2ー① アミーリア
一歳の誕生日を迎えてからというもの、急激に口数が増え、ひょこひょこと一人歩きまで始めた成長著しいキアラが、突然アミーリアの前に立ちふさがると、こう言った。
「ママ! あたちあちらよ! はなちたーことがいーぱ、ありゅのっ!」
胸を反らして腰に両手をあて、ふんすと鼻息も荒く、なにごとかを主張している。
(きゃ、きゃわいいーッ!)
心の中はあまりの可愛さに悶えて踊り狂い、愛らしさ天元突破の愛娘をわしゃわしゃ撫でまわしたいのを乳母やメイドの手前、必死で堪えた。
取り敢えずは、何かを訴えている娘の話を聞かねばなるまい。
「なになに? キラちゃん。あちらに何かがあるの? お鼻がどうかしたのかな?」
口数は増えたが、舌足らずでちょっと意味はよくわからない。が、解読するのも親の楽しみというもの。
「ちやう! あちらなにょっ! ママ、ちゃんとちいて!」
「うんうん。ちゃんと聞いてるよ~。あちらがどーしたのかなぁ?」
蕩けそうな顔のアミーリアを前にして、キアラは絶望したように頬に手をあてて、顔をむにむにしている。
(もう~! なんて超絶カワイイ仕草なの。ウチの子控え目に言ってもサイコーじゃない?)
キアラを見ながらとうとう悶え始めたアミーリアに、メイドが恐る恐る声を掛けた。
「あ、あの……、アミーリア様、申し訳ございません。商人が尋ねてきたのですが……」
「商人?」
「はい。宝石商のレヤードです」
「ああ、わかったわ。応接室に待たせておいて」
メイドにそう言うと、アミーリアはキアラを抱き上げた。
「キラちゃん、ごめんね。ママ、ちょっと用事があるから、また後で聞いてあげるね」
きゅっと抱きしめた後、側に居た乳母にキアラを渡そうとしたが、どうしたわけかキアラはアミーリアの首に巻き付いて離れようとしない。
「キラちゃん、どうしたの? 遊び足りない? ほら、あとでいっぱい遊んであげるから、ちょっとだけ離れて?」
乳母も手伝って引き離そうとしたが、キアラは珍しくイヤイヤと首を振り、必死の形相でアミーリアの服や髪を掴んで離さない。何度も抵抗されて、キアラの手にアミーリアの髪がぐしゃぐしゃに絡まっている。無理に離そうとすれば、相当毛が抜け落ちそうだ。
アミーリアは困ったように小さく微笑んでため息をつくと、「いいわ。おとなしくしててね」と乳母やメイドが止めるのを無視して、キアラを連れて子供部屋を後にして応接室へと向かった。
応接室で待っていると云うファーニヴァルの宝石商は、数日前に初めて訪ねて来た。
その日は取り急ぎご挨拶にと「侯爵様が新妻に大陸一の技術を誇るファーニヴァル製の宝飾品を是非贈りたいとの依頼を受けまして参上いたしました」などと言い、奥方様のお好みを伺ったうえで近いうち品物を揃えて再訪いたしますと、その日は帰っていった。
正直、侯爵がそんなことを言ったなんて「嘘でしょ?」とアミーリアは疑った。
なんせ、夫のギディオン・クルサード侯爵とは初夜以降数えるほどしか顔を会わせていない。
もちろん会話などほとんどない。同じ城内にいても姿を見ることすら稀だ。
ただ、たまーに気が付くと、監視でもしているのか遠くからこちらをじっと見て、眉間にシワをたくさん寄せた滅茶苦茶コワイ顔でアミーリアを睨んでいることがある。
そんな態度の夫が、名ばかりの新妻へプレゼントを贈ろうなんて考えるだろうか。いや、ないだろう。
あるとすれば、この結婚を指示した王家への配慮か、貴族の夫としての体面……。そんなところか。
(嫌われているのは分かっているから、そんな体裁を気にしなくてもいいのに)
自分でそう思っておきながら、苦々しい気持ちになったアミーリアは大きくため息をついた。
亡国の公女、しかも王子のおさがりを押し付けられて、ギディオンが喜んだとは思えない。
ギディオンのように血筋も良く侯爵という爵位もあり、騎士としても有能な今回の戦の英雄が、なんの価値もなくなったアミーリアを貰ったところで有難いなどと思うはずもない。ただ迷惑この上ないだけだろう。
そもそもギディオンほどの男性ならばどんな名門の御令嬢でも望めたはずだ。王家から褒賞だと言われて仕方なく引き取ったのは、誰が見てもあきらかだ。
それでもアミーリアは、政略で結ばれたとはいえギディオンと仲睦まじい夫婦になれるよう、最初は一生懸命話し掛けようとしたし、気に入られる為に努力しようと考えていた。
だが、アミーリアが近づこうとするとびくりと体を固くして距離を置き、話し掛けるたびに眉がぎゅうっと寄り、デフォルトで存在している眉間の縦シワがさらに三本以上は増えて、いつもの顰め面に拍車がかかる。
そんなギディオンを見ると、相当嫌がられているのだとアミーリアは自覚せずにはいられず……、早々に挫けてしまった。
(『お前を愛するつもりはない』とか言われたり、初夜を拒否られるとかされなかっただけマシと思うしかないわね)
最低限それだけはされていないおかげで、使用人たちから馬鹿にされたり侮られずにすんでいるのだ。
もちろんキアラという跡継ぎが生まれたことも大きいだろうが。
初夜に致しただけで子宝が授かるなんてマジ奇跡だったと、アミーリアはキアラが生まれた時に、あらゆるモノに感謝し祈りを捧げた。
(ギディオンが精力強めで助かったわ~!)
これがどこぞの溺愛モノなら何かのきっかけで誤解が解けデロデロに甘やかされる展開になるのだろうが、二年以上そんなきっかけも兆候も全くない。
(ははは。ま、現実はこんなモンよね。本当に嫌われているんだから)
思わず自嘲の笑いがもれる。
なんせギディオンの父親——前クルサード侯爵——が亡くなったのは、亡国となったファーニヴァル公国の大公のせい、つまりはアミーリアの父と兄のせいなのだから。嫌われているどころか、恨まれて当然だ。
(そういう風に思われているのは辛いけど、仇の娘を妻にしなくちゃならなかったギディオンの方こそ辛いだろうし、よほど気の毒だもの……)
そう思うことで、アミーリアは仕方のないことだと気持ちを強くして日々暮らしている。だが、キアラが生まれていなかったら、この状況に耐えられていたかどうかはわからない。
だからアミーリアは、ギディオンの為にできなかった努力をキアラの為にすることにしたのだ。
あの『紛争終結を祝う宴』のときに、王家はアミーリアの子にファーニヴァル領とファーニヴァルの名を譲ることを明言した。
だが、王家が本気で言ったとはアミーリアには思えなかった。
無理やり引き合わせた仇同士の二人の間に、子供ができると本当に思っていただろうか?
ずっと喉から手が出るほど欲しがっていた領土を手に入れたのに、簡単に手放すだろうか?
否だ!
よしんば子供ができてファーニヴァルの名乗りを許したとしても、その頃にはファーニヴァル領の実権はアーカート王国へ完全に移っていると踏んだに違いない。名ばかりの領主になんの展望があると云うのか。
そうなったら、アミーリアの子供だけではなく、この地に住まう領民たちはどうなる?
このまま何もせずにいれば、守る者のいないファーニヴァルの地はアーカート王国とゲートスケル皇国の二国に思うまま搾取され、蹂躙され続けるだろう。
だからアミーリアは、キアラとファーニヴァルの領民のために自分が出来る限りのことを全力でやり尽くしてやる、と誓ったのだ。
そしてそれは、前世の自分に起こった事ともある意味似通っていた————
※※※
前世のアミーリア、『有馬咲』は、いくつもの他業種の会社を吸収して一代でそれなりの規模の会社へと成長させた叩き上げの社長の娘だった。
幼い頃から全力で働く父の背中を見て育った咲は、「大きくなったらお父さんのお仕事を手伝う!」と大好きな父と共に働くことを夢見ていた。
父の方も自分の仕事に興味を持ち、しかも聡明だった咲に大きな期待をかけており、いずれ跡を継がせようと学生の頃から自分の仕事場に咲をたびたび連れて行き、重役たちとも早くから引き合わせ、自分の仕事のやり方を叩きこんだ。
咲が大学卒業後はすぐに会社に入社させ、後継者として育てるつもりだと周囲に明言していたほどだった。
だが、そんな精力的で健康だと思っていた父が、咲が大学四年生の時、仕事中に倒れてそのまま息を引き取った。
あまりにも突然だった。
父ですら、思いもよらなかっただろう。もちろん遺言書などなく、咲だけでなく周囲の者全てが動揺した。
そんな中で叔父——父の弟で、名ばかりの取締役だった——だけが、うまく立ち回り、いつの間にか父の後釜に収まり社長を継ぐことになっていた。
父のワンマンなやり方に多少なりとも不満を抱いていた者を取り込んで、支持を得ていたのだ。
後継者と目されていた咲を「まだ学生の咲に会社の経営などという重責を担うのは無理だろう」と退け、他の会社に勤めていた自分の息子を入社させるとすぐさま取締役に就任させた。
気が付けば、父の会社はすっかり叔父親子とその取巻き重役たちに乗っ取られていた。
そして咲が大学を卒業すると同時に、自分の部下と結婚させて咲を家庭に閉じ込めた。
父の亡くなった直後、茫然自失だった咲は、叔父から言われた『財産は会社名義であるから咲の手にするものは一銭もないが、死んだ兄が咲にと望んでいた相手と結婚すれば、いま住んでいる家だけは咲のものにできるよう尽力しよう』などと云う言葉を信じてしまったのだ。
相手のこともよく知らず、父が望んでいたなど叔父が言っているだけなので本当かどうかはわからなかったが、両親との思い出が詰まった家だけは、なんとしても守りたかった。
家さえ手放さなければ、あとはどうにでもなると思ったのだ。
だが、大学卒業後に父の遺した会社に入社することを叔父に妨げられ、結婚後すぐに妊娠して働くことすら止められた。
これで咲が会社に関わることを完全に封じた————と、叔父と従兄は思っていたに違いない。
騙されたのだと気付いたのは、結婚後しばらくして、咲にそれなりの財産が残されていたことを知った時であった。
咲の母は幼い頃に亡くなっており、尊敬し頼りになる父まで亡くし、突然ひとり残されて精神的にも経済的にも不安で頼りない気持ちになっていたところをまんまと叔父につけ込まれてしまったのだ。
確かに父が亡くなった当時、学生だった自分では会社を継ぐことは出来なかっただろう。
だが、こんな騙し討ちのようなやり方は許せなかった。しかも無能な叔父親子に。
有能な者が父の大事にしていた会社を継いでいたならば、まだ納得していた。だが、叔父では……。
咲は黙って泣き寝入りはしなかった。
そもそもそんな大人しい性格ではなかったのだ————。
※※※
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