33 アミーリア
「十年……振りになるのかしら」
アミーリアとギディオンは、アラーナ離宮の中庭に立っていた。
折しも、アミーリアが初めてこの離宮を訪れた時と季節は同じ。中庭には薔薇が咲き乱れていた。
夕暮れが薔薇に陰影を加えて、花ひとつひとつの輪郭が闇に溶けて繋がり影絵のように見えるかと思えば、暗い茂みに咲く小振りの白薔薇などは、たくさんの淡い灯りが浮かんでいるかのように見えたりもする。
昼間に見る庭園とはまた違う、幻想的な光景である。
そして、陽が陰り視覚があいまいで薔薇自体がはっきりと見えない分、嗅覚が鋭敏になるのか馥郁とした香りが際立って感じられる。
「こんなに薔薇でいっぱいの庭園だったのね……」
「…………」
ギディオンもアミーリアと並んで、薄闇の中、夕映えに浮かび上がる薔薇を黙ってながめた。
アラーナ離宮に寄って帰ろうとギディオンに提案され、宴の大広間から退出すると、途中で待機していたアナベルも合流して四人でアラーナ離宮を訪れた。
離宮に到着するとギディオンは建物ではなく中庭の方へと直接入り、この場所へとアミーリアを誘導した。
キアラとアナベルは、ギディオンとアミーリアに気をつかっているのか、少し離れたところを二人で散歩している。
ここは、はじめて王宮に来た際、アミーリアが父である大公と兄の大公子に、シルヴェスター王子を篭絡するよう責め立てられた場所だった。
はっきり言ってあまりいい思い出はなかったので、ここに来るのは、本音を言うと面白くはない。
「ところで、どうして離宮ではなく、中庭の方へ来たの?」
離宮を見学したかった訳ではないのかと、アミーリアはギディオンを見上げて問い掛けた。
するとギディオンは、アミーリアを長いこと切なげな瞳で見つめ続けた。
熱を帯びた瞳にさらされて、アミーリアの頬は夕日と同じくらい紅く染まり、たまらず顔を伏せる。
ギディオンはその様子を愛おし気に眺めて目元を弛めると、ふと、なにかを思い出すように遠くへ視線を彷徨わせた。
「…………俺は、ここで————」
「アミーリア!」
ギディオンが口を開くと同時に何者かが中庭に侵入し、大声でアミーリアの名を呼んだ。
声のした方を振り向くと、そこにはシルヴェスター王子が慌てた様子でずかずかと中庭を横切ってくる。
「殿下、いったい? まだ宴の最中では」
驚く二人の前に立ちはだかったシルヴェスターは、「だまれ! 勝手にアミーリアを連れて帰るなど、許さんぞ。クルサード侯爵」と、乱暴な仕草でアミーリアの二の腕へと手を伸ばした。
すかさずギディオンが体を滑らせて、ぬりかべの様にシルヴェスターの前に立ち塞がり、アミーリアを自分の背中に隠す。
「勝手になどと。アミーリアは私の妻です」
その大きく逞しい背中の、なんという安心感!
アミーリアは思わず抱き着いて、背中に頬ずりしたくなる自分を必死で抑えた。
「やはり、最初から返すつもりはなかったか! 私のモノを! まったく、盗人猛々しいとはこのことか!」
激高するシルヴェスターにギディオンは落ち着いた口調で反論した。
「殿下は以前、アミーリアが私の元に留まりたいと言えば“構わぬ”と、仰ったではありませんか」
「貴様が無理矢理引き留めているのであろう!」
「そんなことはしておりません」
一連のやりとりをギディオンの背中越しに聞いていたアミーリアは、(やっぱりそうか)と得心した。
自分たちがまともな結婚生活を送れなかったのは、予想通り、この目の前で喚き倒している変態王子のせいだったのだ。
コイツが“アミーリアは自分のモノ”と、子供がおもちゃを取り上げられた後に言うようなアホな主張をしているせいで、ギディオンは誤解しまくって、お互いに勘違いを重ねた歪な夫婦となってしまった。
そのうえ、さっきはギディオンが、恐らく何か大事なことをアミーリアに言おうとしていたところだったのに!
すっごくイイ雰囲気だったのを、無遠慮にも邪魔をして、台無しにしてくれた‼
もう最低としか言いようがないと、アミーリアは非常に憤っていた。
アミーリアが怒り心頭になっているのも知らず、シルヴェスターはどっしりと間に立ち塞がるギディオンを退けるのは難しいと悟ったのか、ギディオン越しにアミーリアを説得し始めた。
「もうよい! いいか、アミーリア! そこでよく聞くがいい。そんなに女だてらに商人を気取り、国を相手に商売や取引をしたいと云うのならば、私の元に留まる方がより良い仕事ができるはずだ。お前が願うなら、国政にも携わらせてやってもよい。どうだ、私と共にいた方が余程やりがいがあるというものだろう?」
(この最低クソ王子は、まだ私を飼い殺しにする気満々ってことか!)
めらめらと怒りが湧き出て止まらない。シルヴェスターの声を聞くだけで苛つくレベルだ。本当にどこかに消えて欲しい。
「アミーリア! ファーニヴァルで功績を上げて私の気を引くつもりだったのは分かっている。そんな風にいまさら焦らさなくてもよい。お前の気持ちはきちんと伝わっている。いままで放っておいて、悪かったと思っている。だから……」
(今度はなにをワケのわからんことを……!)
もう我慢ならないと、アミーリアがどっかにいっちまえ(的なことを)怒鳴ろうとした時——
「シルヴェスター様! もう、そこまでにして下さいまし!」
突然乱入した悲鳴のような金切り声に驚いて、アミーリアはギディオンの背中から顔を覗かせると、現れた人物を見て思わず呆れたように呟いた。
「ロザリンド妃殿下まで来たの……」
シルヴェスターの背中に必死に取り縋り、どこから聞いていたのか、涙を滂沱と流していた。
そんなロザリンドをシルヴェスターは無下に振り払うと、地面に頽れた彼女を冷たい眼差しで見下ろす。
「こんなところまで邪魔しにくるなど! まったく、貴様には失望させられてばかりだ。公務はアミーリアの半分も役に立たない上、生んだ子は病弱。おまけに、祖国のラティマはゲートスケル皇国の再侵攻を食い止めるどころか、予見さえできない! 何のために貴様を正妃にしたと思っている!」
「も……、もうし、申し訳……ございま、せん……」
なんて自分勝手なことばかり言うのだと、アミーリアは呆れ果てた。
公務はともかく、他はロザリンドに何の責任もないことばかりだ。特に子供が病弱なことをあて擦るなど、親としても人としても終わっている。
ロザリンドは昔のアミーリアのように反発せず、ただ泣いて謝るばかりだった。そればかりか、まだ機嫌を阿るように上目遣いで様子を伺っている。
ロザリンドも、ある意味洗脳に近いシルヴェスターの美貌の虜となっているのかもしれない。
シルヴェスターはロザリンドのことは捨て置き、アミーリアに再び話し掛けた。
「そうだ、アミーリア。クルサード侯爵との子キアラは大層利発だと評判らしいな。ならば、そなたと私の子ならきっともっと優秀な子ができるはずだ。その子が王太子になれば、お前は国母となり王族に入れる。どうだ、辺境の侯爵夫人などより、よほどお前に相応しい地位ではないか?」
(うげっ……。私がなんで、あんたの子を産まなきゃならないのよッ!)
滅茶苦茶イイ笑顔で提案するシルヴェスターには悪いが、嫌悪で全身にトリハダが立ち、背中がぞわぞわする。
ロザリンドを見れば、まだシルヴェスターの足に取り縋って、「そんなこと、仰らないで……」と涙ながらに訴えている。
シルヴェスターはそれを蔑むように顔を背けて、無視をした。
(あー……! ああ、コレ、きっとアレだわ……!)
アミーリアは、突然ピーンときた。
アミーリアをダシにして、愛するロザリンドの苦悩する顔が見たかったに違いない。アミーリアが婚約者だった時に、目の前でわざとロザリンドを褒めちぎっていたのと、同じ類のヤツだ。
悪い性癖は相変わらずらしい。本当に性格が歪んでいる。
だが、二人は将来この国の王と王妃になるのだ。そろそろ倒錯的な関係で遊ぶのは止めてもらい、真っ当な道にお帰りいただかねば。その為に、僭越ながら助言をしようではないか、とアミーリアは思い立った。
急にこんなお節介なことをしようと思ったのは、さっき、シルヴェスターが子供のことでロザリンドを貶したことが、少し、いや物凄く、癇に障ったせいかもしれない。ちょっと物申したくなったのだ。
「シルヴェスター殿下、そんな風に愛する方を無下に扱うのは良くありませんわ。昔から、殿下はロザリンド妃殿下のことを当代一の女性だと褒めていたではありませんか。私も両想いのお二人を引き裂いているのが当時から心苦しかったものですわ。出来るなら、ロザリンド様に立場をお譲りしたいと何度思ったことか! ですが、やっと好きな者同士ご夫婦となられたのですから、関係のない私を引き合いにして、そのような不毛な駆け引きをするのはお止めください。愛しているなら、素直にそう言えばよいのです。夫婦喧嘩は犬も食いませんよ!」
ギディオンの背中からひょっこり顔だけを出して、アミーリアは真剣に諭した。
「なに……?」
シルヴェスターは目を剥き、口をあんぐりとさせたまま、しばらく絶句していた。
少し離れた所で隠れて成り行きを見守っていたキアラとアナベルは、思わずシルヴェスターと同じ顔になった。
そして、アミーリアはさらに追い打ちをかけるように続けた。
「それに、この際だからハッキリ言わせてもらいますが、私は王宮に戻るつもりはございません。この離宮を賜りましたが、私がここに住むこともありません。……だって、私は……さっ、最愛のギディオンと離れるつもりはありませんから! もう、やだわッ。何を言わせてッ……! だ、だから、要するに、私たち夫婦はもちろん、両殿下もお互い好き同士で結ばれた夫婦なのですから、変な小細工などせずとも、仲睦まじくできるはずです! それと、私を以前のようにブレーンとして望んでくださるのはありがたいことですが、いまとなっては私程度では辺境の領地の運営がせいぜいということがよく分かりましたわ。殿下の周囲には私などよりもっと優秀な方々が控えていらっしゃるのですから、私は辞退させていただきますわ」
アミーリアは言い終わると、ギディオンの背中に頭を押し付けて照れまくった。途中ギディオンへの想いをどさくさに紛れて吐露したせいだろう。
アミーリアの本音に触れたギディオンは「……アミーリア……」と感動の面持ちで両の拳を震わせる。
シルヴェスターはと云えば、すでに表情は無になり「馬鹿な……」とショックで口をはくつかせていた。
あまりのアミーリアの曲解ぶりに言葉もないようだ。
アミーリアの公務の際の察しの良さや、先々を見越した立ち回りを目にしていたシルヴェスターにとって、この恋愛面だけに関してのポンコツ具合は、おおよそ考えられないものだったに違いない。
だが、これもアミーリア・クオリティ。伊達に五年近くもギディオンとすれ違ってはいないのだ。
そしてキアラは(さすが、ママのニブさは筋金入り)と、もはや称賛に価するレベルだと感心していた。
どうしてこの状況で、自分が当て馬として夫婦生活のスパイスに使われたと思い、王子のブレーンとして求められている、などと勘違いできるのだろう? と、キアラはその思考回路がまったく理解不能だ。
シルヴェスターの想いは、全くアミーリアには伝わっていなかった。
それどころか、シルヴェスターにしてみればアミーリアも自分を好いていて両思いだと信じていたのに、実は恋愛対象とすら見てもいなかったことが分かったのだ。これは自尊心が相当ズタボロになったに違いない。
だがこのアミーリアの勘違い発言は、ロザリンドにある種の活力をもたらしたらしい。
立ち上がって涙を拭うと、呆然としているシルヴェスターに腕を絡ませて、「シルヴェスター様、宴に戻りましょう」と促し、この場から強引に連れ出した。
その際に、キッとアミーリアを鋭く憎々し気な目で睨んでいき、アミーリアはなにか腑に落ちない心持ちになった。
こっそりと見ていたキアラも「ねぇ、アナベル。どうして浮気をされた女性って、パートナーではなく相手の女性を恨むのかな。今回のことで言えば、諸悪の根源は完全に王子だよね?」と思わずこそこそと質問する。
「そうですよねぇ。私もそのへんの心理は分かりかねます。夫が浮気なんてしたら、私だったら夫をボコボコにしますけどね?」
アナベルは拳にぐっと力を入れながら、こそこそと答えた。
脳筋のクルサードの者らしい答えである。
「は、はは……」
そんなことを話しているうちに、ギディオンとアミーリアは至近距離で向かい合い、なにか感慨深げにお互いを見つめ合っていた。
やっと本当の意味で、二人はお互いの気持ちがお互いにあることを認識できたらしい。
キアラとアナベルは邪魔しては大変とばかりに、こそこそと、その場から素早く退散した。
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