2ー② アミーリア
アミーリアは応接室の前の扉の前に辿り着くと、前世での物思いを振り払うように頭をふるりと左右に振った。
(前世の時よりも、よほどしっかりしなくては)
自分の大事なものを奪われたという点は同じであっても、置かれている状況は前世の“咲”よりも今の“アミーリア”の方がかなり悪い。
なんせスケールが違う。会社と、小国とはいえ国家では、抱える責任は段違いだ。
そのうえ、このレティス城内にアミーリアの味方となるものは誰もいなかった。咲のときは、少なくとも咲の味方をしてくれる父恩顧の重役や優秀な友がいてくれた。
亡国となって、ファーニヴァル公国の王城であるレティス城から、使用人のほとんどは逃げ去っていた。残っていた数少ない公国の家臣や使用人たちも、ファーニヴァル公国を亡国とした父と兄のせいでアミーリアを見る目は冷たい。
(ま、理由が理由だし、それも仕方ないことよ)
父と兄が生きていたら、あの二人がしでかしたことに対して一発ぶん殴ってやらねば気が済まないところであったが、もう死んでしまったのでそれは諦めるしかない。
逃げた使用人の補充にはクルサード侯爵家から連れてきた者を充てたので、やはりアミーリアにとって心を許せる相手ではなかった。
(乳母も私付きのメイドも、クルサード侯爵家の者だから信用できない)
信用どころか、恐らく監視のためにつけられているのではないかとも思っていた。特に乳母は……、いや、それはいま考えることではない。
とにかく今、アミーリアには信用できる味方——確実な情報を得られる目や耳、自分の手足となって動いてくれる部下——が喫緊で必要だった。
前世と同様に奪われたものを再び手にし、それを確実に娘へと手渡す為に。
その手始めとして、ファーニヴァルの商人を確実にアミーリアの側に引き入れなくてはならない。
例え、ギディオンにどんな魂胆があってその商人をアミーリアに近付けたとしてもだ。
それすら利用してみせる、そう心に決めていた。
「お待たせしたわね」
応接室にアミーリアが入ると、商人は立ったまま頭を低くして待ち構えていた。
アミーリアが上座のソファに座り、その膝にキアラを座らせ、乳母とメイドは扉の前で待機する。
「どうぞ座って楽にして。あら? 宝石商のレヤード……では?」
レヤードは恰幅の良い禿頭のオヤジだったはず。しかし、目の前にいるのはふさふさした金髪のどうみても若者だ。
不審に思って聞くと、アミーリアの向かいのソファに商人は姿勢よく腰を下ろし、答えた。
「はい。宝石商レヤードでございます。ただし、前回は父でしたが、今回は息子の私が参りました。本日は御息女のキアラ様にもお目通りが叶い、恐悦至極でございます」
にっこりと柔和な笑顔を浮かべた青年は、とても美しかった。
彼の繊細な面立ち、淡い金髪と明るい碧の瞳は、どことなく元婚約者であるアーカート王国王太子を彷彿とさせ……苛ついた。
ケッ、とアミーリアは心の中で盛大に毒づいた。
もう顔も見たくない男を思い出して、非常に不快になった。が、それとこれとは話が別だ。とにかく一人でも味方を作る為に、顔が気に入らなくとも愛想良くしなくてはならない。
「そうなの。代替わりでもするのかしら」
「いえ。お若く美しい侯爵夫人には、古臭い年寄りが選んだ物よりも夫人と年の近い者の感覚の方が良ろしかろうと、父から申し付かりまして。今回は私が特に厳選した品物をお持ち致しました」
レヤードはそう言って、テーブルの上に鏡と商品の入ったいくつかの箱を手早く並べていく。
「まぁ。それは楽しみね」
アミーリアがとびっきりの笑顔をみせると、レヤードはハッとしたように手が止まり、アミーリアをみつめながらその顔を真っ赤に染めた。
「……侯爵夫人、私のことはどうぞアランとお呼びください。まだレヤードの名は継いでおりませんので」
「ええ。アラン」
二人はお互いを見合いながら、にこにこにこにこと微笑んでいた。
傍目にはアミーリアがアランを気に入り、とてもご機嫌になったように見えたことだろう。乳母が思わず眉を顰めさせる程に。だがそのとき、
「ううぅぅ————」
突如、獣が唸るような声が部屋に轟いた。
アミーリアの膝の上でそれまでおとなしくしていたキアラが、アランを物凄い形相で睨みつけ、唸り声をあげた。
キアラの向ける鋭い視線にアランは思わず怯む。
「ん? キラちゃん、御機嫌悪いの?」
キアラを覗き込むように顔を寄せると、キアラは口を引き結び「ママ、ほーしぇきみるの。きれえねー」と、とてもじゃないがキレイなものを見たような顔ではない邪悪な顔つきで言う。乳母とメイドは若干引いた。
だがアミーリアにはそれでもキアラが超絶可愛くみえる。
「そうねっ。でもキラちゃん以上に輝かしいものなんてママ想像できないわ~。そんなものこの世に存在するのかしら……?」
「そ、そうですね。キアラ様に敵う宝石はないかも、しれません……」
アランは笑顔を引きつらせながらも如才なく言った。
「やっぱり、そう思う?」
「ええ。ですが、光り輝く様に美しい侯爵夫人をさらにきらめかせる……」
「ま、いいわ。早速見せて貰うわね」
鳥肌が立つようなアランの営業トークをばっさり切り、アミーリアは宝石を見始めた。
宝石を見るその目は、キアラがアランを見た時以上に鋭いものであった。宝飾品を楽し気に選ぶというよりは、熟練の職人が品物の出来を確かめるかのような厳しい目つきだ。
細工を隅々まで確認するようにじっくりと眺めては、身に付けることなく次の品物へとひとつひとつ手に取っていく。
「あ、あの……? 侯爵夫人……、試着は……」
伺うようにアランが声を掛けてもアミーリアは少しも顔を上げず、真剣に品物を見定めていた。
アランはしばらく呆然とアミーリアの様子を眺めていたが、商人としてこのままではいけないとでも思い立ったのか、恐らくお薦めの首飾りをひとつ手に取って立ち上がり、アミーリアの後ろにまわった。アランにとって成功率の高い営業手法を実行するために。
いままで、美形のアランが装身具を選び「とてもお似合いです。貴女のために誂えたようですね」と耳元で囁きながら身に付けてあげれば、大抵の女性は喜んでその品物を購入してくれたのだ。
アミーリアは手に持っている指輪を凝視していて、アランの動きに気付いていない。
アランは豪奢な首飾りをアミーリアの首に掛ける為に、首元に落ちている髪を後ろへまとめようと手を出そうとして——何かにぺちりと叩かれた。
「ぶりぇいもにょッ!」
「へっ?」
見ればソファの上でアミーリアの肩を支えに立つキアラが、アランの手の甲をはたき、子供にあるまじき凶悪な形相で睨んでいる。
アランはたじろぎ、後退った。
「ん? どうかした?」
なにやら不穏な雰囲気が流れていることに気付き、やっと顔を上げたアミーリアは訳が分からぬといった風に首を傾げた。
「いえ……。その、申し訳ございません」
そういってアランはそそくさと何もなかったかのように、首飾りを手に持ったまま元の席に戻った。キアラはその間も視線を逸らさずにアランへ睨みをきかせており、いたたまれないのかアランの目は忙し気に泳いだ。
「まぁ! アラン」
アミーリアのあげた声に、びくりとアランが姿勢を正した。
急にはしゃいだ声を出したアミーリアをキアラは怪訝そうに仰ぎ見る。
キアラの鋭くねちっこい視線から逃れられたアランはほっとしたように、アミーリアへ向き直った。
「その手に持っている首飾り、素晴らしい逸品ではないの! ちょっと見せてくださる?」
「は、はい、もちろんです。侯爵夫人、どうぞ」
うやうやしくアミーリアに首飾りを渡すと、やっとアミーリアの気に入るものがみつかったのかと、アランは安堵したように嬉し気な微笑みを浮かべた。
「こちらの品物は、本日お持ちしたものの中でも最高級の逸品です。大ぶりな宝石こそセッティングされてはいませんが、職人の技が光る細密な飾り細工とその細工を引き立たせるようなダイヤの輝きは他と一線を画した品物と言っても過言ではありません。この首飾り以上に、侯爵夫人の妖精のように愛らしく繊細な美貌を引き立たせるものは、存在しないのではないでしょうか……」
そう言って、アランはうっとりとアミーリアをみつめた。
「ほんとうに……、本物の妖精を目の前にしたような心持ちです。こんなにもはかなげで可憐な女性に出会ったのは生まれて初めて、です……」
ほぅ、とアランは思わずといったように熱い吐息をこぼすと、すぐに慌てて「も、申し訳ございません。無礼なことを申しました」と頭を下げた。
「いいのよ。そんなに褒めてもらうのは、私も生まれて初めてだわ。お世辞でも嬉しいものね」
「世辞などでは!」
ぱっと顔を上げて必死に否定する。その顔は見ているこちらの方が恥ずかしくなるほど赤く染まっていた。
にこり、とそんなアランを微笑ましそうにアミーリアは笑むと、首飾りに目を落とした。その姿をアランは悩まし気にみつめ続けた。
だが、その首飾りもアミーリアはじっくりと検分しただけで元の箱に戻し、アランは大きなため息をついた。
「侯爵夫人のお眼鏡に叶うものがなかったようで、残念です。私が未熟なばかりに……申し訳ございません」
持ち込んだ全ての品を見終わり「今日は結構よ」とアミーリアに言われたアランは、ひどく落ち込んだ様子でそう言った。
「アランのセンスが悪かった訳ではないの。私の欲しいものはもう少し普段に使えるものだっただけで、全て素晴らしい逸品ばかりだったわ。ただ、いまのところこんなに豪華な宝飾品を使う予定がないのよ」
気遣うようなアミーリアの言葉に、アランは身を縮めて頭を下げた。
現在ファーニヴァル領は戦後の復興中である。そういった時世なので、いくら侯爵夫人であろうとも派手派手しい装いや、晴れやかな場に出席することはしばらく控える、とアミーリアは言っているのだ。
「私の考えが至らず、恥じ入るばかりです」
自分の意図をすぐに理解してくれたアランに、アミーリアは嬉し気に微笑んだ。
「ところで、アラン。ちょっと伺いたいのだけれど……」
「はいっ、侯爵夫人。なんでしょうか? なんでもこのアランにお聞きください!」
今日の失態を挽回するべく、身を乗り出さんばかりの勢いだ。
アミーリアは困ったような笑みを浮かべて、少し躊躇うように質問した。
「その……、私は城から全く出ないので詳しくは分からないのだけれど……、最近はゲートスケル皇国の人間がファーニヴァルに簡単に出入りできるようになったでしょう? ……大丈夫なのかしら」
「はい……」
アランはきょとんと拍子抜けした顔で、アミーリアが何を言いたいのかイマイチわからない様子だ。
「……困っていることや、問題があるのではなくて?」
小首を傾げてアランはしばし考えていたが、「特にないと思います」と答えた。
その答えを聞いてアミーリアはほっとしたように「そう、安心したわ」と微笑んだ。
「では……次は普段使いのものを……いえ、そうだわ! この素晴らしい首飾り、このレベルのものって他にもないものかしら。こういった逸品を一組でいいからパリュールで持ちたいわ。贅沢をするつもりはないけれど、ひとつくらいは侯爵夫人として相応しいものが欲しいの……」
そう言うと、上目遣いでアミーリアはアランを見た。
その甘えるような視線は、おねだりするようにも、無理難題を口実に何度も来て欲しいと誘っているようにも、アランには感じられた。
「は、はい! 探してみます。実をいうと、ちょっと心当たりがあるのです」
「まぁ……。こんな逸品を他にも。アランはほんとうに優秀な商人なのね」
嬉しそうに微笑むアミーリアに、アランは必ず探し出して近いうちに再度訪問しますと約束した。
「次回あなたが持ってくるものを、楽しみにしているわね。お待ちしていますわ」
アミーリアにそう声を掛けられたアランは頬を紅潮させて大きく頷くと、その日持ってきた宝飾品を全て鞄に仕舞って応接室を退室していった。
その後すぐに、アミーリアとアランのやりとりをずっと何か言いたげに見守っていた乳母が「申し訳ございません。少し席を外します」と言って、続けて応接室から出て行った。
それをアミーリアは冷めた顔で見送る。
(侯爵にまた御注進かしらね。まったく、わざわざ愛人を送り込まなくったっていいじゃない……)
そんなことを思いながら。
そしてその冷徹な顔のまま、アミーリアは残っていたメイドを呼びつけた。
「さて、レア。ちょっとお願いがあるのよ」
戸惑うような表情を浮かべながらメイドのレアが側に近づいてくる。
「お願いはふたつあるわ」
「はい」
「ひとつはね、急ぎよ。いますぐ、宝石商のアランに誰かを付けて監視して。ついでに身辺を調べてちょうだい」
一瞬、レアは瞠目したが「はい」と素直に頷く。
「そしてもうひとつは、侯爵様にお話があると伝えて。……これはいつでもいいわ」
レアは再び瞠目したが、黙って頭を下げると応接室を急ぎ出ていった。
ありがとうございました。
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