10 ギディオン
ギディオンは自分の執務室で、その日もメイドから報告を受けていた。
ただいつもとは違い、急いで駆けつけたらしくかなり息が上がっている。
「ぎ、ギディ…オン、か、閣下。……アミ、リア、様が……中庭へ、お、散歩に、向かいまし、たっ」
「この時間に……?」
ふと時計に目を向けた。
いつもはキアラのお昼寝の時間にしているのに、今日はまだ午前中だ。
「はっはい。アルダ会長との、め、面会後に突然、キアラ様と中庭へと、仰いまして。今日は応接室から向かわれましたので、もう到着されているかと……!」
だから急いで来たのかと、得心がいった。
応接室から中庭まではすぐに到着するが、この執務室までは棟も階も違うので来るのに時間がかかる。
「ありがとう。……ブランドン、少し抜けてもいいだろうか」
メイドを下がらせて、補佐官へと振り返り、一応(形だけは)許可を取る。
補佐官のブランドンは、諦めたような顔で肩を竦めた。
「いつもすまん」
一応(形だけは)謝り、いつものように執務室にある、中庭の四阿近くへ繋がる隠し通路を急いで駆け下りた。
(キアラも連れて散歩とは、今日はどうしたのだろう)
通路を急ぎながら、ふと気になった。
知らせに来たメイドから、何かアミーリアの様子がいつもと違っていたとの報告もあった。
キアラを連れてアルダ会長と面会するのも、今日が初めてだったはず。そんなにキアラと離れず一緒にいるのは何か理由があるのか。キアラに何かあったのだろうか、と胸騒ぎがした。
四阿近くの出口に到着し、そっと顔を覗かせれば、アナベルがきょろきょろしながら心配顔でこちらを見ていた。合図を送り、下がって良いと許可をだす。アナベルがアミーリアに一礼して、ギディオンの方へ視線をちらりと流してから、中庭を去っていった。
この隠し通路の出口は建物と植栽によって四阿の方からは見えないようになっている。出口があると分かっていなければ絶対にバレないはずだ。
アミーリアが散歩を日課にするようになってから、ギディオンも同じ時間にここへ来るのが日課になった。少しばかり距離はあるが、護衛を兼ねながらアミーリアを好きなだけ眺めていられる至福の時間だ。
いつもはひとりの時間をゆったりと楽しむように過ごすのに、今日はキアラを相手にお喋りをしてはしゃいでいる。
微笑ましい光景にギディオンの表情も緩み、デフォルトの眉間のシワも二本ばかり少なくなった——が、
(…………お喋りだと?)
思わず自分でツッコんだ。一歳そこそこの子供相手にお喋り?
じっと目を凝らして見ていると、アミーリアだけが一方的に話し掛けている訳ではないことが判る。キアラもかなり話している。
途中でアミーリアが何故か真っ赤になったり、キアラが四阿のベンチの上で怒ったように立ち上がったりと、声は聞こえなくとも異常なほどの盛り上がりで話し合っているのが見て取れた。
(キアラと、本当に話が通じているのか……?)
普通なら信じがたいが、もしかしたらと思う自分もいた。
キアラが生まれてから、就寝前に子供部屋を覗くのがギディオンの習慣になっていた。
夜中でもわりとキアラは起きていることが多く、起きているとつい嬉しくて、調子に乗ってキアラ相手に問わず語りをしていた。
一方的に話しているつもりだったが、ちょうどよいタイミングでキアラが返事をするように声を上げることがよくあった。
(本当に話を理解していたとしたら……)
キアラの前で、自分は酷く恥ずかしいことばかりを口走っていなかっただろうか⁉
いまさらではあるが急に嫌な汗が流れ、動悸が激しくなった。こうなると二人の会話が気になって仕方がない。
本当にキアラが分かっていたのか、二人がどんな風に、なにを話しているのか、確かめたいという衝動にかられた。
お喋りしているように見えるだけの、ただの遊戯ならばそれでよい。だが、真実二人が話し合いをしているとしたら……。
いままで自分がキアラに向けて話していたことを思い出すと、羞恥で気が狂いそうになった。もう、確かめずにはいられなかった。考えるよりも先に、体が動いた。
気配を消して、少しずつ四阿まで慎重に近づいていく。四阿のある場所よりも少し高い位置に植えられている植栽の陰に身を潜ませた。二人の声もちゃんと聞こえ、尚且つ四阿からは死角になっているので自分の姿は視認できないはずだ。
すでに、いけないことをしているなどという認識はギディオンの頭の中から消え失せていた。
ギディオンは四阿をそっと覗き込み、耳を澄ませた。
「先にママの聞きたいことを聞いちゃったから、キラちゃんの『言いたいこと』をまだ聞いてなかったよね。ほら、話して話して!」
丁度良くアミーリアがキアラに話すことを促している。
(本当に会話が成り立っているのか、これで分かる……)
思わずごくりと唾を飲み込んだ。
キアラは少しの間逡巡するように黙っていたが、決意漲る強い目でアミーリアを見据えると、おもむろに口を開いた。
「ママ、あたちたちがちぬまえにさんかちたイベントのことはおぼえていりゅ?」
「勿論よ。キラちゃんがずっと愛読していた作家さんの追悼イベントだったわよね」
こくん、とキアラが頷いた。
ギディオンは声が漏れ出ない様に一生懸命自分の口を両手で押えた。
(舌足らずだが、まるで大人が話しているようだ……!)
そして、このあと続くキアラの話は、ギディオンの理解の範疇を越えた、恐るべきものであった。
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