序章
お久しぶりの方も、初めましての方も、見ていただきありがとうございます。
第一部 前日譚編の終了まで、楽しんでいただければ幸いです。
宜しくお願い致します。
「残念だが、アミーリア。君との婚約は破棄させてもらうことになった」
この場は、三国を巻き込んだ紛争の終結を祝う宴の真っ最中。
目の前に立つのは、アミーリアの婚約者にしてこの国の王太子——淡い色の金髪に南国の海のような明るい碧の瞳を持つ美貌の王子だ。
その王子からの突然の宣言に、アミーリアは肩を丸めて小さく震えた。
予期していたものの、やはりハッキリ言われるとショックであった。
さらに寄る辺ない身の上となったことに目の前が真っ暗になり、震える手で着ているドレスの裾を両手でくしゃりと握りしめた。
だんだんと視線と頭が落ちてきて、アミーリアは項垂れた。
(そんな……。ずっと貴方だけを見ていろと言われ続けて努力してきたのに。これからどうしたら……)
————やれやれだわ! こんな顔だけのヒョロイうらなり王子なんて、私は最初っからまっぴらゴメンだったのよ!
「こんな場での発表になってしまい、君には本当に申し訳なく思っている。だが、仕方がないことを君も理解してくれているだろう?」
アミーリアはさらに項垂れて、王子の謝罪を受け入れるように黙って聞いていた。
(……そうね。仕方がないわよね)
————アンタ馬鹿なの⁈ こんなところで晒し者にしなくても、後で文書なり通達なりで、どうにでもやりようがあるでしょうよ! それをこんな大勢の前で大っぴらに発表して! ナニをどう理解しろっていうの⁈ それで謝っているつもり⁈ 何様よ! ああ、一応王子サマだったわねッ!
「わかって貰えたようで、安心したよ。それと君には酷かもしれないが、この場で私の新しい婚約者も発表することになった」
「え……?」
————はぁぁ⁈
あんまりな事態に、アミーリアは思わず伏せていた頭を上げて、信じられない思いで王子を凝視した。
衆人環視の中で婚約破棄された上に新しい婚約者まで発表されては、アミーリアにとっては恥の上塗り、どこまで自分を愚弄するのかと、さすがに王子の正気を疑った。
王子の方はといえば暗い表情をしてはいるが、アミーリアの気持ちなど忖度する様子はない。
驚愕の目で自分を見ているアミーリアから王子はすっと目を逸らすと、後ろにいる令嬢に視線を送り、前に出るよう促した。
周囲を伺いながら申し訳なさそうに一歩前に踏み出してきたのは、アミーリアも良く知る令嬢だった。幼い頃、アミーリアと同じく王子の妃候補だった隣国の王女だ。
隣国の王女はグラマラスで派手な顔立ちの黒髪黒瞳の美女で、アミーリアのまるで妖精そのものと称えられる可憐な容姿——艶めく亜麻色の髪と神秘的な薄紫の瞳——とよく較べられた。
王子はいつもアミーリアではなく、「ほんとうの美女とは彼女のことだな」とロザリンドへ惜しみない賛辞を贈っていたことを思い出す。
「ラティマ王国のロザリンド王女が今宵から私の婚約者となった。今回の紛争でゲートスケル皇国と我が国に生じた亀裂をラティマ王国が間に入って取りなし、修復してくれたのは皆も周知のことだと思う。ロザリンド王女と私の婚姻により、ラティマ王国とは強固な結びつきを得ることが出来る。これを機に、我がアーカート王国はラティマ王国を通して、ゲートスケル皇国とも友好関係を築いていきたいと願っている。これは陛下も同じ考えであらせられる!」
王子の言葉に周囲の者は、あるものは笑顔で盛大な拍手を贈り、あるもの同士は顔を見合わせて眉根を寄せ、あるものはアミーリアを見て気の毒そうに表情を曇らせた。
祝福や戸惑い、それに不信感がないまぜの、なんともまとまりのないぎごちない雰囲気が漂っている。
そんな中で、王子とロザリンド王女二人は、こっそりと視線を絡め合っていた。
(そう。二人にとってはいい機会だった、ってことね。同じ政略でも好感が持てる相手同士の方がいいものね)
————利用価値がなくなったら、さっさと捨てるってことか! はっ、馬鹿にして!
アミーリアはなけなしのプライドを搔き集め、「……おめでとう、ございます」と精一杯優雅に礼を取った。
「アミーリアなら、そう言ってくれると信じていたよ……」
王子は俯いて、寂しそうに言った。
その愁いを帯びて哀しげな様子を見た者全てが、長い婚約の果てに実らず終わった二人の苦悩と、心の痛みを慮らずにはいられなかった。
しかし、その憂いの王子はといえば、俯いた前髪の陰から薄目で舐める様に眺めていた。蒼白になりながらも気丈に振舞うアミーリアを……。
その瞳の奥には愉悦の光が灯り、口元を僅かに歪ませているのを、誰も——アミーリア以外——気付くことはなかった。
————そう。コレがこいつの本性よ。人を屈服させ絶望の表情を見ては嗜虐の喜びを感じる変態なのよっ! いくら隠そうとしても、私はまるっとお見通しよ! あー、ヤダヤダ。でも縁が切れてほんっとーにヨカッタ! 負け惜しみじゃなくねッ!
(まるっとお見通しって……死語……)
「とは言え、アミーリアの身の振り方を陛下は大変気に病んでおられていて、私の代わりといっては何だが……、アミーリアにも別の相手を用意してくださった」
「え……」
————なんなの? 結婚相手をそんな犬猫みたいに簡単に手配されてたまるもんですか! 失礼なッ!
王子の言葉に、ざわざわと周囲に動揺が走る。
さすがにこれは惨いのではないかと誰もが眉を顰めた。
だが、すぐに一体誰が相手なのかと好奇心の方が勝ったらしく、きょろきょろと探すように誰もが視線を巡らせている。
そこへ————アミーリアの後方の扉から、ひとりの人物が人波を割る様に入場してきた。
遅参しているにも関わらず、その足取りは堂々としていながら大型の獣のようにしなやかだ。しかしどういう訳か、その人物が通り過ぎる時、皆揃って怯えたように脇へ退いて離れていく。
「ああ、侯爵! いままでどこにいたんだ。早くこちらへ」
王子の呼びかけにも硬い無表情で返し、近付いてきたのは————
「アミーリア。君の婚約者となったのは、今回の紛争終結に尽力した英雄……」
王子は愉悦の表情を必死に押し隠し、神妙な顔を作る。だが内心では、アミーリアのこれから浮かべるであろう絶望の表情を一番の特等席で見られる幸運を存分に楽しむつもりだった。
その人物と顔を会わせる為にアミーリアは、振り返る。
「クルサード侯爵だ」
振り返ったアミーリアの瞳に映ったのは、見上げるように高い身長と隆々とした筋肉を誇る逞しい体躯、厳しい表情で周囲を睥睨する偉丈夫だった。
西の辺境を守護する侯爵であり、アーカート王国きっての武の者、ギディオン・クルサード。
虎の如き濃い金髪と金の瞳の持主で、戦場では『人喰い虎』『血風の虎』などと血腥い異名をとった、誰もが畏敬と恐怖をもって語る人物。
そのギディオン・クルサード侯爵が、まるで虎が獲物を見定めるような鬼気迫る表情を浮かべ、アミーリアを見下ろした。
「…………‼」
————ああっ、…………‼
この時、アミーリアの頭の中であることが起こり、脳内が焼き切れるようなスパークが走った。
その為アミーリアはクルサード侯爵の顔を見た途端意識を失い、その場に頽れた。
おかげで周囲の者には、まるでクルサード侯爵が婚約者となったことがあまりにもショックで倒れたように見えたのだった————
※※※
紛争終結の宴にて発表された、ファーニヴァル公国公女アミーリアとアーカート王国王太子シルヴェスターの婚約破棄。
その事の起こりは、宴より遡ること約半年前、アーカート王国に隣接するファーニヴァル公国にゲートスケル皇国が兵を差し向けたことに端を発した。
近年、ゲートスケル皇国は自国周辺の小国を次々と侵略により併呑した。
その勢いは凄まじく、オラシア大陸の半分近くにまで達しようとしており、同じオラシア大陸に在る国々は、国の大小に関わらず相当な危機感を抱き、戦々恐々としていた。
そして、ゲートスケル皇国の急速な大国化と台頭は、周辺の小規模国家にとって危機感だけではなく、無言のうちにある選択を突き付けたのだ。
即ち、このままゲートスケル皇国におとなしく呑み込まれるか、もしくは、ゲートスケル皇国に対抗し得るもう一つの大国・アーカート王国に守護してもらい、その代わりに属国となるか————。
こうした情勢の中、ゲートスケル皇国とアーカート王国という二つの大国に挟まれた国々はそれぞれ選択を模索した。
そのうちの一つ、オラシア大陸の中で最も長い歴史を持つラティマ王国は、いち早くゲートスケル皇国の有力貴族と婚姻を結んで友好関係を築き、独立を維持しようとした。
そしてもう一つ、ファーニヴァル公国は、ゲートスケル皇国側につくか、元々の宗主国であるアーカート王国につくか————ずっと決めかね迷っていた。
そんな状況下に、十三歳を迎えたアーカート王国王太子の妃を国内外の垣根無しに選定するという話が、電撃的に各国へ通達されたのだ。
ファーニヴァル公国の大公は迷った挙句、王子と同い年の自分の娘を候補として差し出した。
ファーニヴァル公国の他にも何カ国かの小国が王女や高位貴族の娘を送り込み、ゲートスケル皇国に付いたと思われていたラティマ王国も第三王女ロザリンドを差し出し、集まった姫君は総勢九名にも及んだ。
その後二年の選定期間を経て、最終的にアーカート王国が選んだのは、ファーニヴァル公国のアミーリアだった。
翻ってみれば、アーカート王国にとって王太子の妃選定自体が、周辺国の真意を質す試金石であったといえる。
年頃の娘を(人質として)差し出す国は、アーカート王国に逆らう意思はない、だがそうでなければ、ゲートスケル皇国に付いたものとみなす、という。
アーカート王国にしてみれば、そうして娘を差し出した国々の中で、王国にとって特に利となる国の娘を婚約者としただけに過ぎなかったのだろう。
婚約が成立した後も、アミーリアはファーニヴァル公国に戻ることなく花嫁修業と称した人質生活をアーカート王国の王宮で送ることとなった。
ラティマ王国のロザリンド王女や他の候補者も、自国に戻ることなく留学という名目でアーカート王国にそのまま滞在していた。
結局、妃候補者全員が体のいい人質であり、恭順の意を示すための道具だったということなのだ。
その頃からしばらく、なぜかゲートスケル皇国は侵略の足を止め鳴りをひそめていた。
だが、アミーリアとシルヴェスターが共に十八歳と成り、いよいよ半年後に婚姻となった時、突如ファーニヴァル公国へと進撃を開始した。
小国ながらも、自然の要害に囲まれたファーニヴァル公国は、なんとか四カ月は攻撃を阻み、持ちこたえた。
だが、ゲートスケル皇国の勢いに次第に太刀打ちできなくなり、公都近くまでゲートスケル軍が迫ると、ファーニヴァル公国は堪らずアーカート王国へ助けを願い出た。
アーカート王国はファーニヴァル公国の救援要請を受け、公国と領を接するクルサード侯爵に出兵を指示した。
すぐさまクルサード侯爵は応援に駆け付け抗戦したが、それでもゲートスケル皇国の攻勢は止まらなかった。
戦闘はさらに激しさを増し、戦場は王城レティス城のある公都にまで及び、クルサード侯爵の善戦も虚しく、その戦いの最中にクルサード侯爵とファーニヴァル大公と大公子の三人が亡くなった。
その報を王宮で聞いたアーカート王国騎士団の西方将軍であるギディオン・クルサードは、すぐさまアーカート王の命を受けて王宮騎士団の一部と西方騎士団、そしてクルサード辺境騎士団を束ねて率い、ファーニヴァル公国を取り返すべく参戦した。
その時のギディオンの奮戦を見た者は、ある者は歓喜に震え、ある者は畏敬の念を持って語る。
『まるで虎のように縦横無尽に戦場を駆け抜けて、目の前に立ちふさがる敵を薙ぎ払っていきました』
『獅子奮迅の活躍とは、まさに将軍の戦場での働きのことです』
『将軍の前には常に血煙がたち、後ろには敵兵が山と積まれました』
証言でもわかるように、ギディオン・クルサードは軍の統率者でありながら、自らも一介の兵のように敵に立ち向かい、圧倒的な力でゲートスケル皇国軍を国境まで追い詰め、ついには追い払った。
戦闘が終わると、ギディオンの姿は敵の血に塗れ、頭から足の先まで深紅に染まっていたという。
その戦いぶりの凄まじさから、ゲートスケル兵はギディオンを見ると「人食い虎」「血風の虎」と叫び、逃げまどったとも聞く。
こうしてファーニヴァル公国から大方のゲートスケル兵を追い払いはしたものの、ゲートスケル皇国はファーニヴァル公国を諦めることなく、その後何度も進撃を繰り返した。
終結が見えない膠着状態はしばらく続いた。大陸の真ん中で争いが起きている為、各国で食料などの流通が滞り、またたく間に物価が上がり始めた。
このままでは大陸全土が荒廃する危険があるとして、ラティマ王国が仲裁に乗り出した。
ゲートスケル皇国有力貴族といち早く婚姻関係を結び友好国となっていたラティマ王国が、ギディオンとゲートスケル軍を取り持つ伝令役と交渉の場を設けたのだ。
そのおかげで、アーカート王国とゲートスケル皇国の間になんとか終戦協定が結ばれる運びと相成った。
アーカート王国王宮にて、紛争終結の報を聞いたアミーリアは、全てが終わってから事の顛末を知った。
ファーニヴァル大公である父と大公子である兄の死。
ファーニヴァル公国はアーカート王国に併合され、すでに亡国となったこと————
もちろん、父と兄の死はショックであったが、もう五年以上ほとんど顔を会わせていない身内の死はなんとなく現実味がなく、悲しみは希薄であった。
だがそれよりも、シルヴェスター王子との婚姻はどうなるのか……。なんの後ろ盾も無くなった自分にどんな価値があるのか……。
そんな見通せなくなった未来への不安と、寄る辺ない身の上となった恐怖の方が勝り、アミーリアを圧し潰した。
皆の自分を見る目が刺すように痛く、誰とも会いたくなくてアミーリアは部屋に閉じこもり、まんじりともせずアーカート王国の判断をただただ待ち続ける日々を送った。
そうして、やっとアミーリアが呼び出された場が、あの『紛争終結を祝う宴』だったのだ。
そこで、亡国の公女となったアミーリアはアーカート王国から必要なしとして捨てられた。そして替わりに、紛争で交渉役を買って出たラティマ王国の王女ロザリンドが有用であると拾われたのだ。
だがアーカート王国も、アミーリアを憐れむ気持ちが多少なりとも残っていたとみえて、捨てたアミーリアを戦争の英雄であるギディオン・クルサードに押し付けた。
この発表を聞いた直後、アミーリアは人事不省に陥ってしまったので聞き逃したが、王子の発言にはまだ続きがあった。
「今回の紛争にて残念ながらファーニヴァル公国は亡国となってしまった。だが、先のクルサード侯爵の後を継ぎ、クルサード侯爵となったギディオンに元ファーニヴァル公国公女アミーリアを嫁がせ、ファーニヴァル領を一時ギディオン・クルサード侯爵に任せることとする。今後、アミーリア公女に子が生まれれば、ファーニヴァル領をその子に継がせ、ファーニヴァルの名も与えよう」
隔たったとはいえ、アーカート王家に連なる家門であるから、と慈愛に満ちた表情で続けたシルヴェスター王子に、会場中の貴族たちは「なんと温情溢れる措置であろうか」と次代の主君となる者を誇らしい気持ちで仰ぎ見た。
その時のアミーリアといえば、倒れたアミーリアを受け止めたクルサード侯爵の腕の中でぐったりと意識を失っていた。
王子の話を聞いていたならば、絶望か、感謝か……、果たしてどんな反応を示したのであろうか。
ありがとうございました。
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