1 キアラ
『紛争終結を祝う宴』の後、数日のうちにアミーリアとクルサード侯爵はひっそりと王宮内の礼拝堂で結婚式を挙げ、いまはアーカート王国の領土となったファーニヴァル領へ向かった。
一年後、二人の間に女児が生まれたが、アミーリアとギディオンの仲は冷え切ったものだった。
アミーリアはギディオンのことを、父と兄を見殺しにして自分の手柄にしたのだと恨み、元婚約者のシルヴェスター王子にいまだ心を残していた。
ギディオンも、自分と嫌々結婚したことを隠そうともしないアミーリアに嫌気がさし、関わることを早々に諦めていた。
このすれ違いは交わることのないまま、一人娘が生まれた二年ほど後に、二人は相次いで亡くなった————
(……って言うのが、私の読んだ小説『風は虎に従う』前日譚の内容だったのよ)
そしてそれは、概ねその通りに進んでいると思われた。ただ、ある一点を除いて。
そう。その一点こそ、アミーリアとギディオンの一人娘として生まれたキアラ・クルサード。
原作と違うのは、この私、キアラ・クルサードが前世の記憶を持って生まれた————ということなのである!
※※※
私には、前世の記憶がある。
前世最後の記憶は、母親と一緒に出掛けた帰り道で見た、月蝕の紅い月。
赤錆色のどこか禍々しい色の月が、普段歩きなれた道を、見慣れた風景を、何故かまるで別の世界のように感じさせた。
「見て見て! ママ、月蝕が始まってるよ」
「ほんとだ。すごい色ねぇ」
ふと立ち止まり、二人で夜空を見上げた時だ。
車のけたたましい急ブレーキの音。誰かの叫び声。目に飛び込んできた眩しいライトの光。激しい衝撃。
気が付けば、道路に仰向けになり、再び夜空を見上げていた。
(あかい、つき……)
まるで血に染まったような赤黒い月が、私を見下ろしていた。
「き……ら……」
消え入るようなママの私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
けれど、答える前に私の目の前から、赤い月もなにもかもが消え失せ、闇に溶けた。
(で、目を覚ましてみれば、この世界にいたというワケ)
しばらくは夢の中にいるみたいに微睡み「学校いかなきゃ」とか「遅刻だな~。でも眠い」とか「お腹空いたな~」なんてことばかり、ボケボケ考えていたと思う。
たぶん目が良く見えなくて、ずっと視界も頭もぼんやりとしていたからだ。
次第に周りの景色がハッキリと見え始めるのと同時に、頭もハッキリしてきて誰が何を言っているのかを理解できるようになった。
その時にやっと「あれ? なんかヘンだぞ」と、自分の状況を自覚した。
自分の姿を鏡で見なくとも、自分が赤ちゃんの姿なのはすぐに判った。
もうこのあたりで、ピーンときた。
(私、生まれ変わったんだ!)
我ながら、なんとも柔軟性と順応性の高い脳ミソだと感心するが、他に説明つかなかったのだから仕方がない。
しかしよくよく周りを観察すると、どうやらここは日本ではないようだ。
しかもなんだか現代っぽくない。なにやら昔っぽい。つい最近読んでいた『風は虎に従う』の挿絵と、服装とか部屋の内装とかが酷似している気がする。
でもあれは確か、舞台が中世ヨーロッパを模した架空歴史小説だったはず……?
(時代的に過去へ転生ってアリなの???)
盛大に疑問符だけが浮かびまくるが、もちろん答えなんて全く出ない。
(しょうがない。赤ちゃんの私に出来ることは何もないんだから、取り敢えずおとなしくしてよっと……)
早々に私は匙を投げた。
というよりも、前世を覚えているからといって、流行のラノベのように「転生したのは自分に何かの使命があるのかも!」とか「過去に戻ったのは何かを成し遂げなきゃいけないのかも!」的なことは、これっぽっちも思わなかったからだ。
むしろ、(なんかお金持ちっぽいおウチに生まれたみたいだし、このままのんびりお世話されてればいいじゃん?)くらいにしか思わなかったのだ。
だが、のんびり大人しく赤ちゃんライフを楽しんで(?)いた私の耳に、しばらくすると聞き逃せないワードがちょいちょい聞こえてくるようになった。
「アミーリア様、キアラ様の本日の離乳食はかぼちゃでよろしいでしょうか?」
「いいわ。あと乳母はもう下がって。キアラの面倒は私がみるから」
「そんな、いけません。クルサード侯爵家の奥方が子供の世話をするなど……」
「自分の子供を自分の手で育てて何が悪いの⁈」
「外聞が悪うございます。旦那様が恥をかかれます」
「ギディオンの面子なんてどうでもいいわ! 私の子の面倒は私がみます! 誰にも何も言わせないッ!」
「アミーリア様!」
(え。え、ええ————‼)
私は目を剥いて驚いていた。
出てくる名前全部に心当たりがあり過ぎる。
(でも……、まさか……。だって、小説だよ……?)
“アミーリア”も“キアラ”も“ギディオン”も“クルサード侯爵”も————全てが前世で大好きだった『風は虎に従う』という小説に出てくる人物の名前だった。
ひとつ、いやギリふたつ位までだったら、偶然で片付けることもできたかもしれない。けれどさすがに四つは……、とは思うものの、
(いやいや。時代を逆行で転生ってどうなの、と思ってたのに……そのうえ小説に転生? ナイナイ。ナイわー!)
と、ひとりボケツッコミで必死に内心の疑いと不安を誤魔化した。
だって、その小説ではアミーリアとギディオンは早死にするうえに、成長したキアラは悪役でやっぱり早死にする運命……。
とてもじゃないが、受け入れられるワケがない!
私は自分の馬鹿げた疑いを払拭する為に、耳と目をフル稼働させてしっかり観察することを決めた。
(小説の中なんて有り得ないでしょ。たまたま同じだっただけだよね~)
そんな風に楽観的に思っていられたのは、ほんの数日だった。
疑いは日を追うごとにどんどん確信へと変わり、いまではすっかり絶望に取って代わった。
今世の母——アミーリアが、ファーニヴァル公国の公女だとか、この国がアーカート王国だとか、母やメイドたちの会話から漏れ聞こえる地名や名前があまりにも……小説と被り過ぎた。
(もはや疑いようもないわ……。だとすると、両親が死ぬのは————)
そこに思い至って、ぞくりと体が冷えた。
絶望なんてしている暇はない!
小説では私が生まれてからだいたい二年後にアミーリアは亡くなる。ギディオンもアミーリアが亡くなってしばらく後に死亡する。
自分はいま生後何カ月なんだろうか?
いまだ喋れないし、ひとりで歩くことも出来ないので、一歳にはなっていないのかもしれない。
(そうすると、あと一年は猶予があるかも。それまでに何とかアミーリアの死ぬ原因を伝えないと……!)
そう決心した私は取り急ぎ、滑舌を良くする訓練をひそかに始めることにした。
早く喋れるようになって、母に警告しなくては! と、思ったのだ。
「あえんお、ああいな、あーえお」
「なぁに? キラちゃん。最近おしゃべりねぇ」
「あーい。あいのい、ういのい、あっうえお」
「おおー。お話の練習かな? えらいえらい。キラちゃんは頑張り屋さんね」
話す練習をしながら、私はアミーリアを窺っていた。
前世のことを話し、警告する決心をしたが、信じてもらえるか、本気で聞いてもらえるかは未知数だ。
それなのに、どうして敢えて話すと決めたのか? それは————
私のことを“キラちゃん”と、今世の母は呼ぶ。
キアラだから愛称といえばいえるのだけれど、その呼び方と、小説の“アミーリア”とは印象の違う今世の母に、私はある期待を抱いていた。
その期待ゆえに、母に話すことを迷いなく決めたとも云える。
そして、私が一歳の誕生日を迎える頃、その期待は間違っていなかったことが証明されたのだ。
ある日、アミーリアは私に食事を取らせた後、午睡をさせるためにベビーベッドへ運ぶと、壁に掛けられたカレンダーにふと視線を止めていた。
私はというと、寝かされてすぐにウトウトし始め、気持ちよく夢の国へ向かおうとしていた。そこにアミーリアのひとりごとが聞くともなしに聞こえてくる。
「来週の六月十二日は、キラちゃんの誕生日……」
この世界の暦は、なぜか前世と一緒だ。アミーリアは十二日の日付を指さした後、つぅっとその下の段の二十二日に指先を移した。
「六月二十二日は、キラちゃん……あきらちゃんの誕生日だね……。あの子は無事だったのかな……」
涙ぐむアミーリアの呟きが聞こえ、私は夢の国からぎゅんと最速でUターンした。
六月二十二日は、前世の私の誕生日。
明煌は、前世の私の名。
そして前世のママも、私のことを“キラちゃん”と呼んでいたのだ!
(やっぱり! やっぱり、ママだったんだね! ママ、ママ‼)
ずっとずっと、アミーリアが前世のママと重なって見えていた。
娘LOVEで、口は悪いけど心根は優しくて、正義感が強くて真っ直ぐな性格のママ。自分の意見をどんな時でもハッキリ言えて行動力のある、私の自慢だったママ。
いつも一緒で、死ぬときもそばにいたママ。
今世も一緒にいてくれた。私のママでいてくれた……!
感極まって、ギャン泣きした。
アミーリアは火が付いたように大泣きする私を慌てて抱き上げて「どうしたの?」とあやしながら背中をぽんぽんと叩く。
私は嬉しさと、そしてこれから起こるであろう未来への恐怖で————すぐに泣き止むことができなかった。
しばらくして、私はママを助けたい一心か、語彙と言葉の爆発期をとんでもない速さで迎えた。
とうとう満を持して、アミーリアに全てを伝える時がきたのだ!
「ママ! 私は明煌よ! 話したいことが一杯あるのッ!」
ありがとうございました。
気に入っていただけましたら、ブックマーク・評価をいただけると嬉しいです!