34ー① ギディオンとアミーリア
「俺から話さなければいけなかったのに、俺に意気地がなくて不甲斐なかったせいで……、君に先を越されてしまった」
「え?」
ギディオンの眉間の皴は深いがその眉と目尻は困ったように下がり、がっくりと肩も落している。
さながら、大きなワンコがなにかをしくじって意気消沈しているといった風情で、思わずアミーリアはくすりと笑った。
それに釣られて、ギディオンも苦笑する。
そして、先程と同様に、思いを馳せるように遠い目をして中庭を一瞥する。
今度はすぐに覚悟を決めたようにきゅっと口元を引き結び、向かい合って立っているアミーリアと視線を合わせた後、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。
「……十年くらい前のことだ。俺はまだ王宮の近衛騎士団に所属していて、シルヴェスター王子の妃選定の折には、ここ——アラーナ離宮の警護を担当していた」
アミーリアは初耳だと言った感じでぱちぱちとまばたきを繰り返し、興味深くギディオンの話に耳を傾ける。
「その時にこの離宮で、父親と兄に無体なことを言われて涙を流しながらも、『この状況に屈してなるものか』と呟く、力強くしたたかな瞳を持つ少女を見て、ひどく心を惹きつけられた」
「それって……」
「そう。君だ、アミーリア。俺は、君のその射抜くような強い瞳がずっと忘れられなかった。たぶん、俺はあの日、君に……恋したんだ……。それからずっと、俺は……アミーリア、君を、君だけを愛している……」
そう言い切った後、羞恥に堪えきれなくなったのか、ギディオンは真っ赤になった顔を隠すように手の平で口を覆い、顔を伏せた。
「ギディオン……!」
アミーリアの心は感動で震えていた。
ギディオンが語ったアミーリアは、咲の精神を伴ったアミーリアが初めて表層に出てきた時のことだった。
つまりギディオンは、疑似アミーリアではなく、最初から正真正銘、『いまのアミーリア』に恋してくれていたのだ。そのことが、ひどく嬉しかった。
だがふと、そんな風に思ってくれていた割には当時ギディオンをほとんど見かけたことがなかった——そう云えば、ギディオンはエリートコースである近衛を辞めて西方騎士団に異動していた——自分に恋していたのなら、近くで警護する近衛の方が良いはずだろうに——などと云ったことが、瞬時に頭を過ぎる。
何故……と思ったとき、雷に打たれたようにある考えに辿りついた。
「まさか……、あなたが西方騎士団に異動したのは、自惚れでなければ……私のため⁉」
当時の西方は、ゲートスケル皇国の侵攻に晒されており、不安定であった。もちろんアミーリアの故国であるファーニヴァルも……。
つまり、アーカート西方の国境地域が強化されて、ゲートスケル皇国の脅威を防ぐことができれば、西方諸国やファーニヴァルも安定し、平和に近づくことになる。
実際、ギディオンが西方騎士団に入団したおかげで、多くの西方の国々がゲートスケルの侵略から逃れることができたのだ。
「…………」
沈黙は、肯定と同義だ。
アミーリアは両手でギディオンの右手を取ると、深く腰を下ろす最上級の礼を取り、その指先に感謝のくちづけを落とした。
「アミーリア!」
「今更だけど……ありがとうございます、ギディオン。……でも、どうしてそこまで……?」
アミーリアにそう問われると、逡巡し、困ったように返事に窮していたが、逃さぬとばかりにじっと見つめて視線を外さないアミーリアに負けて、ギディオンは仕方なさそうに訥々と答えはじめる。
「君は、いずれ王妃か側妃となることが決まっていて……、絶対に俺の思いは報われることはないし、伝わらない——いや、伝えてはならない人だった。だから、せめて……君の助けとなることを、何でもいいからしたいと思ったんだ。そして、俺に出来るのは、この身を捧げることだけだった。だから……」
危険を顧みず、アミーリアとファーニヴァルの為に戦場に身を投じた、というのか。
そして、それはいまも続いている。さらにキアラの為も加わって。
ギディオンのあまりにも自らを顧みない挺身に、アミーリアは喜びよりも先に恐怖が立ち、体が震えた。
「ギディオン、そんなことはもうやめて! これからは絶対に自分を犠牲にするような、危険なことはしないで……! お願いだから!」
「ああ。わかっている。いまは生きて貴女とキアラを守らなくてはならない、そう思っている。だから、無茶なことはしないと誓う」
薄く微笑みながら、ギディオンは震えるアミーリアの肩を宥めるように軽く叩いた。
こんな————アミーリアの生きる世界ごと守ろうとするほどの、大きな愛があるだろうか。
自分はこんなにも大きな無償の愛に包まれていたことを、ずっと知らずにいた。
どうして気付くことが出来なかったのだろう。
どうしていつも変な誤解や勘違いばかりしてきたのだろう。
きっとキアラはすでにわかっていたのだ。
キアラが自分に対していつも呆れたように怒っていたのは、これでは当然だ————
アミーリアの胸に、ギディオンに対する感謝とか尊敬とか愛情とか後悔とか心苦しさとか——その他、もうよくわからない感情が一気に押し寄せてきて、ぱんぱんに膨らんだ。
何かを言いたいのに、胸が詰まって言葉が出てこない。
アミーリアは俯き黙ったまま、自分の胸を押さえて、激しく逆巻き暴れる感情をなんとか制御しようと努力した。
どうやってギディオンにこのとめどなく溢れる想いを伝えればいいのか————アミーリアは思案していた。
だがギディオンは、どこまでいってもギディオンであった。
アミーリアのその様子を自分の想いが重荷に感じたのだと誤解した。
「アミーリア。俺の気持ちなど忖度しなくていい。君がファーニヴァルに留まるのは、ファーニヴァルの民とキアラの為だとしても、それで構わない。シルヴェスター王子の側ではなく、俺と一緒にいてくれると言ってくれただけで、もう十分だ」
「へ……? はあっ?」
どうしてそうなる⁉ とアミーリアは唖然とする。
どうやら自分たちの夫婦関係がおかしかったのは、シルヴェスターのせいだけではないらしい。
多分に自分とギディオンのせいでもありそうだと、激しく自覚し、反省した。
どうもギディオンは、あんなにもハッキリ言ったにも関わらず、アミーリアに自分が好かれているということがいまいち信じられないようなのである。
アミーリアは少し、いや、すごく腹立たしくなってきた。
ならば……
「私のとっておきの秘密をあなたに教えるわ」
「秘密?」
突然なんだろうと、ギディオンは首を捻った。しかも、なんとなくだがアミーリアは怒っているようで、理由が分からずどうしたらいいか慌てた。
「あなたがいつも背中に隠している短刀だけど」
反射的にギディオンは後ろに手を回したが、今日は夜会服のため帯剣していなかったことを思い出した。
「ああ。君から初めて贈られたものだ。大事に使わせてもらっている」
大事にし過ぎて、アミーリアを守る為にレヤードを切った、その一回しか使われていないことを、アミーリアは勿論知らない。
「あなたのことだから、アレがどんなものか、知っているのでしょう?」
こくり、とギディオンは重々しく頷いた。
「ファーニヴァルの“幻の剣”と言われているものだろう?」
「そうよ。なら、アレがどれほど貴重なものかも分かっているワケね」
再び頷きながら、それがとっておきの秘密なのだろうかとまた首を捻る。
「ファーニヴァルの幻の剣——それは、ファーニヴァルでは刀と呼ばれているの。ある理由から、その製法はファーニヴァル大公家の信頼するある一族にしか伝わっていない。大量に生産することは出来ない為、幻と言われるほど人の目に触れることがない品物なの。ファーニヴァル公家でも、大きな功績のあった家臣に下賜するか、他国の王家への贈答品にしたりするくらいで……」
「そこまで貴重なものだったのか……」
貴重な理由はそれだけではない。刀という名で分かる通り、元は“世界の落し物”として発見された品物で、それを研究し、再現することに成功したモノなのだ。
ある一族にしか伝わっていないのも、製造法を秘匿するため。それ故の、“幻”なのだ……
「でも、秘密はそこじゃないわ」
えっ、とギディオンはアミーリアを見た。
「実は、あの刀は私の母の遺品なの。母は、私が幼い頃亡くなったんだけど————」
ギディオンは遺品ということに絶句したままだったが、アミーリアは構わず話を続けた。
アミーリアの母、前ファーニヴァル大公妃はアミーリアを生んだ後、病がちとなり、アミーリアが八歳の頃亡くなった。
前大公妃は亡くなる前に、大公や大公子には内緒で、アミーリアに二振りの刀を譲り渡した。
『これはね、私が嫁ぐ時にお父様……あなたのおじい様が私にくれたものなのよ。おじい様が精魂込めて鍛えた貴重で大切な刀なの。懐剣は私に、脇差は夫となる者にと……夫婦となる二人に守り刀として贈ると言われたわ。けれど、私はこの脇差をあの人に贈ることができなかった……』
そう言いながら、ベッドの上に力なく横たわる母の乾いた目にどんな感情が浮かんでいたのか、幼いアミーリアには推し量れなかった。
婚姻前に隠し子がいたことが発覚し、その子が男児であった為に、婚姻した後も自らが世継ぎを生むまで、その子供の面倒をみることになった。
兄が生まれた後、父がその子供を平民にして追い出すなどと非情なこと言いはじめたので、母が手を回して自分の一族の養子に出したと聞いている。
どう考えても、幸せな結婚生活だったとは思えない。早くに亡くなったのも、もしかすると心労がたたったせいではないのか。
母が、父に脇差を贈ることができなかった理由とは、ただ単に、あんな男に贈りたくなかっただけなのかもしれない————
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