギディオンと乳母だけではなく、城の使用人や他のあらゆる事に飛び火していた。

 ずっと堪えて抑えていた感情に蓋をすることができない。こんな気持ちのままでは、もはやギディオンと冷静に話せるとは思えなかった。

「……出てってください」

 アミーリアの地を這うような低い声は、深い拒絶が滲んでいた。

 しん、と部屋が静まり返る。

「お願いですから。キアラだけ置いて、みんな部屋から出て行って」

「……あ、アミーリア様……」

「話は後日、乳母にでも伝えます」

 アミーリアがぴしゃりと吐き捨てるように言うと、ギディオンの眉間のシワはぎゅっと深まった。何か言いたげにアミーリアを一瞥したが、黙って部屋を出て行った。

 キアラをソファに座らせた後、乳母とメイドも、アミーリアを気遣わし気にみながらギディオンに続いて部屋を出て行く。

 アミーリアの荒い息遣いだけが、部屋の中の静寂を乱すように響いていた。


 ※※※


 怒りを押さえ込もうと必死で努力するアミーリアを前にして、キアラは呆然としていた。

(どうしてこんなことに……?)

 今世の両親——アミーリアとギディオン——の仲が疎遠なのは分かっていた。小説『風は虎に従う』でも、二人はすれ違い、仲違いしていたから。

 けれど、いまのアミーリアとギディオンに関していえば、それは何か大きな勘違いか誤解があってこうなっているのだということを、キアラは()()()()()

 だから宝石商レヤードの件で二人が顔を合わせることが決まった時、キアラはこのすれ違いを正すいい機会だと内心喜んだ。

 二人の事情を知る自分がうまいこと誘導すれば、きっと二人の仲は改善に向かうのではないかと……。

 だが、初っ端から二人はすれ違いどころか、大きく道を外してとんちんかんな言い争いを始める始末。

 誘導するどころか、キアラがきっかけで修復できるかどうかわからない程の大きな亀裂ができてしまった。


 なんで、なんでなの‼

 話の大筋は結局変えられないの⁈

 どうして⁈ 二人は両想いのはずなのに————‼


ありがとうございました。

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