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11ー② キアラ

 

※※※


 ゲートスケル皇国がファーニヴァル公国相手に起こした侵略戦争は、アーカート王国西の辺境を守護するクルサード侯爵を巻き込み、三か国の紛争となった。

 争いの中、先代クルサード侯爵が犠牲になり、ファーニヴァル公国大公と大公子が殺害されファーニヴァルは亡国となった。

 そして、亡くなったクルサード侯爵の跡を継ぎ、新たに参戦したアーカート王国近衛騎士団副団長ギディオン・クルサードの活躍により、ゲートスケル皇国をファーニヴァルの地から追い払い、間もなく終戦となる。

 この戦の後、亡国ファーニヴァルの公女アミーリアはアーカート王国王太子に用済みとして婚約を破棄され、ファーニヴァルの実質支配に利用する為に、今回の紛争終結の立役者であるギディオン・クルサード侯爵と婚姻させられた。

 しかし、アミーリアは幼い頃からの婚約者であった王太子に心をいつまでも残しており、ギディオンはそんなアミーリアに結婚早々愛想を尽かした。

 そんな二人の結婚生活がうまくいくはずもなく、娘を一人もうけたものの夫婦生活は一年もたたずに破綻し、アミーリアと娘のキアラはファーニヴァル領のレティス城、ギディオンはクルサード侯爵領の本邸と、別々に暮らしていた。

 当時のギディオンは侯爵位を父親の戦死で急に引き継いだばかりの上、武勲として賜ったファーニヴァル領の復興も担い多忙を極めていた。その為、アミーリアのことをまったく顧みることがなかった。

 アミーリアは捨て置かれているという鬱屈を晴らすためか、自分の父と兄を見殺しにした侯爵へのあてつけのつもりなのか、ドレスや宝飾品などを買い漁って贅沢三昧の生活を送っていた。これにはギディオンのみならずクルサード侯爵家の家臣、元ファーニヴァルの家臣や領民からも呆れられた。

 特に亡国の民として虐げられていたファーニヴァルの領民は、その原因となった大公ひいては大公家への怒りを心の奥底にずっと燻ぶらせていた。

 その大公家の最後のひとりであるアミーリアが自分たちの窮状を知ってか知らずか、城に籠ったきり贅沢三昧をしているなどと云う噂がどこからともなく領民の間に拡がると、呆れるばかりか恨みと憎しみがいや増すばかりであった。

 その噂はアミーリアだけではなく、ファーニヴァルに無関心なクルサード侯爵への批判や不満を生み、領民たちの心の中で次第に大きく育っていった。

 そしてその不満は後に、“あること”をきっかけに顕在化するのだ。


 戦のあと、終戦協定によりファーニヴァルの地にはゲートスケル皇国の商人が往来し始めた。

 ゲートスケル商人は協定をたてに、強奪まがいにファーニヴァルから食料や商品を買い漁っていくのだ。酷い時には人すら攫うようにゲートスケルへ連れていかれる。

 敗戦国の民であるファーニヴァルの領民はすっかり怯え、次々と襲いかかる苦難に疲弊していた。

 この苦境を訴えようにもレティス城にはアミーリアしかおらず、ろくに対応してくれない。

 かといって、ファーニヴァルを現在治めているはずのクルサード侯爵は自領にいる為すぐに訴える術もなく、対応してくれるあてもない————

 八方ふさがりで苦しさばかりが募る生活は、領民の心をどんどん荒廃させた。

 贅沢ばかりしていると云うアミーリアのみならず、何の手助けも救済もしてくれないクルサード侯爵も、ファーニヴァルの領民にとって恨みの対象となった。

 領民たちの間で、どこにもぶつけることのできない不満と鬱憤がうずたかく積もりに積もった時、アミーリアが間男にうつつを抜かし金を使い込んでいるという新たな噂が広まった。

 その新たな噂とは、こんな内容であった。

 ある日、アミーリアの元に宝石商レヤードと名乗る商人が現れた。

 レヤードは金髪に碧の瞳の美貌の男性で、アーカート王国王太子シルヴェスターとどこか似通っていた。

 たちまちアミーリアはレヤードに夢中になり、彼を自分の元に通わせるために、持ってくる高額の宝飾品を毎回全て購入した。だがその支払いに充てたのは、すぐ手元にあった金——ファーニヴァルの復興資金。

 アミーリアは、領民たちに使われるべき復興資金を自らの贅沢の為に使い込んでいるのだ————


 この新しい噂が広まるのと同じ頃、商人・職人の会合、婦人同士の集会、仲間同士の飲み会……そういったちょっとした集まりに「ここだけの話だが」と必ず()()が打ち明け話をすることが増えた。

 話とは、先の大公が放逐した公子のことだ。

『公子は外国で聡明にお育ちになられている』

『ファーニヴァルの苦境を嘆いていらっしゃる』

『アーカート王国がファーニヴァルの富を食い潰すのは許せないと憤慨されたそうだ』

『公子はある後ろ盾を得られた』

『ファーニヴァルを救いたいと公子は言っておられるそうだ……』

 いつしか、“ここだけの話”は苦しく望みのない生活を送る領民たちにとって、たったひとつの希望となっていた。

 ひたひたと領民の間でその話は広がり、次第に放逐された公子を待ち望む声が水面下で大きくなっていき、領民の間で不穏な動きがみられるようになっていく。

 その動きは、みるみるうちに反体制派として組織立ち、武力を備えたレジスタンス活動へと発展していった。

 そして領民の不満がいつ暴発してもおかしくない程の高まりをみせていた時に、その事件はおきた。

 アミーリアが、駆け落ちをしたのだ。

 娘キアラも夫もファーニヴァルも、何もかもを捨て、宝石商レヤードと共に城を抜け出した。

 知らせを受けたギディオンは、ファーニヴァル中を躍起になって捜したものの、捜索虚しくアミーリアは惨殺された遺体で発見された。しかし、一緒に逃げたはずのレヤードの行方は杳として知れなかった。

 レヤードが犯人という推測、もしくは犯人ではなくとも事情を知っているはずと、レヤードを捕える為に商人ギルドやレティス城下の街を、ギディオンはまるで匿っているだろうと言わんばかりの態度で執拗に捜索した。

 そんなギディオンに、領民はさらに憎しみを募らせた。

 戦が終わった後、領民があれほど困窮し大変な思いをしていた時には一度もファーニヴァルを訪れたことはなかったくせに、アミーリア殺害の犯人探しにはこんなにも足を運ぶのか、と。

 このタイミングで『放逐された公子がファーニヴァルを救うために戻ってくる』と云う噂が、領民たちの間に突風のような速さで広まった。

 地下組織(レジスタンス)は、公子をお迎えする為にファーニヴァルに巣食うアーカートの犬を追い出すのだ! と殺気立って声を上げ、それに賛同し、煽動する者が次々と現れた。

 最初は「本当に公子はくるのか?」と慎重に意見する者もいたが、ギディオンの強引な捜査が続けられる中で、怒りを溜め込んでいた領民たちの多くが過激な意見に傾いた。

 過激な思想は大波の如くどんどん勢いを増し、慎重な意見はのみ込まれていき、いつしかそんなことを言うものはいなくなっていた。

 そんな状況の中でレヤード捜索を続けていたギディオンは、ファーニヴァル領民が突然起こした暴動によって、ふいをつかれてあっけなく殺害されてしまったのだ。

 だがこの後、領民があれほど待ち望んだ“放逐された公子”は、ファーニヴァルに訪れることは無かった。

 領主を失ったファーニヴァルはさらに荒廃し、その隙をついて再びゲートスケル皇国の侵攻が始まった。

 アーカート王国もすぐさま騎士団を派遣し抗戦したものの、ギディオンという英傑を欠いた王国の騎士団にかつての勢いはなく、ファーニヴァルの領土の半分を失うこととなった。

 斯くして、二つの大国によって割譲されたファーニヴァルは、オラシア大陸からその名を消したのだ————


※※※


「小説の通りに話が進むとは、私も思っていない。すでに違ってきている点はいくつもある。だけど、パパとママは依然不仲のままだし、レヤードが本当に現れた。私心配なの! だから、ママにはうんと注意をして欲しい。絶対にレヤードに誘惑されたりしないで……お願い、ママ……」

 次第に涙声になってゆくキアラをアミーリアはぎゅっと自分の胸に押し付けて、頭を優しく撫でた。

「馬鹿ね。あんなうらなり、ママの好みじゃないってキラちゃんがいっちばんよく知ってるじゃない。あんなのにママが好き好んで付いて行くはずないでしょ!」

「……うん」

 笑い交じりだが断言するアミーリアに、キアラは安心したようにアミーリアの胸に顔を埋めた。

 ギディオンも植栽の陰で大きく安堵の息をつく。

「でもほんとに気を付けて……。ママ、死んじゃヤダよ……」

「わかってますって。ママだってキラちゃんを置いて死ねないもの。……ん? そう言えば、小説の中のキアラはアミーリアが死んだ後どうなったの?」

「あぁ。アミーリアとギディオンが相次いで亡くなった後、孤児になったキアラはね、シルヴェスターとロザリンド夫妻に引き取られて、アーカート王家の養女として育てられるの。ただ、ファーニヴァルの血筋って出自は秘匿されていたから、従姉同士だとは知らずに主人公と対立する悪役令嬢みたいな役どころになる。で、あれやこれやの末、主人公を殺そうとして返り討ちにあって二十歳くらいで死んじゃうの」

「な……な……、なんですって——⁉」

 よりにもよって、あの二人に引き取られる⁉ と、アミーリアはわなわな震えた。

「有り得ないッ! あの二人に私の大事な大事なキラちゃんを渡せるものですかッ‼ 死なないわ、ママっ! ええ、ええ! 石にかじりついてでも死ぬもんですかッ! キラちゃんを一人になんて、絶対ぜーったいしないから! 約束するわ!」

 ギディオンも激しく頷き同意していた。何が何でも二人は守り抜くと、拳を固く握りしめていた。

 涙ながらの懇願よりもこっちの方が効果的だったのが、なんとも複雑な気分になったキアラだが、結果オーライだ。

「ママ、その言葉忘れないでね。絶対だよ」

「もちろんよ。ママがキラちゃんと約束したことを守れなかったことがあって?」

 ドヤ顔で言うアミーリアに、キアラはパッと満面の笑顔を見せた。

「ない!」

「当然よ!」

 二人は視線を合わせてニヤッとし、明るく笑い声を上げた————時だった。

 俄かに世界が赤錆色の、不吉な色に染まる。

 突如、晴れた朝から夕暮れ時に切り替わった。それぐらいの変化だった。

「え? なに……?」

 咄嗟に空を見上げたキアラは、ギクリと体を固くした。

 一瞬、前世で死んだ時のことが頭を過ぎった。

 空全体が夕焼けというより、血が滴ったかの如き赤黒い色に変わっていた。太陽は、いつもとはまるで逆に光を吸収するかのように黒く、ぽっかりと空に空洞を作っている。

 自分の知っている日食とはまるで違う。初めて見る光景に、キアラは底知れぬ恐怖を感じた。

「蝕……!」

 アミーリアはひとこと呟くと、弾かれた様にキアラを抱えたまま立ち上がり、慌てて建物の方へと走り出した。

 近くに控えていたらしいアナベルがすぐさま駆け付け、キアラを受け取ると「こちらへ! 急いで」と先導する。

 ギディオンはアミーリアとキアラが建物の中へ入るのを見届けると、急いで隠し通路の扉を潜り執務室へと踵を返した。



 子供部屋へ戻ると、メイドたちが慌ただしく部屋中のカーテンを引き、気持ちを落ち着かせるハーブティーの用意を終えて、部屋から下がっていった。

 アミーリアはキアラを何かから守るようにぎゅっと抱え、ソファに沈み込んだ。

 誰も部屋からいなくなったのを見計らい、キアラが尋ねる。

「ママ……。あれが“蝕”なのね?」

 “蝕”とは、この世界で時々起こる現象である。

 この世界には、創世神という神の概念は存在するが、魔法もないし、不思議現象を起こす精霊だの妖精だのも(たぶん)実在しない。

 だが、唯一不可解で、不思議と云える現象————それが“蝕”なのである。

 “蝕”は、突然前触れもなく起きる。昼夜時間は関係ない。

 特に“蝕”によって、世界に何かがあるわけではない。

 だが、その現象がどうして起こるのか、何で起こるのかを知るものはいない。いないからこそ、人は恐れ、忌避する。

 迷信だとは思うが、古来より“蝕”が起こっている最中に外にいると気が触れるとか、神隠しに遭うとか言い伝えられている。だから“蝕”が起こると、人々は何をおいても家の中に戻り、“蝕”が終わるまでその赤黒い闇を避けてやり過ごす。

 そして、ファーニヴァル大公家では————……


 キアラの問い掛けに、アミーリアはキアラを抱え込む腕を少しだけ弛めて、顔を上げた。

「……そうか。キラちゃんは小説で知っていたのね」

「うん。でも読むのと見るのは大違いだね。びっくりした」

「アレを見るたびに、嫌な気分になるわ。昔はどうしてかよく分からなかったけど、咲の記憶を全部思い出してやっと理解した。キラちゃん……あなたを失った日を思い出すからなのね……」

 アミーリアはキアラの存在を確かめるように、キアラの髪の匂いを嗅ぎながら自分の頬を何度もこすりつけた。

「うん……」

 キアラもあの月蝕の夜を一瞬思い浮かべ恐怖を感じたから、きっとそうなのだろう。

 アミーリアははぁっと大きくため息をつき「嫌な気分になる上に、面倒な儀式もしなくちゃいけないなんて」と少々愚痴っぽく零した。

 キアラは(あ、もしかしてアレかな……?)と思い当たった。

 小説の後半で謎設定がでてきたのだ。ファーニヴァル大公家で蝕の後に特別な儀式を行って『世界の落し物』なるものを集めていたことを知り、主人公がその『世界の落し物』探す為にレティス城を捜索する——と云うくだりがあった。

 魔法のない世界なのに、 “蝕” や“世界の落し物”という突然の不思議設定にびっくりしたものだった。小説は未完なので、それが何なのか、どうして探していたのかは、分からないままだったが。

「それも知っているのね」

 早合点されてアミーリアに流されてしまった。

「じゃあ、明日はキラちゃんにも付き合ってもらうわ。いずれ教えなくちゃいけないことだし。————ついでに確かめておくこともあるから」

 と、アミーリアは聞くともなしに最後の言葉を呟いた。キアラは連れて行ってもらえるならいいかと、特にそれ以上追及しなかった。



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