5ー③ キアラ
アミーリアに促され、ギディオンは子供部屋に合わせた可愛らしい丸みのあるデザインのソファに、恐る恐る腰かけた。まるで自分がちょっと触っただけで壊れてしまうのじゃないかと思っていそうな様子だ。
子供部屋なので家具は全体に小作りで、ギディオンがいるとまるで巨人が小人の国に迷い込んでしまったような妙なおかしみを醸し出している。
ギディオンはアミーリアのいる昼間にくるのが妙に居心地悪いのか、背を丸めて縮こまり、窮屈そうに座っていた。心なしか呼吸困難をおこしているらしく、時々苦し気に大きく息をついていた。
(借りてきた猫ならぬ、借りてきた虎……。パパ、めちゃくちゃ緊張してる。でも頑張って!)
キアラは心の中で——若干笑いを含みつつ——全力でエールを送った。
だが、ギディオンは座るやいなや、「話とは何だろうか」と顔を背けたまま切り出した。
(ちょっと、前のめり過ぎだよ! パパ!)
キアラは慌てた。緊張しているからと云って、いくらなんでも性急すぎる。
しかもその態度じゃ、話を早く切り上げたいみたいではないか! 見れば、乳母もメイドも青褪めている。
案の定、アミーリアの様子は一変した。
笑顔は凍り付き、瞬時に真顔になって口を引き結んだ。部屋全体に、澱んだ冷たい空気が漂い始めた。
ギディオンも、自分の失敗に気付いたのか気まずげに俯き黙り込む。
(あー、あー、あー! もうやっちまったよ! この後、どうフォローしよう⁉)
キアラが思案している間に、アミーリアは気持ちを立て直したようで、顔を上げて口を開いた。
「昨日の、」
「昨日の宝石商は、シルヴェスター王子に似ていたらしいな」
だがギディオンが被せるように失言をかました。
「…………は?」
(あー、あー、あー! またやっちまったよ! いったい何言ってくれてるの⁈ いくらテンパってるからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう⁉)
これは案件だわ! 教育的指導が必要です‼
キアラはソファからよじよじ降りると、ローテーブル伝いにギディオンの方へ急いで向かう。
近付いて、顔を背けているままのギディオンをよく見れば、凶悪なほどに顔を歪めているが、目の焦点が若干合っていない。
(緊張と不安でキャパオーバー起こして、一番気になっていたことを無意識に言ってしまったのか!)
キアラは再び慌てた。
これ以上ヘンなことを言い出す前に、正気を取り戻させなくては……
「調べるように命じたそうではないか。……そんなに気に入ったのか」
(あー、あー、あー! 遅かった……!)
「…………はぁっ?」
アミーリアから怒りの波動がものすごい勢いで発射された。
この怒りは相当なものだ。肌にビリビリとした感覚まで感じる。
「パパっ! 駄目でしょ! すぐ謝るのッ‼」
ママが怒るのは当然だ。これでは暗にアランを愛人にするつもりかって聞いているようなものだ!
緊急の教育的指導を発動します‼
キアラはギディオンの膝を思い切り何度も叩いた。
(体罰には反対だけど、言葉が通じないから仕方ないもの!)
「キアラ?」
叩かれて、やっと正気が戻ったのか、キアラがそばにいることに気付いたらしい。ここは強く言い聞かせないと!
「早く謝って‼」
「は、くあーま? とは?」
ここにきて、やっぱり言葉が通じないとは! 自分ではちゃんと喋っているつもりなのに!
キアラは悔しさに地団太を踏んだ。
だが、ギディオンのやらかしはまだまだ続く。
キアラを乳母に手渡す時に「ベル、ちょっとキアラを預かっていてくれ」と口を滑らした。
ギディオンはいままで乳母を呼ぶときは、“リルバーン夫人”と言っていた。だが、本当は名前で——しかも愛称呼びしていることがここで露呈したのだ。
咄嗟に出るということは、愛称呼びの方が慣れているってことだ。
(え……? ホントに乳母はパパの愛人だったの? ママの勘違いじゃなく?)
思わず目の前にいる、自分を抱きかかえている乳母をまじまじとみつめた。
アミーリアとは真逆の、がっしりとした体格の大柄で派手めの美女である。
あれほど妖精のようだとアミーリアのはかなげな容姿を褒め称えておいて、こういうタイプもいける口だったの……?
(まさかとは思うけど、乳兄弟だと思ってた乳母の娘は、私の腹違いの姉妹だったりする?)
嫌な想像で、ダラダラと脂汗が額をつたった。
乳母はアミーリアに睨まれて、真っ青な顔で首を横に振り「ギディオン様! いけません!」と叫んだ。
ギディオンは、しまったというように口を押える。
いったい何が、“いけません”なのか?
愛人だとバレるような発言が“いけません”? ギディオンの失言オンパレードが“いけません”?
どちらかキアラにはわからなかったが、アミーリアは前者と捉えたようだった。
「私とキアラの前で、わざわざみせつけなくても……ッ」
もはやこれは、完全なる痴話喧嘩だ。泥沼の三文芝居の幕がいつの間にか上がっていた。
「いったい、何を……?」
「あなたたちに私のことをとやかく言えるのッ⁉」
「……やはり貴女は……」
この期に及んで、ギディオンはまだアミーリアの心を疑っている。
「アミーリア様、誤解です!」
なにが誤解なのか。
三者三様に主張が違う。もう収拾がつかない恐慌状態だ。
「……出てってください」
だがアミーリアの深い拒絶を感じさせる低い声が、この短い狂乱の劇に幕を引いた。
しん、と部屋が静まり返る。
これで終幕だ……お疲れさまでした。
だからさっさとみんなどこかへ行って! もうこれ以上ママを傷つけないで!
「お願いですから。キアラだけ置いて、みんな部屋から出て行って」
「……あ、アミーリア様……」
「話は後日、乳母にでも伝えます」
誰とも目を合わせずにアミーリアが吐き捨てるように言った。その姿をギディオンが何か言いたげにみつめていたが、諦めたように出て行った。続いて乳母とメイドも出て行く。
(どうしてこんなことに……?)
小説とは違う展開になると期待していたのに、大筋は結局変わらなかった。
二人は両想いのはずなのに、どうしてこんな誤解塗れの結果に終わるのだろう……?
辛そうに佇むアミーリアを見て、キアラは悔しさに臍を噛んだ。
キアラを残して全員が出て行くと、アミーリアは力が抜けたように頽れた。
必死に涙を堪えながら、心にずっとわだかまらせていた気持ちをアミーリアはとうとう一気に吐き出した。
「なによ……。馬鹿にしてッ。どうせ私は王家に捨てられ、何の後ろ盾もない、何の財産も力もない、ファーニヴァルを継ぐキアラを生んでしまえば、もう何の価値もない、帰る国さえない亡国の公女よ……。だからと云って、ひととして、妻として蔑ろにされる謂れはないッ! 私はここにきてから、贅沢も、我儘も、無駄遣いも一切していない。家政を取り仕切っているのだから、タダ飯喰らって生きている訳でもない! 誰に非難をされることをしたこともない! なのに……! どうして……! 愛人がいることも、第二夫人を勧められていることも、私は何も文句なんて言ってやしない! ギディオンの好きにすればいい! 何人でも別に子供を作ればいいわ! クルサードを継ぐ子を産めない私にとやかく言う資格なんてないもの! だけど……どうしてこんなに胸が苦しいの……どうして……どうして……」
「……ママ……」
愕然とした。
血の気が引く思いだった。
キアラは耳にしたことはなかったが、おそらく家臣たちから「クルサード侯爵家を継ぐ子供を早く」と待ち望まれているのだ。
キアラは王家との約定でファーニヴァルの名を継ぐことがほぼ決まっている。だからクルサードの名を継ぐギディオンの子供がもうひとり必要なのだ。
だが不仲と噂されているアミーリアでは望めないとみて、別の女性をギディオンに娶せる話があるのだろう。あわよくば、その女性は自らの親族からと願っている者も……。
そして、それをわざわざアミーリアの耳に入れて「お前は退け」と唆す者がいるのだろう。
この侯爵家の中でも、勢力争いや派閥争いは存在するのだ。
アミーリアとギディオンが顔を合わせて話し合う機会さえあればきっとうまくいくなんて、楽観していた自分がいまとなっては腹立たしい。
恐らく、二人の仲違いには、後継者問題以外にも王家や戦争の問題が複雑に内包され絡まり合っているのだろう。惚れた腫れたと気持ちを確認しただけでは、きっと全ては解決しない。
例えいま、キアラが『パパとママは両想いなんだ』と二人に訴えたところで、様々な横やりで拗れきった二人は、すぐには信じもしないし、簡単に納得もしないだろうと、いまさらながら痛感していた。
手酷い失敗だ。
ギディオンには失望した。
ほんとに愛人だったら、乳母なんか大嫌いだ。
なにより、なにも知らず、なにもできなかった幼い今の自分が、いちばん情けなくて嫌になった。
キアラは震えるアミーリアに寄り添い、小さな腕を思いっ切り広げて、それでも精一杯守るようにアミーリアにしがみついた。
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