26ー③ キアラ
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アミーリアとシルヴェスター王子の婚約決定後しばらくして————
自国の資源枯渇を知って、これからアーカート王国にどう対応すべきかを悩むファーニヴァル大公の元に、ゲートスケル皇国の密使がひそかに訪れていた。
その訪問は一度きりではなく、秘密裏に何度も交渉は重ねられ、次第に大公の心を掴み始めていた。
アーカート王国に娘のアミーリアを差し出す以前から、ゲートスケル皇国はファーニヴァル大公に接触を図ってはいたが、当時はアーカート王国の庇護の下で独立を維持すること以上のうまみを大公は感じていなかった。
だが資源枯渇の状況となったその不安の隙を狙ったかのように、ゲートスケルの皇帝は『ファーニヴァルの領土と引き換えに、ゲートスケル皇国の公爵位とそれに伴う広大な領地を安堵する』という条件を提示してきたのだ。
大公の心は、いずれ富を生み出さなくなるファーニヴァルなどさっさと捨てて、ゲートスケルで安穏と裕福に暮らす方がひどく魅力的に感じられ、大きく揺らいでいた。
しかし宰相だけは強硬に反対し、アーカート王国に庇護を求め続けることをあくまでも進言してくる。
そんなこともあり、ゲートスケルの提案に心は大いに傾きつつも、優柔不断な大公はアーカート王国とゲートスケル皇国のどちらを選ぶか、いつまでも決めあぐねていた。
ゲートスケルの条件は確かに魅力的だが、アミーリアが王子妃、いずれは王妃になれば、逆に大国アーカートをうまく手玉に取れるやもしれぬ、などという目論見も多少なりともあったからだ。
そんな大公の煮え切らぬ態度に業を煮やしたゲートスケル皇国は、アミーリアとシルヴェスター王子の婚姻まであと半年と近づいたある日、突如ファーニヴァルへと攻め入った。
二人が婚姻し、ファーニヴァルが完全にアーカート王国の庇護下に入った後では、手に入れるのは困難になると考えたのだろう。
そもそもアーカート王は、紛争の始まるずいぶん前から王家の密偵やファーニヴァル宰相からの情報により、こういった公国内部の動きを全て把握していた。
ファーニヴァルの鉱物資源が枯渇したらしいことも、そのためファーニヴァル大公が娘をアーカート王国に差し出しながらもいまだ迷い、同時期にゲートスケル皇国とも通じて自らの保身と利を求め、両国を天秤にかけていることも。
そしてその行為は、ひそかにアーカート王の怒りを買っていた。
「己の身も己で守れぬ小国の王風情がいい気になりおって! 宗主を天秤にかけようなどと、片腹痛いわ! まったく忌々しい」
ファーニヴァル大公という男は目先の利益しか見えぬ愚か者だと、以前からアーカート王は馬鹿にしていたが、よもやアーカートという歴史ある大国とゲートスケルなどというぽっと出の新興国を同列に並べて比べた上に、保身の為に自国を売る算段までしていると聞けば、愚鈍も極まれりと、憤懣やるかたない。
あの男は、己の持っているモノの真価を全く理解していない。
ファーニヴァルはたとえ鉱物資源が枯渇しようとも、歴史と伝統に裏付けられ卓越した技能を持つ職人集団や、有能な大商人たちの所属するギルドを多く抱える人材の宝庫だ。そして、豊かな穀倉地帯をも国土に有している。
そのうえ、オラシア大陸の中心部という地の利から、いまや大陸流通の拠点となりつつあるのだ。
娘のアミーリアの方がよほどその点を理解しており、王子の婚約者となる以前から、王宮で出会った国内外の要人と多くの繋がりを持ち、ファーニヴァルの未来を見据えた行動をとっていた。
王子妃候補——と云う華やかな名のアーカート王国の人質——となった立場を、尤も有用に使っていたのがアミーリアであった。
アーカート王はその怜悧さに一目置き、アミーリアをシルヴェスター王子の婚約者に決めた。
いずれアミーリアのファーニヴァル公女という肩書や血統を使って彼の国を手に入れたいという目論見も、勿論あるにはあったが。
元々ファーニヴァルは、アーカート王国の領土だったのだ。
それをファーニヴァル初代大公——五百年程前のアーカート王国第一王子——は、自ら継承権を放棄してファーニヴァルの地へ移り住むと、またたく間に発展させて公国として独立するに至った。
出奔当時は腰抜けの馬鹿な王子と言われたらしいが、もしかするとファーニヴァルが大陸の重要拠点として繁栄することを見越していたのではないかと、いまでは疑うくらいだ。
だが、そんな先祖の功績もわからぬ愚鈍な子孫が、易々と手放そうというのなら、誰かに盗られる前に同じ血脈の自分が取り返して、何が悪いと云うのだ?
アーカート王は、目の前に用意されている御馳走を美味しくいただくことに、躊躇は全くなかった。
————こうして、ファーニヴァル公国とアーカート王国、そしてゲートスケル皇国の三つ巴の駆け引きと陰謀が、水面下で繰り広げられることになった。
この三カ国による暗躍劇は、ゲートスケル皇国のファーニヴァル公国侵攻——王国か皇国か、どちらに付くかはっきりしないファーニヴァル大公に焦れた皇国がファーニヴァル公女とアーカート王国王太子の婚姻前に決着を付けようとファーニヴァルへ攻め入ったこと——によって表舞台にあがり、事態は大きく動き始めた。
突然の武力行使に驚き慌てたファーニヴァル大公は、ゲートスケル皇国の強大な戦力を目の当たりにして、そちらへ寝返る方へと大きく天秤が傾いた。
とはいえ、いきなり攻め込んできた皇国にすぐ寝返るのは、無駄に矜持ばかり高い大公にしてみれば腹に据えかねた。そこで少しばかり抗戦してみせたところ、あろうことか公都まで攻め入られる事態になってしまったのだ。
そうなってみると皇国の勢いが恐ろしくなった大公は、とにかくファーニヴァルからゲートスケル軍を排除したいと、アーカート王国に泣きついて救援要請を願い出た。
大公の救援要請を受け、すぐさまクルサード侯爵が騎士団を率いて駆け付けてくれたが、戦の情勢は一進一退の攻防を繰り返し、状況は思っていたよりも良くはならなかった。
それもそのはずで、その救援は実のところ、この機会にファーニヴァルを再び手中に入れんとするアーカート王の密命を帯びていたからだ。
アーカート王の密命に従い、クルサード侯爵は援軍と見せかけながら戦力を調整し、ファーニヴァルに苦戦を強いた。
とうとう落城寸前にまで陥り、追い詰められた大公は、思ったように助けてくれないアーカート王国を完全に見限った。もはやゲートスケル皇国に寝返るしかない、とアーカート王の狙い通りの決断を下した。
アーカート王は、わざとファーニヴァル大公にゲートスケル皇国へ寝返らせ、両国が手を結んだと判明した時点でファーニヴァル公国を背信国として攻略し、制圧する腹づもりであった。
しかしアーカート王の思惑をよそに、ゲートスケル皇国に寝返ると決めた大公は、気の早いことに終戦後の自分の立場がにわかに気になり始めていた。
ゲートスケル皇帝が見返りを約束していたとしても、すでに攻め入られた後では敗戦国の王という汚名を着ることになってしまう。もしかすると以前と同じ見返りは用意されないかもしれない。
そうなると皇国での自分の立場が非常に危うくなるのは目に見えている。
待遇を少しでも良くするために、ファーニヴァルの宝石を皇帝に贈ってはみたが、あれだけでは足りないのではないか……。もっと他に、何某かの手土産が必要なのではないか……。
そう悩んでいたファーニヴァル大公は、いいことを思い付いた。
クルサード侯爵の首と領地を持参すれば、いずれアーカート王国にも触手を伸ばすつもりであろうゲートスケル皇国には最上の手土産となるはずだ。
なにより、ゲートスケル軍の侵攻をいつまでも退けられなかった、あの役立たずを亡き者にできれば、少しは留飲も下がるというものだ————
ファーニヴァル大公は自らの失策と力不足を棚に上げて、自分を窮地に追い込んだクルサード侯爵を恨んでいた。
とはいっても、大公だけでは計画すら覚束ない。
ならば、これから友好国になるゲートスケル皇国を使えばいいのだと大公は安直に考え、ゲートスケル皇国と約定を交わす前に、密偵を自らの懐に招き入れるという愚挙を犯した。
こうして大公は、無自覚のうちに皇国の意のままに動く操り人形と化していった。
勿論こんな状況もすべて、宰相によってアーカート王へと逐一報告されていた————
ファーニヴァル大公はゲートスケル皇国とは秘密裏に手を結んだ(つもりだった)ので、表向きは依然アーカート王国を頼っているように見せかけていた。
ファーニヴァル大公の策に乗ったゲートスケル皇国の密偵は、「ファーニヴァルはゲートスケル皇国に下る決断をした。皇国の使者が内密にレティス城を訪れ、密約を結ぶつもりだ」と云う情報をわざと流して、クルサード侯爵に掴ませた。
そうすればきっとクルサード侯爵は大公を説得し、決断を阻止する為に、何が何でもレティス城までやってくるはずだ。
その会談の日に合わせてゲートスケル軍は、クルサード騎士団が通るであろう街道や公都周辺に兵を潜ませて、待ち伏せる手筈を入念に整えた。
大公の邪な思惑はゲートスケル皇国にしてみれば願ったり叶ったり。
うまくいけば、王国西部の守りの要であるクルサード侯爵を弑し、ファーニヴァル公国のみならずクルサード領まで奪える絶好の機会だ。
しかしクルサード侯爵の方も、その情報が罠だということは事前に(宰相から)入手していたので、逆にそれを利用して、大公と皇国の密使を現場で捕える計画を立てていた。
現場を押さえ、尚且つゲートスケルの使者を捉えることができれば、無駄に戦を起こさずとも交渉次第でファーニヴァルが手に入るやもしれぬ、アーカート王はそう考えた。
そこでクルサード侯爵は、待ち伏せされている街道を避けて少数精鋭でレティス城まで辿り着くと、先代からひそかに教えられていた隠し通路を使って城内に忍び込み、密約の行われている部屋へと乗り込んだ。
この“隠し通路”を使ったことが、悲劇の引き金となった。
隠し通路から突然現れたクルサード侯爵を見て、ゲートスケルの使者は罠に嵌めたつもりが、自分達が罠に嵌められたのだと思い込んだ。
会談の場に居た大公と大公子を「裏切り者め!」といきなり殺害すると、使者はその場から遁走した。
やにわに大公たちが殺害されたことに動揺したのか、居合わせた三か国の騎士たちは城内の狭い部屋の中で、突如敵味方も分からぬほどの乱戦状態に陥った。
クルサード侯爵が逃げた使者と護衛を追いかけたが、使者を生け捕りにしようとした為か後れをとり、護衛の決死の反撃によって返り討ちにされた。
使者と護衛は、クルサード侯爵に重傷を負わされながらもレティス城から脱出を試みたが、宰相によって捕えられ、その傷が原因でまもなく死亡した。
こうして、密談の場は双方生き残った者がほとんどいないと云う惨憺たる有様となったのである。
その日、街道と公都周辺に潜んでいたゲートスケル軍とそれを捕えようとファーニヴァル入りしたクルサード騎士団が衝突し戦闘となったが、指揮官たる侯爵を失い精彩を欠いたクルサード騎士団は多くの騎士を犠牲にして敗北を喫し、一時ファーニヴァルの公都をゲートスケル軍に占拠されるに至った————
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