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6ー② キアラ

 

 ギディオンとアミーリアの婚約が発表されたのは“紛争終結を祝う宴”の場である。

 それを名だたる王国の貴族たちどころか本人(アミーリア)にも、その時に知らされたことだったのは、衆目の知るところである。

 そしてクルサード侯爵家の家臣たちも、ギディオンが花嫁を連れ帰ってきて初めて、自分たちの主が婚約どころか、結婚までしてしまったことを知るのである————


※※※


 アナベルはその『言い訳』を、「ちょっと長くなりますが」と前置きして、そもそもの背景——紛争の始まった直後のクルサード侯爵領のこと——から話し始めた。


 ゲートスケル皇国がファーニヴァル公国への侵攻を始めてから、アーカート王国の西の国境を守護するクルサード侯爵が治める領地は、常にない緊張と喧騒に包まれていた。

 クルサード侯爵家はゲートスケル皇国の王国への侵入を阻むための防備を固めるだけではなく、同時に、いつ何時ファーニヴァル公国から救援要請があろうともすぐに駆け付けられるようにと、準備万端抜かりなく進めていた為だ。

 何故なら、ファーニヴァル公国と国境を接した隣同士であるクルサード侯爵家は、数世代にわたって友好的な関係を結んでおり、特に先代同士はお互いを親友と明言する程親交が深かった。残念ながら今の代はそこまでとは言えないものの、関係が良好なのは変わりがなかったからだ。

 そしてゲートスケル皇国侵攻より四カ月がたった頃、予想通りファーニヴァル公国から救援要請があった。

 しかし、クルサード侯爵が騎士団を率いて参戦するも、クルサード侯爵の戦死、ファーニヴァル公国の大公と大公子が戦の犠牲となり露と消える等、度重なる不幸によりファーニヴァル公国は亡国となった。

 西方将軍を任じられていたギディオンが王宮でその知らせを受けて、急遽侯爵の跡目を継ぎ、近衛騎士団と西方騎士団を引き連れて参戦。その後、瞬く間にゲートスケル皇国を撃退し、ラティマ王国も交えた終戦交渉をやり遂げ、そしてアーカート国王へ戦勝報告するため再び王都へ上った、と思ったら花嫁を連れて帰ってきた————ここまで、ファーニヴァル侵攻から僅か半年ほどの出来事である。

 数十年ぶりの大きな戦と主である侯爵の戦死から衝撃冷めやらぬうちの、ギディオンの侯爵就任と婚姻。

 クルサード侯爵領の誰もが、まったくの寝耳に水のめまぐるしい展開に、悲しむべきか喜ぶべきかと混乱の極みに達していた。

 しかもギディオンの花嫁は、つい先日まで王太子の婚約者だった亡国ファーニヴァルの公女である。

 先代クルサード侯爵が亡くなった経緯を知っている家臣の多くは、馬鹿にするなと怒った方がいいのか、それともファーニヴァルを実質クルサードが手に入れたと喜んでいいのか、これまた複雑な思いに駆られた。

 だが、どちらにしても“我らが若様”の奥方となったアミーリアのことを、果たして若様(ギディオン)に相応しい女性であるかと、厳しい目を向けていたことに間違いはない。

 同時に、長らく王太子妃となるべく教育を受けていたアミーリアが突然クルサード侯爵家に与えられたことに、王家に対して猜疑を抱く家臣も多くいた。

 アミーリアは自らの保身の為にクルサード侯爵家を探る王家のスパイとなったのではないか、それで痛くもない腹を探られたくはない、はたまた、公女と娶わせてファーニヴァルの管理をクルサードに任せたのは、戦後復興の手間と金のかかる時期を体よく押し付けたいからではないか、等々……。

 クルサード侯爵家は王都から遠く離れた辺境の広大な地を守護しているため、独立心の強い家門であった。そのうえ、辺境と云うことは王都よりも他国との方が距離は近い。

 それはある意味、クルサードはいつ寝返ってもおかしくないと、王国の一部の貴族たちが警戒するに十分な理由となっているのだ。

 だからこそ、クルサードの重臣たちは、主——侯爵家——の婚姻に王家から横やりを入れられたことに、何らかの疑いを持たれているのかと、王国の西の守護者を自負するが故に強い憤りを感じたのだ。

 そしてその憤りは、全てアミーリアへと向かった。

 辺境を守る侯爵家ということで代々武を誇るクルサード家の奥方には、それなりの気概というものが求められる。果たして、王宮で蝶よ花よと王太子妃候補として育てられていた(たお)やかな公女に、そんな気骨が望めるのか、と。


「……とまぁ、アミーリア様には業腹なことでしょうが、クルサード家臣の古狸たちはそんな風に息巻いておりまして、少しでもアミーリア様にクルサードの奥方として問題があれば、すぐに自分たちが推す第二夫人をギディオン様に召してもらい、その女性からクルサードに相応しい立派な跡継ぎを……などと言って憚らなかったのです」

 アミーリアも多少耳にしていたとはいえ、アナベルの赤裸々な話を改めて聞いて呆れた表情を浮かべた。

 とはいえ、クルサード侯爵家と王国内貴族の軋轢は全く知らなかったこともあり、聞いてしまえば家臣たちの憤懣やるかたない気持ちはよく理解できた。

 ギディオンはアミーリアと結婚した時は確か三十路手前だったはずだ。その年まで婚約者も持たず独身だったのなら、よほど本人も家門の方でも相手を吟味していたのだろう。

 それなのに、王家の鶴の一声で望みもしないアミーリアと婚姻することになってしまったのだから。しかも何か裏がありそうだと疑っていたなら尚更だろう。

「ま、それも仕方のないことね……」

 諦めたようなアミーリアの応えに、アナベルの方がむきになった。

「なんてことを言うのですか! ここは怒っていいところですよ⁉」

「だけど、確かに私がクルサードの奥方に相応しいとは思えないわ」

 あなただって私を奥方とは呼んでいないじゃない、と言いたいのを心の中で留め、アミーリアは暗い顔で皮肉気に言った。アナベルは何か言おうとして口籠り、俯いた。

「……そんなこと、ありません。ただ、ギディオン様も重臣たちの手前下手なことができませんでした。ですので、アミーリア様が理不尽に責めを負うことのないよう一計を案じました」

「あのギディオン様が? 私の為に?」

 アミーリアは意外そうに目を見開き、「信じられないわ」と小さく呟いた。アミーリアの反応をアナベルは悲しいとも悔しいともつかない複雑な表情でみつめていた。

 そのアナベルの様子を見ていたキアラはピーンときた。

(もしかして乳母は二人が両片思いを拗らせているのがわかっていて、なんとかしようとしている⁈ まあ、まぁっ! なんてこと! こんな近くに同志がいたなんて。アナベル同志! 心の友よ! さっきは大嫌いなんて思ってごめんなさい!)

 きらきらした瞳で自分をじっと見ているキアラには気付かずに、アナベルは話を続けた。

「まず、クルサード侯爵領には寄らずに、こちらのファーニヴァルに直接来たのは、そのひとつです」

 クルサード侯爵領には重臣たちが手ぐすね引いて待ち構えていた。そんな中に何も知らないアミーリアを放り込み、むざむざと失格の烙印を押させる訳にはいかなかった。

 それと、これまでいろいろあったアミーリアの気持ちが落ち着くまで、故郷の方が居心地良いだろうと配慮したのだ。

 もちろん、戦場となったファーニヴァルがかなり荒れていた為、直接ギディオンが乗り込んだ方が効率良いという判断もあったが。

「そしてもうひとつ、見かけ上ですがアミーリア様に監視の者をつけること、です」

「それが、あなた……?」

 こくりとアナベルは頷いた。


 ギディオンがアミーリアの為を思ってしたことだが、クルサードへ寄らなかったことで却って重臣たちの不満は高まってしまった。このままでは大したことない噂や評判でさえ大袈裟に悪くあげつらわれ、揚げ足を取られかねない状況になっていた。

 だがファーニヴァル到着後、アミーリアはこれまでの心労か寝込んで自室に籠っていることが多く、おかげで変な噂も悪い評判も立てられずにいたのは幸いだった。

 そんな中、重臣たちが何事かを画策するよりも先に、アミーリアの妊娠が判明したのだ。

 その知らせに、不満を持っていたことなど忘れたように重臣たちは狂喜乱舞した。アミーリアに対する反感など、全て払拭されたようにもみえた。

 しかし、ギディオンとアミーリアがファーニヴァルに到着してからほとんど顔を合わせることなく寝室も別にしている、と云う噂が耳に入ると、喜びは一転した。

 このままでは次の子供は望めないのではないか。王家との約定で、生まれる子は恐らくファーニヴァルを継ぐ。となると、クルサード侯爵家を継ぐ子供はどうなるのだ? ————と。


「重臣たちの不満は、一度喜んだ分余計に手の付けられないものとなってしまったのです。私の父がなんとか歯止めになろうと手を尽くしましたが、思ったように鎮められず……」


 アナベルの父とは、先代侯爵の側近でもあり、クルサード辺境騎士団の団長リルバーン子爵だ。侯爵家重臣の筆頭でもある。

 リルバーン子爵は、自らの親類の娘を第二夫人としてギディオンに娶せると明言し、重臣筆頭のリルバーン子爵が今回の婚姻に納得していないと思わせ、他の重臣たちの不満を一手に引き受けた。これで不満を持つ家臣たちは取り敢えず一歩引いた。悪役を買って出ることで、家臣たちが暴走するのを食い止めていたのだ。

 だが、最初のうちこそ「リルバーン子爵を差し置いては……」などと側室を差し出すことを遠慮していた者たちも、なかなか第二夫人となる娘をギディオンに差し出さないリルバーン子爵に苛立ちを見せるようになっていた。

 そんなところに、産み月となってもギディオンとアミーリアの仲はさらに悪化しているという噂が飛び込み、怒りと不満が再燃した。

 その怒りの炎は、すぐにでも誰彼構わずギディオンの寝所へ女性を送り込みそうなほどの勢いを取り戻し、さすがのリルバーン子爵も手を焼く事態となってしまった。

 そこでちょうど少し前に出産したばかりのリルバーン子爵の娘であるアナベルを乳母としてアミーリアの元へ派遣し、乳母に身をやつしながらこちら側の監視者として噂の真偽を確かめ報告させてはどうか、と子爵が提案した。

 重臣たちも「アナベル様ならばファーニヴァルの公女の肩を持つことはしないだろう」と納得し、不満をなんとか収めた————

 という経緯で、今現在アナベルはアミーリアの側にいる、という訳だった。


「…………それは、悪かったわ」

 説明を聞いて、アミーリアはぼそりと謝った。

 アナベルが愛する夫と子供をクルサードに置いて、ファーニヴァルに来ることになった責任を感じたのだ。

「いいえ。元々ギディオン様に護衛兼乳母になることを依頼されて了承しておりましたから。それに週に一度はクルサードに報告と称して帰らせてもらっていますし、離れて暮らしているせいか、夫が久々に新婚時代に戻ったように甘えて優しくてカワイイので、全然問題なしです」

 からりとした口調で惚気(のろけ)られて、アミーリアは目を見開いた後、思わず笑いを漏らした。

「とまあこんな訳で、監視役としてアミーリア様の周辺で起こった事態を便宜上全てギディオン様に報告しなければならないのです。もちろん護衛として常と違うことがあれば報告する義務があります。特に今回のレヤードの件は、何の連絡も無く息子(アラン)が——しかもギディオン様が念入りに遠ざけていた、若い男性が訪問するというイレギュラーなことが起こりましたから。城内には他の重臣へ注進する者がいるかもしれませんし、悪い噂の種となるものは早急にツブし、素早く対処しなければなりません」

 これが、アナベルの『言い訳』らしかった。

 もしかすると、いままでアミーリアの不利になるような情報は、アナベルとギディオンによってクルサードの重臣たちの耳に入る前に揉み消されていたのかもしれない。

「だけど……どうして私のために、ギディオン様とあなたがそこまでするの?」

 心底不思議そうなアミーリアを、キアラとアナベルは無言で凝視した。

(ママ、本気で言ってる⁉ ニブいにも程がない?)

 だがキアラは、前世のママにも恋愛経験がほとんどなかった、ということを思い出した。

 幼い頃からずっと父親の会社を継ぐための勉強ばかりしてきた前世のママ。恋愛なんて二の次三の次だったと言っていた。というより興味がなかったとも。

 前世のパパとは政略というか契約結婚みたいなものだったらしく、夫というよりは友人のような感覚だったと言っていた。もちろん人間的には嫌いではなかったと思うが、いわゆる恋愛感情的なものは持っていなかったようにキアラにも見えた。

 それは前世のパパも同じだったようで、ママが叔父親子から会社を取り戻したら、役目は終わったとばかりに二人は離婚してしまったのだ。

 明煌(前世のキアラ)が物心ついた時から前世のパパとは別居していたので、あまり一緒にいた記憶もない。そのせいか「いずれそうなるだろうなぁ」と思っていたので、明煌は特に何の感慨もなくあっさりと両親の離婚を受け入れた。

 ちょっと話が逸れてしまった。閑話休題。

 前世の(ママ)もだが、今世のアミーリア(ママ)だって、十三歳で王太子妃の候補となったのだから恋愛経験なんてあるはずもなかった。

(あぁ……壊滅的だ。両親二人揃って恋愛経験値ゼロどころか、もしかしてマイナス?)

 キアラはひそかに頭を抱えた。アミーリアが分からないという理由は、ギディオンが直接話すべきことで、他人から伝えるものではない。

 アナベルもそれを承知しているのか、アミーリアの質問には答えなかった。

「レヤードの件は、報告したこと自体に問題があったとは思っておりません。対応には……、いささか問題がありましたが。ですが、もしアミーリア様が私のしたことを許せない、顔を見るのも不愉快だと仰るなら、お役目を辞しクルサードに戻ります」

 そう言うと、アナベルはアミーリアの決断を待つように、神妙に頭を下げた。

「……そうね。許せないわ」

 アミーリアの冷たい声が部屋に響き、しんと静寂が訪れた。

 その低く硬質な声は、アミーリアの底知れぬ怒りを感じさせた。

 アナベルはびくりと体を震わせた。下げていた頭がさらに下がり、体を硬直させる。

「この城に居る人間全員、許さない。私のことを認めようともしない、私を蔑ろにしたって心も痛まない人間ばかりだって————」

 一気に部屋の中には冷たい空気が吹きすさび、キンと冷えて静まり返る。

(ママっ……! 乳母は悪くないじゃん。話聞いたでしょ?)

 二人の間に流れる緊迫した空気に、キアラは青褪めながら二人を交互に見た。

「乳母の……いえ、アナベルの話を聞かなかったら、ずっとそう思っていたわね」

 ふいにいつもの声音に戻り、アナベルははっと視線だけアミーリアへ戻した。

 アナベルと視線が合うと、アミーリアはにやりと笑んだ。

「顔を上げて。アナベル……これからは名前で呼ぶわ。いいでしょ?」

 突然、くだけて友好的な態度になったアミーリアに、アナベルは顔を上げて目をぱちぱちさせた。

「私はね、使える人材を私怨で捨て置くような人間じゃないの。確かに、いままでの行動は愉快とはいえないけれど、そんな背景や事情があったなんて、あなたは私に少しも悟らせることはなかった……。いいじゃない。そういう有能な人材がずっと欲しかったのよ! アナベル、あなたをクルサードになんて返す訳ないわ。そんな勿体ないこと! どうかいままで通り、側に居てちょうだい」

 じわじわとアミーリアの言っている意味がアナベルに伝わってくる。だが、単純に許された訳ではないらしいと、眉を顰めた微妙な顔になる。

「は、はい……」

「ちょうど、護衛が欲しかったところなのよ。いいタイミングだったわ!」

 にっこりとアミーリアは満面の笑みを浮かべ、アナベルとキアラは揃って目をしばたたかせた。



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