12 キアラ
蝕のあった次の日、レティス城の秘匿された場所“蝕の間”へ向かうことになった。
まず向かったのは、城の最奥にある“玉座の間”。
その小さな部屋には、金銀と宝石でごてごてと飾られた玉座しか置かれていない。が、先々代の大公が命じ、当代最高の職人たちを呼び寄せて手間と贅を尽くして作らせたと伝えられる、レティス城の中で一等豪奢な部屋である。
玉座の上には天蓋があり、玉座を守るように幾重にも美しいドレープを描くカーテンが垂れ下がっている。玉座の背面には、ファーニヴァル大公家の百合の紋章が織り込まれた大きなタペストリーが掛けられていた。
玉座の背面以外の壁と高い天井には建国物語の壁画——この地を見出した元アーカート王国王子が民を率いて土地を拓き、その子孫たちが国を発展させていく様子——が、精緻な筆致で描かれている。
「ママ、あれが初代大公なの?」
キアラは最初の壁画に描かれている、小高い丘から草原と湖を見下ろす若く凛々しい男性を指差して聞いた。
「そうよ。小説に書いてあった?」
「ううん。詳しくは何にも。ファーニヴァル大公家とアーカート王家が遠い親戚だってことは書いてあったけど」
「そう。じゃあいい機会だから、この国の興りをざっと説明してあげる。まぁ、大公家に伝わっている話だから、どこまで真実かはわからないけどね。どうせいいカンジに改竄されているだろうし!」
アミーリアはニヤリとしながらそう言うと、壁画の前をゆっくりと移動しながら、話し始めた。
ファーニヴァル公国の興りは約五百年前、アーカート王国の第一王子がこの地に隠遁したことから始まる。
庶出の第二王子との後継者争いを厭うた嫡出の第一王子は、本格的な争いになる前に自ら身を引き、当時は山と湖があるばかりで何もないアーカート王国のはずれ——未だ王国の支配が進んでいない土地——ファーニヴァルの地の大公に封ぜられ、第一王子に従う者たちと共に移り住んだ。
潔く身を引いたことで大公を拝命し、その地の自治権を与えられはしたが、それはある意味流刑も同然の措置であったかもしれない。
だが、第一王子——初代ファーニヴァル大公は、この地をいたく気に入った。
王国からみれば辺境の未開の地であったが、水と緑は豊かなうえ気候も温暖で住みやすく、調べてみれば鉱脈を抱える山々に囲まれた自然の要塞のような土地であった。
初代大公はファーニヴァルの地の開拓に民と共に粉骨砕身尽力し、見る間に発展させた。そして二十年も経たないうちに宗主国であるアーカート王国から独立し、“公国”となることを宣言したのだ。
そうして公国は繁栄を続け、いつしか『オラシアの宝石箱』と称されるほど、豊かな実りと豊富な資源を持つ国となった————
「で、その豊かさの象徴がこのきんぴかの部屋ってことよ」
丘から見晴るかすファーニヴァルの栄える公都が描かれた最後の壁画の前で、皮肉気にアミーリアはそう締めくくり、二人は改めて部屋の中を見渡した。
金箔や宝石で装飾された柱や梁は、豪華で巨大なシャンデリアの光を反射してまばゆいばかりに輝き、どこを見ても目が潰れそうだ。
ふとアミーリアはそのシャンデリアに目を向け、この儀式のためだけに点灯される大量の蝋燭とその労力を考えて、非常に申し訳ない気持ちになりため息をついた。次回からはシャンデリアを点灯するのはやめようと心に決めた。
キアラもこの“きんぴかの部屋”を見て、(最初はどうあれ、相当腐ってるね。大公家)と呆れていた。
何故なら、この部屋は“蝕”の後に大公家が行う儀式にしか使われない。
ここは、“豊かさの象徴”と云うよりは、自分たちの富を確認し自尊心を満足させるためだけの部屋なのだ。
そんな部屋の中に、キアラとアミーリアはいた。豪奢な部屋とは相反した、汚れてもいい簡素な普段着で。
しかもアミーリアはキアラを背におんぶしていた。さらしのような幅広の布のおんぶ紐を胸の前でバッテンに掛けた、古式ゆかしいおんぶ姿だ。手には実用的なランプがひとつとウエストポーチのようなものを腰に巻いている。
儀式に臨む恰好としたら、おそらく前代未聞だっただろう。
以前は、この部屋で格式ばった仰々しい儀式を行ったものだが、実際のところ全く必要ないものだ。ある程度の権威付けには有効だったのだろうが、いまとなっては面倒なうえにお金もかかるので割愛だ。
使用人たちには、アミーリアとキアラがこの部屋で『大公家禁秘の儀式』を行うのだといってある。
その恰好で⁈ という顔をされたが、アミーリアの文句があるかという無言の圧に、誰もが口を噤んだ。
「では、これから儀式を始めるので扉を閉めます」
アミーリアが部屋の外にいるアナベルに声を掛けると「私が居てはダメなのですか?」と昨日から何度も繰り返された懇願を再びされた。アミーリアも昨日と同じように首を横に振った。
「ダメよ。扉の外で待っていて」
そう言って、玉座の間の扉と鍵を閉めた。
この奥だけは、駄目なのだ。その意味を、代々の大公は次代へと伝えてきた。……ハズだ。
これからキアラにもきちんと伝えなくてはならない。と、アミーリアは神妙な心持ちで考えた。
アミーリアは玉座の間をまっすぐ玉座の方へ進み、到着するとその後ろへ回った。玉座の後ろの壁に掛けてあるタペストリーを手に取り、ぺらりとめくる。
「じゃ、キラちゃん。行くから、ちゃんと見ててね」
ここには隠し扉がある。壁の、床に近いある場所を押すと、かちりと音がして壁の一部が静かに横へとスライドした。
隠し扉の先には、何の装飾もないただの石の螺旋階段が下に向かっている。下の方は真っ暗で、かなりの段数があることが見て取れた。
ランプを付けて、慎重に降りていった。キアラをおぶっているのでアミーリアはいつも以上に気を付けた。
時間にして十数分も階段を降りていただろうか。しばらくすると踊り場に到着した。踊り場からはまっすぐ伸びた通路に繋がり、その先に扉が二つある。
アミーリアはまずは奥にある扉の方へ向かう。ウエストポーチから鍵の束をだすと、扉に五個ある鍵穴のうち、三個を鍵束から鍵を選んでカチリカチリと開けていく。
「キラちゃん。これね、絡繰りになっていて、鍵の開ける順番を間違えるとロックされちゃうから。あと、この五個の鍵穴の内二個はフェイクで、そっちに鍵が差し込まれてもロックがかかるの。ロックを解除するには、城の宝物庫にある解除用の鍵を使わないといけなくて、何度も往復するはめになるから、気を付けて覚えてね」
「う、うん……」
アミーリアは、鍵穴はここが最初で、二番目はここ……、鍵は最初がこれで……と指し示してくれたが、キアラは一度で覚えられる気がしなかった。
「蝕の度にここには来なきゃいけないから、その都度教える。ちゃんと憶えてね」
「はい」
キアラが神妙に答えるとアミーリアは満足そうに頷き、扉を開けた。
「わ、あ……」
思わずキアラは声を上げた。
扉の向こうは室内かとおもいきや、目の前には山々を見晴るかす景色が広がっていた。
そこは切立った山の中腹にある、ちょっとした窪地だった。城のある方向以外は断崖絶壁。誰も来るはずがないのに、不思議と手入れをされた広場のように窪地には草がない。周辺は茂みや木立が鬱蒼としているのに、なんとも不思議な空間だ。
この窪地がある山を背に城が建てられているので、城の隠し通路から来ないとこの場所には出られないのだろう。出てきた扉を振り返ってみると、平屋の石造りの建物になっており、出てきた扉と反対側の端が城の一部である背の高い塔に繋がっていた。
隠し扉の入り口があったのは城の最上階にある“玉座の間”、隠し扉の中の螺旋階段は、この背の高い塔。ということは、城の最上階から最下層まで一気に降りてきたのか、とキアラは塔を改めて眺めた。
(ママが面倒がるはずだ。これ、また昇っていかなきゃならないのか……)
キアラが帰りの心配をしている間に、アミーリアは窪地の中央まで歩いてきていた。周囲を注意深く見回すと「今回はなにも落ちてこなかったみたいね」と安堵とも残念とも云うような口調で呟いた。
「昨日の蝕は三十分くらいで終わったものね。時間が長いと落ちていることが多いらしいわ」
(世界の落し物って比喩ではなく、本当に何かが落ちているのか……)
そういった詳しいことは小説には書かれていなかったので、キアラは興味深く話を聞いていた。
どうやら“世界の落し物”は毎回あるわけではないらしい。それにしても落し物っていったいなんだ。
「本当かウソかは知らないけれど、ずいぶん昔に丸一日以上蝕が続いたことがあって、その時は魔物が落ちてきたって話もあるわ。記録に残ってないから眉唾だけどね」
“蝕”は突然前触れもなく起こり、起こっている時間も数十分の時もあれば、長い時には一日続くこともまれにあるという。だが、丸一日以上は、破格に長い。
「えー? 魔物ってなんだろうね。気になるぅ」
ちなみにこの世界には魔物とか悪魔とかも(たぶん)いない。存在するのはほとんど地球上の生物と一緒である。
「その一端には触れられるわよ」
「どういうこと?」
「見ればわかるわよ」
キラちゃんの反応が楽しみ~と、アミーリアは出てきた扉に戻り、さっき素通りしたもうひとつの扉へ向かった。
もうひとつの方も、最初の扉と同じ様に五個の鍵穴があり、また違う組み合わせで鍵を開けた。
「ママ……この鍵の開け方ってメモしちゃダメ、なんだよね……」
「そうねぇ。覚えてね」
にっこりと圧のある笑顔で返され、うぐっとキアラは口籠った。
「さぁ、キラちゃん。ここが“蝕の間”、ファーニヴァル大公家秘密の宝物庫よ!」
扉の先は、宝物庫という割に見た感じは倉庫だった。
二十畳ほどの広さの部屋に、陳列棚のようなものや、細かく仕切りのある棚や木箱などが、所狭しと置いてある。その中にはサイズの大小はあるがどれも手で持てるくらいの“なにか”がおさめられていた。
木箱の中に何個も無造作に置かれているもの、ガラスケースに大事に入れられているもの、と保管の仕方はさまざまではあるが、どれにも年代と日付が書かれた札が付けられている。
近くにあった木箱を覗くと、なんとなく見慣れた品々が目に入った。
「ママ! これ、スニーカーじゃん! え? それはTシャツ?」
片側だけの薄汚れて底が破れたスニーカー、何かのキャラクターが描かれたボロボロのTシャツ……。
驚くキアラを見て、アミーリアはしてやったりとでも言いたそうにニヤニヤしていた。
「“蝕”の後にはね、時々こういうモノがあの窪地に落ちているの」
「え。と云うことは、蝕の時に地球のものがあそこに落ちてくるってコト⁉」
「いまの私たちには地球のものってわかるけど、この世界の人間には全く見たことも聞いたこともない、“世界の落し物”としか言いようのない不可解なものなんでしょうね」
「ここにあるモノ、全部地球のものなの?」
「全部って訳でもなさそうなの。ママにもなんだか分からないものが沢山あるから。ただ、落し物は過去も未来も関係ないみたいだから、もしかしたらママが見て分からないものは、うんと未来の地球から落ちてきたものかもしれないし、もしくは地球以外の別の惑星、別の次元の世界……そんな可能性だってあるわよね」
思っていた以上に“蝕”は不思議設定だった……! とキアラは愕然とした。
「それで、ここからが重要よ、キラちゃん。ファーニヴァル大公家は昔から、この落し物をきちんと保管し、記録を付けているの。この本棚にある日誌が全部そう。ここには“蝕”のあった日と時間、落ちていたものの形状をできるだけ詳細に記しておく。初代大公がこの場所を発見してからずっと続けてきたことなの」
初代大公——アーカート王国の元王子——がこの窪地を見つけた時、そこら中に妙なものが落ちていた。大方は何に使うのかわからぬガラクタばかりであったが、中には目を瞠るような驚くべきものもあったと云う。
「初代大公はガラクタの中から、特殊な金属の破片や見たことの無い織り方の布、見知らぬ加工技術で作られた宝飾品……、そういったものを目敏くみつけたらしいの。いまのファーニヴァルの発展は、それらを研究資料として模倣したところから始まっているのよ」
「へぇぇー!」
そうか。だから主人公は、小説の中では失われてしまった“世界の落し物”の場所を探したのか。
「ここにあるものは本来持出禁止。国家機密ですからね。代々の大公は、この意味をちゃんと理解し、遵守してきたはず……なのに。あの馬鹿親子ッ……‼」
突然アミーリアは激高した。
「ママ?」
アミーリアはつかつかと部屋の奥にあったガラスケースに近付いた。ガラスケースの中はビロードのクッションが置かれていて何か貴重な物があったことを伺わせたが、そこには札が数枚残っているだけで、なにも入ってなかった。
「ここには宝飾品が保管されていた。大公の即位の際にだけ正妃がつけることを許される、ティアラと首飾りとイヤリングのパリュールがね!」
「城の宝物庫ではなく、ここにあったってことは……」
「そう。その宝飾品に使われているダイヤが“落し物”なのよ。この世界ではまだ存在しないブリリアントカットのダイヤ」
ママの説明によると……
ラウンドブリリアントカットが出来るようになったのは、地球でも十八世紀以降。ダイヤを精密加工できる機械の開発と数学者による屈折率や反射率の計算によって可能になったカットデザインなのだそう。
この世界の宝石加工技術のレベルはせいぜいが十五~六世紀くらい(らしい)。現在のダイヤのカットはオールドカットと呼ばれる、カット面がそんなに多くないローズカットが主流だという。
この世界に於いてブリリアントカットのダイヤは、いわばオーパーツ。まだ世に出してはいけないものなのだ。
そんな稀少なものが出回っては、国同士で奪い合い、争い合うことだって起きかねない。
「それをね、この前来た宝石商レヤード、あ、アランだっけ。もうどっちでもいいわ、そいつがその首飾りを持っていたのよ!」
それでレヤードの持ってきた宝飾品をママはあんなに舐めるようにみていたのか、とキアラは得心した。
だが、ならばどうしてあの時に首飾りを買い取らなかったのだろうか……。いや、よく考えればあそこで首飾りだけ買い取ってしまったらティアラとイヤリングを逃してしまう可能性がある。
(そうか。セットで取り戻す為にパリュールが欲しいだなんて、あの時ママは言ったんだ。だけど……)
「でも、それってどういうこと? 盗まれたにしても、誰もこんなところに入れるワケないよ」
ここに来るまでの道のりは秘密にされ、鍵は大公(現在はアミーリア)が隠し持ち、とどめは絡繰りの扉だ。
キアラが尋ねると、アミーリアは憤怒の表情を浮かべた。背中にいても爆発しそうな怒りのオーラにあてられ、キアラは体が震えた。
「きっとあいつらが売ったのよ……! 今度きたら、絶対つきとめてやる……」
「あいつらって? 誰に? 何が?」
アミーリアはキアラの質問にはもう一切答えず、ずっと何かを考えるように黙ったまま、“蝕の間”を後にした。
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