22ー② アミーリア
「やめてくれ……」
ギディオンが悲痛に呻くのを、レイは心底愉快そうに眺めながら、話を続ける。
「ははっ! ねぇ、アミーリア、聞いてください! 先代クルサード侯爵はね、そうやってファーニヴァル大公を裏切りに走らせ、いよいよレティス城でゲートスケル皇国の密使と密談と云うところへ現場を押さえたとばかりに乗り込んだんです。突然現場に現れたクルサード侯爵を見て、ゲートスケルの密使は騙されたと思い込み、可哀想に大公と大公子の二人は殺されたんですよ。何故なら、その時侯爵が使ったのがレティス城の隠し通路だったからです! 密使が罠に嵌められたと勘違いしてもしょうがないですよね。そうそう、これも知っていますか? その隠し通路は、先代ファーニヴァル大公が先々代クルサード侯爵への友情の証として教えたものだったそうです。友情の証が、裏切りに使われたわけですよ! 先代クルサード侯爵は、その浅ましい行いの報いなんでしょうね。密使を捕えようとして、逆に返り討ちにあって死んだんです!」
青褪めるギディオンを前にして、レイはまるで物語を語る吟遊詩人のように意気揚々と話した。アミーリアはそれを邪魔することなくただ黙って聞いていた。
「あ、アミーリア、様……」
許しを請うようにアミーリアをみるギディオンは、助けに現れた時のような覇気が全く感じられなかった。アミーリアはギディオンに何も答えず、レイの手首をぎゅっと力をいれて握り込んだ。
これをレイは、アミーリアがレイに付くと云う意思表示をしたのだと解釈した。
レイは今が好機とギディオンに要求を突きつけた。
「さあ、これで分かっただろう⁉ あんたにアミーリアを追う資格なんてないんだ! 僕たちが逃げる邪魔をするな! 殺された馬の代わりにあんたの馬を貰う。それと、その剣を向こうへ放り投げろ‼」
ギディオンが躊躇していると、レイはアミーリアに突きつけている短剣に少し力を入れて首の薄皮一枚を切った。そこから血が滲むのを見て、ギディオンは構えを解き、自分の右手側——街道の方へと投げようとした。
だがそちらにはギディオンの乗ってきた馬もいる。投げ捨てたとしても、剣を拾って襲われるかもしれない——レイはそう思ったのだろう。
「そっちじゃない! こっちにだ‼」
そう言って、大剣を放り投げる方向を自分の右手側——街道とは反対方向——へ、くいっと顎を動かした。
ギディオンは素直に大剣を指示された方へと放り投げた。
がしゃん、と大きな音を立てて、数メートル先に大剣が転がる。
レイはホッと息をつくと、アミーリアの喉元から短剣を離し、そのまま威嚇するようにギディオンへと切っ先を向けた。
(いまだ————‼)
短剣が喉元から離れたのを狙いすまし、アミーリアはずっと掴んでいたレイの手首に、自分の全体重をかけてぶら下がった。
「えっ……!」
ふいを突かれて、レイの体がぐらりと傾ぐ。アミーリアはさらにレイの爪先を踵で思い切り踏みつけた。
「いっ……!」
バランスを崩して前に倒れそうになったレイは、反射的に左腕のアミーリアの拘束をわずかに緩めた。
その隙をアミーリアは見逃さない。
膝を折り、左腕からするりと頭を抜いて拘束から逃れ出た。
ギディオンもアミーリアが作ったチャンスを、まるで打合せをしたかのように逃さなかった。
「アミーリア! 伏せろ————‼」
ギディオンの胴間声に従い、アミーリアはそのまましゃがもうとして——ドレスの裾を踏みつけてつんのめり、頭から転んで、見事に滑った。
アミーリアが地面に衝突するのとほぼ同時に、ギディオンは大きな体躯に見合わぬ素早さで疾風の如くレイとの距離を詰めると、ブンと空気が震える程の速さで腕を振るった。
転んでしたたか顔と肩を打ち付けて、恥ずかしさと痛みを堪えていたアミーリアの背後で、ドサリ、バタリ、と何か大きなものがふたつ落ちる鈍い音がした。
「え……?」
何事かと起き上がって少し振り向くと、短めの剣を血振りして鞘に納めたあと、腰の後ろに隠すギディオンが見えた。
その先に、ギディオンの大きな体で邪魔されてよく見えないが、レイが倒れているようだった。
どうやら隠し持っていた剣で、首尾よく戦闘不能にすることができたらしい。さすが英雄の虎。
(あの短刀は……)
アミーリアが立ち上がろうとしているのに気付くと、ギディオンは慌てて自分のマント脱ぎ、アミーリアの側に跪いて、それを頭から被せてきた。
視界を遮られてしまったが、鉄の混じったような生臭い匂いがツンと漂ってきて、アミーリアの心臓はイヤな感じにバクバクした。
レイをどうしたのか、なんとなく察せられたからだ。
ギディオンはアミーリアの縛られている手首をみると、眉を顰めながらさっきしまった短刀を抜いて、ざくりと縄を切った。
縄を解き、転んでできた擦り傷と、細い手首に縄の赤黒く食い込んだ跡やそこに滲んだ血をみて、さらに眉間の皴が深くなる。
怒っているのかと思う程目付きをキツくして、「ひどいな……」と呟きながら悔し気にため息をついた。
(ああ……。そうか、この表情は嫌がっていたワケじゃないんだ。心配とか、辛いときの表情だったんだ……)
アミーリアは、やっとギディオンの思っていたことが理解できたような気がして——そして、ずっと誤解していたこともわかって——なにか自分でもよくわからない感情がこみ上げてきて、涙が零れそうになり、思わず顔を伏せた。
が、なにより今は助けに来てくれた礼を言うのが先だ、と思い立つ。
「ぎ、ギディオン様……あの……」
顔を上げてギディオンを見ると、何故か胸がいっぱいになって、息苦しくて言葉が詰まる。
さっきレイがほざいていたことも含め、言いたいことも聞きたいこともたくさんあるはずなのに————
そのアミーリアのもの言いたげな様子を、ギディオンはキアラの安否を気にしているのだと早合点した。
「あぁ、もしかしてキアラか? キアラは無事だ。怪我もしていない」
ギディオンが来た時点でキアラも大丈夫だろうと思っていたが、はっきり無事とわかり、安堵でアミーリアはほうっと息をついた。
「あ、……いえ、……ギディオン様……」
「なんだ?」
礼を言おうと、再びまともに正面からギディオンの顔を見て、今度はかぁっと顔が熱くなり、アミーリアはまたもや口籠る。
そんなところに、馬が一頭、街道から休憩所に物凄い勢いで入って来たので、驚いて二人はそちらを見た。
「ギディオン様! あ、アミーリア様⁉」
「お前ひとりできたのか」
単騎で駆けつけてきたブランドンを見て、ギディオンが呆れたように言った。
ブランドンは馬から降り、ギディオンとアミーリアの元まで慌ててやって来ると、ちらりとレイの倒れている方向を一瞥する。
「仕方がないじゃないですか。ギディオン様の全速力になんとか付いて行けるのは私ぐらいなんですから。それにどう考えてもゲートスケル方面の方が怪しいので、万一のことを考えてそちらへ多めに人員を配したら、ちょっと人手が足りなくなったんです。ギディオン様なら問題ないのは分かっていましたけれど、私も来れば何があっても対処できると思いましてね……」
「そうか、そうだな。その通りだ、心配をかけた。すまん」
「いえ。でも杞憂だったようですね。アミーリア様が御無事だったのは何よりです。すぐに小隊が追い付いて来ますから、この場の後始末は彼らに任せましょう。馬車も四頭立てを用意しましたので、もう少し待っていただければ到着すると思います。その間、アミーリア様にはあの荷馬車の中で待っていただいた方がよいのでは」
ギディオンは頷くと、アミーリアに手を差し伸べ「立てるか?」と声を掛ける。
「ええ」
そう言って立った拍子に、アミーリアはうっかり見てしまった。レイが首から二つに別れているのを。
(あ。だから落ちる音が……ふたつ……)
急に体が冷えて、スッと意識が遠くなるのを感じ————またもやアミーリアの目の前は真っ暗になった。
ざわざわとした大勢の人の声と、馬のいななきが聞こえた。
意識はゆっくり浮上してきたが、あまりに心地よい揺れとぬくもりに、アミーリアの瞼は頑なに開くことを拒む。
(あれ……?)
アミーリアは誰かに肩と膝裏を支えられてゆらゆらと揺れていた——つまり、お姫様抱っこをされていることに気が付いた。
(んんっ? イマってどういう状況?)
確か、さっき見てはならぬものを見て————そうだった。それでたぶん貧血をおこしたんだ。
「アミーリア様、お目覚めになりませんね」
「ああ。酷い目にあったんだ。相当疲れたのだろう。このまま寝かせておく」
「ギディオン様も馬車に乗っていかれるので?」
「ああ、そうする。一人で寝かせておく訳にもいくまい」
ブランドンとギディオンの会話が耳元で聞こえ、内容から馬車が到着したのだと分かった。ということは、いまアミーリアを横抱きしているのはギディオン……。途端に胸の動悸が早まった。
起きてひとりで大丈夫だと伝えなくては、と思いつつも、ギディオンの広い胸に体を預けているこの状況がひどく安心で離れ難かった。
起きているのを気付かれていないなら、このままで居ることを希望したい。
そこでバレてないか薄目で確認すると、ギディオンの隣を歩いていたブランドンと目が合ったような気がしたのだが、すいっと視線が外れたので、どうやらバレなかったようである。
「ギディオン様、サウロはどうされますか?」
サウロとはギディオンが騎乗してきた、名馬と名高いギディオンの愛馬だ。
「すまないが、頼んでいいか」
「ええ~っ。戦場でも傍から離さなかった愛馬を私に預けるのですか~?」
心底驚いたというように声を上げるブランドンに、ギディオンは怪訝そうに「頼む」とだけ言った。
「……承知いたしました」
ブランドンが恭しく答えると、安心したようにギディオンはアミーリアを抱えたまま馬車に乗り込んだ。
二人の乗った馬車が、急ぎレティス城へと戻っていくのを見送りながら、ブランドンはやれやれとぼやいた。
アミーリアが寝たふりをしているのに気付いて、わざと誘導したというのに……
「我が主はとことん朴念仁だな。あそこで『頼む』ではなく『なによりもアミーリア様の方が大事だから』くらい言えれば、いくら奥方様がニブくったって、はっきり通じただろうになぁ」
※※※
馬車に乗り込んだ後、ギディオンはアミーリアを起こさないよう細心の注意を払い、大事に大事に守るように抱え込んでいた。
それでも、馬車が揺れるとアミーリアの頭がこつりと胸にあたり、ふっくらとした頬が寄せられる。そのたびにギディオンの胸は高鳴り、妙に高揚し叫び出したいような気分になる。
今日、何度も失ってしまうかもしれないと思っただけに、いま自分の腕の中にアミーリアがいることが信じ難く、夢の様に感じられる。
その確かな鼓動と体温、柔らかな肢体をマント越しに感じ——本当にこの手の中に存在するのか確かめるために壊れるほどぎゅっと強く抱きしめたい衝動と、この眠りから醒めないようこれ以上触れてはいけない——そんなせめぎあう気持ちで心は揺れ動き、ギディオンはせつない溜息をもらす。
馬車が揺れるたびアミーリアのちいさな頭がギディオンの胸の中におさまり、ふわりとアミーリアのかすかな香りが鼻腔をくすぐる。
「……アミーリア……」
なにか熱く甘いものが胸いっぱいに溢れ、ギディオンはたまらず、吐息のように愛しい人の名を呼んだ。
※※※
アミーリアの方はと云えば、必要以上に触れてこないギディオンに何故か物足りなさを感じていた。
馬車が揺れるたびに、わざとギディオンの胸に寄り掛かるようにして、顔を寄せた。すると、汗ばんだギディオンの男臭い香りが漂い、妙にアミーリアの胸を疼かせる。
これが他の人だったらきっと、ただ単に汗臭いとか思うだけだろう。
だが、こんなに汗ばむほど必死にアミーリアを探し、助けに来てくれたのだと思うと、むしろかぐわしい匂いにすら感じ、アミーリアは幸福感で頭がくらくらして酔いそうだった。
そのとき、ギディオンが「アミーリア」と吐息交じりに名を呼んだ。
痺れるような衝撃がアミーリアの全身を貫き、腰が砕ける思いがした。
こんなに切なげで甘い声を、アミーリアは生まれて初めて聞いた。
恐ろしいくらいに動悸が早まり、顔が熱くなった。
手が震えて体に力が入らず、アミーリアはギディオンの胸にくたりと全身をあずけた。
お互いに、心の中ではもう少し触れ合いたい、近付きたい、抱きしめたい————そう思いながらも言い出せず、もう一歩が踏み出せないまま、馬車はレティス城に到着した。
そして、ギディオンに抱っこされていたいが為に寝たふりし続けたしっぺ返しか————
レティス城に到着すると、先触れがあったのかホールに人が大勢集まっていた。
アミーリアはすっかり起きるタイミングを逸し、大勢の見物人のいる中をお姫様抱っこのまま入城するという、人生最大の羞恥の極みを体験する羽目に陥ったのだった……。
ありがとうございました。
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