18 アミーリア
(まーた何か深刻に考えているわね……)
アントンの話をしてから、だんまりを決めたまま、ずっとキアラは物思いに耽っていた。
アミーリアはキアラの考え事の邪魔をしないように、静かに見守った。
目端が利き、周囲の状況がよく見えてしまうキアラは、根が生真面目なところも手伝って、物事を深く考えすぎるきらいがある。
一を聞いて十を知ると云うが、それはまさにキアラの為にある様な言葉で、キアラは少しの情報である程度のことを察してしまう。それ故に、前世の明煌だった時もそうだが、そこまで悩まなくてもと思うことまで考えていることが多い。
そんなこともあり、アミーリアは自分の“計画”を将来背負ってもらいたいと云う話をキアラにすれば、必要以上に気負ってしまうことが容易に想像できたので、なんとなく言い出し辛かった。
いまもきっと、いまだ戦火の爪痕が残る街並みや、戦によって家族を失った者や生涯治らぬ傷を負った者……それらを目の当たりにして、自分に何が出来るのだろうかとか、そんな様なことをいろいろ考え込んでいるのだろう。
性分だから仕方がないのかもしれないが、母親であるアミーリアは、その考え過ぎの苦労性のせいで手に余るほどの負担を抱え込んでやしないか、いつも心配になってしまう。
だが反面、誰もが見落としがちなことまで細やかに深く考えられるキアラの性分は、将来ファーニヴァルの領主となった時に“慈悲深い善き領主”としての資質になるはずだと喜ばしく思ってもいる。長所と短所は隣り合わせで二律背反なのだ……。
そんなことを考えていて、ふと自分の——咲の——父親が思い出された。
『咲の聡明さと行動力は人を強烈に惹きつけて動かしもするが、逆に反発も多く生む。そして周りの人間の思惑を気にしないその心の強さも、時には傲慢と受け取られかねない……』
(よくそんなことを言われたっけ……)
咲とキアラでは心配のベクトルが全く違うのに、父親と同じような心配をしている自分がなんとなく可笑しくなった。親というものはそういうものなのかもしれないな、とも思う。
「あの……アミーリア様。よろしいでしょうか?」
申し訳なさげに声を掛けられ、キアラにつられて(?)耽っていた考え事をアミーリアは中断した。
振り向くと、そこにはアルダの商館で仕立ての仕事を請け負っているメアリと、花冠の授与のお仕事をキアラと共にしたリサが立っていた。
「あら、メアリ。どうしたの」
「私たちはこれで帰らせてもらおうと思いまして……」
「もう帰るの? アルダ会長の話が終わったら、城から御馳走が振舞われるわよ」
「はい。その……リサが疲れてしまったようなので」
アミーリアがちらりとリサをみると、そこまで疲れているようにはみえなかった。むしろメアリの方が顔色悪く、肩を落としてずっとうなだれている。
「メアリ、あなたの方こそ具合が悪いのではなくて?」
心配になってそう訊くと、メアリは何か言いたげに一度顔を上げてアミーリアを見たが、再び黙って俯き、首を振った。
「そう。……気を付けて帰ってね」
このところ無理をさせたせいかも、とアミーリアが反省していると、ふとキアラが空を見上げて「ママ、こぇ」と自分の被っていたボンネットをくいくいと指でつまんで引いた。
(うん、うん。そういうことね)
雲ひとつなく晴れ渡った空には中天に差し掛かった太陽が輝いている。これからもっと暑くなりそうだ。
アミーリアは得心して、キアラのボンネットを外してリサに被せてやる。
「アミーリア様?」
「よく似あうわ。いま着ているワンピースにもぴったり! 今日は日差しが強いから、これを被って帰るといいわ。メアリの家はここから少し遠かったでしょう?」
「でも……!」
「いいのよ。キアラがそうして欲しいと言っているの」
「……ありがとうございます。アミーリア様、キアラ様」
キアラがにぱっと微笑むと、メアリは何故か辛そうに眉を寄せた。
アミーリアとキアラにメアリは深く頭を下げた後、「では……」といって祭りの喧騒に包まれている広場から足早に立ち去って行った。
※※※
城前の広場から出た後、メアリの足取りはひどく重くなった。
アミーリアの心配してくれた体調が悪いのではない。
心が重くて、体も鉛のように重く、腕に抱くリサが重石のように感じられた。
原因は、一昨日届いた手紙だった。
差出人は、半年以上も音信不通だった夫のブレット。
その内容は、家族を捨てたことへの謝罪は一切なく、弁解と自己憐憫、自分以外に全ての責任を擦り付けるという情けないものであった。
姿を消したのは、大事なメアリとリサに迷惑が及ぶことを恐れたのだと云う言い訳から始まり、これまでの自分の窮状や苦労をくどいほど書き連ね、自分がこんな不幸な目にあっているのも、借金のカタにメアリが無理矢理ギルドで働かされているのも、愛する家族と離れ離れになる状況に陥ったのも、全ての原因は商人ギルド会長アルダと元ファーニヴァル公女であるアミーリアにあり、他にも自分達家族のように多くのファーニヴァル領民たちが同じ様な不幸に陥っているのだと、激しく糾弾していた。
最後には、同じ考えを持つ同志が他にもいて、ファーニヴァルをより良くする手立てを教えてもらったとあり、『その為に領主の娘であるキアラを連れてきて欲しい。そうしないと大変なことになる』————と、結ばれていた。
おかしなことに、自らの情報——いま住んでいる場所や仕事、同じ考えの同志のこと——は、ほとんど書かれていないのに、メアリがギルドでアミーリアと係わる仕事に従事していることや、祭りでキアラと共にリサがイベントに参加することなど、どうしてそんなことをブレットが知っているのかと不思議になるほどメアリの近況が詳細に書かれていて、「この手紙は本当にブレットが書いたものだろうか」とメアリは疑った。
ブレットは紛争後に、ゲートスケル商人と通じ、ファーニヴァル商人の内部情報を売ったり賄賂を貰っていたことが発覚して商人ギルドを破門された。
このことで商人ギルドのアルダ会長を逆恨みしていたし、それを利用されて誰かに唆されている可能性があるのでは、とメアリは考えた。
なにより、短絡的なブレットがここまで一人で調べ、しかも領主の娘を攫ってこいなどと大胆なことを指示できるとは思えなかった。
あまりにも不穏な内容の手紙に、たとえ本人が書いていても問題だが、もし何らかの目的で他人に脅されて書いたのだとしたら、すでにブレットは——と嫌な予感が頭から離れなかった。
ブレットは昔から調子のいい性格で、易きに流れやすい所があった。
それでもメアリのことだけは本当に大事にしてくれていたし、リサが生まれた後は小売りの行商ながらも地道に働いていた。
しかし、ゲートスケル皇国からの侵略戦争終結後、ゲートスケル商人がファーニヴァルで幅を利かせ始めると、ブレットは変わった。
それまでアルダの下で絹織物の行商をしていたのだが、紛争後贅沢品である絹織物の需要は下がったうえ、ゲートスケル商人が買い占めをして商品自体が品薄となり、一時行商の仕事はほとんど無くなってしまった。
そんな状況の中、仕事がないわりにやけに羽振りが良いことをメアリも不審に思ってはいたが、よもや、仲間やギルドを売るようなことをしているとは夢にも思っていなかった。
もしかすると本人も深くは考えずに、簡単に大金が手に入る仕事だと喜んでいただけなのかもしれない。
だが、ギルドの調べにより悪事が暴かれ、商人ギルドを破門されると、どこの商人からも相手にされなくなった。くさったブレットは家にも帰らずあちこちに借金を作って酒場に入り浸るようになった。
その後、ギルド会長のアルダを逆恨みして襲撃に及び、罰を受け————いつの間にか、ブレットの姿を見る者はいなくなっていた。
仕事も家族も、全てを捨てて逃げたのだと誰もが思った。もちろんメアリもだ。
ブレットがギルドを破門になった後、生活に困ったメアリとリサを保護し支えてくれたのは、商人ギルドのアルダ会長である。
大変な時に助けてくれたアルダ会長と、仕事をメアリに与え生きる道を拓いてくれたアミーリアに、メアリは感謝こそすれ、恨みなど一切ない。
それなのに、どうしてブレットはキアラ誘拐の片棒を担ぐ手伝いをメアリがすると思えるのだろうか。
手紙の文面からは、あの妄想じみた考えを真実だと思い込み、メアリが指示に従うことを全く疑っていないことが伺えた。
どこまでも自分中心で利己的な考えのブレットに、メアリは情けなく、呆れるばかりだった。
こんな手紙など、無視すればいい————そう思ったが、『大変なことになる』と最後に書かれていたのがひどく気になった。
大変なことになるのはファーニヴァルではなく、もしかしたらブレットなのかもしれない。
メアリが行かないとブレットの身に危険が及ぶ、そんな風に思えて、怖くなった。
どうしようもない夫だと呆れもしたし、もう未練もないが、死んだり酷い目にあって欲しいと望んだことなどない。
(待ち合わせ場所に行ってみてブレットが居たなら、変な考え違いを糺せばいい。居なかったら……そのまま戻って誰かに……アルダ会長に手紙を見せて相談しよう)
先にアミーリアに相談しようかとも考えたが、アミーリアの迷惑になるかもしれないし、なによりそんな男と結婚していたのかと思われるのがひどく恥ずかしくて、どうしても話を切り出せなかった。
「メアリ、こっちだ」
待ち合わせ場所の大通り沿いにある雑貨屋に到着する手前で、メアリは突然腕を引かれて細い路地に連れ込まれた。
「いやっ……」
口を布で塞がれて、悲鳴は途中で途切れた。
「ちゃんと連れてきてくれたんだな。信じてたよ……メアリ」
目の前には、夫のブレットが卑屈な笑顔を浮かべて立っていた。
(ブレット⁉ じゃあ、私を押さえ付けているのは誰?)
後ろから口と腰を強い力で拘束されて、身動きが取れない。ブレットはメアリの腕からリサをもぎ取ると、さらに現れた別の男へと手渡した。
(リサ! リサをどうするつもり⁉)
無我夢中で抗っていたメアリの意識は、ここで不意に途切れた。
次に意識を取り戻した時、メアリは手首を縛られ猿轡をされていた。
周りには埃除けの布を掛けられた荷物がたくさん置かれている。自分にも同じ布が掛けられていた。ガタガタと揺れる感覚からどうやら荷馬車に乗せられていることが判った。
(ここは⁉ リサはどこ⁉)
身動ぎすると、気配を察したのか声を掛けられた。
「メアリ、気が付いたか。到着するまで悪いがそのままでいてくれよ。急いでいるから、馬車を停められないんだ」
声のした方——御者席の方へ顔を巡らすと、ブレットが馬を御していた。他には誰もいないようだ。
(どういうこと? なんなの? リサは⁉)
聞きたくても、猿轡のせいで呻き声しか出ない。
「お前がキアラを連れてきてくれたから、たんまり謝礼を貰えたぜ。おかげで俺たちは新天地で再出発できる! リサは後で引き取りに行けばいい。あの方がそれまで保護してくれると言ってたから、リサは大丈夫だ。安心してくれ」
(何言っているの⁉ あの方って誰よ! それに私が連れていたのはリサよ? キアラ様じゃ……!)
ここでメアリは、ブレットがリサをキアラと勘違いしていることに気が付いた。
(そんな……! キアラ様じゃないとわかったら、リサはどうなるの……⁉)
領主の娘ではなく、ただの平民の娘だとわかったら……。それよりも、わざと身代わりを連れて行ったのだと思われたら、リサは何をされるか————
恐ろしい予感で、メアリは血の気が引いて、意識が再び遠ざかりそうになった。
「やっぱり、俺にはお前たちが必要なんだ。新しい土地で一緒に頑張ろうな」
浮かれたように勝手なことをほざくブレットに、メアリは初めて殺意を抱いた。
なにが家族だ。きれいな服を着ているだけで、自分の娘がわからなかったくせに!
いくらボンネットで髪が見えなかったとしても、顔を見ればわかるだろう!
娘の顔もわからないお前に、私たちが必要なもんか!
私たちはお前なんかとどこへも行きたくない! リサを返せ!
悔しさでメアリの目にはしとどに涙が溢れた。
やはりアミーリア様にあの時相談するべきだったのだ。
自分の愚かな羞恥心のせいで、リサを危険な目に遭わせてしまった……。
なんでブレットがひとりで来ると思い込んでいたのだろう……!
取り返しのつかない後悔にメアリが臍を噛んでいると、ブレットがひひ、と何かを思って嫌らしい笑い方をした。
こんな嫌な笑い方をするひとだったかとメアリが眉をひそめていると、「あいつらが酷い目にあうところを見られないのは残念だったがなぁ」と、ブレットははしゃいで言った。
「なぁ? メアリもアルダとアミーリアが苦しんで死ねば嬉しいだろう? あいつらのせいで、俺がどんなにツライ目にあったか! 全部、全部あいつらがいけないんだ‼ だから、俺はあの方が二人を始末するっていう計画に喜んで協力することにしたんだ! はは! いい気味だ!」
狂ってる……
高笑いを続けるブレットを前にして、本気でメアリはそう思った。
もはやブレットに対して、何の情も憐みも感じなかった。
目的地とやらに着いて、リサが殺されているのが分かったら、自分がこいつを殺してやる。
そう決心した。
もう心のほとんどは、この見当違いな恨みを募らせているブレットに対するどす黒い憎しみで埋まっていた。アミーリアに相談することを躊躇していた自分すら憎んだ。
だが、まだほんのちょっぴり残っていた憎しみに埋まっていない心のどこかで、メアリは懸命に祈った。
(リサ、アルダ会長……。アミーリア様……、どうかどうか、無事で……)
※※※
(うん……?)
ぼんやりと意識が浮上してくる。
頬にあたる固い木の床は荒い振動を伝え、馬の蹄の音も聞こえる。
どうやら馬車に乗せられているらしい。
だが、うっすらと目を開けても薄闇でまわりがよく見えない。……いや、見えないのではなく、何かゴワゴワする厚い布を頭から被せられているようだ。
しかも手首と足首が縛られている。
(どーいうこと⁉)
次第に頭がハッキリしてきた。
確か、さっきまで広場でアルダ会長が子供服の説明と売り出し予定日を発表してて……。
そうだ。その時に、急に予定していない花火が上がったと思ったら、爆発音とすごい煙と、それから————
突然、刺激臭のある布で顔を押さえられた後の記憶がない……
「……キラちゃん!」
キアラがそばに居ないことに気付き、アミーリアは思わず声を上げて体を起こした。
起き上がった拍子に、被せられていた布がずるりと頭から落ちる。
ふいに陽の光が目を差し、まぶしさにぎゅっと目を閉じた。
(まだ明るいってことは、そんなに時間は経っていないようね)
どうやら拐かされたらしいことは理解した。
だが、誰に、どうして?
ゆっくりと再び目を開けて、周りを見渡してみる。
やはり馬車に乗っている。樽や木箱が後ろの方に積んである。幌付きの荷馬車のようだ。
陽の光が入ってくる方、御者席へと視線を移すと——
「えっ? なんであなたが……」
馬を操っている男は、少しだけアミーリアへと振り返ると、再び前を向いて答えた。
「痛いところはないですか? アミーリア。少し手荒なことをして、すみませんでした」
いままでと印象の違う若々しい声に、アミーリアはたじろいだ。
「どういうこと……? なんでこんなことをしたの⁉ ————アントン!」
火傷を負い常に包帯を顔に巻いていた老人、アントンは振り向きもせず肩を揺らして笑った。
「わかりませんか? 僕は貴女を————」
アミーリアとメアリの意識を失わせたものは、一応エーテルを参考にしています。
でも実際には、吸引程度ではすぐに意識を失うコトはないそうで……。
あくまでフィクションとして読んでいただければ。
ちなみに、本当に使うと目覚めた時に頭痛や嘔吐感があるらしく、結構毒性が強いそうです。
ヤバイ薬品です。
ありがとうございました。
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