19ー② キアラ
しばらくすると、公都で警備を担当していた騎士達から続々と情報がもたらされ始め、キアラは神経を集中し、耳をそばだてた。
——合図のような花火が上がった後、街なかの民家数軒から同時に火の手が上がりました。幸いどの家もすぐに見回りの騎士が駆け付けて消火したのでボヤ程度で済んだのですが、火災のあった全ての家に死体がありました
——調べたところ、その死体の身元は全員がアルダの商人ギルドの者、さらに言えば、アミーリア様の事業の為に雇われていた紛争被害の傷病者たちでした
——同じころに、ギディオン閣下の御命令で監視していた民家に、『キアラ様』だという幼女が連れ込まれた為、急遽押し入って幼女を保護しましたが、キアラ様ではありませんでした。本人はリサと名乗っています
——その『リサ』という子供が「ママがしらないおじさんにいじめられた」とずっと泣いているのですが……詳細がよくわかりません。子供の身元もまだ不明。母親を現在捜索中です
——リサの両親の身元がわかりました。母親はメアリといって、絹織物商人のアルダの商館にて仕立を請け負い……アミーリア様の事業にも携わっていました。父親はブレット。一年以上前にアルダのギルドからゲートスケル商人と結託した罪で破門となり、後日逆恨みしてアルダを襲ったこともあるようです
次々に入ってくる報告を黙って聞いていたブランドンがおもむろに口を開いた。
「断片的な情報ですが……どれもが少しずつ、アミーリア様とギルド会長アルダ、そしてアミーリア様の事業に関わっているようですね」
ギロリとギディオンがブランドンを睨んだ。
「おっと。違いますよ、アミーリア様が悪いと言ってるわけじゃありません。アミーリア様とアルダ会長によって何某かの不利益を被った者が今回のことを企てたんじゃないかって意味です」
ここでずっと考え込んでいた様子のアナベルが、報告に来た騎士に恐る恐るというように訊ねた。
「……その火災のあった家に“アントン”ってありますか? いまギルドの者と騎士が捜索しているんだけど…………」
アナベルは、アントンがアミーリアに不埒な恋情を抱いた挙句に、敵わぬ恋ならと攫って自宅に火を放ち無理心中に及んだ、などという嫌な想像(妄想?)が頭に浮かんでいた。
時間的にそれは有り得ないのだが、うろたえているせいかアナベルの正常な判断力は弱まり、代わりに想像力は異常なほど逞しくなっていた。
火災の報告を持ってきた騎士がリストを見直して、頷く。
「はい、あります」
「‼ ……そっ、そこに……女性の遺体なんて、なかったわよね⁉」
アナベルの恐ろしいほどの剣幕に、騎士は慌てたように付け足した。
「いっ、いえ、その家からはアントンと息子のガースの二人が床下から刺殺体で発見された、となっています」
「息子……え、刺殺? 火災だったのに?」
アナベルは(勝手な想像ながら)女性ではないと聞き安堵すると同時に、予想外のことに驚いて聞き返した。
騎士は再び報告書を見直す。
「はい。どの家もすぐに消火されましたので焼死者はいません。発見された遺体は、全て数日前に殺されていたようです。中でもこのアントンとガースは、一部白骨化も進み数カ月前に殺害されたのでは、とあります」
ざわり、と大広間が震えた。
平穏だと思われていたファーニヴァルでひそかに恐るべき何事かが進行していたのを、報告を聞いた誰もが感じ取った。
「ちょっと待って。だとしたら……あの“アントン”は……、アミーリア様を攫ったのはいったい何者だというの……?」
喘ぐようにアナベルは呟いた。
どうやらアミーリアを誘拐した犯人は“アントン”だと確定しているらしい。
だが、“アントン”は何カ月も前に殺されていた。
ということは、別の何者かが“アントン”としてギルドで働き、アミーリアを誘拐したということになる。
アナベルは、突然アミーリア誘拐犯の手掛かりを失ったことに気付き、愕然と棒立ちになった。
そこに、別の騎士が大広間に慌てて入ってきた。
「ギディオン閣下! 広場で拘束した不審者は、全員アルダのギルド員と称していましたが、全員身分を偽っていました! 実際は、ゲートスケル商人の付き人か護衛としてファーニヴァルに入国していた者と判明いたしました!」
再び大広間はざわざわと騒めいた。
「ゲートスケル……?」
「先に報告のあった火災のあった家の死体もアルダのギルド員だったな」
「……まさか、殺されていた者全員がゲートスケルの者とすり替わっていたのか?」
「火災は証拠隠滅のつもりだったのでは?」
あがってきた情報を突き合わせると、火災のあった民家の死体と捕まった自称ギルド員たちの名前が一致した。
しかも殺害されていた者は全員、先の紛争で顔や頭に傷を負っており、包帯や布で顔の一部を覆って傷を隠していた者たちばかりだったという。
ギルド員に紛れて今日の騒ぎを起こす為に、成り代わりやすいと狙われて殺害されたのだろう。
紛争の犠牲者を救いあげようというアミーリアの善意を踏み躙る形で、ゲートスケルは陰謀に利用した————そんな状況が明らかになり始め、静かな怒りが不穏な空気となってひたひたと大広間を満たしていく。
ギディオンが意を決したように、ここで重い口を開いた。
「実は以前より、ファーニヴァルの旧臣がゲートスケルの密偵と繋ぎを付けているという情報を掴んでいた。今回のアミーリア様誘拐と関連しているかは不明だが、その旧臣とは先程連絡のあった『リサ』という子供略取の容疑者だ」
「そのリサという子供はキアラ様だと思われて略取されたのですよね? 本当はキアラ様が狙われていたと云うことですか?」
若い騎士が憤ったように質問する。
「おそらく……」
ギディオンが憎々し気に頷くと、次々に「旧臣とは誰ですか」「すぐに尋問しましょう」「ゲートスケルは協定を破棄したいのか」という怒りの声が上がり、大広間は騒然とした。
そんな中、今度は関所の伝令が到着した。
「閣下! 関所を抜けた不審な馬車の連絡多数あり。報告致します!」
ギディオンはすぐさま立ち上がり「待っていたぞ! 早く!」と急かした。
「はいっ! 午後過ぎに関所を通ったのは、ゲートスケルに続く街道へ向かった荷馬車が三台。ラティマへ続く街道へ向かった荷馬車が二台。王都へ続く街道、西方諸国方面に続く街道へ向かった荷馬車がそれぞれ一台でした。中でも、ゲートスケルへ向かった荷馬車には傭兵らしい者が同乗し、物々しい様子だったと! 他は徒歩か驢馬での一人旅で問題なかった、とのことです」
報告の中で、アミーリアを拉致し逃走している馬車の可能性が一番高そうなのはゲートスケル方面だ。だが……と、ギディオンは眉間の皴を深くして考え込んだ。
「早くゲートスケルに向かった馬車を追いましょう!」
「用意は出来ております!」
「国境を越えられたらお終いです! 閣下!」
口々に騎士たちが叫び、今にも飛び出しそうに逸っていた。
この様子を見ながら、キアラの頭の中ではめまぐるしく——小説『風は虎に従う』の内容、いま起こっていること、もたらされた情報——その全てが同時に精査されていた。
“小説”では、アミーリアの方が宝石商レヤードに誘惑されて夢中になり、何度もレヤードを呼びつけては必要のない宝石を買い漁った。これは、ゲートスケルの陰謀の一端だった。
一方、“現実”のアミーリアは、宝石商レヤード(レイ)には全く興味を示さず一回しか会っていない。そのうえ詐欺師ではないかと疑っていた。
後日の調査で、おそらくレイはゲートスケルの密偵である可能性が高いと判明した。
“小説”では、アミーリアは何もせず城にこもって贅沢三昧していると噂になり、ファーニヴァルの領民に恨まれていた。こんな風に思われていたのも、おそらくわざと噂を流した者がいたからだ。これもたぶんゲートスケルの陰謀だったに違いない。
一方、“現実”のアミーリアは、領民の為に事業を興して領内で話題になり、紛争の犠牲になった人たちも積極的に採用して感謝されていた。だが、それを逆にゲートスケルの密偵に利用されてしまった。
リサがキアラと間違えて略取された件は小説に該当する事件がないので、小説の何かとリンクする事件なのか、現時点でキアラにはまだ判断が付かない。
そして、“小説”ではアミーリアはレヤードと駆け落ちして城を出たが、“現実”のアミーリアは何者かに誘拐されて城外に連れ出されてしまった————
ここまで考えて、キアラは唸った。
こうして同時期に起こった事象を小説と現実で較べてみると、本質や成否はまったく違うのだが、起きていることはうっすら似通っている(ような)気もする。
だが確実に、いずれもゲートスケルの影がちらついている、とキアラは思う。
そもそもの発端である、宝石商レヤード(レイ)の誘惑が失敗に終わったことで、以降の陰謀に齟齬というか、相違が生じ始めているのだろうか……?
宝石商レヤード(レイ)がやはり一連の事象の鍵のような気がする————
小説でも現実でも捕まらずに逃げ果せたところをみるに、密偵の中でも主導的な役割だったに違いない。
だが、あんな目立つ容姿の人間がいつまでも潜伏していられるものだろうか。
レヤードと云えば……印象的だったのは、平民には珍しいきれいな金髪と碧の瞳……と、思い出したところで、ふいに広場の混乱の中で垣間見た誘拐犯アントンの碧の瞳が、キアラの脳裏に浮かび上がった。次いで、“アントン”が何者かとすり替わっていたのではないかという情報も————
(あ……あっ! アイツが、きっとレヤードだったんだ! ずっと姿を偽って、ママに付きまとっていたんだ!)
雷に打たれた様に、キアラは直感した。
そしてそこまでするレヤードのアミーリアに対する執着に、ゾッと怖気が立った。
「ゲートスケルの街道に行った荷馬車を追う」
決断したギディオンが宣言した。
すぐにブランドンが騎士たちの編成を指示し「念のため、他の街道を行った荷馬車も少人数で追うように」と補足する。
「俺は単騎で先に出る」
ギディオンはそう言うと、大広間の出入口——キアラのいる扉の方——へと素早く身を翻した。
(待って。待って、待って! 誘拐犯がレヤードだとしたら、向かったのはゲートスケル方面じゃない! でも、私が言ったとしても、聞き入れてくれるの⁉ 信じてくれるの⁉)
ギディオンはキアラが青い顔で立っているのを一瞥し、アミーリアを必ず救出するという決意を示すようにコクリと頷くと、脇を足早に通り過ぎようとした。
「パパ! まってッ‼」
キアラは意を決して、震える声で叫んだ。
ギディオンはぴたりと足を止めると、少し戻ってキアラの前にしゃがみ込んだ。
「どうした?」
きっと心は早く追い掛けたいと逸っているはずなのに、キアラに向ける声はどこまでも優しかった。
キアラはアミーリアを失うのも死ぬほど怖いが、ギディオンに変な目で見られるのも同じように怖いのだと自覚した。だが……いまはそんなこと言ってる場合じゃない!
「パパ! ママがのったばしゃは、げーとすけるやないの! らちまのほういった! げーとすけるはきっとおとりなのっ!」
“レヤード”は確かにゲートスケルの密偵だが、何故か逃走した先は、アーカート王国の友好国であるラティマだったのだ。
だから小説でもすぐに捜索の手が伸びず、アミーリアの殺害を阻止できなかった。死体が発見されたのもラティマとの国境沿いの街道だったはずだ。
だが、いまならまだ間に合う。
ラティマの国境までここから結構距離がある。国境を越える前に、途中の宿場に泊まるか、馬の脚が遅ければ野宿するはずだ。
しかし、ギディオンの眉間の皴は、どんどん深く、本数が増えていった。
長い沈黙が、キアラの心を萎えさせていく。
(ああ……。やっぱり信じてくれないのか……それとも、通じてないのか……)
キアラの心と体はどんどん恐怖と絶望で冷えていった。
もしかしたらママは……小説と同じく助からないかもしれない、と。
だが、ふいにギディオンがひどく真剣な眼差しでキアラを見て、こう言った。
「……それは、キアラの予言なのか」
「……は?」
予言? なんのこと? でも冗談を言っている顔でもない。
「ああ。すまん。……その、以前中庭で話しているのを……聞いて……」
ギディオンは言い難そうにぼそぼそと呟き、キアラは(中庭?)と懸命に記憶を掘り起こした。
中庭と云えば、もしかしてお互い転生したと判明して、ママと小説の内容を話していた時のこと? と思い当たった。
だが、あのときママと私以外は誰もいなかったような……と思ったのは、緊急時ゆえに頭のスミにスパーンと放り投げた。
小説の内容をギディオンが“予言”として信じてくれるのならば、こんな僥倖はなかった。利用しない手はない。
「そう! そうやよ! パパ、ママはらちまにいった! そっちさがちて!」
キアラが言い募ると、ギディオンは「よし。ラティマだな」と力強く頷いてくれた。
ぱぁっとキアラの顔が希望で晴れる。
「閣下! まさか子供の言うことを信じるのですか?」
騎士の一人が信じられないというように叫んだが、ギディオンはひと睨みした後、きっぱりと宣言し直した。
「ラティマ方面へ行った荷馬車を追う。俺は先に単騎で向かうから、救出後に乗る馬車も用意してくれ」
ブランドンが一瞬困ったような顔をしたものの、すぐに編成を変える指示を再び出していく。
「キアラ、ありがとう。必ずアミーリア様を連れて帰る」
立ち上がってキアラの頭をふわりと撫でると、ギディオンは風のように目の前から居なくなった。
(きっと大丈夫だ。ううん。もう大丈夫に決まってる。だって、パパが助けにいってくれるんだもん!)
何日も経ってから捜索を始めた小説と違い、現実のギディオンはアミーリアがいなくなってすぐにこうして必死に探してくれている。
アミーリアは、絶対に生きて戻ってくる————!
「キアラ様、そろそろお部屋に戻りましょう?」
キアラが安心したのを見て取ったのか、レオンがそう言って、手を差し伸べた。
今度は淑やかに、黙ってその手を握り、子供部屋へ戻ることを了承した。
その凛として大人びた態度を見たレオンが、一瞬目を瞠り、眩しそうに目を細めた。
「キアラ様は、将来きっと素敵な淑女になるのでしょうね」
「なっ、なに、きゅうにしょんなことっ……!」
真っ赤になって顔を背けるキアラに、レオンは優し気な微笑みを向ける。
————こんな一幕があったせいで、キアラはギディオンに大事なことを伝え忘れていたことに、しばらく気付かないでいた。
(……あっ、いけない! パパにママを攫ったのはレヤードだって言いそびれちゃった……ま、いいか。どうせ行けばわかるよね……)
ありがとうございました。
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