17話 聖女、勉強する
「まあまあ、あらあら。可愛らしい彼氏さんですこと!」
「そうでしょう! 自慢の彼氏ですわ!」
会いに来ちゃったからには、隠せないので。それに、ミューリア様ならだいじょうぶかな、と思ったので。本邸の玄関先でお出迎えいただいた折にこそっとプーを紹介いたしました。こそっと。公爵と夫人はお部屋でお待ちでしたので。
「はじめまして、プーさん。ミューリアと申しますわ」
『ぷぅー。ぷーぷぷぅ!』
「プーと申します、よろしく、と言っております」
「あら。あらあら、よろしくお願いいたします。うふふ」
プーが手を出したので、ミューリア様はかがんで両手で握手してくださいました。わたくしの彼氏を気に入ってくださったようでよかったですわ! かわいいでしょう!
そしてわたくしはミューリア様へ「ご相談なのですが……」と話を切り出しました。
「はい。なんなりと」
「プーを、公爵閣下と奥様は、どう思われるでしょうか?」
暗に、できれば秘密にしたい空気を出します。出せたかしら。出しました。伝わったのか、ミューリア様は少しだけ思案顔になりました。
「そのことですが、問題ないと思います」
「えっ、そうですか?」
「ええ。――ご紹介しますわね」
艶やかにほほ笑んで、ミューリア様は手をパンとひとつ打ち鳴らしました。そしたら、まあ!
背後から、水しぶきの音が聞こえて振り返りました。お庭の噴水が、高く高く吹き上がっています。そして。
「――わたくしの聖使、ストゥーカです」
「まああああああああああ!」
『ぷうううううううううう!』
なんとお! 噴水の水が、キレイな女性の形になりましたあ! びっくり、びっくりですのよー!!!
そしてわたくしたちのところまで来て、ていねいな淑女の礼を取ってくださいました。わたくしも返礼いたしましたわ。びっくり。びっくり。そうですわよね、わたくしだってプーを創れたんですもの。ミューリア様にできないわけがありませんでした。
「アニ様が聖使をお持ちで、驚きました。限られし聖女にしか顕現しないと聞き及んでおりましたので」
「聖使ってなんですの? プーたちですか?」
「ええ、そうです。聖女に付き従う使者をそう呼びます。――わたくしたち、おそろいですわね?」
ミューリア様が笑顔でそうおっしゃいました。おそろいです!
公爵と夫人へは、プーといっしょにご挨拶します。隠す必要がなくなったのでね! カーサや騎士のみなさんには、ストゥーカちゃんの登場でどさくさに納得いただきました。なにも説明せずにプーを馬車に乗せて公爵邸へ向かう二時間、無言の圧がすごかったですわー。あー疲れた。
「よく来てくださった、アニ殿」
「お招きに与り光栄です。マリウム公爵閣下、奥様」
「本当にお待ちしておりましたのよ。聖使も、ともに来てくださるだなんて。なんたる幸せでしょうか」
『ぷぅー!』
おおげさですわねえ、と思いました。が、後でミューリア様から教わったのですが、聖使は幸福を呼び寄せるそうなんですわ。そうですわね! わたくしはプーがいて幸せですもの! 納得です。
いっしょにご飯を食べて、お話して、わたくしの今後を相談しました。先日ミューリア様がおっしゃったと同じく、公爵と夫人もわたくしが花嫁修業もとい、行儀見習いの必要があるとお思いでした。わたくし嫁に行く気持ちはないんですがー。プーが彼氏なんですがー。
「ということで、お勉強して参りましょうね?」
公爵夫人の、ミューリア様そっくりな笑顔がとーっても楽しそうでしたわ。これ、しごかれるやつですわね。どうしましょうか。
週中はわたくしが滞在している別邸で、家庭教師のみなさんとお勉強です。そして週末には本邸へ伺ってその週の成果を見る、みたいな流れになりました。ううっ、筆頭公爵家の家庭教師とかこわい。ミューリア様を教えていらした方がこぞってやって来るそうです。逃げていいですか?
と、思ったところで逃げられませんので。腹をくくって授業に臨みました。プーもいっしょなので平気です。たぶん。……たぶん。
「まあ、書写はたいへんお上手ですのねえ!」
「恐れ入ります」
『ぷぅ~』
まずは基礎学力とか一般常識とか。そういうのを測るための時間を取りました。わたくしの学習全般を把握し、計画を立ててくださる先生がすぐに褒めてくださいました。プーもいっしょうけんめい何かを書いて、絶賛されていました。自分の名前を書いたんだそうです。かわいい。
先生はカルラ・サヴァントさんとおっしゃって、いかにもな感じでまとめ上げた髪にチェーン付きのメガネの女性です。ミューリア様が小さいころ、お作法とかを教えていらっしゃったんですって。
写字や筆記はすごく得意なんです。なにせ、子ども時代にマインサム様と文通をしていましたから。
王子様からあんなキレイな文字でお手紙をいただいて、わたくしは悪筆なんて、許されません。毎日書き取りの練習をしましたし、マインサム様の文字を手本に書き写しておりました。おかげさまで、孤児院時代に代書のお仕事もいただけましたのよ。ちょっとだけ自慢です。
「では、筆記は問題ありませんし、課程から省いてもよろしいですわね。ようございました、他に学ぶべき事がたくさんありますので」
結局、及第点をいただけたのは筆記のみでした。厳しい……。
午前中は座学を、お昼を挟んで午後からは実地を。最初からなにもかも上手く行くわけがございませんし、お勉強の量と種類に圧倒されておりました。ちょっと悲しくもなりました。だって、なんのためにこんな事をしているのか、わたくしにはわかりませんもの。
宮女としてお勤めしていた際に、言葉遣いや作法など、貴族のみなさまの目に触れても失礼がないよう教育を受けました。聖女になった際にはなおさらです。これまでそれではダメだと言われていないのに、どうして、こんな。
だんだん心が重たくなってきて、初めての週末を迎える前には、気持ちが落ち込んでおりました。だってー。プーはなにをしても褒めてもらえるのにー。わたくしはぜんぜんですしー。
「アニ様。茶話法の実地訓練に、今日からわたくし以外の方も参加していただこうと思います」
サヴァント先生がメガネのツルを押し上げながらおっしゃいました。わたくしは元気に返事をする気力もなく「さようでございますか」と返事をしました。怒られそうと思いましたが、なにも言われませんでした。
「では、庭に参りましょうか。野外茶話会の練習です」
「承知いたしました」
『ぷう』
言葉遣いも少しずつ訂正されるので、あんまり話せる言葉がありません。それまで誰かに指摘されていないんですけれども、わたくしの話し方には独特な抑揚があるんですって。それに使用している語彙も、あまり品位があるとは言えないと。そう言われたら、話せなくなってしまいました。
それでも、お庭へ移動している間、午前中に学んだ内容を思い巡らせます。その中から話題を捻出するのです。古典文学と、近代文学の違いをやりました。とても興味がありませんわ。世の中のお嬢様方は、みんなそんな高尚なお話をなさっているのですわねえ。わたくしとは、文字通りお育ちが違うのですわ、きっと。
「今日は堅苦しく行いません。アニ様がこれまでなさっていた通りに振る舞ってくださいませ」
「承知いたしました」
『ぷう』
「息抜きも必要でございましょう」
「さようでございますか」
『ぷう』
お天気は申し分なかったです。陽射しが暑すぎず風もなく。春って感じです。カーサや他のメイドさんたちが、白いガーデンテーブルへお茶の用意をしてくれていました。わたくしは引かれた椅子に座り、習った通りの姿勢を作ります。プーも抱っこで座らせてもらっていました。かわいい。
「お綺麗な姿勢ですわ、アニ様。では、そのまま少々お待ちくださいまし」
笑顔でサヴァント先生が立ち去りました。どうしろと。わたくしはとりあえず淹れていただいたお茶を口に運んでみました。さすが、美味しいですわあ。でも切実に酒が恋しいですわあ……。
「――失礼いたします、お嬢さん。ご一緒しても?」
気を抜いていたら、男声でお貴族様な感じの言葉が聞こえました。習いました。言葉を最後まで言わないで余韻を残すんですって。本来なら『ご一緒してもいいですか?』なところを『ご一緒しても?』で終わるんです。しゃらくせいはっきりしろ。わたくしは声がした方へ向き直り、習った通りに笑顔を作って「わたくしの喜びです」と言おうとして「わた」まで言いました。
「……セネガーじゃないですの」
『ぷうぅ』
セネガーでした。ええ。なんかお貴族様みたいな服を着ています。サイズが合う服、あったんですね。意外と似合っています。
「なんでこんなところにいるんですの」
ちょっとだけ声をひそめて言いました。変な抑揚だって言われるし。メイドさんたちは距離を置いて立っていますけれど、聞かれているかもしれないし。
セネガーは勝手に椅子に座りながら「伝手を使ってマリウム公爵家につなぎを取っていた」と言いました。
「そしたら、プーが待ち切れんくてさっさとおまえへ会いに行っちまった。さすがに俺はそんなわけにはいかないし。ちゃんと筋通して来た」
「筋? なんですの」
「おまえの、授業の補佐役」
「うわぁ……」
『ぷぅ……』
「は? 適任すぎて言葉もないか?」
ありえなくて言葉がありません。とりあえずわたくしはお作法を無視して、片手でセネガーへお茶を注ぎました。プーは生成した土団子をセネガーに進呈していました。片手で「おう、ありがとう」と受け取るあたり、セネガーもプーとの付き合い方に習熟してきたようですわね。いい心がけです。
「なーにぶっさいくな顔してるんだよ」
「元からですわ」
「おー、おー、ひねくれたなあ」
言いながら笑って、セネガーはお茶を口にします。そして「あー、マリウムの茶葉は、やっぱ美味いな」とつぶやきました。
「まあ、騎士団とか、ミューリア様とか、いろいろ話はしてある。そろそろ限界だろ」
「そーんなことありませーん」
「そうかよ。俺の知ってる居酒屋でも、連れてってやろうと思ったのに」
セネガーの言葉にわたくしは止まりました。プーが重々しく『ぷ』と言いました。
「ええそうなんです限界です酒、酒が飲みたいのですなんですかこれは拷問ですか禁酒記録連日更新ですわよさあ今すぐ行きましょう今行きましょう」
一息で言うとセネガーが笑いました。プーが重々しく『ぷ』と言いました。