23ー② キアラ
「…ちゃん、キラちゃん?」
「あ、なに? ママ」
思っていたより考え込んでいたようで、顔を上げるとキアラを覗き込むアミーリアの心配顔が目の前にあった。
「なにじゃないわよ。急にぼーっと考え込んで。どうしたの? 具合でも悪い?」
「ううん。ごめん。なんでもないの。ママが平気なら、続けるね」
そう言って、キアラは城門前広場での騒ぎに乗じて行われたアミーリア誘拐の裏で、リサの略取が行われていたことも話す。
「なんてこと。キラちゃんの代わりにリサちゃんが……? メアリは大丈夫なのかしら……」
「あ! そうだ。ママが城に戻ってくる少し前に、メアリさんが見つかったって連絡が入ったよ。ゲートスケル方面に向かった馬車のひとつに乗せられていたって。どうやら元旦那さんが家族でゲートスケルに逃げるつもりだったみたい。たぶん、攫われたママがゲートスケルに向かったように見せかける囮として使われたんじゃないかな。あ、メアリさんは怪我もなく無事だって聞いたから、安心して」
アミーリアは「よかった……」と言いながらホッとしたように大きく息をついた。
「どうもね、その元旦那さんが、メアリさんに私を攫ってくるように言ったらしいよ」
「何を馬鹿な。メアリがそんなことする訳ないじゃない」
「だよね。しかも捕まった後の事情聴取で『メアリは俺の言うことならなんでも聞いたのに、逆らうようになったのはあの女のせいだ!』ってほざいてたらしいよ。なんかうっすらモラハラ臭……」
「あ……! そうか。だから帰る時、様子が変だったのね!」
広場での騒ぎが起こる前にメアリが暇を告げにきた時、メアリの顔色が異常に悪く、何か言いたげだったことをアミーリアは思い出した。
いくらアミーリアと仕事で密接に関わっていたとしても、常に護衛を付けられているキアラを連れ出すなど不可能に近い。元夫に何を言われていたかは分からないが、メアリもどうしたら良いのか困っていたに違いない。
「あの時、もう少し追及していれば……」
「きっとメアリさんはママに迷惑かけたくなかったんだよ」
キアラに取りなすように言われて、アミーリアは「私もまだまだだわ……」と頭をガクリと落としてため息をついた。
「まぁまぁ、メアリさんもリサちゃんも無事だったし、なによりメアリさんのおかげで私は誘拐されずに済んだんだから……」
そこで、アミーリアは何かを思い出したのか、厳しい顔つきをして顔を上げた。
「そうだ、誘拐といえば! レヤード、いえ、私を攫ったレイが、今回の誘拐には優先順位があると言っていたのよ! 誰とは言わなかったけれど私よりも優先上位がいるって。そのうえ、指示したヤツは『私を始末しろ』と命令したって。だから私、優先上位者はキラちゃんで、そんな命令が出るってことは、すでにキラちゃんは誘拐されているんだと、すっかり思い込んで……」
アミーリアは言いながら思い出したように涙ぐみ、ホントに無事でよかった! と再びキアラを強く抱きしめた。
キアラは宥めるようにアミーリアの腕をぽんぽんと叩いてから体を離し、少し考えてから口を開いた。
「確かにその流れだと、ママがそう思い込むのは当然だと思う。だけど、おかしいね……。その『ママを始末しろ』って命令は時間的に私の、というかリサちゃんの誘拐より前に出されているんじゃないかな……?」
「……どういうこと?」
「だって、ママの誘拐とリサちゃんの誘拐はだいたい同じくらいに起こっているはずだよ。だとしたら、リサちゃんの誘拐後は、すでにレイはママを連れて逃げているんだから、命令を受け取るのは無理でしょ?」
「それもそうね……」
「それにパパが言っていたけど、誘拐の主犯であるファーニヴァルの元宰相がゲートスケルの密偵と通じているのをパパは事前に察知していて、ずっと前から監視していたんだって。それで、私と間違えて略取されたリサちゃんはすぐに救出されているの。だからそもそも、誘拐が失敗して捕まっているのに、ママを始末しろなんて命令は出せないと思う」
「そう、なんだ…………ぅん⁉ 元宰相ですって⁉」
「うん。私の誘拐を画策してたのは、どうやらファーニヴァルの元宰相らしいよ」
急に脈絡なく出てきた“元宰相”に、アミーリアは目を剥いて驚いた。
キアラ自身も、どうしてファーニヴァルの旧臣が自分を略取しようなどという暴挙に出たのか、理由を知りたかった。
小説とは違い、アーカートの領土となったもののファーニヴァルの名は残り、領民も虐げられてはいない。いまここで独立の為に蜂起したところで誰も喜ばないし、賛同も得られないはずだ。
だがアミーリアは「そうか、元宰相……か……」と呟くと、急に考え込むようにして黙り込んだ。
アミーリアのその様子はどうも、ないことではないと言っているように見える。しかし、その説明をするつもりはないようで、口を噤んだままである。
苛ついたキアラは、とうとうずっと気になっていたことを切り出すことにした。
「ねぇ、ママ。ママがなにか前大公やファーニヴァルのことで、私に知られないようにしていることがあるのは、気が付いてるよ。もういいから、全部教えてよ! 却って知らないでいる方が、今日みたいに危険を招くことになるんじゃないの⁈」
アミーリアは苦々しい表情のまま小さく頷き、「……そうね。レイに関することも……この話を避けては説明できないか……」と独り言ちた。
アミーリアは思い悩むように眉宇を寄せた後、キアラと目を合わせた。
その瞳は昏く澱んでいて、アミーリアの隠し事には相当な闇があることを伺わせた。
「キラちゃん。ママ、言わないでおけるものなら、ずっとキラちゃんには知らないままで居て欲しかった。祖父と伯父がマジでサイテーな人間で、ファーニヴァル亡国の諸悪の根源だなんて……。本当に胸糞悪い話なの。それでも聞く覚悟はある?」
「それ、ほとんど言っちゃってない? っていうか、もうイマサラだし、聞かないでいる方がストレス溜まる。そもそも年端もいかないママを王国に売った時点で、私の中でその二人はとっくにクズ認定されてるから!」
安心して全部言っちゃって! とキアラは胸を張って答えた。
それを安心して良いのか、アミーリアは非常に微妙な気持ちになった。
だが、キアラにとっては会ったことも無い祖父と伯父なんてきっと赤の他人同然なのだろう、確かにいずれは話さなければいけないことだったのかもしれない————そう自分を納得させ、アミーリアは話すことに決めた。
「……少し繰り返しになるけど、前ファーニヴァル大公と大公子がファーニヴァル公国安泰のために私を王子妃候補という名の人質として王国に差し出したあたりから話すわね」
こくり、とキアラは神妙に頷いた。
「アーカート王国がシルヴェスター王子の妃を公募した際、他にも王国周辺の小国——ほとんどがゲートスケルの脅威にさらされていた西方諸国の数カ国が、自国の姫や高位貴族の令嬢を妃候補として差し出した。王国の庇護をすぐにでも必要としていたそれらの国々は、姫君と共に、沢山の金銀や自国の特産品を贈り物として献上した。それで他国に負けじとファーニヴァル大公も、恒久的な庇護を得る為——つまり、私を王子妃とする為に、かなりの宝飾品や金銀、武具刀剣を献上品として何度も贈ったらしいわ。まぁ、その甲斐あってか私が婚約者に選ばれたワケだけど……」
(うん。思っていた以上に自分の祖父と、特にアーカート王家が俗物だった……)と、キアラは呆れながら聞いていた。
「その過程で大公はファーニヴァルの資源が枯渇していることにやっと気が付いたのよ。そりゃあ焦ったでしょうねぇ。豊かな資源と財産に胡坐をかき、領地のことをおろそかにして贅沢三昧していたんだから。いつまでもあると思うな親と資源ってことね……」
そう言って、アミーリアはどす黒い微笑みを浮かべた。
「アーカート王国の庇護を受け続けるには、従属の証として定期的に献上品を贈らなくてはならない。それは娘が王子妃になったとしてもきっと変わらない。けれど、すでに資源の枯渇している現状では、これまでと同様には用意できない。できなくなれば、王国の庇護は受けられなくなる————。そんな風に考えた大公は、他の手段を模索し始めた……」
(んんっ?)
なんだか元から不穏な話ではあったが、さらに不穏なカンジになってきたぞ、とキアラは身構えた。
「ちょうどその頃、ゲートスケル皇国は侵略とは別の攻め方をファーニヴァルに仕掛けていたのよ——調略という、攻め方をね」
「まさか……」
「そう。大公と大公子はまんまと調略された。資源の枯渇したファーニヴァルと引き換えにゲートスケルの公爵位と広大で豊かな領地をちらつかせられただけで、アーカート王国を裏切ってゲートスケル皇国に乗り替えようとした。でも、さすがに売国奴の汚名を着るのは嫌だったのか、それとももっといい条件を引き出そうとしたのか……、大公はいつまでも曖昧な返事ばかりではっきり返答をしなかった。それに焦れたゲートスケルが、私の婚姻直前にファーニヴァルへ戦を仕掛けたのよ。結局落城寸前まで追い詰められて、やっとゲートスケルに乗り換えることを決断した。そのうえ大公は、ゲートスケルに付くと決めて気が大きくなったのか、さらなる謀を企てた。アーカート王国に裏切りを隠し、ファーニヴァルの救援に駆け付けた先代クルサード侯爵を殺害して、王国西方の守りの要である領地を奪い、それをゲートスケルへの手土産としてさらなる保身にあてようとね……!」
キアラは目と口をぱっかり大きく開けたまま言葉を無くした。
侵略を仕掛けられた時点ですでに乗り換える時期を逸していると云うのに、手土産を用意すれば大丈夫だと思える大公のあまりの頭の足りなさに、唖然としたのだ。
「まぁ、知っての通りその目論見は失敗して大公もクルサード侯爵も亡くなり、結果ファーニヴァル公国は亡国となったんだけどね……」
アミーリアは最後に吐き捨てるように言ったあと、悔し気に唇を噛んだ。
それにしても、助けに来てくれた人を犠牲にしようとするとは——大公の想像以上のクズ度合いにキアラは呆れ果てるばかりだった。
これでは、アミーリアがギディオンに嫌われていると思い込むのも当たり前だ。
お互いがお互いの親の仇同士だったのだから。
「表向きは、ゲートスケル軍に城を攻め込まれて大公と大公子が殺害され、救援に駆け付けた先代クルサード侯爵は戦死したとなっている。けれど実際は、大公が王国を裏切ったせいで三人は死んだのだと、紛争終結を祝う宴の前にシルヴェスター王子から聞かされたわ。さすがに信じ難くて、ファーニヴァルに戻ってきてから独自に調べて————それが正しかったことを知ったってワケ。そのうえ大公だけでなく、多くのファーニヴァル貴族も追随してゲートスケルに寝返っていたことまで分かって、この国の中枢はそこまで腐っていたのかと、さらに落ち込んだわ」
(ママは……たったひとりで、なんて世界を生き抜いてきたの……)
自分の保身の為に平気で娘と国を見捨てる大公の薄情さにも、婚約者にそれを正直に告げるシルヴェスター王子の酷薄さにも、心底恐怖した。
この世界は、国同士だけではなく、親兄弟や婚姻相手でも簡単に裏切られ、いつ何時謀略で陥れられるか分からない世界なのだ……。
「あっ……。もしかして、ママとシルヴェスター王子の婚約後に数年間ゲートスケルの侵攻が止まっていたのは、ファーニヴァルを調略中だったから……?」
「おそらく。ただ、そんな中で宰相だけはゲートスケルに身売りすることを反対していたと聞いているわ」
「へぇ~。もしかして愛国心溢れる義侠の人だった……ワケないか。私の誘拐を計画するくらいだもんね」
「その通りよ、キラちゃん。宰相はファーニヴァル公家の縁戚……といってもかなり末席の出で、そのせいか愛国心ではなく野心溢れる人物だった。これはあくまで推測だけど、いずれ大公子に自分の娘を輿入れさせて、外戚として権力を揮ってファーニヴァルを実質手に入れるつもりだったと思うのよ。だからその前に、大公にファーニヴァルを売られちゃ困るとでも思ったんじゃないかしら」
「宰相の娘が大公子と婚約する話があったんだ?」
「あったにはあったけど……。ただ当時、宰相の娘はまだ四歳か五歳で……」
「え? 大公子って、ママのお兄さんなんだから……」
「その時、十九歳」
「うぇぇ~。それはさすがに……」
「ないわよねー。私たちの感覚だとそうなんだけど、貴族の婚姻としてはそこまで変じゃないらしいの。でも兄さまが嫌がって、保留になってたみたい」
キアラは思わずうーんと唸った。
その歳の差で強引に婚姻を進めたとしても、宰相は大公家をなんとか出来ると思っていたわけだ。そこまで大公親子は無能と思われていたのか……。
成程。こういった下地があったから、アミーリアは元宰相が誘拐の主犯と聞いてもそれ程不思議に思わなかったということか、とキアラは納得した。
婚姻という手段は失敗に終わった為、今度は大公家の人間をお飾りの旗頭にすることでファーニヴァルを手に入れようとしたのだろう。
(……ん? でも、宰相って、ゲートスケルの密偵と結託して私を誘拐しようとしたんだよね……)
どうして反対していたゲートスケルと手を結ぶことになったんだろう? とキアラは首を捻った。
「ここまでが、ママが元々知っていた情報。次に、レイが語ったことを話すわ。……これにはママも初耳の情報が結構あって……ね」
突然ビリッと張りつめた雰囲気になったアミーリアにあてられて、キアラも思わず体を緊張させる。
「う、うん」
「レイは言っていたわ……すべてはファーニヴァルを欲したアーカート王家の陰謀で、アーカート王は大公がゲートスケルと通じていたことを最初から知っていて、ファーニヴァルを亡国へ導いたのだとね」
ありがとうございました。
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