16ー③ アミーリア
「……は⁈ はぁっ⁈ なんですって⁈」
あまりの衝撃に、淑女の仮面などどこかへすっ飛んで行ってしまい、アミーリアはうっかり地で問い質した。
「誰が言い出したのかは定かではないのですが、まるで決まったことのように話されておりますわ。……アミーリア様と殿下が想い合っておられたことも、その……クルサード侯爵様との婚約発表の際にアミーリア様がショックで倒れたことも周知の事実ですし、キアラ様という跡継ぎを儲けられたことで侯爵様への責任は果たされたから、きっと殿下は愛するアミーリア様を自分の元へ呼び寄せるつもりなのだ、と……」
アミーリアが黙っているので、ラミアはそのまま続けた。だが実は、はた目には静かに聞いているように見えたアミーリアは、上限を超えた嫌悪感で頭が真っ白になり、フリーズしていただけだった。
「その噂が流れ始めてから、ロザリンド様の様子がおかしく……というか、正妃らしくない、余裕のない行動をするようになったのですわ。シルヴェスター様が側妃の局に行こうとするのをわざとらしく公務を引き合いにして引き留めたり、夜伽のあった側妃に対して公然と不快感を露わにして嫌がらせをしたり……。そんなことがあったので、正妃であり、恐らく次代の王太子の母となるロザリンド様の不興を買いたくないからと、アミーリア様から贈られた子供服を手に入れたくともロザリンド様を憚って、貴族たちは大っぴらに「欲しい」と声を上げられないのです。実際、ロザリンド様はアミーリア様からの贈り物を『王家御用達ではない、出処の分からない低級な麻製品を大事な王子に使うなど以てのほか』と見向きもせず捨て置かれましたわ。可哀想なことに、第一王子は体が弱いのに肌荒れまでひどくなって……。けれど、殿下はロザリンド様が何をされようとも全く注意するそぶりもありません……」
ここまで言ったところで、ラミア達側妃三人は揃って上目遣いでアミーリアの反応を伺った。
なんだかんだ言っても、三人はいまではシルヴェスターの側妃であり、王女の母でもある。
果たして、彼女たちがシルヴェスターに愛情を持っているのか、それはアミーリアにも測れない(興味もない)。
だが、例えあってもなくても、正妃であるロザリンドの他に自分たちを含め六人もの側妃がいる後宮に、これ以上のライバル——争いの種——を増やしたくないというのが本音なのであろう。
ましてや、相手が相思相愛だったと思われているアミーリアとあっては、尚更なのかもしれない……。
やっと頭が回り始めてそこまで考えると、アミーリアは飛んで行った淑女の仮面を急いで引き寄せて被り直し、再び外れないように心の中で仮面の紐をぎゅうぎゅうに片結びして締め直した。
「…………まぁ! いやだわ。あれから三年近く経っているのに、そんなおかしな噂がたつなんて!」
ころころとアミーリアは心底おかしそうな笑い声をあげた。内心の怒りを必死に押し隠して。
(いったい、どこをどうやったらそんな噂が出てくるのよッ‼ 気持ち悪ッ‼)
三人の側妃たちや親しくしていた王宮女官との手紙のやりとりから、ロザリンドの横槍で“アミーリアの贈り物”の評判が思ったよりも上がっていないのはうっすら感じ取っていた。
だが、そんな噂のせいでロザリンドがそこまできっぱりと贈り物を無下にし、貴族たちが機嫌を伺って遠慮するような事態になっているとは、アミーリアも予測の範囲外だった。
さすがに愛妾うんぬんなどと手紙には書けなかっただろうし、それはもう仕方がないと諦めるしかない。
(ラミア様、ありがとう。この情報はアマド国との商談を進めるに十分値する対価だわ! あとでゆっくり話をしましょうね)
知らないでいたら、初っ端から王都での商談に失敗るところだった。
さすが私。危機管理能力ハンパない。いまだ現役、バッチリだわ! と、側妃たちをファーニヴァルに招待した自分を褒めた。
ここで、貴重な王宮の情報源を失う訳にはいかない。なんとしても側妃三人の抱いている不安と誤解を解かなければ。
「もう、三人共そんな有り得ない噂を信じてしまいましたの? さっき話した通り、私は領主夫人としてファーニヴァルでやらなくてはならないことがまだまだ山積みですのよ? 王都に移り住むなんて考えられないし、なによりクルサード侯爵は……」
ここで、覚悟を決めるようにゴクリとアミーリアは唾を飲み込んだ。
「だ、旦那様は、私をとても大事にしてくれていますもの。だから……おわかりでしょう?」
(うわあぁ~! ギディオン様、ごめん! ここだけの話にするから、許して~!)
そんな風に心の中で謝罪しても、あまりの(本人的には白々しい)大嘘に、アミーリアは羞恥でみるみる顔に血が上った。長い睫毛を震わせて、熱を持ってどんどん赤く染まってくる頬を思わず両手で押さえて顔を伏せた。
だがその様子は図らずも側妃たちに、侯爵の愛を一身に受けて恥じらう初々しい新妻そのもの、といった風情に映った。
それに加えてアミーリアの私室周辺の厳しい警備体制や、ギディオンの献身的とも云えるファーニヴァル復興の為の働きなども思い出されて、アミーリアの言葉はひどく説得力をもって側妃たちに響いた。
クルサード侯爵とアミーリアの不仲説は、きっと誤解かデマだったのだと側妃たちはすんなり納得したのだ。
「まぁ……」
「アミーリア様……」
「ファーニヴァルで……お幸せなのですね……」
それは真実なので、アミーリアは力強く断言した。
「もちろんですわ!」
すると側妃たち三人は、申し訳なさそうにして項垂れた。少しでも噂を信じ疑ってしまった自分たちが、その利己的な理由ゆえに恥ずかしくなったのだ。
アミーリアにはその心の動きが手に取るようにわかる。だが彼女たちが抱いたその罪悪感を利用することに躊躇することはない。
「……ただ、あんな目にあった私が、そんな簡単に王宮へ戻ると思われていたなんて、心外ですわ……」
罪悪感をさらに煽るように、アミーリアは殊更悲しそうに呟いてみせた。
ファーニヴァル公国が亡国となったのをきっかけに、婚姻直前だったにも関わらず、突然宴の席で王子との婚約を破棄され、すぐさまクルサード侯爵と否応なしの政略結婚。
そんな風に大勢の前で恥をかかされ、王家の身勝手に振り回されたアミーリアが、あっさり元の鞘に収まるなどと、どうして自分たちは思えたのか。側妃三人は消え入りたい思いに駆られた。
「も、申し訳ございません……アミーリア様……」
「わたくしったら、なんという考え違いを……」
「浅はかでしたわ」
謝罪する三人を前に、アミーリアはさらに哀しげにため息をもらした。
「私の信頼するあなたたちですらそんな根も葉もない噂を信じたのですもの。多くの貴族たちは尚更でしょうね。ああ、なんてこと。困ったことになったわ……」
よよとアミーリアは涙ぐんで頽れた。
「アミーリア様!」
「わたくしたち、何かしてしまったのでしょうか?」
「いいえ……。あなたたちは何も。でも————ううん。なんでもないの……」
「どうか、どうか仰って下さい! アミーリア様、お詫びに何でも致しますから!」
若干演技過多だったかしらと心配したのだが、側妃たちが必死に取りすがるのをみて————アミーリアは内心しめしめと笑んだ。
(でも、もう一押しッ!)
「さっきの……、祭りで発表したいと言っていたことが、どうやらこれで完全に頓挫してしまったみたい。残念だけれど、忘れていただけるかしら……。ごめんなさいね……」
暗い表情で無理に笑うアミーリアに、三人は悄然とする。
「そんな……。領民の為になることではなかったのですか? 先程の話と何の関係があるのでしょう?」
「そうですわ、アミーリア様。わたくしたち協力すると言ったではないですか。何がいけなかったのですか? どうか、教えてください」
「アミーリア様!」
「皆様……。けれど、あなたたちに迷惑や心配をかけたくないの……」
「迷惑など! アミーリア様の為なら、気にしませんわ!」
「ええ! 心配もむしろさせて下さいな!」
「そうですわ!」
アミーリアは感動に瞳を揺らし「ありがとう……」と感極まったように礼を言うと、やっとここで“計画”を明かしたのだった。
ファーニヴァルの領民に衛生的な暮らしを提供する為に、安価な“麻”の肌着や子供服の販売を発表するつもりだったこと。
そしてその最初の運転資金は、王都の貴族向けに販売する“高級麻製品”の利益から捻出するはずだったことを————。
「……と云うことは、このままでは運転資金そのものが手に入らず計画が危ういのですね……?」
カリスタが愕然として呟いた。
「大丈夫よ、そんなに御心配なさらないで。私にだって多少の財産はあります。ちょっとだけ最初の計画より規模を縮小するか、進みが遅くなるだけですから……」
悔しさを押し隠し、愁いを帯びた表情を浮かべるアミーリアに、側妃三人の心はひどく痛んだ。
「そんな……。アミーリア様が領民を思って計画されていたことなのでしょう? そんなこと、駄目ですわ!」
「あの噂は事実無根だと、わたくし言って回ります」
「そうですわ。他にも、わたくしたちでなにか出来ることはありませんか?」
真剣な顔で、側妃三人はアミーリアに向かい合う。
「……本当に、本当にそう思ってくださるの?」
アミーリアもしゃんと背を伸ばし、真剣な顔で問い返す。
三人は神妙な面持ちで、深く頷いた。
「でしたら、“麻製品”を欲しいと問い合わせのあった方々に、私ではなく、ある人物を代わりに紹介していただけたら……。勿論、その人物は私が全幅の信頼を置く身元の確かな者ですわ。でもこんなこと……本当にお願いしてもいいのかしら……?」
不安げに瞳を揺らしてアミーリアが三人に訊ねると、
「ま、そんなことで宜しいの?」
「お安い御用です」
三人はあっさりと了承した。
むしろアミーリアのお願いに拍子抜けしたと言ってもいいくらいだった。
三人は、代わりの資金援助やロザリンドを説得して欲しい等、もっと大変なことを想像していたからだ。
「あぁ、ありがとう! あなたたちには心から感謝いたしますわ!」
そう言って浮かべたアミーリアのホッとしたような、それでいて輝くような笑顔を見て、三人の側妃たちは「もっとアミーリア様の喜ぶ顔が見たい」と、俄然やる気を漲らせた。
実を言うとこのおかげで、図らずもアミーリアの計画は何段階かをスキップして前進することになった。
そもそも、アミーリアが王都の貴族相手に商売をしようと考えた時、ネックとなることがあった。
いきなり「いいものありますよ~」と商品をみせたところで、いくらアミーリアがファーニヴァル公女で王子の元婚約者だったとしても、老獪な王都貴族から見れば、所詮は何の実績もないただの貴族の御令嬢である。
商売に関しては信頼も信用もないし、かと言っていきなり商人を紹介しても、会ってもくれないか足元を見られるのがオチである。
そこでまず思い付いたのが、口コミである。
キアラと同世代のシルヴェスターの王子王女たちに商品である麻製品を贈り、その良さを文字通り肌で感じてもらい、王宮内で先んじて噂を立ててもらう。ここまでは仕込み済みだ。
噂がほどよく広まり購入意欲が高まったところに、アミーリアがまず自ら王宮へ赴き、購入を希望する貴族と一人ずつ話をつけ、最初は個人から地道に販路を広げていくつもりだった。
商品に関しては自信があったので、一度商品を手に取ってもらえさえすれば商機はあると踏んでいた。
その後、うまく取引成功となれば、麻製品の品質の良さの認知度と商品への信頼が上がった頃合いを見計らい、アルダ達ファーニヴァルのギルド商人を紹介して商談を引き継がせて、販売の規模を大きくするのと共に、平民向けの安価な麻製品を本格的に売り込んでいく——という算段でいた。
しかしアミーリアが愛妾になるという謎の噂のせいでロザリンド妃の不興を買い、アミーリアが王宮に行っても無駄足になるところであった。
だが、禍福は糾える縄の如し。逆にその噂のおかげで側妃三人はアミーリアに対して罪悪感を抱くことになり、アミーリアはそれをありがたく利用させてもらうことにした。
アミーリアの代わりに側妃であるラミア達が、プロの商売人であるギルド商人を貴族に直接紹介して渡りをつけてくれるのならば、アミーリアがするつもりだったことを全て短縮し、そのまま商談へと直結できる。
なんせ、側妃たちの口添えとなれば、それはいわば『王家御用達』と言っても過言ではないではないか!
アミーリアはこれにより一切表に出ることはなくなり、ロザリンドを憚っていた貴族たちもさして気にすることなく購入してくれるだろう。
(それにしてもロザリンド様。王家御用達だなんて、なかなかいいことを教えてくれたじゃない)
アミーリアは影でひっそりとほくそ笑んだ。
※※※
アミーリア。
やっと貴女を迎える準備が整ったよ。
長く待たせて悪かったね。
迎えに行ったら、きっと貴女は喜んでくれるだろう。
それとも遅いと怒って、愛らしく拗ねるのだろうか。
僕をそのうつくしい瞳に映し、笑顔になる貴女がみたくてたまらない。
ああ。アミーリア————俺の妖精。
貴女をこの手にできるのは、きっともうすぐ…………
※※※
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