32ー① アミーリア
(あー! キモイキモイキモイキモイッ‼)
さっきのことが頭から離れず、どうしても苛つきが止められなかった。
王家が用意してくれたゲスト用の控室で、最近忙しくて出来なかった家族水入らずの団欒を楽しんでいたところへ、呼んでもいないのに突然ヤツはやって来た。
ヤツが来るまでは、ギディオンの素敵で格好イイ夜会服姿を、網膜に焼き付ける勢いで堪能し、キアラが高級家具に慄き怯えてギディオンに甘えるカワイイ姿をたっぷり愛でると云う、幸せで満ち足りた家族の時間を過ごしていたから、余計に恨み節が止まらない。
ヤツは、どうしてもアミーリアに嫌がらせをしたくて仕方がないようだ。
(あー! 名前すら思い出したくないわッ! ホント、むかつく!)
だいたい、『私の妃になるはずだった』とか、『私たちの間で』とか何をいまさら、ちゃんちゃらオカシイこと言ってるんだと、腹立ちのあまりぶふーとアミーリアは荒い鼻息を吐き出した。
言われて思わず殴りそうになる拳を必死で抑えていたのに、ヤツはさらに指先への接吻——敬愛の証——を要求してきた。
眩暈がするほどの屈辱にぎりりと唇を噛みしめたが、祝宴の前に問題を起こすわけにはいかないと、再び拳を抑えて辛抱した。
だが接吻なんて絶対に絶対に嫌だったので、仕方なく額に押し頂いて誤魔化そうとしたところに、突然腰を引き寄せられて、驚きのあまりあそこまで接近するのを許してしまった。
悔しいやら情けないやら、相手が王族じゃなかったら確実に金的へ膝蹴りを入れていた。
(おまけに、この私が“拗ねている”だと⁉ 違うわ! 本気で嫌がっていたのよッ!)
あまりの忌々しさに、体に震えがくる。
あのまま入場の呼出しがなければ、空いてる右手でヤツの顔を猫のように引っ搔き倒していたかもしれない。
そう言えば、最後に『長らく待たせてすまない』だの『もう我慢させることはない』だの、意味不明なことをほざいていたが何だったのだろう、とアミーリアは首を捻った。
そんな埒もないことを考えながら歩いていたら、いつの間にか宴の会場である大広間の入り口に到着していた。
怒り心頭過ぎて、うっかりギディオンと話をするのを忘れていたことに気付く。
恐る恐る隣を歩くギディオンに視線を送れば、いつも通りのしかめっ面だったが、ひどく顔色が悪い。
ギディオンに抱っこされているキアラに至っては、じっとりとした非難めいた視線をアミーリアへ向けていた。
しまった、と思ったが、もう後の祭りだ。
キアラに以前からあれほど『何も言わなくても夫婦だから、家族だから“察して”くれる、なんてことないんだからね。ちゃんと自分の口で言わないと全く伝わらないよ』と事あるごとに繰り返し口が酸っぱくなるほど言われていたのに。
やらかしてしまった、と心の中で頭を抱えた。
ギディオンがまた誤解したらどうしてくれるのよ! と、悔し紛れにヤツへ呪いの思念を連続送信する。
(そうだ。来るなんて知らなかった、ヤツが勝手に来たんだって、それだけでも——)
「ね、ギディ……」
「クルサード侯爵御夫妻と御息女、御入場————」
アミーリアの声は、入場の案内の声にかき消された。
結局何も言えないまま、“戦終結を寿ぐ宴”の会場へと三人は足を踏み入れたのだった。
宴は、まずはアーカート王から終戦の宣言と王国民への労いと感謝の言葉で始まった。
王国中の貴族、西方諸国と近隣各国からの来賓たちは王の言葉を受け、ゲートスケル皇国の脅威から解放された喜びに歓声を上げた。大広間はしばらく、熱気あふれる喝采と割れんばかりの拍手に包まれた。
次に今回の戦の功労者の表彰と褒賞、勲章の授与が行われ、その一番最後に、ギディオンとアミーリア、そしてキアラが呼ばれ、王の前に三人で並んだ。
最初に、ギディオンが再び終戦へと導いた最大の功労者として讃えられ、王国の最高勲章を叙勲し、相当な額の褒賞金を与えられた。
だがここで、ギディオンは褒賞をすぐには受け取らずに、発言の許可を王にとる。
「私は先にファーニヴァルを下賜されましたので、すでに過分といえるほどいただいております。故に、今回の褒賞は辞退させていただこうと思っておりましたが……、今回ファーニヴァルから王都に直行する街道を使ったのですが、その街道の整備が戦のせいでしょうか……荒れてしまったように見受けられました。そこで、今回の褒賞を是非、その街道の修繕に使わせていただきたいのです。よろしいでしょうか?」
跪いて、ギディオンは褒賞の使い道の許可をアーカート王に願い出た。
褒賞を街道の修繕費用として王国に還元しようと云うのだ。否やがあるはずもない。本来なら王家が支援してもおかしくない案件でもあり、王は喜色満面で頷いた。
「我が王国の英雄は、なんと殊勝な者なのか! 勿論だとも。そなたに与えたものだ。好きに使うがよい」
ギディオンは感謝を表すように胸に手をあてて頭を下げると、集まっている貴族たちの方へ振り返って、さらに続けた。
「では、その街道が通る三つの領地の当主、バートン伯爵・カッセルズ子爵・スコット男爵の御三方に、この場を借りて了承いただきたいのだが————いかがだろうか」
いきなり王国の英雄に声を掛けられた三人は飛び上がるように慌てて前に出てくると、「ありがたいことです」と二つ返事で快く了解した。
というか、身分も功績もはるかに上のクルサード侯爵に「金は出すから勝手にやっていいよな?」と言われて断れるはずもなかった。
(ギディオンたら堂々としてカッコイイ~♡ 惚れ惚れするわ~♡ それに概ねシナリオ通り!)
ここまでの流れを、アミーリアは満足げに眺めていた。
と、云うのも————
※※※
宴より、二日前の夜のことである。
その日の午後、アミーリアはラミア側妃に話があると急に呼び出されて王宮を訪れていた。
そこで聞かされた話が頭に残り、なかなか寝付けないでいた。
同じベッドの上にいるキアラはとうに熟睡して規則的な寝息を立てている。ならば寝酒でもするかと、食堂に移動して、ひとりワインをちびちび飲んでいたところだった。
そこへ、ふいに声を掛けられた。
「アミーリア、まだ起きていたのか」
「えっ⁉」
振り向くと、食堂の入り口に外出着のままのギディオンが驚いた顔で立っている。帰宅して、食堂にまだ明かりがついているのでどうしたのかと立ち寄ったらしい。
「ギディオンこそ、今帰って来たの?」
そろそろ日付が変わろうかという時間である。
「ああ。騎士団の奴らに食事のあと飲みに誘われて、少しだけ付き合った」
「そ、そうなの……」
なんとなく二人の間に、妙な緊張感のある気詰まりな空気が漂い、そのまま沈黙が流れた。
数週間前に宴の招待状が届いてから、旅の準備や様々な打ち合わせでお互いに外出が続き、ほとんど顔を合わせることなく出発の日を迎え、きちんと話せないまま今日まで来てしまっていた。
宴までには、せめてこのギクシャクした空気をなんとかしたいと思っていたところだった。
「……ちょっと寝付けなくて、コレ飲んでたの……少しだけ、つきあいません?」
仲直りにちょうどいい機会かもと、アミーリアはワインボトルを軽く持ち上げながら、そう言ってみた。
ギディオンも同じような気持ちだったのか、すぐに頷いて自分用のグラスを出してくると、アミーリアの向かいの席に座って手酌でワインを注ぎ、緊張をほぐす為か一杯目をごくごくと一気にあおった。
アミーリアは、そのギディオンの上下する喉仏を(なんて色っぽいのかしら……)と、うっとりして眺めた。
グラスを空にした後、ふ、とギディオンは軽く息をつくと、じっと自分を見ているアミーリアに気付き、慌てたように目を伏せる。
その目元が赤く染まっているのは、ワインのせいだけではないとアミーリアは確信する。
やっぱり嫌われている訳じゃないと勇気を得て、思い切って聞いてみた。
「ギディオン、私に何か言いたいことか、聞きたいことがあるんでしょ?」
びくりと肩を揺らしたが、目を伏せたままゆっくりと首を横に振る。こんなにも、苦悩するように眉間の皴を深くさせていると云うのに。
アミーリアは心の中で思わず嘆息する。
ビジネスでは相手の欲しているものを察するのは得意だった。
だが、人の心の機微——特に恋愛絡み——を察するのは、前世でも今世でもどうにも下手くそだ。
前世の旦那に、咲は別れる時にこんなことを言われたのだ。
「最後だから告白するよ。君が僕と結婚したのは、思い出の家を手放したくなかったからだというのは分かっている。けれど、僕は咲のことが好きだった。社長(咲の叔父)を裏切って、君に協力してしまうほどにね」
そして、自分のことを友人以上に思っていない咲に打ち明ければ、悩んで後ろめたい思いを抱くかもしれないと、ずっと言えなかった、とも。
そういって、離婚届に判を押した。
顎が外れるかと思うくらい、驚いた。彼の言う通りまったく気が付いていなかったから。
前世の旦那は、いいとこビジネスパートナーという認識だった。お互いにそうだろうと、思っていた。
叔父の部下だった割に、自分にずいぶん協力的だと不思議に思うことはあったが、それは無能な叔父を見限ったからだと思い込んでいたのだ。
それぐらい、他人の恋愛的な心の動きが読めなかった。
別れてから、きっと知らずに何度も彼を傷つけていたのかもしれないと、ひどく胸が痛んだものだ。
今世では、特にギディオンに対してそんな後悔はしたくない、とアミーリアは強く思っている。
だから今度は失敗しないように、できれば彼の心の内を率直に打ち明けてもらいたいと聞いてみたのだが、ギディオンは頑なに口を開こうとはしなかった。
その態度に多少の憤りは感じるが、アミーリアに対して優しすぎるくらい優しく、気をつかうギディオンの性格からいって————
もしかして、言うことで私を傷つけてしまうと思っている、とか……?
それとも、もしかしたら(自覚はないが)私の方に、なにか言いだせない問題がある、とか……?
ふいにアミーリアは思い至った。
言わないのではなく“言えない”のだとしたら、それを無理に聞き出すことは、気持ちを打ち明けてもらうのではなく、暴くことだ。
(たぶん、私たちの間には信頼とか信用とか、そういったモノがまだまだ足りないんだわ。ちゃんとお互いのことを理解できていないから、言ってもいいかどうかが分からない。ギディオンが私を信じられて、言っても大丈夫と思えたなら、きっと話してくれるはずよ)
そこはビジネスも人の気持ちも一緒だ。
焦らずに、何度でも話し合いを重ねて、少しずつ信頼を積み重ねていくしかない。
そうして、いつかギディオンと悩みでも何でも打ち明けられる、そんな間柄になれたら————
キアラがこのときのアミーリアの心を読めたなら、「(テレレレッテッテッテ~♪)アミーリアがスキル“察し”、スキル“労り”をおぼえた! レンアイレベルが1あがった!」とどこぞのゲームのように叫んでいたかもしれない。
という訳で、ギディオンの心情を察したアミーリアはこの話題はとりあえず置いといて、別の話題に切り替えることにした。
「あ、うん。そう……ないなら、じゃあいいわ。ところで、今回使った街道のことなんだけど……」
ホッとしたようにギディオンは顔を上げた。
「街道が、どうかしたか?」
「今後、西方諸国との交易が増えるのを見越して、ファーニヴァルから王都に直行する街道を確認する為に、今回敢えて使ったじゃない?」
「ああ。どうだった?」
ギディオンは身を乗り出して質問する。
アミーリアも、まだワインの残っているグラスを脇にのけて、行儀悪く両肘をテーブルについて身を乗り出す。
「相当な整備が必要な個所がところどころあったわね。あのままじゃ、荷物を載せた馬車が通るのは大変そうだわ」
「そうだな……。以前はあそこまで荒れてはいなかったのだが……」
「そこよ。きっとね、あれはわざとよ」
「どういうことだ?」
「もう、嫌がらせに決まっているじゃない!」
訳が分からないといった顔のギディオンに、アミーリアはハッキリと指摘する。
ファーニヴァルから王都の間には、クルサードの他に三つの領地がまたがっている。今回アミーリアたち一行が使った街道の他にも、各領地の領都と領都を繋いでいる大きな街道が別にある。
実を言うと各領地にしてみればそちらの方がメインの街道なのである。
ただ、そちらの街道を使うと大きく迂回する為、直行の街道を使えば馬で五日の道程が倍以上の二週間はかかることになる。だが、その街道沿いには馬の休憩所や宿屋が多く立ち並び、領地の収入源ともなっている。
とは云え、ファーニヴァルから王都を直行する街道は元々早馬などの伝令や騎士団の行軍などに使用されていた為、それぞれの領主がそれなりに管理をしていたはずなのである。
それが今回使ってみれば、メインの街道に繋がるところ以外は荒れ放題、休憩所も何か所か閉鎖されているという有様になっていた。
「……?」
やっぱりピンときていない、あまりにも善良過ぎるギディオンに、アミーリアはやれやれと思う。反面、そんなギディオンが可愛くて守ってあげたいとも思っているが。
「先の紛争でファーニヴァルを貰い、さらに直近の紛争で再び活躍し英雄の名を不動のものとした上、西方諸国との交易で利益を出し始めたクルサード侯爵————あなたを、妬んでいる貴族が結構いるってこと!」
「…………」
「近くの領地の貴族ならなおさらね! 富を独り占めしているとやっかんで嫌がらせしてるのよ! 戦争が終結したいま、あの街道を使うのなんてファーニヴァルの者くらいですもの!」
眉間の皴を深くして、ギディオンは困ったような顔になる。
ギディオンにしてみれば、富や利益のことなど考えたこともなかった。そんなものはやるべきことをやった後についてきた副産物に過ぎなかった。
ただただファーニヴァルの復興の為にひたすら邁進し、アミーリアとキアラを守る為に戦っていただけだ。
アミーリアとアーカート王国と西方諸国の為に危険を顧みず働いていただけなのに、そんな風に思われるなど、どこか釈然としない気持ちになった。
「そこでね、ひとつ提案があるのよ……」
このアミーリアの出した提案が、褒賞を街道の修繕に使うというものだ。
事前に勲章と褒賞を授与されることは通達されていた。富を独占している上、褒賞まで手にするのかと、さらに妬まれてはたまらない。
ならばその褒賞を誰も文句のつけようのないモノに使ってしまえ、という訳である。
※※※
ありがとうございました。
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