26ー② キアラ
「パパッ‼」
キアラは自分を抱っこしているアミーリアの肩越しにギディオンに向けて大声で叫んだ。
耳元で叫ばれて、アミーリアは飛び上がるように驚き、扉の前で思わず足を止めた。ギディオンも何事かと目を丸くして顔だけキアラの方へ向ける。
「パパはじゅっとまえからママのことがしゅきなくせに、なんでしょんなたいどをとるの⁉」
ギディオンは丸くしていた目を皿のように大きくしながら、ゼンマイ仕掛けの人形のようにギチギチしたぎごちない動きで振り返り、「き、キア……?」と口をぱくぱくさせた。
「ママもパパのことがしゅきなら、ハッキリしょういえばいいっ!」
アミーリアも何かオソロシイモノを見たかのような目を、キアラへ向けた。
「もうね、ふたりがりょうかたおもいこじらしぇて、おたがいバカみたいにきじゅかって、えんりょちて、ごかいちあって、いじけているのをみるのは、みんなとうにアキアキちてるのっ! ほんっと、おとなげないんだからっ! いいかげん、ふたりでどーにかちてよっ!」
ここまで一気にまくしたてると、キアラはやり切ったとばかりにブフーッと大きく鼻息を吹き出した。
(あー、やっと言ってやった! スッキリしたぁ! って……あれっ?)
「………………」
「………………」
「………………」
気付けば、妙な沈黙が執務室を支配していた。
アナベルとブランドンの顔からは能面のように表情が抜け落ちており、レオンは訳がわからないながらも賢明にお口チャックで気配を消している。
ギディオンとアミーリアは、異様な緊張感をもってお互いを探るように見つめ合っていた。
その顔は二人とも、茹蛸か鬼のお面か赤唐辛子か、というくらい真っ赤になっている。
ギディオンの喉仏が唾をうまく飲み込めないのか、何度も上下を繰り返していた。
アミーリアのキアラを抱っこする腕がじわじわと締まってきて、キアラは窒息死の可能性を感じ始めた。
「……キアラの、言ったこと……ほんとう……?」
上擦った声でアミーリアが確認すると、ギディオンは赤くなった顔を隠すように大きな手で口を覆い、そのまま俯いてしまった。
その顔は、眉間の皺が深く寄ったいつもと同じ顰め面のはずなのに、思春期の少年の様に妙な可愛げに満ちている。
(ウソでしょ、もしかしてテレてるの……⁉)
(あ、あのギディオン様がテレてる、だと……?)
(テレてるギディオン……なんてカワイイのッ……!)
ちなみに心の声は最初がアナベル、二番目がブランドン、最後は当然アミーリアである。
「わ、私、も…………」
ギディオンがハッとしたように顔を上げた。その顔には驚き以外に、信じられないとでも云うような困惑の感情が見え隠れし、探るような視線でアミーリアを凝視した。そして、おぼつかない足取りで一歩、また一歩とアミーリアの方へと引き寄せられるように向かっていく。
ギディオンが近づくにつれて、アミーリアの鼓動は次第に激しくなっていく。それがキアラの体にも太鼓の如く大きく響いて、緊張と期待が高まっているのが直に伝わってくる。
腕の締め付けが緩み、窒息死を回避できてホッとしたのも束の間、今度はキアラで赤くなった顔を隠そうとでもいうのか、アミーリアはキアラの胸に顔をぐいぐい押し付けてきた。今度は胸部圧迫死の可能性が浮上だ。
助けを求めて首を回すと、アナベルたち三人は静かに扉へと移動し、音もなく部屋から出ていくところだった。
キアラは慌てて(置いてかないでぇ)と口パクしたが、無情にもキアラを残したまま扉は閉められた。
その間に、ギディオンとアミーリアはお互い手を伸ばせば届くほどの距離にまで近づき、気付けば対峙して見つめ合っていた。
アミーリアの動悸は煩いほどに早く大きくなっている。
キアラも、自分の頭越しにキスでもされようものならどうしたらいいのかと、いやな動悸が高まった。
「……アミーリア様、貴女は、俺のことを、……恨んではいないのか……?」
「えっ?」
アミーリアがなんとなく期待していた言葉とは違っていて、少し肩透かしを食った気にはなったが、「もちろん。恨んだことなんて一度もないわ」と素直に答えた。
「だが……、貴女は知ったはずだ。俺の父が……先代クルサード侯爵が、ファーニヴァル大公と大公子を欺き、陥れたのだと……。だから、俺は、貴女が冷静になれば、さらに恨まれて、もっと嫌われるのだと思って……きっと俺の顔など見たくは……っ」
ギディオンは全てを言い終えないまま、苦し気な様子で顔を背けてしまった。
(やっぱり……!)
レイの話を聞いた時に、暴露された先代クルサード侯爵の裏切りのことでギディオンはさらに引け目を感じて、再びアミーリアに対して及び腰になるのでは、とキアラは危惧していた。……しては、いたが……。
(さっきお互いの気持ちを確認したよね⁉ なのに、どうしてそうなる⁉)
ギディオンの安定(?)のヘタレ具合にキアラのイライラは再燃し始めた。
「やはりレイの言っていたことは……、ファーニヴァル亡国の裏にアーカート側の策略があったと云うのは、真実なのね? シルヴェスター王子は、父が——ファーニヴァル大公が王国を裏切ったからだと、さも自業自得のように言っていたけれど……」
ギディオンは顔を背けたまま、絞り出すように「すまない……」と呟いた。
(ちょっと、なんでパパがクズ王子の代わりに謝るの? そこはちゃんと説明すればいいだけでしょ!)
ギディオンが(無自覚に)燃料を投下するせいで、キアラのイライラの炎はどんどん燃え広がっている。
「知っていて、黙っていたの?」
「………………」
アミーリアの少し非難めいた口調に、ギディオンは肩を落とし、いつものように眉間に皺を寄せて、だんまりと口を閉じてしまった。
「どうしてなにも言わないの? それは肯定ということなの? 言い訳すらできないの?」
さらに苦悩するようにギディオンの眉間の皴は深くなり、依然口も閉じたままだ。
「……ギディオン様?」
(パパ!)
長い沈黙に耐えられなくなったアミーリアが問い掛けても、まだ口を開こうとしない。
アミーリアが諦めたように、寂し気なため息をついたところで————キアラのイライラはぼうぼうと燃え盛る業火となり————再び、キレた。
「パパッ!」
アミーリアとギディオンは跳ねるようにビクリとして、共にキアラを見た。
キアラはアミーリアに自分をソファへ下ろすように促し、おもむろにギディオンの方へ向き直る。そして腰に両手をあててギディオンを見上げると、もう一度「パパ!」と声を掛けた。
キアラの背後に、まるで不動明王の火炎光背のような逆巻く炎のまぼろしが見えて、ギディオンは我知らず気を付けの体勢をとり「はい!」と反射的に返事をした。
「パパが、いつでもママを傷つけたくない、守りたい、って思っているのは分かる。でもね、ママはそんなに弱くない! そりゃあ、お姫様育ちなのは認めるし、このはかなげな外見だからそう思うのもしょうがないけど、心はパパより全然強いんだから! それこそ鍛えた鋼並みに! ママは何を言われても少々のことではへこたれないし、傷つかない。それに何を聞いたって、一方的にパパが悪いなんて絶対に決めつけない! ママほど公正に物事を捉えられる人はいない! なんせファーニヴァル大公のことをママは諸悪の根源だと思っているくらいなの! だから、パパの知っていること、思っていること、何でもママに話して大丈夫! 敢えてもう一回言うけど、ママの精神は鋼鉄並みだから、全く、問・題・ないっ!」
ギディオンがアミーリアをちらりと見ると、アミーリアは(キアラを睨んだ後、若干不本意そうに)その通りだと言うように大きく頷いた。
だが、逡巡するように瞳を巡らせながらも、ギディオンの眉間の皴と口はそれでも固く結ばれて、しぶとく解放されなかった。
その様子に、すでに箍の外れているキアラは「ちっ」と舌打ちすると、舌鋒を鋭くして追い打ちをかけた。
「なにを気にしているのかは知らないけど、隠して何も言わずにいることは、むしろ全然ママの為にならないんだから! パパの気遣いは度が過ぎて、逆に全く伝わってないの! いままでだって、そのせいでママはヘンな考えに陥って、すれ違っていたのを忘れた? 結局お互い傷ついただけだったじゃない! 自分ひとりで抱え込んで、それで勝手にママを守れていると思うのは、パパの傲慢で独りよがりな考えだよ。黙っていることは、美徳でも優しさでもない。何も知らされずにいて、いままでママが安心していたとでも思った? おかげさまで、ママはパパのことを理解できずに、ずっと悩んで、不安で、孤独だった! 真実を隠したいのは、ママを傷つけたくないんじゃなくて、本当は全てを知ったママに嫌われたくないとか、自分自身が傷つくのを怖がっているだけなんじゃないの? それじゃ、パパはただの小心者だよ‼」
キアラの言葉にギディオンは一瞬傷ついたような顔をした後、悔やむようにくしゃりと前髪を乱暴な仕草で掻きむしった。
(あっ……。ちょっと言い過ぎちゃった……?)
キアラの容赦のない口撃にアミーリアは視線で注意すると、取りなすように優しい声音で「私は、レイでもシルヴェスター王子でもない、あなたの話を聞きたいのよ」と言いながら、項垂れるギディオンをソファに座るよう導いた。ギディオンは呆けたようにストンとソファに座る。
その隣に腰を下ろしたアミーリアは「あなたの目から見た、話しを聞かせて頂戴? ……私が、公平に判断出来る様に」と真剣な表情で、再度懇願した。
「君に……知られたくなかったんだ……」
ひどく落ち込んだ様子のギディオンがぼそりと呟くのを、アミーリアとキアラは(まだ言うか)と少々モヤッとしたものの、ここは黙ってギディオンが口を開くのを待った。
しばらくして、ギディオンは覚悟を決めたのかぎゅっと拳を強く握りしめると、大きく息をついた。
そして、ずっと自分の心の内に秘めておくつもりだったことを、ぽつりぽつりと語り始めた。
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