21ー① ギディオン
やまゆり祭に合わせて、シルヴェスター王子の側妃三人がファーニヴァルにやって来た。
彼女たちが滞在することになって、警備面では繁多を極めることにはなったが、アミーリアの幼馴染ともいえるし、王宮では特に親しくしていた方たちだとも聞いていた。
ファーニヴァルではなにかと辛く淋しい思いをすることが多いアミーリアが、ひとときでも昔に戻ったように楽しく過ごせればいい。その為に心を配るのは、名ばかりとは言っても夫の仕事であるとギディオンは思い、励んでいた。
「……とは言え、少し疲れたな……」
夜半過ぎ、やっと自室に戻り気が緩んだのか、大きなため息とともに本音が漏れた。
あれ以来、アミーリアを見る機会が激減してしまった。
もちろんギディオンが避けているのが大きな原因ではあったが、祭りの準備とそれに伴うさまざまな手配、宝石商レヤードの件、ゲートスケルの問題等々……他にも対応しなければならないことが次から次へと湧いて出て、ギディオンはそれらの調査で外出しているか、そうでなければ執務室に籠り切りになっていたからだろう。
ここ二カ月くらいは、アミーリアの姿をちらりと見ることも無かった。
ギディオンの息抜きであり癒しであったアミーリアとキアラの姿を垣間見ること……それができなくなってから、ギディオンは日に日にやつれ始めていた。
寝ても疲れが取れないのだ。
いや、二人と顔を会わさなくなってから、眠りが浅いか、疲れているのに眠れないことが多くなった。
だがそれも全て自業自得。……自分の意気地がないのがいけないのだ。
そう思うと、再び深く大きなため息が漏れた。
「お疲れなのですね。ギディオン様……私が、是非お慰めしたいわ……」
突然、ギディオン一人のはずの部屋に女の声が響いた。
「誰だ!」
ギディオンが怒鳴ると「まぁ、怖いこと」と茶化すような声が聞こえ、天蓋ベッドの柱の影から王宮女官のお仕着せを着た女がするりと出てきた。
ギディオンの自室近くには(必要ないから)ほとんど護衛がいない。特に祭りの期間中は人手が不足しているので他に回していた。侵入はおそらく容易かったのだろう。
とは言え、いくら疲れていたとしても潜んでいる人間の気配に気付かないとは気が緩み過ぎだと、自分の迂闊さに腹が立った。
「わたくし、エア子爵次女のシビルと申します。御覧の通り、王宮でラミア様付の女官をしております。今回、ファーニヴァルに御同伴できることになりましたので、ずっとお慕い申し上げておりましたギディオン様にわたくしの気持ちをお伝えする機会だと、つい心逸ってこんな不躾な時間にお尋ねしてしまいましたの……」
媚びるような視線を向けて、シビルはギディオンに近付いてくる。
「御託はいいから、さっさと出て行ってくれ」
背を押して退出を促したが、シビルは途中でくるりと体の向きを変えると、ギディオンの腕にしがみついて豊かな胸を押し付けてきた。
「お慰めしたい…って、さっき言ったではないですか」
「必要ない。早く出ていかないと人を呼ぶぞ。君も恥はかきたくないだろう」
無下に腕を振りほどかれても、シビルはギディオンに媚を含んだ視線を絡ませた。ぺろりと唇を舐めて微笑むさまは、まるで獲物を狙っている肉食獣のようだ。
「まぁ。望むところですわ。どうぞわたくしを第二夫人として皆に紹介してくださいませ」
「なんだと? どうしてそうなる」
「ギディオン様がアミーリア様と不仲なのは王宮でも有名ですわ。もうずいぶん長く褥を共にしていないことも。そんな中でこんな夜半にギディオン様の寝所にわたくしがいることを側妃様達や他の王宮女官の眼に晒せば、すぐにわたくしが閨に呼ばれたのだと思われるはず。貴族令嬢を閨に呼んでそのまま捨て置く……なんてこと、侯爵様ともあろうお方がなさるはずありませんわよね?」
「なにを馬鹿なことを。寝言は自分のベッドの上でだけ言ってくれ。さあ、早く出ていけ」
ギディオンは苦々しい表情で、シビルの両腕を後ろ手で拘束し、扉の方へ強引に連れて行く。
「馬鹿なことではありませんわ! ギディオン様、どうぞアミーリア様の後釜の候補にわたくしを入れて下さいませ!」
「後釜だの何だの、いったい何のことをいっている」
「そんなふうに誤魔化さなくても、皆噂で知っております。それに、あんな鶏ガラみたいに細いだけのアミーリア様と違って……わたくしはほら、いろいろとご満足いただけると……思いますわ」
拘束されていても、シビルはしなを作り婀娜っぽく微笑んだ。なかなかあっぱれである。
だが、残念ながらシビルは作戦を間違えた。
アミーリアをダシにしたことでギディオンの逆鱗に触れてしまったのだ。
拘束していた腕をギリギリと締め上げて、ギディオンは扉から投げ捨てるように、乱暴にシビルを追い出した。
「ブランドン! 侵入者だ! 朝まで拘束しておけ!」
廊下で怒鳴ると、同じ階にある別の部屋からブランドンが顔を出し、ギディオンの部屋の前で倒れてうずくまっている女官を見てギョッとした顔をする。
「え⁉ ギディオン様、コレはいったい」
ギディオンは目を吊り上げて「侵入者だ!」と繰り返した。
さすがに貴族令嬢がこんな扱いをされて腹に据えかねたのだろう。シビルはよろよろと起き上がると、ささやかな抵抗とばかりに捨て台詞を吐いた。
「女性に対してこのような態度では、いくら富と名誉があろうとも、アミーリア様が愛想をつかすのも当然というもの。噂通り王子殿下の愛妾としてお呼びがかかれば、アミーリア様は喜んで王宮へ伺候されることでしょうね!」
「……!」
やっと状況を理解したブランドンが慌てて飛んできて、シビルを拘束し連れて行った。
自室に戻ったギディオンは、シビルの言っていたことを思い返して、ぎりりと歯を食いしばった。
『二、三年我慢して離縁すればよい。その後アミーリアは愛妾として引き取ろう』
アミーリアとの婚姻をアーカート王に決められた時に、シルヴェスター王子はギディオンに向かってそう言った。だが、自分の他には王と宰相しかいない非公式な場での発言だった。
それがどうして自分の知らぬ間に、王宮で噂になっているのか。
(シルヴェスター王子が流したか……)
そうとしか思えなかった。
側妃たちがファーニヴァル来るタイミングでというのも、作為を感じさせた。
そうやって、ギディオンとアミーリアの耳に自然と入るように仕向けたようにも思われる。
そろそろアミーリアを返せ、という王子からの意思表示なのかとギディオンの心は昏く沈んだ。
いまの状況で、自分にどうしてアミーリアを引き留めることができようか……。
「ギディオン様、よろしいでしょうか」
ギディオンの物思いを、扉をノックする音とブランドンの声が遮った。
「ああ。入ってくれ」
ブランドンはギディオンの部屋に入ると、王宮女官のシビルを部屋に軟禁し滞在中は部屋から出さないこと、明日の朝になったらラミア側妃に報告し厳重注意をしてもらうこと、連れて来た王宮女官や侍女の中にシビルのような不埒者や密偵の類が他にもいると思われるので、妃たちに付ける護衛騎士を監視も兼ねて増やすこと、等の報告をした。
ギディオンは力なく「全て任せる」と頷いた。
荒んだ表情をしているギディオンを前に、ブランドンは逡巡したものの掛ける言葉もなく、黙って頭を下げてギディオンの部屋を辞した。
その二日後、何事もなくやまゆり祭は最終日を迎えた。
ギディオンは城門前の広場でアミーリアとキアラの晴れの舞台を影ながら見守っていた。
祭りの期間中、ギディオンは休む暇もない程忙しかった。
それというのも、ファーニヴァルの元宰相が祭りの始まる少し前から、ゲートスケルの密偵と繋ぎを付け何事かを謀っているという情報を入手したからだ。
元宰相のことは、ギディオンがファーニヴァル公国の旧臣たちを調査している過程でみつかった。
キアラが中庭で『アミーリアの腹違いの兄(大公の遺児)』の話をしていたときに、ギディオンはファーニヴァル大公家に血筋の近い者や旧臣たちが王国に対して反旗を翻す可能性に思い至った。
特に、そういった者たちがファーニヴァル復権の為に『大公の遺児』やアミーリアとキアラを旗頭として利用する危険性をギディオンは警戒したのだ。
ゲートスケルとファーニヴァルの紛争中、大公と大公子がアーカート王国からゲートスケル皇国へと乗り換えて身売りしようとした際にファーニヴァルの有力貴族が多数同調した。いまそのほとんどの者は、ゲートスケル皇国に亡命している。
調べたところ、その暮らし向きは、豊かでも楽でもないようだった。
紛争終了後、ファーニヴァルはアーカート王国の領土となり、王国と皇国は終戦協定を結んだため、ファーニヴァルの亡命貴族たちは皇国内で無用なお荷物となってしまったのだ。
そのためゲートスケル皇国内で冷遇され、現在は力も財も失っている。何かを画策する様な余裕はいまのところなさそうだった。
だがその中で元宰相だけが、いまだ諦めずにファーニヴァル領内に潜伏して『大公の遺児』を探し、アミーリアにも接触を図ろうと密かに動いていた。
その元宰相がゲートスケルと結託しているというのだから、ギディオンがやっきになって調査をしようというものである。
そんな中入った情報が、元宰相とその協力者が祭りの直前から公都のとある民家に潜伏し怪しい動きをしている、というものだった。以降、ずっと警戒し監視を続けている。
ギディオンは領主としての仕事の他に、公都の警備と、そういった反乱分子の種の監視も共に行っていたのだから、寝る暇も休む暇も無くなるのは致し方ないことだった。
そんな忙しさを労うように、舞台上の“やまゆりの精霊女王”に扮したアミーリアは、神々しいまでに美しい姿をギディオンに披露してくれた。
これまで見たことも無いデザインのゆったりとしたドレスを纏ったアミーリアは優雅で美しく、光を発しているのかと思う程まぶしく輝いて見えた。
そのアミーリアの後ろをちょこちょこと付いて歩くキアラは、まさに妖精のごとき愛らしさだ。
領民主催の場で、あまり領主である自分が目立ってはいけないと思い、広場に設置されたテントの影からちょっとだけ眺めるつもりだった。
だが、久しぶりに見たアミーリアが余りにも美しすぎて、つい身を乗り出してじっくりと見惚れてしまっていた。
渇き切った体に清涼な水がたくさん与えられ、心ゆくまで喉を潤した——そんな心地になり、やっと何かが満たされた気分だった。
だが、アミーリアが王子に召上げられてしまったら、このひどい喉の渇きのような渇望をずっと抱えて生きていかなければならないのだろう。
そう思うと心がじくじくと痛み、まるで膿んだ傷のようにいつまでもギディオンを苛んだ。
「ギディオン様、そろそろ側妃様たちが城に戻られます」
補佐官のひとりにそう声を掛けられて、ギディオンは彼女たちを城で迎える為、名残惜しいがその場を離れた。
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