24 ブランドン
その日、アミーリアとキアラがようやく眠りについた頃、ギディオンの執務室では————
「ブランドン、明日これを研ぎに出しておいてくれないか」
ギディオンがそう言いながら、背中の剣帯から短刀をはずしてブランドンに手渡した。
ブランドンはその短刀を受け取ると、「はい。いつものところでいいですね」と確認する。
ギディオンは黙って頷き「先に休ませてもらうが、ブランドンも今日は疲れただろう。お前もすぐに休んでくれ」と、ブランドンを労ってから自室に戻っていった。
ギディオンを見送った後、ブランドンは執務室の次の間にある補佐官室に移動して、自分の執務机の上へ丁寧に短刀を置いた。
少しだけ書類の片付けをしようと思って席に着き、机の上へ置いた短刀にふと目が留まった。
手に取って、すらりと鞘から抜いてその刀身を眺めた。
人ひとりの首を刎ねたようだが、まったく刃毀れはみられない。鏡のように磨かれた美しい刀身のままだ。
短剣というには少し長く、長剣よりだいぶ短いそれは、知る人ぞ知るファーニヴァルの“幻の剣”とも呼ばれる業物であった。
拵えは、実にシンプルで飾り気のない実用的な短刀にみえるが、恐ろしいほどの切れ味の刃をもつ。だが両刃ではなく、なぜか片刃で鍛えられているため、うまく使いこなせる者は少ない。
ギディオンはその数少ない者のひとりであった。
この短刀を手に入れてから、ギディオンは使いこなす為に相当な鍛錬を長いこと重ねてきた。
だが、実際に使ったのは今回が初めてだ。
戦場で大剣が使い物にならなくなった時でも、自分の為には一度たりとも鞘から抜いたことはなかった。お守りのようにいつでもギディオンの背にあったというのに。
(この剣は、アミーリア様を守るためだけに……)
ギディオンの純情にブランドンは思わずくすりと微笑むと、短刀を鞘におさめた。
この短刀は、アミーリアから贈られたものであった。
かれこれ四~五年くらい前だったろうか。ゲートスケル皇国の西方諸国への侵略が激しさを増し、西方地域は各地でゲートスケル軍と衝突し、大小関わらず戦が頻繁に起こっていた頃だ。
アーカート王国に隣接する多くの小国がゲートスケル皇国に敗北し隷属していく中、まだ抵抗を続ける国々はアーカート王国に救援を求めた。王国はその要請に応じ、ギディオンの所属する西方騎士団を派遣した。
そのときの数々の戦で、ギディオンの指揮する部隊はほとんど無敗を誇り、いくつもの西方諸国をゲートスケルの侵略から守り通した。
ギディオンはその功績を認められ、西方騎士団に移ってからわずか三年ほどだったが、西方将軍に任じられた。
その叙任の際に王都へ戻った時、アミーリアから贈られたのがこの短刀であった。
当時西方騎士団に所属しギディオンの副官だったブランドンも王都に同行していたので、ギディオンが短刀を受け取ったときのことをよく覚えている。
西方将軍の叙任式が無事終了し帰り支度をしていると、アミーリアの侍女が西方騎士団の詰所を訪ねて来た。
「ファーニヴァル公女アミーリア様が、ファーニヴァルを含む西方諸国を身を挺して守り抜いてくださったギディオン・クルサード将軍へ、感謝と敬意を表してこちらを献上したい、とのことです」
侍女はアミーリアの伝言と共に短刀を置いていった。
最初、その短刀を見たブランドンは(なんだ。王太子の婚約者ともあろうお方がずいぶんショボいものをよこしたもんだな)などと、ちょっと失礼なことを思った。
それぐらい見た目はなんてことのない短刀だったのだ。
だが、ギディオンにはひと目で“幻の剣”だとわかったのだろう。言葉もなく震えたギディオンをブランドンは怪訝な目でみた。
ブランドンは帰り支度を続けるために、ギディオンの執務室から一旦出たのだが、確認事項があることを思い出し、すぐに取って返した。
「ギディオンさ……」
うっかりノックもなしに扉を開けたが、一瞬目にした光景に慌てて扉を閉めた。
(ミテハナラヌモノヲ、ミテシマッタ……)
ブランドンが見てしまったもの。
それは、ギディオンがアミーリアから贈られた短刀をまるで神から賜ったもののように両手に掲げ、恭しく口づけを捧げているところであった————
あの、いつも顰め面の堅物が、あんなとろけるように嬉しそうな表情をして……!
そうしてブランドンは、このとき気付いてしまった。
ギディオンがエリート中のエリートである近衛騎士団から西方騎士団に移ってきたとき、名門侯爵家の嫡男が何を好き好んでわざわざこんな田舎にきたのかと、騎士団中で話題になった。
『きっと不祥事でも起こして、その禊なんだろうよ』
『なんかヘマして左遷されたんだろ?』
こんなふうに、大方の者は本人に問題があり、不承不承で西方騎士団に移ってきたに違いないと噂した。
だが、ギディオンは自らの行動をもってそんな噂を払拭した。
西方騎士団とは、ゲートスケル皇国が侵略を始める前はさびれた辺境の国境警備、いわば見回りしかすることのない騎士団として、人気もなく、男爵・子爵クラスの次男や三男坊が仕方なしに士官するようなところだった。
ゲートスケル皇国による西方諸国への侵略が始まっても、ある程度の人員補充はあったものの、やはりまだ対岸の火事という気持ちでいる者が多く、たるんだ雰囲気は相変わらずであった。
そんなところへ、ギディオンはやってきた。
ギディオンはすぐに騎士団の弛みに弛んでいた綱紀を正し、同じく辺境を守るクルサード騎士団のノウハウを惜しみなく団員に教え込んだ。
そして『これから起こるであろう戦に備えなければならない。生き残りたくば、励め!』と団員たちを厳しく叱咤し、鍛錬を課した。
最初こそ反発もあり従わないものもいたが、西方諸国の救援要請に王国が応じて遠征が始まり、実際に実戦を経験すると、団員の意識はすっかり変わった。
団員たちは、生き残るため、勝利するために、ギディオンの指示に従うようになっていった。
ギディオンの戦場での鬼神のような戦いぶりと統率者としての度量と技量に、皆一様に心酔したのだ。
かく言うブランドンも反発していた者の一人であったが、ついにはギディオンが騎士団を辞め領地に戻るといったときに一緒についてきてしまった口だ。
こうして、本人に問題などなかったことをその身で示したギディオンではあったが、どうして西方騎士団を志願したのか知るものは、誰もいなかった。
それが、いまブランドンには分かってしまった。
王太子であるシルヴェスター王子の婚約者にしてファーニヴァル公国の公女、アミーリア様の為だったのだ。
きっと彼女の故国であるファーニヴァルを影ながら守りたかったに違いない。その報われぬ恋情を隠しながら……。
ギディオンの秘め事をうっかり悟ってしまったブランドンだったが、その時は一生黙って墓場まで持っていく覚悟でいた————のだが、どういった運命の悪戯か、ギディオンとアミーリアは王命によって夫婦となった。
他人事ながら、こんな奇跡があるのかと、ブランドンはひとり狂喜乱舞した。しかし、二人の仲はお世辞にも良好と言える状態にはならなかった。
どういう訳かギディオンがアミーリアを前にすると、様子がいつになくおかしくなるのだ。
それとなく注意を促したり、差し出がましいと思いつつも仲良くなれるようアドバイスもしたのだが、一向にギディオンの態度は改まらない。
当然二人の仲は険悪になる一方で、ギディオンの恋心を知るブランドンとしてはヤキモキし、密かに心を痛めていた。
だが、今日の二人の様子をみるに、なにか進展があったことは間違いない。
これでやっと肩の荷が下りたような、ホッとしたような……そんな心持ちだった。
ブランドンは短刀を柔らかな布にくるんで大事に仕舞うと、書類の片付けはもう明日でいいかと独り言ち、やれやれと肩を揉みながら補佐官室を後にした。
ありがとうございました。
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